飼い猫の不名誉と意地

 ルクレティア・エカルトには前世の記憶がある。

 日本の一般家庭に生まれ、特に目的もなく大学で経済学を学び、就職に有利かと思って会計士の資格を取得して、企業に就職した。
 特に華々しい活躍もないが、平凡で落ち着いた人生を順調に歩んでいた。そろそろ恋愛にも力を入れて身を落ち着けたいな、なんてところで不運な事故に遭い呆気なく死んだのだ。
 次の人生は長生きしたいな、なんて願って。



 多額の借金を抱え没落寸前の貴族家に生まれたルクレティアは、使えるものは全て使って金策に走っていた。事業の一つに使用人の育成と紹介があり、そのおかげで社交に励まずとも何かと情報が入ってくる。
 王城に勤めているメイドから、緊急の連絡が届いた。魔物討伐部隊とロセッティ商会、服飾ギルドとの歓談中、財務部のジルドファン・ディールス様が遠征用コンロの予算書差し戻しにいらしたそうだ。ロセッティ商会長への侮辱は酷いものであり、特に“飼い猫”は許しがたい。
 ルクレティアは報告書を読み上げたあと、顔を蒼白にさせて目を回した。けれど、すぐさま切り替えると、次々と部下に指示を飛ばして自身は王城へ行く準備を整える。

「レティーシャはロセッティ商会への根回しをお願い、商業ギルドを介せば早いはずよ。お詫びの品も見繕っておいて」
「かしこまりました」
「イヴォンは私と共に王城へ。馬車を回して」
「ただいま!」

 側近たちを中心に、屋敷の使用人たちが慌ただしく動き出す。側近たちは流石と言うべきか、急を要する応対にも貴族の館らしい、速くても優雅な動きだ。それに対して当家で預かり見習いの身分にある使用人はバタバタと忙しない。
 そんな様子を目の端に捉えながら、ルクレティアは王城で出すことになるであろう手紙をしたためる。逸る気持ちや罪悪感、矜恃を侵される恥辱でいっぱいな内心を貴族らしく隠し、美麗な文字を綴っていく。

 到底貴族の屋敷とは思えぬ、蔦と苔まみれの外壁に、荒れ果てた庭、門までの道は植物の根によって舗装がめちゃくちゃ。そんな家の前に、使い古した紋章入りの馬車が回る。
 馬車に騎士のイヴォンと共に乗り込み、可能な限り速く馬を走らせる。日はもう傾き始めている。

「お約束はないのですが、緊急のため失礼を承知で参りました。私はエカルト男爵家が娘 ルクレティアと申します。魔物討伐部隊のランドルフ・グッドウィン様にお取次ぎを願います」

 ルクレティアは馬車の窓から、自ら門兵に手紙を差し出す。ついでに大銀貨を握らせた。門兵はそれを受け取り、そのまま手紙を伝令役であろう男に渡した。
 大銀貨はルクレティアの前世の価値で言う、1万円程に相当する。たかが伝令につける色にしては、少々高い。しかし、本来エカルト家は王城に出入りできる身分でない。そのため向こうから呼びつけたという名目がなければ立ち入りできないのだ。
 ランドルフ・グッドウィン様とは確かに縁があるが、それも領地が隣で取引がある程度だ。ランドルフ様とは同年代であるが、彼が隣国に留学に行っていたこともあり、正式な挨拶を交わしたことすらない。

 ルクレティアには、この面会が叶う勝算があった。魔物討伐部隊にとっての聖女 ダリヤ・ロセッティ商会長。今回の一件について、ルクレティアの知る情報を手紙に仄めかしている。彼らはロセッティ商会長のために面会を許可するであろう。
 それでもルクレティアは不安でいっぱいだった。胸はバクバクと激しく脈打ち、それなのに指先や顔色は血の気が引いて冷たかった。

「魔物討伐部隊隊長 グラート・バルトローネ様とランドルフ・グッドウィン様より、ご面会の許可が下りました。このままお進み下さい」
「ありがとうございます」

 伝令役の男にも銀貨を握らせ、ルクレティアは進む。案内された入口には、赤銅色の髪の背の高い男が立っていた。ルクレティアはイヴォンのエスコートで馬車を下りる。

「きちんと挨拶をするのは初めてですね。ルクレティア・エカルトと申します。急な申し出に拘らず、ご了承くださり感謝致します」
「ランドルフ・グッドウィンだ。詳細は後ほど聞こう」

 ルクレティアは気持ち深めにカーテシーをした。初対面の挨拶をされない辺り、あまり歓迎されていないのだろう。それでも応じてくれるのは、ルクレティアの情報を欲しているからか。余程ロセッティ商会長は大事にされているらしい。

 案内された魔物討伐部隊の応接室には、隊長のグラート・バルトローネ侯爵を始めとし、多くの騎士達が控えていた。
 威圧でも出しそうな殺伐とした雰囲気に、イヴォンが僅かに険を宿す。それを後ろ手に制すると、ルクレティアはしゃんと背筋を伸ばして息を吸い込んだ。

「魔物討伐部隊隊長 グラート・バルトローネだ」
「お初にお目にかかります、わたくしはエカルト男爵家が娘 ルクレティアにございます。この度は不躾にも関わらず、わたくしの願いを聞き入れて下さり感謝の念に絶えません」
「早速話しを聞かせてもらおうか」

 グラートの瞳はこちらを探り、苛立ちのような苛烈な感情が燻っている。ルクレティアは席に着くよう勧められるが、それを辞した。

「魔物討伐部隊は民を守る大役を負い、討伐のため厳しい遠征や闘いを強いられています。そんな重役にも関わらず、隊への予算が少ないとお考えになったことはございませんか?」
「御託はいい。要件を話せ」
「魔物討伐部隊の予算が減ったことは、我がエカルト男爵家に責があるのです」
「……聞こうか。長くなりそうだ、掛けたまえ」

 初めて魔物討伐部隊の騎士たちが聞く耳を持った。ルクレティアは切り出しに悩んでいた分、内心でほっと息をつく。
 まだ序の口だ、とすぐに態度を改めて、今度こそ勧められた席に着いた。


 オルディネ王国において、男爵とは名誉爵位であり一代限りのものだ。しかし、エカルト男爵家は五代続く男爵家であり、オルディネ王国の貴族の中で唯一の奇異な家系である。

「我がエカルト家は五代前まではボルジアという名の侯爵家でした。そして、その五代前のボルジア侯爵家当主が、魔物討伐部隊の隊長を務めておりました」

 語り出したのは一族の汚点である。王城でボルジアの忌み名を出す日が来るとは思わなかった。

 五代前のボルジア侯爵は、責務を放棄し公金を横領した。その罪でボルジア侯爵は懲役を科され、家は当然取り潰しとなる。はずだった。
 ボルジア侯爵には、誠実な弟が領地を治めていた。弟は沙汰を受け入れた上で、深く王に謝罪したという。王は領民に慕われる弟を気に入り、恩赦を授けた。
 ボルジア侯爵家は取り潰しとなるが、弟にエカルト男爵の爵位を授け償いの機会を与えた。エカルト男爵家は貴族社会での信用を失い、王の覚えも悪く、多額の賠償金を負った上での興りとなり苦境に立たされた。
 けれど、エカルト男爵は王の慈悲に深く感謝し、一代では難しくとも必ず償うと宣言し、神殿契約を以て王に忠誠と贖罪を誓った。

 先にも述べたが、男爵家とは一代限りの名誉爵位だ。平民でも功を立てれば叙爵することが叶い、貴族位としては子爵以上が一般的である。また、王も出席する大会議には子爵以上の爵位を要するため、エカルト男爵家は貴族として極めて低い地位となった。
 領民からの人望と豊かな領地があったため、なんとか領民を飢えさせることなく家を存続させることが叶った。家としては、五代経った今でも賠償金と借金が重なり、苦しい状況にある。

「皆様の名誉を損なったのも、皆様が重役を担っているにも関わらず苦しい遠征を強いられているのも、我が一族によるものなのです」
「…事情はあい分かったが、それが今回の件にどう関係する?確かに予算の削減にはエカルト嬢の一族の罪が関与していよう。しかし、五代も前のことであるし、こうして面会を願うほどロセッティ商会には影響がなかろう」
「とんでもございません。本来であれば、削減された経費や名誉の復権のためにも、エカルト男爵家が魔物討伐部隊を支援しなければならなかったのです。しかし、エカルト家の状況は厳しく、五代経った今でも十分に貢献出来ていません。ロセッティ商会の遠征改善はエカルト男爵家が担うべきもの。それすらできず、ロセッティ商会は不名誉を被りました」

 ルクレティアは席を立ち横にずれると、片膝をついた。後ろに控えていた騎士のイヴォンもそれに習い、剣を外して跪いた。

「罪を犯し贖罪も終えていない我が家が誇りや矜恃を語ったところで瑣末事でしょう。ですが、通すべき意地は通させていただきたく存じます」

 片膝をついての謝罪は騎士として、正式な謝罪に当たる。今更騎士を騙ることはしないし、なんならルクレティアは騎士科を卒業したわけでもない。けれど、騎士たちへは騎士の礼をとり謝罪をしたかった。
 意志が伝わるよう、瞳に熱意を強く宿してバルトローネ侯爵に訴える。

「この度は、そしてこれまでも、魔物討伐部隊の皆様には多大なるご迷惑をおかけ致しました。エカルト男爵家が一族を代表して深くお詫び申し上げるとともに、償いの機会を賜りますようお願い申し上げます」

 片手を胸に当て、深く頭を下げる。そのまま、しばらく時が過ぎた。やがて、バルトローネ侯爵から、僅かにため息を漏らした。

「魔物討伐部隊隊長として、謝罪を受け入れよう。償いに関してはヴォルフレード、どう思う。ロセッティ商会長のことはお前が一番よく知っているだろう」
「ロセッティ商会長の名誉のため、償うべきであると存じます」
「だそうだ」
「名誉復権のため、最善を尽くします。寛大な心に感謝申し上げます」

 ルクレティアは頭を下げたまま感謝を伝え、十分時間を置いてから顔を上げた。

「ロセッティ商会への最大限の助力をお約束致します。また、重ね重ね失礼とは存じますが、ロセッティ商会長への謝罪をしたいので、取り次ぎをお願い申し上げます」
「私が致します。可能であれば、今日中に」

 先程ヴォルフレードと呼ばれた男であろう、黒髪に金の瞳の華やかな美丈夫が一歩進み出た。

「早くに機会を設けて頂いたことに、更なる感謝を。何卒よろしくお願い致します、ヴォルフレード様」



 ルクレティアは待機していたレティーシャから詫びの品を受け取り、ヴォルフレード様と共にロセッティ商会長の自宅へ向かっていた。
 馬車の中は沈黙が続き、ヴォルフレード様の怒りと焦燥がひしひしと伝わってくる。
 ヴォルフレード様といえば水の伯爵 スカルファロット家の令息であったはずだ。彼の家格を思えば、エカルト家の馬車は荷馬車も同然であるが、さして気にする様子はない。

 西区にある円柱状の石塔には蔦が絡み、エカルト家とは違い趣がある。レティーシャのエスコートで馬車を下りると、ヴォルフレード様の斜め半歩後ろに並んだ。
 現れたロセッティ商会長は波打つストロベリーキャンドルに、優しげなエメラルドの瞳に困惑を宿して一行を出迎えた。

 ルクレティアの謝罪に終始居心地悪そうにし、容易に許そうとするあたり、彼女の思慮深さが現れている。

「エカルト男爵家はロセッティ商会に最大限の助力をお約束致します」
「えっと、ありがとうございます。当方は貴族関連の経験が浅いので、お力添えに感謝します」
「とんでもございません。それと、こちらは心ばかりではございますが、お詫びの品です。お受け取りください」
「えぇ!?お力添えして頂けるのに、これ以上受け取れません…」
「ダリヤ、受け取って。家としてのけじめだし、それだけでは償いきれない咎もある」
「ロセッティ商会長は優秀な魔導具師とお伺いしていたので、領地で採取される素材をお持ち致しました。どうぞ今後の研究や開発にお役立てください」

 エカルト男爵領は高地にある常春の穏やかで自然豊かな所だ。清浄な森には妖精が住まうとされており、領地独特の魔物も生息している。
 今回は特に希少価値の高い妖精の羽と、幻光虫という蛍にも似た発光する魔物の核、そして他の魔石と比べて希少価値の高い浄化の魔石を包んだ。
 ロセッティ商会長は素材に目を輝かせており、特に妖精の羽に熱い視線を送っている。

「あの、妖精が居るということは妖精結晶も採取できるのですか?」
「……こちらを使っても?」

 ルクレティアが示したのは範囲指定の盗聴防止の魔道具である。ロセッティ商会長とヴォルフレード様は、少々困惑しつつも了承した。

「ええ、まあ。妖精を討伐する訳には行かないので、あくまで自然に任せて森にあるものを採取する形ではありますが……。その、差し出口とは存じますが、妖精結晶についてはあまり公の場で口になさるべきではありません」
「「あ……」」

 ロセッティ商会長は塔の中に入るよう勧めたが、ヴォルフレード様が良しとしなかった。女性の家に、女性とはいえ信用のない者を入れたくないのは分かる。ルクレティアもまさか招かれるとは思っていなかった。よって、門の内側であるが、玄関先での謝罪だった。往来は少ないが、全くないとはいえない。
 二人の反応からして、妖精結晶が軍事関連品に用いられることを知っていたようだ。これには流石のルクレティアも貴族としての体面を保てず困ってしまう。さすがに不注意が過ぎるので、どうすべきか。

「商会で魔素材も扱っているので、在庫を確認しておきましょう」

 結果、ルクレティアは何も告げず、笑顔で話を進めた。ロセッティ商会長は恐縮した様子で、ペコペコと頭を下げている。ルクレティアが謝罪する側の立場であるため、非常に居た堪れない。

「今日は遅いので、私はこれで失礼します。明朝、商業ギルドにて詳細を詰めましょう」
「はい、よろしくお願い致します」


 ヴォルフレードはルクレティア・エカルトを良くは思っていなかった。グラートの言う通り、五代も前の罪が自分たちに影響し、ダリヤに飛び火したのは大したものでは無い。しかし、大切な“恩人”であるダリヤを侮辱され、冷静でないヴォルフレードには快く受け入れるだけの余裕がなかった。
 ルクレティアは王城に上がるには事足りるものの、令嬢としてはあまりに簡素な出で立ちだ。装飾品も最低限であるし、同乗した馬車も裕福な庶民の方がまともなものを使っているレベルのものだ。エカルト男爵家の暮らし向きは良くないのだと、察することは容易だった。

 緑の塔での謝罪を終えたあと、ルクレティアは先に馬車へ戻った。ヴォルフレードには、その他の公式記録を渡してダリヤを元気づける任務があったためだ。
 癖のように身体強化で聴力を強化して、ルクレティアの行動を観察していた。ルクレティアは馬車へ乗り込む時、女性騎士のエスコートを受けつつも膝から力が抜けたようで、バランスを崩していた。女性騎士の気遣う声がヴォルフレードの耳には届いた。
 ちろり、と強化した視力で窓の外を見る。ルクレティアは青白い顔に苦笑を浮かべており、女性騎士がとる手は震えていた。
 そう言えば、彼女は王城から緑の塔まで、貴族然とした振る舞いを貫いていた。けれど、馬車の中ではずっと指先まで力を入れており、震えを隠していたのだろう。
 彼女の人間らしい一面に、ヴォルフレードは自分のとった態度が急に恥ずかしく思えた。もう少し気遣ってやればよかったと思いつつ、やはりそんな余裕はないと思い至る。今更かける言葉もなく、ヴォルフレードは自分より彼女の方がよっぽど貴族らしいと少しばかり落胆した。
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