Prologue

 月明かりが差し込む部屋のなかで、彼の背中を抱いていた。

 開け放たれたベランダから入り込む冷たい空気が肌を突き刺している。ぶるりと身体が震え、私はそれを誤魔化すように彼の筋肉質な胸板にそっと顔を埋めた。

「ねえ、」

 頭上から甘いやわらかな声が降ってきた。温かい素肌のその奥で、とくとくという命を刻む音が響いている。その音を聞きながら、私は彼の美しい顔を見上げた。

「私が―――あげようか」

 潮時だと思った。その甘言に乗ってしまうのが、きっと最善なのだとわかっていた。
 彼の問いかけに言葉を返さないまま、私はそっと、部屋の隅に目をやった。
 ハンガーにかけられた、大きな白いシャツが夜風になびいている。いつもの彼と同じ、白檀の香の匂いがうっすらと漂って、私はいつまでもこの香りに包まれていたいと願った。


 それが、彼と過ごした最後の日の記憶である。

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