本丸に住んで暫くして、本格的に審神者になったということで演練に出た。そう、なんとそれまで私は演練に行ったことがなかったのだ。私の本丸はあまり練度が高くなかったということが一つ、もう一つは私が審神者として腰を落ち着ける前に、他本丸の様子を見てしまえば自信を無くしてしまうと思ったからだ。本腰を入れていない本丸だからと罵られるのは想像だけでも堪らなかった。
 実際に演練場へ行けば私たちよりはるかに練度の高い本丸から、新人であろう本丸まで多種多様だった。だが、どの本丸も刀剣男士と主が仲睦まじそうに歩いていた。距離が近いところや、信頼を築いているであろう本丸が多かった。うちは何度も言うがビジネスライクな本丸だったから。私が共に暮らすなら、それが最適だった。それは間違いない。だが、一様に仲の良い審神者と刀剣男士を見てしまえば_隣の芝生は青いとはよく言ったもので_羨ましい、と感じてしまうのも致し方なかった。
 別に仲良くなりたくないわけではなかった。適切な距離感を保てる友人程度の仲が欲しかった。知人が誰もいない中で、同僚、しかも異性にしか会えない毎日が静かに私の首を絞めた。
 そのことに、気が付いてしまった。知らなければ良かった。知らなければ仲の改善を望むこともなかった。友達が欲しかった。だが本丸の刀剣男士たちは決して私の友人にはなり得ない。家が恋しかった。家族も、友人も、これといって思い入れが強い方でもなく、現世を後にした時もそれほど恋しく思わなかったが、今はどうしようもなく家に帰りたかった。一人で暮らしていた、あの狭いワンルームに。
 だが、私だけは言ってはいけなかった。私がどんなに寂寥感を抱こうと、センチメンタルに浸ろうと、それだけは言うべきでなかった。

「良いなあ」

 あろうことか、私は、私のものでない刀剣男士たちを見て、思わず口から本音が転んでしまったのだった。本当に小さな声だったのに、私の神様たちはその音を良く拾ったようだった。あたりが静まり返ったように、緊張感が走る。お前がそれを言うのか。こちらの台詞だ、と思ったのかもしれない。私は即座に失言した、と青ざめたが、取り繕う言葉を持ち合わせていなかった。
 手合わせは終わっていたから、あとは相手の審神者に挨拶をして帰るだけだった。だのに私が余計なことを言ったから、気が気でなかった。
 固まっている男士たちを背に、とりあえず相手に迷惑をかけぬよう挨拶に向かう。

「ありがとうございました」

「こちらこそ!初めて見かけますけど、お強いですね」

お世辞だった。彼女の刀剣はどれも練度が高く、私たちは歯が立たなかった。

「いえ。歴の割には、全く。…演練は初めて来たんです。良い刺激になりました」

「わあ、初めて!審神者歴は長いんですか?」

「二年ほどです」

「じゃあ私の方が先輩ですね!私は四年目になるんです」

でしょうね、と心の中でつぶやく。

「そうなんですね」

「演練が初めてなら、知り合いの審神者もいないんですよね?…良かったら私たち、友達になりません?」

 年下に見えるけれどなかなか生意気な態度だと思った。仮にも審神者としては先輩で、優秀な本丸であろうことは頭ではわかっていても、私はどうにも他人にこのような態度をとる人間が得意でなかった。
 だがそれを態度に出すのはあまりにも大人気なかったので、「はい、ありがとうございます」とバイトで培った営業スマイルを浮かべておいた。彼女はその返事に「本当?!」と砕けた言葉で喜んだ。

「良かったね、主」

 そう彼女の刀剣男士たちが口々に言う。あれよあれよという間に彼女と連絡先を交換した。私から連絡することはないだろうと思った。
 本丸について聞きたいことは、政府やこんのすけが対応してくれる。いくら同性の知人が欲しいと言っても、気が合わなければ余計なストレスを生むだけだ。…こういう性格の不一致からなる軋轢が嫌で、今の本丸ができたんだ。私が主をやっている時点で、それはきっと決まった未来だった。
 彼女は自分の刀剣に囲まれて、私の刀剣たちは離れたところで私が話し終わるのを事務的に待っている。
 本当は手合わせした本丸以外とも話してみたかったが、この状況で誰かに着いてきてもらうようお願いする気力はなかった。私一人でも良いが、基本的に審神者は単独行動が推奨されていない。一人で行動している、おかしな審神者だと思われれば交流もしにくいだろう。

「それじゃあ」

 引き続き刀剣出したちと談笑する彼女と別れる機会を見失い、多少強引なタイミングで別れを告げた。彼女は屈託ない笑顔で手を振った。その表情を見るとそこまで憎くも思えなかった。演練に行かなければ会うことのない他本丸はさして問題ではない。問題はこちらである。

「終わりました。帰りましょう」

「…主」

「…何か?」

「……ううん、何でもない」

 彼らは何かを言いたげに、しかし終ぞ何も言うことはなかった。


 帰路に就くとき、他の審神者に話しかけられた。審神者の中にも、コミュニティーのようなものがあるらしい。

「さっき、あの審神者と話してましたよね?」

「…辞めといたほうが良いですよ、あの子、お偉いさんの娘さんだから」

「資材とか、レア刀とかもらってるんです、政府から」

「だから新人のくせして強いの。あまり気にしないで。じゃないとやってらんないですよ」

 私に話しかけてきた審神者たちは皆、三年以上の歴を持つ人たちだった。私が三年目にしてようやく本丸へ赴き、演練に始めてきたことを告げれば「大変だったでしょう」と同意してくれた。

「政府も無茶言いますよね。私も突然でした。高校三年、最後の年から本丸通いです。それでも大分遅い方ですけど」

「私も高校行けなくなって、悲しかったの覚えてる。今ではまあ、もう過ぎたことだけど。楽しくやってますし」

「ある程度慣れないと、練度上げるの厳しいですよね。チートがないと」

 つまり、私と同じく身寄りに審神者があまりおらず、由緒正しいお家柄でもない審神者たちだった。そういう審神者は見ただけで何となくわかるものだと彼女らは言った。通いを終えてから演練に来る審神者は、ほぼ確実でそうなのだそうだ。伊達に長く審神者をやって、演練をやってきていない、と笑っていた。その長い年月を笑い飛ばすことのできる彼女らの器の大きさに驚いていた。

「初めて来て、周りの練度に圧倒されてると思いますけど、本当に気にしないでと言いたかったんです」

「通いの二年でそれだけ鍛えられてるのはすごいですよ。初めて見る顔の割に善戦してたから、新規本丸ではないとは思っていたけれど」

「ありがとうございます。…良かったら連絡先、教えて頂けませんか」

「喜んで!」

「私も」

「今度、審神者会しましょう。審神者ならではの悩みもあるでしょうし」

「当たり前ですけど、刀剣男士だから、女性は本当に少ないですもんね」

 今度は私から連絡先を聞いた。この人たちとは待遇も相まって、話が合いそうだった。いきなり詰めすぎず、他人過ぎない距離の掴み方もしっくり来た。なるほど、いわゆる一般の出の審神者で固まるのはそういうことなのかもしれない。良家は良家で固まるのだそうだ。留学先で、結局人種ごとのグループで仲良くなる、みたいな現象だろうか。とはいっても良家は、本家分家だとか、家同士の中だとか、そういう複雑な問題があるらしい。私たちには到底関係ないことではあるが。
 私は今まで現世にいたため出席できていなかったが、政府に審神者が呼び出されることがある。報告だったり、健診だったりするのだそうだ。そこでも会えたら宜しく、と言っていた。場所が分からなかったり、勝手がわからず立ち尽くすことはなくなりそうで安心した。いい加減、後ろで待たせている男士たちに申し訳がなくなってきたので、彼女らに別れを告げた。彼女らに会えただけで演練の大きな収穫だった。

「ごめん、待たせました」

 彼らは彼らで、何か話しているようだった。そこへ声をかければ「ううん。大丈夫」と言って、私の後を付いてくる。
 
 本丸へ帰ると、演練に行かなかった刀剣たちが待ち構えていた。どんな様子だったかを聞きたいのだろう。だが、誰も明るい表情をしていないからか、どうも話しかけにくそうであった。

「おかえり、主」

「おかえりなさい」

「…ただいま」

 本丸を「家」だと思ったことはない。宿舎のようなものだと思っている。ここで一生涯を過ごすのに、私はなぜかそんな感覚が抜けなかった。職場と隣接しているからだろうか。

「どうでしたか」

「…皆、すごい本丸ばかりでした。強かった」

「わぁ、そうなんですね」

次は自分も、と名乗りを上げる刀もいるかと思ったが、いなかった。今回連れて行った第一部隊がこの本丸での最高練度だということをみんなが知っていたからだろう。

「みんなも、疲れたでしょうから先に湯船につかってください。そのあとで夕飯にしましょう。お疲れ様でした」

 私もさっさと風呂に入って、雑念を洗い流してしまいたかった。
 風呂から上がると、食事がもう用意されていた。今日は初演練ということで、少し豪勢な食事だった。その食事ののち、毎週金曜日は飲み会のようになる。もちろん強制ではない。私はあまり参加しなかった。上司がいたら飲みにくいだろうと思ったからだ。現世にいたころの会社勤めの先輩だって、上司から誘われる飲み会は断りにくく、何かと気を遣うから苦痛だと言っていた。
 だが、今日は彼らを労うために、少しだけ顔を出そうと思っていた。最後の審神者には大敗を喫したが、前の二戦では同程度の練度の審神者に当たったことで、勝利を収めていたから。
 食事だって、全員がそろって食べるわけではない。皆が同じ時間に食事をとっていることを選択しているだけだ。ずらしたかったらずらせるので、個人の自由にしてくれ、ということになっている。
 一応、形だけ私が上座に腰掛ける。席は決して指定席ではないのだが、日々の中でなんとなく誰はどこらへんに座る、ということが決まっていた。この本丸は年功序列ならぬ、本丸顕現順に強いところがあったから、席もそのようになっている気がする。もちろん少し遅く来た刀であっても刀種によって優遇されていたり、練度がまだ上がっていなかったり、多少はあったものの、基本的にはそうなっていた。
 初期刀の加州と、初鍛刀の薬研は静かに私の隣に座っている。薬研の隣に、この本丸の初太刀である燭台切が座っている。太刀は本当に重宝したから_しかも彼はかなり早い段階でわが本丸に顕現された_本丸で大きな貢献をした。もちろんそれは現在まで続いている。近侍は加州が多いが、薬研と燭台切もまた、彼に次いで多かった。彼らは刀派で固まるかと思いきや、私の周囲の席を譲らなかった。彼らと同じ刀派や馴染みのある刀であっても_加州の隣に座る大和守は、この本丸で大分古参な刀であったのでたまたま加州の隣で固まっているなど、そういう例もあったが_比較的最近やってきた刀はその近くに寄らなかった。
 こういうところも、上下関係の厳しい年功序列の古い会社の体系のようで、どうなのだろうと思っていた。思ってはいたが、それを「やめろ」というのは違うとも分かっていた。そもそも私がこうする、と決めたわけではなく、自然とそうなってしまったのだから、気にすることではないと諦めていた。
 他はたいてい刀派でまとまって、古株な刀が上座寄りになった。刀派で固まるから、本来の席より上座や下座に座っている刀もあった。だがそこまで大きくずれたものではない。何度も言うが厳密に席が決まっているわけではない。上座下座というのも、会社に勤めたこともない私にはよく分かっていなかった。
 普段であれば、加州あたりがよく話しかけてくるのだが、今日は珍しく静かだった。それを少し不思議には思うものの、私は何も言わなかった。最後の試合での敗北、そして私の台詞がショックを与えたことが分かっていた。そしてそれを敢えて聞き返して傷口をほじるほど無神経ではいられなかった。

「美味しい」

「!そう、良かった。おかわりはいるかい」

「いえ、大丈夫」

今日のメニューは燭台切が開発したレシピがふんだんに使われたそうだ。普段からそうと言われればそうなのだが。

「今日は私も少しだけ飲んでいこうと思うんだけど。良いですか?」

「もちろん!」

 その三人に向けての言葉だったはずだが、その場にいた皆がその言葉に耳を傾けた。「主が飲むなら」と結局ほとんどの男士が宴会(のようなもの)に参加した。当然、私は乾杯の音頭を取らされた。一堂に会している刀剣たちの前で話すことはあまりなかったから、壮観であり、気圧された。なんとか息を吐きだして、心を整える。そして話し始めた。

「今日は演練お疲れ様でした。今回、同行してもらった第一部隊はとてもよくやってくれました。他本丸の刀剣と会えて、良い刺激になったと思います。少なくとも私はそうです。
これからは割と頻繁に、定期的に演練に向かう予定です。今回参加できなかった皆さんも、気落ちせず、またの機会を待っていてください。
今日、厳しい戦いの中、黒星を二つもあげてくれた自慢の刀たちに感謝を。今夜は皆で讃えましょう」

 刀一人ひとりの顔を見ていきながらそう言った。全員が私の方を注視していて、絶対に視線がかち合うのが気まずかったが、視線をよそへやることはなるべくしたくなかった。
 特に、第一部隊にはよく視線を向けた。加州、薬研、燭台切、膝丸、大和守、太郎太刀。今日の失言への贖罪の意味も込めて。

「、乾杯」

私に続いて刀たちもグラスを、お猪口を、好きに掲げる。

「乾杯!」

「かんぱーい!」

「…乾杯」

 かつん、とグラスをぶつけた。特に第一部隊のみんなとは乾杯しておきたかった。そうすると他の刀も「主、乾杯!」とやってくるので、一口目を口にできるのは暫く経ったあとであった。




分岐