人時


「さぁ!先頭のイカロエル!飛ばす!飛ばす!後続を大きく突き放して、早くも第2コーナーを曲がった!完全に一人旅!彼の眼は、彼の脚は未だ誰も踏み入れたことのない景色を目指し、どこまでも前へと駆け出していく!一体このペガサスはどこまでいくのか!ケツアナ賞を勝利して以来、誰もこの背中を捉える事ができていない!メロスジャケットははるか20馬身後ろ!果たしてイカロエルに届くのか!?イカロエル、軽快に飛ばしている!さぁ、今向こう正面を越えた所。な・・・・なんと!2000Mのタイムが1分56秒!かつてワールドペガサスカップでこれほど驚異的なスピードて2000Mを通過したペガサスがいたでしょうか!!??さぁ、残り2000M!多くの人々の夢を乗せてイカロエルがさらにペースを上げるぅぅぅ!!」


2122年。アジャスティ国際倫理機構が異種動物の遺伝子交配を一部解禁した。国際的に認められた初の人工生命体は馬と鳥を交配した生命体であった。人々は遥か昔の神話に出てくるペガサスという名前をその生命体に冠し、新たな時代の到来を知らせる神聖な生命体として、彼らを珍重した。

社会の発展、とりわけ自動化が進むにつれて反比例していく人口の減少により、大衆向けの娯楽施設が減る中で、VRを使用し、リンクスネットを介して観戦できるペガサスレースは世界中でその人気を博した。

ペガサスレースではAIによる自動予想プログラムが禁止されており、人々はリンクスネットから必要な情報を各自で収集し、個人的な予想を組み立てなくてはならず、旧来のギャンブルの様相を尊重した形式である。

金銭というものはその重要性を失いつつあったこの時代で、ベットされるのはリンクスネットによって管理されている、善行と罪であった。

そう、成熟しきった社会での我々人類の人生は、その生において犯した罪と善行の相対価値によって幸福が決定していたのである。そして、この公営ギャンブルであるペガサレースではその善悪を互いに賭け合っていたのである。極端な例で言えば、殺人であってもこのレースで大きな配当を得れば、その罪が贖われるのである。

そんなペガサスレースで、昨年から観衆の人気を集めているペガサスがいる。


イカロエルである。

イカロエルは10年前に3冠を獲ったブルビエルの子供であった。しかし、デビュー当初は過去の名ペガサスと比べるとやや見劣ると評されていた。元々羽の骨が丈夫ではなく、3歳戦での三冠は全て他のペガサスに奪われてしまったのである。また、当代で圧倒的な人気を誇るメロスジャケットが多くのG1を制しており、他のペガサスの活躍は埋もれがちであった。

そんなイカロエルがようやく世に名を知らしめたのは、昨年秋のG1。ケツアナ記念である。鞍上に忍者の末裔である間者 忍8(スパイ ウェア)を乗せて走ったイカロエルは無謀とも言える大逃げに打って出たのである。メロスジャケットも出場するレースで、イカロエルはなんと他ペガサスを全く寄せ付けず逃げ切ってしまったのである。

それからというものイカロエルと間者忍とのコンビはまさに無双の走りを続けている。他ペガサスからの影響を受けない逃げという戦法で誰よりも前を、誰よりも早く走るというシンプルにして最強の方法で6連勝をあげた。

ただただ前へ。

ただただ早く。

ゴールを目指して。

力いっぱいに走り抜く。

イカロエルの走りは努力やひた向きさを忘れた現代社会の人々に忘れかけていた感情を揺り動かす。

善も悪もなく、ただただ前へ!ただただ早く!




「さぁ!各馬を全く寄せ付けぬまま、イカロエルが逃げる!間もなく残り1000mの標識を超える所、メロスジャケットもペースを上げてきたが、この距離を果たして詰める事ができるのか!?」


「ん?おおっと!?・・・・・これは・・どうしたことか!イカロエルがバランスを崩している!!!あーっと!ここで大きく失速!!!イカロエルに故障発生!!!イカロエルに故障発生!!なんと!!!なんと!!!イカロエル!懸命に羽をはためかせるが、先ほどまでの姿は見る影もない!!!なんということがおきてしまったのでしょうか!!」



間者忍「イカロエル!!イカロエル!!ストップだ!!無理に動くな!!!!イカロエル!!!」



「誰よりも早く!誰よりも前を走り続けてきたイカロエルの背中に、後続のペガサス達が殺到する!!!これは危険だ!!!」



間者忍「イカロエル!!!頼む!!止まってくれ!!」


「イカロエル!!!懸命に羽ばたき続ける!!!どこへ行こうというのか!!!コースの外へと向かって、折れた翼を動かすことを止めない!!!あーっと!!!!間一髪!コースを逸れた所でメロスジャケットがイカロエルを躱して先頭に躍り出た!!他のペガサスも続々とイカロエルを抜いていく!!!!ここでようやくイカロエルが静止!!!!残り800Mのゴールを見つめたまま完全に止まってしまった!!!!!」






イカロエルは緊急搬送されるまでずっとゴールを見つめていた。

その後、羽と前脚が重度の骨折と診断されたイカロエルは、様々な処置を施されたが、回復の見込みが極めて困難な状態と判断され、最終的に安楽死の措置が取られた・・・・。


後のインタビューで間者忍8はこう答えている。

「もっと早くレースを中断できていれば、予後不良にはならなかったと思います。でも、あのペガサスは本当に賢い馬で・・・・。そのまま転倒してしまっていたら、後続のペガサスに僕が巻き込まれるという可能性を瞬時に判断したのだと思います・・・・・・。最後、止まってからゴールを見つめ続けるイカロエルの目を僕は今でもずっと忘れることができません。イカロエルは誰も観たことのない秒数先の世界を目指して、ずっと走り続けてきました・・・・・。きっともう二度と走れないことを悟っていたに違いないです。でも・・・イカロエルの目は・・・・・ずっとまだ先の・・・ずっと、ずっと前を見つめていたのです・・・・」





人々の善と悪が渦巻くこの世界。人々は多くの罪を世界に押し付けて生きてきたのかもしれない。

しかし、ほんの一瞬の輝きが、ほんの一瞬の瞬きが、私たちに希望を与える。

それはどうしようもなく 人間の性であるのだ。



〜セリンの日記〜より

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