彼ほど狡い人を、僕は他に知らない
「家来る?」
その言葉にはどんな意味が込められているんだろう?と、期待してついて行ったって
「腹減ったなぁ」
そんな雰囲気になる気配はなく、僕が頭の中からその類の考えを全て排除した頃に
「お前が家に居るの…
なんか嬉しい」
ただ美味しいものを一緒に食べたり、並んでテレビを眺めたり、彼と寛ぐこの癒しの時間に浸る"フリ"をして
「本当に二人で暮らししてるみたいだね」
垣間見える彼の、本質的な愛らしい一面に心臓を鷲掴みにされる度に僕は
すぐそばにある真っ白な肌に、どこでもいいから触れたいと思ってしまう。
「…ずっと一緒に居ような」
たまらなくて
加減も考えずに思いきり彼の身体を抱き締めたら、腕を回して応えてくれるのが嬉しい。
そのまま引き寄せられるようにキスをして
止まらなくなって
腰に添えた手を、
少しだけ
下に動かす
「明日どこ行く?」
「……」
僕が、焦りすぎているのか
彼は、わざと壊しているのか
何故なのかは未だ僕にも分からないけど、制止されるタイミングはいつも同じで。
さっきまで
熱のこもった顔で
苦しそうに息を零しながら
僕の背中にしがみついてキスをしていたのに
それから先に進むことは許されないんだって、
そう思った。
僕のスイッチを勝手に入れるのも
僕のスイッチを無理矢理切るのも
どちらも貴方で、僕はいつも貴方の思う通りになる
「ドライブがてら海でも行くかー」
「…いいね」
彼は狡い
いつだって
狡い
◆
「何か良いことがあったの?」
「んーー?なんで」
「朝からずっと嬉しそうな顔してるから」
助手席からの眺めは言わずもがな最高で
シートにもたれながら片手を軽くハンドルにかけ、運転しているヒョンの姿はとても格好良い。
けれど、もう片方の手で顎の辺りを さすさすと撫でている姿はなんだか可愛いらしいし、
僕の視線に気付いてニッコリと微笑んでくれるその顔は本当に綺麗だとも思った。
この席は色々な彼を一望できる特等席で、そこに当たり前のように座ることが許される僕は人生のラッキーを全部使い果たしてしまったのかもしれない。
「嬉しいよ」
「そっかぁ」
「海久しぶりだし」
「うん」
「涼しいし」
「うん、そうだね」
「横には、」
お前がいるしね。
と、チラリと視線がこちらを向く。
僕が嬉しさを噛み締めた顔で見つめ返すと、彼は ぶはっと吹き出して笑った。
「お前も嬉しそうだよ」
横からだと、笑った時にできる目尻のシワがよく見える。
僕は彼の笑顔が本当に大好きなのだ。
彼は心の底から笑うから。
幸せな感情を溢れさせながら笑うから。
だから、その笑顔を見た人は皆
同じように幸せに溢れるんだと思う。
季節は最高だ。
今日はよく晴れたいい天気だけど、突き刺すような日差しではなく、包み込んでくれるような暖かなお日様が照っている。
海辺まで歩いて行くと気持ちのいい風がフワリと吹いて、漂う春の匂いが心地よかった。
「海入ったら冷たいかな?」
「入ってみたら?」
「みる!」
膝の辺りまで捲り上げ、透明な水に足を浸けてみる。
ぶわりと冷たさが走ったがそれも一瞬で、しばらくするとその温度が気持ちよくなってきて、僕は両足ともを海の中に潜らせた。
「きもちいい…!」
「よかったね」
「入らないの?」と聞くと、「俺はいい」と首を振られた。
パシャパシャと海水を弾きながら遊んでいる僕を、ヒョンは少し離れた浜辺に三角座りをして眺めている。
名前を呼ぶと、返事の声は聞こえないが代わりにヒラヒラと手を振り返してくれて
振り終えた手に顎を乗せて僕を見つめるその顔は、まるで母親が我が子を見つめるような優しい表情だった。
「お前タオルは?」
「えっ」
「持ってきてないの?」
「持ってきて、ない」
「なんで入ったの(笑)」
「車にないかな、ちょっと見てくる…」
「いやいやその足で車乗らないで。俺が見てくる」
やれやれ…と溜息を吐きながら立ち上がって車に向かう後ろ姿を見て、「…ジョンハニヒョンも砂まみれだよ」と思ったけれど口にはしなかった。
「っわ」
大きく吹いた風に吹き飛ばされそうになる。
終わりの見えない海面を眺めていると、いったいこの海はどこまで続いているのだろうかと不思議に思う。
どこまでも続いているのだろうか?
もしかしたらどこかに終わりがあるのだろうか?
終わりを見つけた人が居ないから、人は皆、果てなく続いているものなんだと思い込んでいるだけじゃないのだろうか。
終わりのないものなんてこの世界に存在するのかな…
僕はいつか僕の人生を終えるし
彼もいつか彼の人生を終える。
せめてその時が来るまでは
一緒に居させて欲しいなと思う。
終わりに逆らうつもりはないけど
その終わりの終わりまでそばに居たいと願う。
彼とのことに関してだけは
最後の時まで
僕は駄々を捏ねるだろう
「ジュン?」
「…………」
果てのない海を見つめているとなんだか妙な孤独感に襲われて、指示していない涙が勝手に零れそうになった。
けれど何よりも僕を落ち着かせる声で名を呼ばれ、振り返った先で差し出されている手を見るとなんだか途端に安心して…海に飲み込まれてしまいそうになった心が穏やかに戻ってくる。
「タオルなかったからこれで拭いて」
「…これ、ヒョンが着てたTシャツ?」
「おれ着替え持ってきてたの」
「…着替え持ってきてたのになんでタオル持ってきてないの?」
「使わせてやらないよ」
「さすがに服では拭けな…」
「車が汚れるよりマシなんだよ」
ん、と差し出された彼の服を受け取り、海水と混じったベタベタの砂を落とす。
遠慮がちに拭く僕を見て苛々したのか、彼は僕の手からTシャツを奪って、ゴシゴシと荒い力で拭き取ってくれた。
「…あぁ…汚れちゃった…」
「これもう部屋着にしようとしてたから」
「…うそ」
「本当」
「…ごめんなさい」
その服は最近着はじめた服で、あきらかに新しいものなのは知っていた。
部屋着になんてそんな予定なかったでしょ…今僕のせいでそうなったんでしょう…
それから彼はすぐに違う話をし始めて、僕に落ち込む暇すら与えてくれなかった。
その分かりにくいようで分かりやすい優しさを貰うたびに、僕はあらためてジョンハニヒョンの背中の大きさを知る。
この背中に
僕たちはいつも守られているんだ。
◆
「先に風呂入ってきたら?」
彼は自分の肩に手を置き首をぐるぐると回しながらソファに腰掛け、テーブルの上のリモコンを手に取った。
「足、綺麗にしておいで」
「でもヒョンお腹すいたでしょう」
「待てるよそのくらい」
後ろ姿を見つめたまま立ち尽くしていると、動く気配のない僕に気付いた彼はチャンネルを回す手を止め、こちらを振り返った。
「入んないの」
「あ…ううん、」
「一緒に入る?」
…………
「冗談だよ」
そんな風な言葉で
僕は、貴方の言葉ひとつで簡単に
「腹減ったから早くな」
「分かった」
バチン、とスイッチを入れられて感情が大きく揺れ始めれば、脳が僕の身体に指示を出す。
だけど
欲しくなって、求めて
手を伸ばそうとした瞬間に、もう一度パチン、と音が鳴るのだ。
二度目の音は僕の思考を全て塗り潰すように真っ暗闇にする。
こうして揺さぶられることに慣れていけば、自分で上手にコントロールできるようになるんじゃないかと期待しているんだけど、僕は彼に関することだけはどうしても自制が効かない。
なんでもいいよ
どっちでもいい
合わせるよ、と思ってあげられない。
あの人にだけは。
「帰るの?」
お腹がいっぱいになるとすぐにソファに横たわり、満足そうな顔で目を閉じていたから、そのまま寝てしまっているかと思っていたけど、どうやら起きていたらしい。
「うん」
「……ふぅん」
恋人の家に泊まらせてもらうと言っても、せいぜい1日2日だし、彼はよく自分の服を僕に着せたがるから着替えも持っていかない。
たいして中身の入っていないリュックを背負い、ソファで寝転ぶ彼を覗き込む。
「じゃあ…また」
「本当に帰るの?」
眉を歪め、気に入らない…という表情でぼくを見上げる彼の真意はなんなんだろうか…なにが気に入らないの?
僕はずっとずっと昔からこの人だけを見てきたのに、実はなんにも分かっていなかったんじゃないかと最近とても不安だ。恋人になってからは特に彼のことが分からなくなってしまった。
「今日も泊まってよ…」
「…」
「一緒に寝よう?」
知りたいから
その真意の込められた心臓に手を伸ばす
「……」
「………」
ドクドクドクと物凄いスピードで脈打つ彼の心臓部に触れる。
直接触れたいと思った。許されるなら。
許されるなら、したいことは沢山ある。
我慢というとさせられてるように聞こえるから辛抱の方が近いかもしれない。誰に言われたわけでもなく、僕は自らの意思で耐えていた。
僕が何をしても彼なら受け入れてくれるって自信があれば?
そうしたら僕はとっくに…
「帰るよ」
もうとっくに
「おやすみなさい」
「…おやすみ」
欲望のままに、彼をどうにかしてしまっているだろうな
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