青い海とソーダと彼女





記憶はひどく曖昧だった。昔から馴染みのある祖母の家。辺り一面に広がる豊かな自然に、幸せそうに笑う家族の声。これ以上ない幸せのはずなのになにかが足りない気がした。記憶からごっそりと抜け落ちたなにか。とてもとても幸福で大切な何かだった気がする。
記憶を覆う黒い靄はまだ晴れる気配を見せない。

*

白い砂浜、青い海、ジリジリと容赦なく体を焦がす太陽。なんとなく懐かしい。ここに来たのは何年ぶりだろうか。頭のなかで指折りしながら数えてみると、結構な年数この地を歩いていなかったことに気づき驚いた。
半袖から伸びる腕に太陽の光は惜しみなくそそがれる。若干ひりひりする腕をいたわる様にさすりながら、眩しすぎる光に目を細めた。
お盆には必ずと言っていいほど、近所に綺麗な海のある祖父母の家に帰っていた。しかし、ここ数年は僕や十四松、カラ松の部活の都合やその他兄弟の諸々、両親の仕事の都合などで帰れないことが続いていた。受話器の向こう側で「残念ね……」と悲しそうに言う祖母に申し訳なさを感じながらも、どうすることも出来ずにズルズルと年月のみが過ぎていった。


久しぶりに僕達が家に帰った時の祖父母を思い出しながら僕は裸足でフラフラと砂浜を歩く。
「大きくなったわねぇ」「ジュース飲むかい?」「こっちは涼しいぞ、来てみろ。」
そう言って僕達を中に引き入れる祖父母。とても嬉しそうな祖父母をみて、無理にでも毎年来てあげれば良かったかなと思ったのはきっと僕だけではないはずだ。実際、おそ松兄さんはそんな表情をしていた。


波打ち際を歩いている僕の足にはぺたぺたと砂がはりついてくる。いつもの僕なら不快に感じているはずのことだが今日は気にならなかった。しばらく水を蹴飛ばしながら遊んで、疲れて砂に倒れ込む。こんなに無邪気に遊んだのはいつぶりだろうか。何年も何年も前だった気がする。ぼーっとしている僕の視線の先には目が痛くなるほどの青空が広がっていた。遠くからは十四松が素振りをする声が聞こえる。相変わらずだな、と思いなつつ青の痛みからにげるように目を閉じれば爽やかな潮風を肌に感じた。
しばらく目を閉じていると、ゆらりと僕に影がさしたような気がした。カラ松あたりが迎えにきたのか?気だるげに目を開くと見知らぬ少女が僕をのぞき込んでいた。いや、見知らぬ少女と言っても僕と同じくらいの年齢だと思う。一体何者なのだろうか。いきなり女の子に話しかけるなんて出来やしない。僕をじっと見つめる女の子から目を離せずに僕も彼女を見つめ返した。
綺麗なブラックの瞳に墨で塗りつぶしたように真っ黒なロングの髪の毛。雪みたいに白い肌が眩しい。若干赤い頬と健康的な色をした艶やかな唇に僕はドキリとした。彼女は暫らくすると大きな目を細めて愛らしく微笑みながらゆっくりと口を開いた。

「こんにちは。」
「あ、こ、こんにちは……」

彼女と出会ったのは、陽が沈みかけた夕方のことだった。



不思議な彼女の名前はちよこというらしい。このあたりで見かけない僕が浜辺に横たわっていて日射病で倒れたのかと焦って声をかけに来てくれたようだった。「昔からここに住んでるの?」と聞いたらちょっと困った顔をしながら「うん」と彼女は頷いた。

「あ、そうだ。ちよこちゃん、アイス食べる?」
「アイス?」

突然の僕の発言にきょとんとするちよこちゃんを横目に見ながら、僕は若干遠くに置いてあったクーラーボックスをたぐり寄せて二つのアイスを取り出した。

「ソーダとチョコミント、どっちがいい?」
「……じゃあ、ソーダ。」

ペリペリと包装を剥がしてアイスを口に含む。散々なほど太陽の熱を受けた体が冷やりと落ち着いてくるのがわかった。あたりはすっかりオレンジ色で、目の前の海も見事に夕日を反射してきらきら輝いていた。海はまるで鏡みたいに空の景色を映す。映画みたいな光景だった。穏やかな風が僕らの間を吹き抜けたあと、一息ついてちよこちゃんはぽそりと呟いた。

「私ね、チョコミント苦手なの。」
「え、どうして?」
「だってスースーするんだもん。」
「そこが美味しいのに。……僕は好きだよ。」
「ん〜。わっかんないなぁ。」

「ミント嫌い克服はまだ少し先ね。」冗談めかしにそう言ったちよこちゃんはシャリシャリと美味しそうな音をたてながら幸せそうにソーダのアイスをたいらげた。

彼女のこの横顔を、僕は知っている気がしてならなかった。

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