あの後、俺を拐ったナマエは家に来なかった。リナリーに言われて、意識が何処かへ行って、何時の間にか皆居なくなって、そして部屋が暗くなって…昼間は蒸し暑くてどうしようも無くて付けた扇風機が首を回して動き、窓際の風鈴を静かに揺らした。扇風機のせいで少し肌寒い。窓から外を見れば意外と明るくて、ああ…誰か近くの店で呑んでるんさ、なんて思って空を見上げた。星も見えるけれど、地上の灯りが眩しくて、せっかくの星が霞んで見えた。アパートの階段を上がる足音と笑い声が聞こえた。隣人の酔っ払いが帰って来たのだろう、女の子を連れて…さ。これから騒がしくなるな、なんて思いながらまた、空を見た。真っ暗で星も霞んで…このままもしも空へ行ったら、この真っ暗闇中で迷子になって助からない気がして、少し怖かった。
「…星は、道標、か」
何時だっただろうか、子供の頃にナマエが家に帰って来ないと言われて探しに行った。どこを探しても見つからなくて、息を整える為にふと、上を見たら、真っ暗闇の星空に囲まれたナマエが居て、星を見ていた。近くに行くと屋根の上に居て、慌てて階を立て掛けて登って、怒鳴り散らそうと思って声を掛けたら、ナマエは泣きそうな顔をして、星を見ていた。その横顔が綺麗で、少し悲しくて、怒る気が失せて、隣に座って一緒に星を見た。暗闇の中に光る星は綺麗だったけれど、隣のナマエが笑って、見つけてくれてありがとう、と言った。その笑顔に俺は、酷く胸を潰される気分を味わった。子供の頃から俺は器用な子だった。勉強も運動も人の感情さえ、器用に扱えた。俺自身の記憶力の良さと客観的視点で相手が何をどうして欲しいか、手に取る様に分かったから。でも、あの時の俺はナマエを見て何も言えなかった。掛ける言葉が見つからなくて、それで居て、その表情が頭から離れなくて。ナマエを見つけて親に引き渡した時にジジイが言った。ナマエは迷子だったのか、と。今思えば迷子だったのかも分からない。俺は何も言えなかったし、居なくなった理由も知らない。でも、星を見て泣いていた事は伝えた。そしたらジジイは、星は死者の魂が上り集まった物、その星が光り輝いているのは現世の我らが路頭に迷わない様にする為なのだ。星は道標を示す為に光り輝いているのだ…故にナマエは星を見ていたのではないか、と。この話を聞いた時、ジジイ遂にボケたか、とつい口を滑らしてドロップキックを顔面に受けたが、ナマエがそんな事をしたのは後にも先にもあの1回だけさ、何故、あんな事をしたのかは今になってはもう分からない。そして、その涙の意味も俺には分からない…。ふと、足元に転がっているのスマートフォンに視線を移すと0時を過ぎていた。俺、どれだけボーっとしていたんさね、コムイの奴隷から解放されたのに女の子とも遊ばないで。理由はリナリーの爆弾発言があったからなんだけども。スマートフォンを手に取り、メッセージを開いても女の子達からのはあるが、幼馴染みからのメッセージは0件。絶えず増え続けるメッセージのせいで、ナマエの名前は表示画面からドンドン下がり、下から数えた方が早い程だ。
「まるで俺様達の心の距離みたいさね」
溜め息を漏らすと頭上で風鈴が俺様を嘲笑うかの様に鳴った。思えば、ナマエの傍には居たけれど、彼女から俺を求める事は1度もなかった。アスファルト舗装の上で思いっ切り顔から転んで、手足の他に鼻を擦りむいて血だらけになった3歳の時も。人見知りが激しくて話し掛けられても上手く答えられなくて、無口だと思われ、クラスから距離を置かれ気味だった8歳の時も。知らない間に恋敵にされ、彼氏を取られ逆上した彼女から呼び出しを受けて報復された13歳の時も。今の大学に行く為に必死で勉強して、熱を出し倒れた17歳の時も。そして、あの家出をし、星を見上げて泣いていた時も。何かとトラブルに巻き込まれていた幼馴染みはいつの間にかそのトラブルを解決し、また巻き込まれ、解決する、を繰り返していた。大抵の事は相手の理不尽な理由とナマエの不器用さが災いしている。そして、トラブルが解決した後は必ず、良かった、といたずらっ子みたいに笑っていた。自分にも相手にも後腐れ無く過ごせる様に、と。でも、あの日…あの家出の出来事だけは未だに理由も分からないし、解決した様にも思えないんさ。そして、あの日以降ナマエの笑顔が減った。だから今日久しぶりにその顔を見て、安心したのと、俺じゃその顔をさせてあげられなかった、と言う嫉妬と後悔が生まれた。ナマエがあの笑顔をさせたのはきっと、他でもないティキだろう。ずっと隣に居て、ずっと見て来て、ずっと好きで、ずっと、これからも一緒に居たい。だから選んだこの関係。自分自身で選んだ関係だ。過去に何度もきっかけはあった。でも俺自身が拒んだ。ただ一言、好き、と恋心を打ち明ける事で彼女が離れ、この心地よい関係が崩壊する事を恐れた。これが幼馴染みと言う簡易で姑息で弱気な関係に溺れた無様な男の末路かと思うと本当に笑えて来る。
「はは…俺様、ナマエの事、好き過ぎさね」
握り締めたスマートフォン上に雫が落ちて光るのが見えて、カッコ悪い、と自嘲した。負け戦なのは知っていたし、勝負を降りた時点で物語のライバルでもサブキャラクターでも無く、村人Aや木になった部外者だと分かっている。頭では分かっているんさ。でも、感情は厄介な事にその理解を上回る勢いで俺の脳内を蝕んだ。そして、何故、俺様ではなくてティキなんだ、とか、どうして何時も俺様を頼ってくれない、話してくれない、笑ってくれない、なんで、どうして俺だけがナマエをこんなにも想っているんだろう。どうして分かってくれない。いや、分かったら幼馴染みが終わる。でも分かってもらいたい、傍に居て欲しい。いや、きっとナマエは傍に居てくれない。だって、アイツが好きなのは…。
「俺様じゃない、から」
改めて声に出すと酷く胸が締め付けられて、痛みで顔が歪んでいるのが分かった。こんなにも好きで、好きで好きで狂いそうなのに、彼女は俺を見ない。俺は自分自身を見て来なかった。なんて痛いツケが回って来たのだろうと乾いた笑みを浮かべてしまった。また、風鈴が鳴った。夜風が当たって部屋も涼しさを通り越して少し肌寒さも感じた。風鈴の音に混じって、手元のスマートフォンが振動し、メッセージを受信した音がした。画面に映った名前は恋焦がれた幼馴染み。慌ててメッセージを開くと、寒くなって来たから風邪引かないでね。夏風邪はバカしか引かないんだよ、と色気も可愛げもない簡素なメッセージがあった。
「バカしか引かない、とか…ナマエは失礼過ぎさね」
思わず溢れた笑みに今度は胸の温かみを感じた。こんな社交辞令の様なメッセージで満足するとか、俺様安い男過ぎると思いつつ、スマートフォンをタップし、お礼のメッセージを返した。ナマエも気を付けるさね、と。するとすぐに、ありがとう。また明日、大学でね、と返事が返ってきた。また明日、その言葉がとても嬉しくて、同時にリナリーの言葉を嫌でも思い出した。
「ナマエの優しさに甘えてると痛い目見る、か…」
賛同するかのように風鈴が再び鳴ったから、重い腰を上げて窓を閉めた。飲み屋も閉まる時間になった。明日の講義は何だっけと思いつつ、布団に潜る。そして愛しの幼馴染みにおやすみとさり気なくハートマークが入ったスタンプを送った。数分後、同じ様に彼女からうさぎのおやすみスタンプが送られて来た。
「…もういい時間なんだから、お前も早く寝るさ」
スマートフォンを置き、窓を見ると星が見えた。真っ黒な空と鈍く少しだけ光る沢山の星はあの日見た星と似ていた。
「俺様も迷子さね」
だから一緒に道を探して欲しい。俺もお前を探して一緒に歩くから。なーんて、クッサイ台詞を頭の中で浮かべて、柄でも無いと一瞬で捨てて目を閉じた。明日も笑顔でナマエと会う。俺にはそれだけで十分なんさと自身の心に言い聞かせた。
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