茶番劇が終わらない/九井(乾?)


※九井くんが可哀想
※九井くんからずっと嫌われる
※九井くんは幸せにならない
以上です。九井くんと幸せになりたいと思う方には圧倒的不向きな内容です。




 九井くんって好きな人がいるでしょう。


 出たと思った。女という生き物はどうしてこんなにもこの話題を好むのかオレには理解出来ない。テメェのコトだけ話しとけばいいものを、と思いながらオレは口角を持ち上げて、どうでしょう、とその女がいかにも好きそうな答えを弾き出す。オレの答えを聞くと女はニッコリとその美しい顔に笑顔を貼り付け、囁いた。
 乾赤音さんだっけ?可愛いヒトだったよね。女の耳触りのいい声にゾッとする。死んじゃったらしいね、九井くん、残念、ねぇ、まだ好きなんでしょ、乾くんのお姉さんだよね、だから乾くんとずーっと仲良しなのかな。女の口は楽しそうにグルグルと強風の中で回る風車のようによく動いた。この女には弱味を見せてはいけない。動揺を見せてはいけない。いつも通り。いつも通りに、なんともないように振る舞わなければ。頭ではそう分かっていても、体はオレの脳からの伝令を無視して動く。
 ガタン、と派手な音を立ててテーブルが倒れ、それに伴い置かれていたグラス2つがガシャン、と床に落ちて弾けた。元々テーブルがあった場所にはオレの組んでいた足が、中途半端な位置を保ったまま、そこにある。
 女はふたつ並んだうちのもうひとつのテーブルに頬杖をついて倒れたテーブルを横目で見たあとニッコリと笑った。私、なにか変なこと言ったかな。女は楽しげに俺に嘯く。

「いえ、すいません。足が長いモンで」
「そっか。怒ったのかと思っちゃった。怒るわけないよね。九井くん、優しいから」
「ハハ……優しい、ですか」

 女の言葉に笑う。思ったよりもずっと乾いた笑い声は静まり返った店内によく響いた。女はオレの笑い声に満足そうにすると、その細い手を挙げて店員を呼び付ける。ごめんなさい、グラス2つ分、お代に入れておいてね。事も無げに放たれた言葉は、到底同世代の女の口からまろび出るようなものとは思えない。だけれど、それがこの女の常であるのだ。この女は、オレが何本か持ち得る太いパイプの内の、1位か2位を争うほどの太さのもので、失うわけにはいかない。
 この女は、オレが何のためにテーブルを蹴り倒したのか分かっている。だから笑った。その美しく整った顔で。砂糖菓子のように口に含めば甘ったるそうな雰囲気の顔に似つかわない、女性らしさを全面に押し出す体。囁かれれば大抵の男は鼻の下を伸ばすような鼻にかかった声、望めばなんでも手に入る圧倒的な財力。
 この女が両親から享受したものは、普通の奴には到底手に入らないようなものばかり。どこにでも売っていそうな無地のシャツ、体のラインにピッタリと沿うスカート。首元で繊細な光を放つネックレス。女の横に控えめに置かれたハンドバッグは先程から同じくらいの年頃の女が通る度に羨ましそうに見つめるほど有名な品なのだろう。
 どれもこれもこの女のために誂られた品物のように思えて吐き気がした。早く、この場から立ち去りたいというのに時計の針はなかなか進まない。

「大寿くん、元気?最近ずっと会えてないから」
「まァ……元気ですよ。ボスは忙しいので」
「そう。ならいいの。弟妹の方は?元気?」
「ハイ、そちらも、相変わらず」

 女はゆっくりと俺に尋ねる。それは本心からの疑問なのか、女と会ったばかりの頃はよく勘繰ったが早々に無駄であることに気付いて今はもう何も考えずに答えていた。女は、柴大寿の幼馴染である。なんで出会ってしまったのか、オレはその出会いを悔やんでいた。きっと忘れはしない。
 オレが女と出会った時はまだ夏の暑い頃の話だった。久しぶりに家へ戻る、と言ったボスをいつも通り家の前で待っていた。眩しく照り付ける太陽。ウンザリとするような蝉の鳴き声。目からも耳からも夏を訴える日だった。
 暑くて暑くて、分厚い特服の隙間に手で扇いだ風をどうにかして入れようとしているオレとイヌピーを背後から擽ったそうに笑ったのが始まりだ。
 笑われたことに気分を悪くしたイヌピーは、オイ、と低い声を出して唸り、くるりと体を翻した。その後に続くはずだった怒号はいつまで経ってもイヌピーの口からは出ない。様子の可笑しい幼馴染に、どうした、と声を掛けて同じく女を見つめて俺も止まった。
 ここに居ることが間違いなのではと思うほど、美しい姿に息を呑む。きっとイヌピーもそうだった。茹だるような暑さの中でも涼しそうな美しい造形の顔に汗なんてものはひとつもなく、品のいい黒のワンピースから出ている肌は全てが真っ白で、透き通っている。爪まで整った指は日傘の柄を緩く握っていた。女は動きが止まったオレたちを見つめ、微笑む。
 ねえ、キミたち黒龍なんでしょ。大寿くん呼んで欲しいの。私、幼馴染だから。そう言うと自分の名前を2回繰り返した。伝えてね、早く。女はそう言って手に持っていたカバンから財布を取り出す。そしてそこから紙幣を何枚か抜き取り、同じ枚数をオレとイヌピーの特服の隙間に差し込んだ。

「それチップね」

 この女、そう思ったのはきっとオレだけで、横にただ突っ立ったままのイヌピーは女に見蕩れたまま動かない。どうやらオレは人が、取り分け、幼なじみが恋に落ちる瞬間を、見たようだった。イヌピーは女の指が微かに触れた特服の裾を大切そうに握る。
 ボスは、と言おうとしたその時俺でも聞いた事のないような優しさを孕んだ声が覚えたばかりの女の名前を呼んだ。ボスだった。この男に、そんな声が出せるのかと思うほどの声色に背筋が冷える。気味が悪い。俺の中の本能がこの女は危険だと、そう俺に教えた。
 女はボスに駆け寄ると楽しそうに笑いながらその白魚のような指でボスの腕をなぞる。何言か交わして、じゃあ、と帰っていく女は呆然とその様を見ていたオレとイヌピーに目を細め、イヌピーの肩に触れた。
 2人とも、ありがとう、またね。囁いた声は甘ったるくて耳に残って気持ち悪い。暑さに伝う汗とはまた違った汗が首筋に伝った。

 後日機嫌の悪くないボスのタイミングを図って、女のことを聞くと、ボスはオレとその後ろに立つイヌピーを静かな目で見つめた後、幼馴染だと答えた。その割には、という言葉を飲み込んで、そうですか、と無理矢理納得する。背後で動くイヌピーを片手で制すと、ボスはアイツは金になる、紹介してやるよ、とオレを真っ直ぐ見た。女はテレビで見ない日はないほど、有名企業の一人娘だったようで、もうずっとお見合いばかりさせられているらしい。
 ボスに会いに来るのはその相手の男をどうにかしてほしいと、ただそれだけなのだ、とボスは珍しく饒舌に喋った。失礼と承知の上で、オレはボスに尋ねる。
 ボスは、その、そういう意味であの人が、とその問いの途中でボスは立ち上がった。アイツは家族のようなものだ、と答えるとこの会話はそれきり、続くことはなかった。ボスの言葉に嘘偽りは一切感じられない。元々血の繋がる家族にでさえアレなのだから、血の繋がらない幼馴染にも愛を傾けても可笑しくはない。
 オレはイヌピーと目伏せしあい、先を歩くボスの後を追った。
 言葉の通りボスはオレとイヌピーを改めて女に会わせる場を設けた。その時のオレは、また金ヅルが増えたとその程度にしか思わなかったけれど、イヌピーは違うようだった。女の一挙手一投足に表情が乏しいのが嘘のように感じるほど動揺を示し、そして極めつけにその顔に微笑みを携えたのだ。オレは目を疑う。きっとそれが駄目だった。女は目敏くオレの動揺もイヌピーの気持ちにも気が付き、そしてオレに目をつけた。

「九井くん、お金集めるのが得意だって聞いたの。ねえ、お金が入り用なのかな?」
「まァ、あって損はないモノですし」
「ふーん……。ねぇ、私がキミの1時間、10万円で買うって言ったら、私の話に付き合ってくれる?」

 女は態とらしくイヌピーの前でオレに微笑んだ。答えなければ、そう思うのに、オレの口はなぜか縫われたように動かない。何も言わないオレに女は首を傾げ、ダメかな、と悲しげに呟く。ボスの鋭い視線がオレに突き刺さった。マズイ、こんなコトで殴られては叶わない。慌てて首を横に振ると、女は嬉しそうに笑った。じゃあ、声を掛けるから用事がなければお話しようね。そう言ってオレに自分の連絡先を教えると、それを見ていたイヌピーに、乾くんもよかったら、と声を掛けた。なんてザマだ。目も当てられないと、目を逸らし、オレはただこの空間が終わることを只管待った。それが、オレと女の妙な主従関係の始まりである。

 それから女は事ある毎にオレとイヌピーを呼び付けた。ボスにはもう許可を得ていると無邪気に笑うと、イヌピーの下がっていた手を両手で握りしめる。ねえ、乾くん。甘ったるい声でイヌピーを呼ぶと、お願いがあるのと長い睫毛に囲われた綺麗な形の目を細め、囁く。
 お見合いで知り合った人がどうしても執拗いの、やめてくださいって言っても聞いてくれなくて、私どうしたらいいか、わからないの、今日もね、2人と会う約束をしてる、先約だからって言っても聞かなくてこれからここに来るんだけど、私2人とゆっくり話がしたいのに、乾くん、どうか私を助けてくれないかな。
 哀しみと憂いと、そして僅かな嘲笑を含んだ顔は明らかにこの状況を楽しんでいた。オレは直ぐに気付いたけれど、イヌピーはわかった、と二つ返事で頷いてしまう。イヌピーは女を安心させるように微笑んで、オレがどうにか話をつけるからココと先に行っててくれ。ココ、終わったら、連絡するから、とオレに向かって女の背を促すように押す。
 男はどうしてこう、女のことになると元々おざなりな思考をより短絡的なものにしてしまうのか。オレもそうであるので、イヌピーのことを悪く言えないが。こんな見た目だけの女の何がいいのか。オレは仕方なく女と目的もなく歩き始めた。女は自分の思う通りに動いたイヌピーに満足したのか、随分と機嫌が良さそうで、鼻歌なんて歌い始める。
 乾くんって頼りになるし、本当に素敵、顔もキレイだし、あぁ、九井くんキミもとっても素敵よ。
 とってつけたような褒め言葉をオレは、ありがとうございますと受け取ったフリをしてすぐに投げ捨てた。これも金のためだと自分に言い聞かせて。

 女の呼び出しは毎回必ず事前に段取りが組まれ、必ず開催された。呼び出しは決まってイヌピーを経由する。あの女はイヌピーを呼べばオレも必ず来ると分かっているようだった。回数を重ねる度にイヌピーは女の掴みどころのないところにどんどん惹かれているようでオレは頭を抱える。あの女の毒牙にイヌピーをかけたくない。ソレに、他意はない。
 そして話は冒頭に戻り、荒れたテーブルは元に戻ってグラスも新しいものが運ばれた頃、いつも通りこの女のお見合い相手と文字通り話をつけたイヌピーが涼しい顔で戻ってきた。
 女はそれに嬉しそうに笑うと、イヌピーを手招き自分の隣に腰掛けさせる。好きなのを頼んでね、好きなものがないの?じゃあ私が好きなものを食べて。傍から見ればまるで恋人同士が睦言を囁き合うような距離で、2人は話す。目を背けて、オレは新しく運ばれてきたアイスコーヒーを口に含んだ。苦い。イヌピーは女が好きだと言ったガトーショコラを食べる。甘い、と呟いたイヌピーを女は笑った。


 黒龍は事実上の解散です。オレとイヌピーは東京卍會という組織の傘下に入るので、もう、こんな風にアナタを守ることは出来ません。
 クリスマスに起こった出来事を伝えると、女はそうなんだ、と無表情に答えた。黒い毛玉なんてひとつも無いカシミヤのセーターに雪のように白い肌がよく映える。きっとここに居たのがイヌピーだったなら、喜んだのだろうが生憎と今日はオレひとりだ。
 沈黙が広がったが、そこに注文していたオレの分であるホットコーヒーと女のアールグレイが運ばれてきたので気まずさは感じない。女の返答を待つのに、オレはコーヒーカップへと手を伸ばした。

「私の好きなものって、どんなものか分かる?」
「……すみません、存じ上げません」
「別に紅茶の種類を言えとか、ケーキの名前を言って欲しいって話ではなく、ね。私、九井くんにはバレてるかなぁって思ってたけれど、案外そうでもないのかな」

 心臓が嫌な音を立てる。落ち着け、今、明確にもう会わない、会わせない、そう切り出したのはオレだ。女に選択の余地などない。柴大寿という圧倒的な力がない今、オレと女は対等なのだ。今までオレとこの女を結んでいた主従関係は聖夜に消えたのだから。
 オレは、なンの話でしょうか、としらを切る。すると女は、そんなことお構い無しに話続けた。
 私ね、可哀想なものが大好きなの。キミと乾くんは特別大好き。だってアナタたち、ふたりでいるのに圧倒的に可哀想なんだもの。ねえ、そんなに乾くんとお姉さんって似ているの?だから一緒にいるの?乾くんが私を好きだから、私のことが嫌いなの?そうでしょう、ねえ、それ、嫉妬って言うのよ。嫉妬ってね、人間の七つの大罪のひとつなのよ。醜い感情のひとつだと言われてる。でも誰しも持ちえる感情よね。当たり前よ。誰だって誰かのトクベツがほしいもの。だって、何よりも大切な自分が選びとったものが、平々凡々であると、在り来りであると、普遍的なものであると、誰が信じたがるの。

「だからね、私アナタが1番お気に入り。だってキミ、とっても可哀想。好きな人のためにお金を集めることすら出来なくって、好きな人を守ることすら出来なくって、この世界で1番お金が嫌いなのに、お金でしか人を測ることが出来なくって、お金でしか人との繋がりを確かめられないキミがだーいすき。そして、そんなキミが大好きな乾くんのことも大好き」
「……趣味悪ィって、言われませンか」
「褒め言葉だと思ってる。……でも、そうだなぁ。キミがそんなに私から離れたいなら、キミが選びなよ」

 女は鼻歌を歌いながら機嫌が良さそうにティーポットからカップへとお茶を注ぎ込む。まるで絵画のように美しい光景に、吐き気がした。
 乾くん私と恋人になりたいみたいなの、知ってる?女がその口から紡ぎ出した歌うような言葉は俺にとって死刑宣告にも似たものだった。ああ、遂に、そうか。俺は妙に納得した気持ちになり、乾いた笑い声を出す。知ってますよ。俺の答えを予想していたように女は、頷き、続けた。
 キミが、これまで通りの関係を続けるなら乾くんのこと裏切らないであげる。私、乾くんのこと気に入ってるの。綺麗な顔に酷い火傷の跡、素敵よね、可哀想。でもどうしてもキミが乾くんを連れ立って私から離れるって言うなら、私は乾くんのこと、捨てなければならないね。

「私はね、どっちでもいいの。別にキミたち以外にも私の都合よく動いてくれる同じような人はゴロゴロいるもの。あ、まさか、九井くん。自分たちがトクベツだと思ってる?……世間知らずなようだから、教えてあげる」

 女の指は紅茶を自分好みにするために忙しなく動く。女にとってこの状況は昼下がりのティータイムに付け合わせるお茶請けと似たようなもののようだ。ティースプーンを口に含んだあと、女は月並みだけれど、と前を置きオレを見つめる。チョコレートブラウンの瞳が、先日降った雪の照り返しの光を受けてきらりと光った。
 キミの代わりなんてごまんといるのよ。
 女はそう言うとティーカップを持ち上げ、すっかりと自分好みの味にした紅茶を飲み込む。オレの不幸は、あの人が死んだときに始まったのだ。この女も、そのひとつに過ぎない。これしきのこと、金を思えば、そう言い聞かせてる間にも俺の頭の中には久方振りに穏やかに微笑んだ幼馴染の顔が過ぎる。イヌピー、オマエ、女を見る目ねェよ。この女、クソだ。フルフルと震える手を抑えて沈黙を守り続けると女はつまらなそうに溜息を吐いた。

「選べない?じゃあ、仕方ないね……乾くんにお別れを言わないと」
「オイ……っ」

 女はカバンから携帯電話を取り出し、カチカチと操作をしてからオレに液晶が見えるように向けた。乾青宗と表示されている画面はボタンひとつで発信されるところまで来ている。ヒラヒラとそれを振り、女はニヤリと笑った。は、や、く、と紡ぎ出す唇を引き裂いてやりたい。だが、オレの口は、ちょっと、オイ、と一向にろくな言葉を発しない。女はその指でボタンを押した。
 オレは、項垂れて、やっと返事を口にした。

「あ、もしもし、乾くん?……ううん、なんだか急に会いたくなって……うん、そう。ありがとう、じゃあ待ってるね、そういつものお店。九井くんもいるから、大丈夫。……ありがとう、大好きよ」

 オレの返事に満足そうに笑った女は甘ったるい声で携帯電話のマイクへそれを吹き込む。そうだ、前イヌピーに聞いたことがあった。なんでこの女のことが好きなのか、見た目か、金か。オレの言葉にイヌピーは暫し思考を逡巡させ、至極小さな声で呟くように答えた。あの人は、オレの火傷をキレイだと、言った。女は誰もが一度は顔を顰めるイヌピーの火傷をキレイだと、褒めたらしい。金持ちはよく分からねェ、その時はそう思ったが今ならわかる。それは、同情でも憐れみでも、ましてや愛情の欠片ですらない。絵画を見て美しいと褒め称えることと同じ。この女はそれが好きなだけだ。
 人がライオンに捕食される兎を見て当然だ、仕方が無いと、受け入れる様に似ている。可哀想か、そうでないか。女の基準はただそれだけだ。

「大寿くんは、強いから好きだったの。でも負けちゃったんだー……そっか」

 この女を人たらしめていたのは、柴大寿、という圧倒的な暴力であったのだ。オレはそれに気付くのが遅すぎた。しょうがないね、と笑う女は紅茶と共に運ばれてきた1口サイズのチョコレートをつまみ上げる。それをはい、とオレに向かって差し出した。あーん、とイヌピーに向けるような甘ったるい声で俺の口元までそれを運ぶ。食え、と言われているのにオレはそれを口に含めばもう戻れない、と分かって口を開けることが出来ない。
 そんなオレを嘲笑うように、女はもう一度あーん、と囁く。大丈夫、毒なんて入ってないよ。そう言うのでオレはいらない、と口を開いた。それを図ったように女はチョコレートを俺に放り込む。甘ったるいと思っていたそれは酷く苦く、咀嚼する度に独特の風味が口に拡がった。コレで、私とキミは共犯ね。女はするりと流れるような動作で身を乗り出してオレに口付けた。気持ち悪い。気持ち悪い。押し退けると、女は声を出して笑う。ああ、早く、赤音さん、会いたい。そう思った。

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