遅い麻疹の到来

 ナハトはディーボルト伯爵家の嫡男である。代々護衛騎士を務めているが、対魔物との戦闘経験も積みたかったことから、魔物討伐部隊に志願した珍しい経緯を持つ。
 ナハトは魔力こそ伯爵家に相応しいものであるが、体外魔力が僅かな水属性で、隠蔽に比重が傾いている。隠蔽の魔力はその性質ゆえ隠密向きとして諜報部で重宝されるが故に、ナハトの選択はとても奇異なものだったのである。
 しかし、赤鎧-スカーレットアーマー-の斥候や先駆けとして戦況を撹乱し活躍できる魔物討伐部隊を、ナハトは天職と感じていた。

 元より身分の高さより生死を共にする絆が勝る部署である。だからこそ、魔物討伐部隊が置かれる過酷な環境を憂いて、手を尽くし案じてくれるダリヤ・ロセッティ商会長はまさしく女神だった。
 ついでに同期の恩人であり麻疹の発端である。ナハトは性分から目立つ方ではないが、陰ながら二人の関係やロセッティ商会長の活躍を好ましく思っていたのだった。


 そしてあの日、ロセッティ商会長はジルドファン・ディールス財務部長に「飼い猫」と侮辱された。
 ディールス財務部長にも、魔物討伐部隊に思うところがあるのは、グラート隊長から聞いて納得した。同じ魔物討伐部隊に身を置く者として、非常に残念な事だと思う。
 それでもロセッティ商会長への侮辱は許されるものではなかった。

 ナハトは寡黙なため分かりずらいが、身内には大層情に厚い男なのである。それ故にディールス財務部長への怒りは到底抑えられるものではなく、思わず威圧を出してしまった程だ。
 だが、ナハトはディールス財務部長へは頭が上がらない。家格の差はもちろんのこと、ディーボルト伯爵家はディールス侯爵家に仕える騎士の家系であり、分家にあたる。本家筋の当主に、爵位を継いですらいないナハトではお話にならないのだ。

 ロセッティ商会長たちが王城を辞し、グラート隊長に言いつけられた罰則を終えた後、魔物討伐部隊では如何に今回の問題に対応するかを練っていた。
 その時、緊急の面会依頼がランドルフに届いた。

「エカルト男爵家は領地が隣なので実家と付き合いはあるが、自分とは関わりがない。差出人の令嬢とも、自分が隣国へ留学に行っていたのもあって、挨拶もしたことがない」

 ランドルフが困惑しながら、依頼書を開ける。さらりと目を通し、わずかに驚きに目を見張ったのをナハトは見逃さなかった。
 ランドルフは少しくちごもると、グラート隊長の元へ足早に向かった。自分の手には負えないと判断したのだろう。
 グラート隊長が書状に目を通し、やはり僅かに逡巡を見せる。やがてランドルフを迎えに行かせ、急遽面会の場を整えることとなった。


「お初にお目にかかります、わたくしはエカルト男爵が娘 ルクレティアにございます。この度は不躾にも関わらず、わたくしの願いを聞き入れて下さり感謝の念に絶えません」

 魔物討伐部隊とロセッティ商会長の、財務部関連の問題は当家が発端である。そう書状に記してあったため、多くの騎士たちが同席を望み、先程と同様に昂った気持ちを抑えきれず威圧寸前の空気の中、そう言って美しく深く頭を下げた令嬢は肝が座っていると思った。
 令嬢は自分と同じ黒髪であるが、彼女のそれは星が輝く夜の帳のように美しく、黎明の空色の瞳は強い意志を宿していた。

 淡々と一族の恥部と興りを語り、騎士の礼を以て謝罪を示した令嬢に、多くの騎士が困惑した。聴けば聴くほどその程度のことで?と思うばかりだ。これは魔物討伐部隊が平民や下級貴族中心の部隊であることも一因ではあるのだが。
 ナハトは高位貴族に恭順する家系であるため、貴族の意地については理解出来る。けれど、彼女のことが喉につかえた魚の小骨のように気になった。



 ヴォルフに頼まれて、ナハトは小型魔導コンロと食材を手に、会議室に居た。ロセッティ商会長とディールス財務部長の撤回要請の会話に耳をそば立てていた者の一人だ。家門の主と所属部隊の恩人とが和解したことにほっと一息ついた。
 二人が会話を終え背を向けた時、ディールス財務部長はロセッティ商会長の付き人として従っていたエカルト令嬢に声をかけた。

「しかし、そこまでする必要はあるのかね?魔物討伐部隊への支援は充分だろうに」

 その言葉に魔物討伐部隊の全員が息を飲んだ。今までエカルト男爵家は厳しい賠償金にあえいで何もしていない、できていないと思っていたのだ。だがそれは誤りで、減らされた予算分の寄付を捻出してくれていたのだ。
 エカルト男爵家の置かれた立場では、そこまでの寄付は難しいはずだ。それこそ家計を削り、借金をしてでも魔物討伐部隊に損をさせまいとやってきたのだろう。

「落ちぶれたと言えど、貴族としての意地はありますので」

 令嬢は笑みを深めて、さも当然のように言ってのけた。その笑顔はゾクリとするほどの妖艶な美しさがあった。
 ナハトは思わず絶句する。エカルト男爵家の置かれた状況、王への贖罪、魔物討伐部隊への支援、彼女の貴族としての矜恃。彼女のしゃんと伸びた背筋と力強い青の瞳が全てを物語っていた。


「直にエカルト家は再興するだろう」

 暗にエカルト家を支援すると約束したディールス財務部長に、彼女がようやく感情を揺らした。少し目を見開き、グローブを嵌めた手で口元を隠している。

「近いうちに食事に招待しよう。色々と事業について詰めたいことがある」

 彼女にとってその衝撃は凄まじかったのであろう。ルクレティアの貴族らしい振る舞いがゆるみを見せ、夜明け色の瞳から真珠のような涙がはらはらとこぼれ落ちた。あまりの儚さに、彼女が随分と強がりで取り繕っていても、本質はか弱い令嬢であることを思い出させた。
 彼女はこぼれた涙にすぐに表情を引きしめ隠してしまったが、その貴族より貴族らしい姿に好感を持った。

「身に余る光栄です。是非、お話させてくださいませ」

 ずっと取り繕って固かったルクレティアの表情が、ほろりと綻んだ。その笑顔は春の女神が花開く様子を思わせる程、美しいものだった。
 ナハトは自分がルクレティアに強く揺すぶられたのを実感した。今まで地味に無難に、これといった強い衝動を抱かずに過ごしてきたが、遅めの麻疹にかかったのを認めざるを得なかった。
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