第十話

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 私は彼と鉢合わないよう、帰りの電車の時間を変えていた。そのおかげか彼に会うことはなかった。そもそも彼もまた、私に会わないようにしているのかもしれなかった。彼はその状況をどう思ったか、数日に1回必ず連絡が入るものの電話をかけてくることなどはしなかった。私もブロックまではする気になれず、未読の通知がたまっていった。電車の時間をずらして、彼とのトークを開かない。たったこれだけのことで彼とのつながりがすべて断ち切ることができる。なんて簡単なんだろうと思った。
 私たちの関係は薄氷の上にあると、常に思っていた。どちらかが連絡を取らないようにすれば簡単にやめてしまえると。思っていただけで分かっていなかった。実際に行動に移してみて、驚くほどすんなりと会わなくなれた、なれてしまえた。それが1か月ほど続いたころだろうか、秋も深まってもう冬が差し掛かるころ。日々の忙しさに相殺されて彼のことをあまり思い出さなくなってきところ。彼は駅の改札前に立っていた。立っていることには気付いたけれど、誰かを待っているのだろうと結論付けて通り過ぎようとした。

「おい」

彼は少し険しい顔をしていた。

「最近いつもこの時間に帰ってんのか」

「…そうだけど」

いつも待ち合わせていた時間よりずっと早い。彼は部活が長いから、一緒に帰るときは合わせて学校で時間をつぶしてから帰ってきていた。最近はもう学校に残っている理由もないのでほどほどにして早めに帰っていた。彼に会わないために。

「部活は?」

「今日休み」

ということは学校が終わって、ずっと待っていたということだろうか。彼の学校はテスト期間なのかもしれない。

「そう。…何か?」

「…帰ろうぜ」

答えられなくて、押し黙った。彼に合わせる顔がなかった。自然消滅かな、とも思っていた。もう1か月だ。そして同時に、彼からしたらこれは理不尽な仕打ちだということも分かっていた。

「、うん」

 私の返事を聞くと彼はにわかに歩きだした。いつもの道。寒くなってきたこと以外は何も変わらない。1か月の間がなかったように、普通だった。彼は私を問い詰めるでもなく、普通の話をした。彼があまりにも前までと同じ調子だから、私もいつもの調子を取り戻しつつあった。いつもなら大通りから中に入ったところで腕を組みにいっていたのだけれど、さすがにそれは憚られてやらなかった。すると彼の方から、ぐっ、と腕を惹かれて組まされた。私はちょっと驚いてから、ぎゅっと力入れて彼の体に寄り添った。いつかの、彼が恋人つなぎしてきたときのことを思い出す。あのときも私はいいもの知れぬ不安に襲われていて、そしてそれは今もそうだ。言語化できない正体不明の不安に襲われて彼を遠ざけようとしている。彼は私に安定と不安定を運ぶ存在だった。あのときは__あのとき、彼と、私が何か思ったらきちんと話すと言ったのだった。今までは確かにそうしていたはずなのに、今回はそうしなかった。この3年の間にあの約束をすっかり忘れてしまっていた。彼が公園に寄っていこうと言った。私はそれを了承すると、あの日のように横並びにベンチに腰掛けた。

「俺、なんかしたか」

「…違う」

 もう、話そうと決めていた。本当は、彼に嫌われるのが怖かった。だから黙っていた。今までは何か言っても彼が私を嫌いになるところが想像つかなかったから、良かった。彼の同級生たちを見て、その可能性は大いにあることを改めて感じてしまった。気付いてしまった。だから黙っていた。でももう良いんだ。今までに彼は何度私を気遣ってくれただろう。気持ちを汲んでくれただろう。私は彼と会うために日時を合わせることは苦ではなかった。それを努力だとは思っていなかった。だがこれはきっと、彼のための努力だったのだろう。彼もまた、私のためにどれほど努力してくれていたのだろう。そしてそれを一体どれくらい努力だと感じずに、感じさせずにこなしてきただろう。それだけで十分だった。これで私たちの縁が切れてしまっても、私たちは確かに互いを思いやって縁を繋ぎ続けてきたのだから。彼のことが好きかわからないと思った。好きかどうか分からないということは、もうその人のことが好きなんだ。
 いろんな思いが錯綜して気持ちで胸がいっぱいであったが、私はゆっくり語り始めた。全てを、はじめから、つかえることなく。練習試合を見に行った日に彼女たちが嫌だったこと、今までも不安に思うことはあったが夏休み頃に彼が惰性で付き合っているのではないかとハッキリ疑い始めたこと、私もまた自分の気持ちを疑ったこと、文化祭で実は会話を聞いていたこと、彼女らの態度はもちろん、あなたの言葉を深読みして悩んでいたこと、これらが蓄積した結果、距離を置きたかったこと。そして。

「もう分かってるかもしれないけど、二口が嫌いになったとかじゃ、ない。最高の彼氏だし。むしろ、うん、好きだから転じてこうなった。ごめん」

実に告白のとき以来に吐露した彼への好意だった。彼は相槌を打ちながら口を挟むことなく真剣な眼差しで聞いていた。

「他にはなんかないのかよ」

「ほか?」

「部活で全然会えないとかさ」

「うーん、それは別に…。時間作ってくれてたの分かるし」

彼は少し言葉を飲み込んでからこういった。

「俺は普通の基準で言ったら別に良い彼氏じゃない。俺にも…その自覚はある。けどお前はそうは思ってなかった」

「うん…」

「じゃあそういうことなんだろ」

彼は続けて文化祭での発言について本当に他意はなかったと言った。ただ彼女らの言う私の像を否定したかっただけだと。彼が自分で思う欠点は私にとって気にならないのと同様に、私の思う私の欠点も、彼にとっては気にならないと、そう伝えたかったのだろうと思った。彼はさらに彼女らと距離をとっていると言った。二口のことを好きだったあの女子は_狙ってか狙わずかは知らないが_いわゆる周りから固めていく性質で面倒に思っていたが、あの件をきっかけにきっぱりと断ったという。きっぱり断って私のことを言ったから、彼女がまだ彼に言い寄ったら彼と私に同情が募ってもう上手くいかないだろうとも。私は正直彼と一緒に回った文化祭をあまり覚えていないが、とにかく彼の友人や先輩などたくさんの人に会わせて存在を認識させたかったらしい。確かに彼はやたら話しかけられるなと思ってはいた。彼の顔が広いのだろうと思ったが、実際は彼の知り合いのいるブースを中心に回っていたらしい。

「好きだよ。じゃなきゃとっくに別れてる」

惰性で付き合っているわけではないと、彼は口にした。私はその言葉を疑わなかった。
 私たちを結ぶか細い縁が今まで切れなかったこと、それが互いへの想いを何よりも雄弁に語っていたことに今まで気付けなかっただけだと、分かったから。
 もうあの日とは違う。涙は流れなかった。



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