審神者には望んで成ったわけではなかった。


 高校を卒業し、辛くも合格した志望校__よりひとつランクが下の大学への入学も決まっていた。大学入学前の健康診断、検査では何も問題がなかった。
 大学生活の折り返しである二年生の終わり、三年生の前に実施された毎年の健康診断を例にもれず受けた。そこで突然引っかかったのだった。全く身に覚えがなかったし、今までも診断を受けていなければ少しは納得しただろうが、生憎私は欠かさず受けていた。「何かの間違いではないですか」と問い、再び検査したが結果は同じだった。どうやら他人とデータが間違ったわけでもないらしい。このように突然素質を見出されることがありますかと尋ねれば、往々にしてあるのだと言われた。もちろん、その一般に比べてあまりに血縁に審神者がおらず、成人してから審神者となるのは、まま珍しいことであったのだが。彼らはそう言わなかった。私の不安を余計に煽って、良いことなどないからだろう。
 これは徴兵と同じく拒否権はないとされた。だが時期を待ってはくれるらしい。学校には通わせてもらえるらしかった。それは小学校から中学校に通う子供が審神者になれると発覚しても直ぐに雇わないのと一緒だと言っていた。義務教育課程は絶対。加えて判明したときに所属している教育機関は卒業してから本格的に、ということらしい。そのことに私は安堵した。今すぐ家族や友達と長らく会えなくなるわけではないらしい。

 その日から私の生活はひっそりと形を変えた。まず本丸を持て、と言われ、あれよという間に初期刀を選び本丸へ行き、鍛刀、刀装作成ならびに出陣まで一通りやらされた。それから現世に戻ると、これから最低週1回は本丸へ行ってくださいと告げられる。平日の夜にも何回か「審神者とは」とか、審神者の仕事の内容だとか、いろいろと説明を受けた。大学を卒業すれば本丸に移り住み、現世に帰って来られるのは稀だともそこで知った。審神者仲間ができるかな、と期待して行った講習だったが、生徒は私一人だった。まあ現世で講習を受けているから、仕方なかったのかもしれない。どうも行き来にはそれなりの労力がかかっているようだ。私があと二年、在学期間があると話すと、どの講師も微妙な反応を返した。
 はじめ、刀剣男士たちとどう接していいか分からなかった。「貴方の刀ですよ」と言われたって、人型を取られれば一個人として捉えざるを得ないだろう。かといって友達のように振舞うのも馴れ馴れしいなと思っていた。基本的に刀は主に無条件に好意的だ。それに甘んじて仲良くするのは違うかな、と何となく感じていたのだ。実のところそれは「私」に対する好意でないなら、いつその気持ちが離れてしまうかもわからないという不安から、無意識の自衛だったと知るのは半年ほど経ったあとだった。気付いたあとも、特にその決意が変わることはなかった。私と気の合う人は友達になれるだろうけど、人類全員と仲良くするのは不可能だ。それと同じで刀とも相性があるだろうから、と距離を保っていた。
 言うならば私が上司で、彼らは部下だった。ただ、役割的にはそう、というだけで感覚的には会社の同僚に近い。とにかく、我が本丸は、運営から人間関係まで、会社のような形態をとっていた。これが存外、私に合っていた。いや、私に合う本丸運営を模索した結果、会社のようになったというほうが正しいかもしれない。
 初めのうちはとにかく刀の数が少なかったから、鍛刀をメインにした。初期段階からいる打刀や太刀をメインに出陣し、その傍らで鍛刀した。ある程度数が集まったら、今度は出陣がメインとなった。第一部隊は新たな難易度の高い戦場へ、第二部隊は行ったことのある戦場で、第三部隊は遠征で、鍛えつつ資材を集めた。一、二か月ほど経った頃にこの体制は整った。
 平日も本丸へ行かなくとも命令は出せた。毎日とはいかなくとも二、三日に一度は本丸へ指示を出していた。土日のどちらか一日は本丸へ赴いた。正直、やることは変わらないしわざわざ来る意味はあるのだろうかと思っていた。大学にも、そう思っていた。オンラインでできる講義ならオンラインでいいじゃないか、と。だがその形式では出席率は上がるだろうが学生の集中力、知識の定着率は落ちるだろう。だから大学も対面での講義を懲りずに行っているのだろう。審神者もそういうことなのかもしれない。
 鍛刀や刀装作成は、本丸にいるときに行った。私は軽傷未満でも_刀装が剥げそうだったら撤退していたからそもそも刀が傷を負うことは極端に少なかったが_手入れしていたが、それもなるべく私自身がやることにしていた。平日のうちに気付いても土日にまとめてやることが多かった。もちろん軽傷以上であれば直ぐに遠隔で手入れの指示を出したが。
 刀剣男士には食事は必要ない。必要のないことはしなくて良いだろうと厨房は初期状態のまま、料理のやり方も教えたことはなかった。だが私は食べなければやっていけないので、初めのうちはインスタントやカップ麺を持ち込んでひっそりと自室で食事をとっていた。
 それを初期刀の近侍に気付かれ、一口あげたところからその考えは変わっていった。

「主、入ってもいい?」

「…何か問題が?」

「うーん…まあ…」

「……?まあ、どうぞ」

 その日の出陣などすべてを終えればもう現世に戻ってもよかったが、戻ってしまえば提出用の書類をやらないでしまうことをよくわかっていたから、審神者関連の仕事は本丸で解消してから帰ることにしていた。その書類に取り掛かる前の、私へのご褒美として食事と、デザートを持ってきていた。
 カップ麺をすすりながら話をするのは行儀が悪いなと箸をおいて私の初期刀、加州に目をやった。彼はちょっと驚いた様子だった。私が部屋にいるときはいつも書類と向き合っているからだろうか。今日まで、たまたま食事の時に尋ねてきた人がいなかった。そもそも私の自室に来るのは加州くらいだと言われれば、まあそうかもしれない。

「それ…」

彼はカップ麺の方に目をやった。

「ああ…気にしないで良いですよ。要件は?手入れの見落としがあった?」

「ううん。なかったよ。ただ…主がどうしてるかなって。よく仕事してるから、俺に手伝えることないかなって」

「うーん。これは私が書かなきゃいけない者たちなので、特にないかな。大丈夫です。ありがとう」

私はこのあたりから、麺が伸びるな、と気にかかってしまった。

「そっか。分かった」

彼はそう言って、でも部屋を出ていかなかった。

「…まだ何か?」

そう言ってから、彼がカップ麺に興味を持っていたな、と思い出して、彼の方に差し出した。

「、ひとくち食べます?口に合うかは分からないけど」

「!良いの?」

箸の持ち方とか、大丈夫かなと思ったけれどそこはすんなりと箸を持つと恐る恐る麺をすすった。

「美味しい…」

「そう?良かった。…なら、それあげます。食べかけで良ければ」

「え!?もらえないよ。主、お腹すいちゃう」

心の中でおやつもあるしなあ、と思ったが無理に押しつけるのも、と思った。

「じゃあ半分こで。交互に食べるのはどうですか」

「…うん。主が良いなら」

 彼も食への興味があったんだなあと思うに加え、仮にも刀の付喪神にこんなジャンキーな味を覚えさせて良いのだろうか、と思ったが、まあそのころにはそうほとんど食べきったころだったから諦めた。カップ麺がうまいのが悪い。
 食事は必要ない、と言ったって、今は「人」でもあるのだから、食事をとらない方針は失敗だったかもしれない。食事を導入するか一度考えてみないとな、と思った。
 私はスープまで飲み切る派だったので最後はスープも飲み干した。若干塩気が強いので水も一緒に流し込む。一人分、しかも小さめのものを半分にしたので、まだ胃袋には余裕があった。

「まだ食べられます?」

「え…うん」

「おやつ食べませんか」

「…!食べたい」

 私は書類仕事中に食べようと思っていたドーナツを取り出すとこれもまた半分に割った。オールドファッションとポンデリングだ。片方をあげることも考えたけれど、どうせならどちらも味わってみてほしかった。

「美味しい…!主が作ったの?」

「まさか。既製品」

 彼はそれに気落ちした様子もなく食べ続けた。お茶を入れてあったのでそれも飲みながら。こそこそ食べるより、誰かと一緒に堂々と食べる方が何倍も美味しく感じられた。

「ありがとう。美味しかった」

「うん、良かった。でも今日のことは秘密にしておいてください。トラブルの原因なので。…燭台切あたりに本丸でも食事をとれないか相談します」

「主も一緒に食べる?」

「多分?」

加州はぱあっと顔を華やがせた。

「うん。…うん、良いね。楽しみにしてるね」

そう言って彼は私の部屋を後にした。
 私は言葉の通り、燭台切に相談した。食事のことについて講師に尋ねたところ、燭台切が厨房を任されることが多いと聞いたのを頭の片隅から引っ張り出してきたのだ。この本丸の初太刀で、古株かつみんなの面倒をよく見ているような刀だったから。彼もまた快諾してくれた。
 まず私は本丸運営のためのお金で台所の設備を整えた。別に使いどころもなかったので無駄に豪華にしてしまった。食洗器も付けた。調理に洗い物、家事はとても大変だと、一人暮らしを始めた学生にはよくわかっていた。なんなら私の部屋にもほしいな、と思うがあと二年を切っていると思うと無駄な買い物のようで買えていない。食事制度に初めは慣れていなかった皆も次第に慣れていった。四十人ほどの食事を用意するのは大変だろうに誰も文句を言わなかった。

 大学の前学期が終わり、長期の夏季休暇に入った。私はもう遊べるのが最後だと分かっていたから、友達とよく出かけた。審神者の給料が入ってお金だけはあったからたくさん旅行した。お土産を持ち帰ると喜ぶので度々ご当地グルメを本丸に持ち帰った。
 私は変わらず週一ほどの出勤だった。多くなることも、少なくなることもなかった。半年も経てばいくらか審神者も板についてきていた。そこからの本丸運営は今振り返ってみても順調であったように思われた。

 大学卒業を経て、本丸に住み始めた。一人暮らしに慣れた私には、人と同じ空間で過ごすことに慣れなくて、初めのうちはきちんとした睡眠がとれなかった。人の気配で眠れないと分かった私は、離れを作って、自室をそちらに移した。みんなにはきちんと説明した。私が明らかに疲れた様子だったのを皆が知っていたのでそこまで咎められなかったが、少しばかりの非難を感じていた。だが私はそれに構っていられぬほど、心の安寧がなかった。プライベートがないことがここまで苦痛だと思わなかった。それを期に部屋割りについても問うた。個室が良いのではないか、と。だが刀派や縁のある刀でまとまっていたほうが良いとのことだったのでそれに任せた。本丸歴の長い連中が軒並み個室を望まなかったからか、個人主義であろう刀たちも自室が欲しいと訴えてくることはなかった。




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