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俺が賢者の魔法使いに選ばれたのは、彼女が再び店に立つようになって、店を何度か変えた頃だった。突然左の腕が痛み出したかと思うと、そこには賢者の魔法使いとしての証が刻まれていた。厨房にいたときであったから、客には気づかれなかったはずだ。ナマエはすぐに異変に気付くと、彼女もまた、“それ”を見つけた。
「賢者の、魔法使い……」
それは魔法使いにとって、存在こそ知っているものの、自分が選ばれることはまさかないだろうという、現実離れしたような話だった。各国から四名ずつ。厄災と戦うといったって、そんなに死者が出るものでもない。入れ替わりは非常に少なく、えらばれる可能性は本当に限りなく低い。それに、自分が?驚くと同時に釈然としなかった。俺はようやく彼女と共に生きる意志を固めたのに。
「大丈夫よ、ネロ。厄災なんて、一年にたった一回だし、そんなに大変なものじゃないわ」
その「大丈夫」は彼女が彼女自身に向けたものであると分かっていたから、俺も「そうだな」と返すに留まった。この紋章が現れたということは、俺は中央の国に行かなくてはならない。彼女はもうとっくに一人で店をやっていけるほどの腕があったので、店を任せてもいいと思った。俺がいないから店を閉める、という手もあったが、賢者の魔法使いとなっても日常は変わらないだろうから、店を畳むのは時期尚早だろう。彼女もそれに同意した。
だが、実際に魔法舎へ赴けば、予想外な出来事がいくつも起こった。まず、毎年難なく退けられていた大いなる厄災は、この前から一層強くなり、危険が伴うこと。その異常事態への対策を講ずるため、賢者の魔法使いたちにはここで過ごしてほしいと賢者が言ったこと。それから、これが一番問題だ。賢者の魔法使いの中にブラッドがいたこと。俺はもう生きた心地がしなかった。年に一度集まるだけなら良かった。知らないふりをしていれば良い。だが、魔法使いたちで共同生活をするとしたら?いつか露見する日が来るだろう。何より、__ナマエはどうなる?一人で店を切り盛りして、俺の帰りを待つのか?そんな殊勝な魔女ではない。一時期、俺が彼女を諦めて、頼むから出て行ってくれと望んだ時、あの頃は彼女の心が弱っていたからありえたことだ。だが今は?すっかり調子を取り戻して、俺が「魔法舎で暮らすから、しばらく帰れない」なんて言ったら「そう、分かった。じゃあさよなら」とか言って、どこかへふらっと消えてしまいそうだ。これが一年で終わるなら、まだ可能性はあったかもしれない。そもそも一年で改善するかは分からないし、もっと言えば一年後に俺が生きているかもわからない。魔法使いにとって、一年というのはあまりにも短い。俺は迷って、賢者の言葉にすぐ肯定できなかった。だが、その提案を飲まなくてはならないことは分かっていたから、「一度、家に帰らせてくれ」と言うことしかできなかった。
家に帰るのを憂鬱に思うのは、いつぶりだろうか。足取り重く、彼女の待つ家へと帰れば、彼女はいつも通りに「おかえり」と言った。それに「ただいま」と返すと、彼女はすぐに本題を切り出さず、「先にご飯食べよう」と言った。俺の帰りが遅くなる時は彼女が夕飯を作ってくれることも多かった。いつもより、少し豪勢な食事だった。彼女は神妙な面持ちをしていた。
「……どうだった?」
俺はどこまで話すか迷って、厄災が例年よりはるかに強くなっていること、その対策として賢者の魔法使いは中央の国で共同生活を依頼されていること、その両方を素直に話した。ブラッドが賢者の魔法使いに選ばれていることは、言えなかった。
「そう。……」
彼女は紋章を見た時のように「大丈夫」とは言わなかった。「大丈夫」と言えるほど、俺がずば抜けて強い魔法使いでないことは分かっている。加えて、俺と離れて暮らすことに関しても「大丈夫」ではないのだろう。東の国、しかも人目を避けるようにして暮らす俺たちには、賢者の魔法使いのメンツを知る由はない。彼女がここから出て行かなければ、問題はない。
「私が中央の国に行ったら、問題?」
俺は明らかに反応が鈍ってしまった。
「え?」
「流石に魔法舎で部外者の私が一緒に暮らしたいとは言わないけど。魔法舎からここまでは遠すぎるから」
「いや、……まあそうなんだけど」
そうなんだけども。彼女がその提案をしてくるとは思わなかった。元々は北の出身である彼女は、あちこち回った結果、ここを結構気に入っていると以前語っていたから。
「着いていかないほうがいいなら、そうするけど」
これを否定すれば、本当に彼女は世界の果てにでも行ってしまうだろう。言外に、それなら私は勝手にどこかへ行ってるけど、みたいな意思が伝わってくる。
「いや、嬉しいよ。そうしてくれるのか?」
「うん。流石に外出禁止とか、自由行動、単独行動禁止、とかではないよね?」
「流石に違うはずだ。そもそも魔法使いたちがそんな規則、あったとして守れる気がしない」
「それもそうか」
彼女は思ったよりも落ち着いていた。「店はいつ閉めようか」とか「良い場所探さなくちゃ」とか、現実的な話を重ねて、本当に中央の国に移住するようだった。俺は呆気にとられたようにそれを見ていた。
俺は荷物をまとめて、先に中央へ向かうことになった。残りの引っ越し作業などは彼女が自分でやると言って聞かなかった。「移転作業くらい手伝いに戻ってくるよ」と言ったのだが、「今回の店は私が開くんだから私が決めるの」と一蹴された。誰かと生活すること自体はナマエと暮らすうちに慣れたはずではあるが、ナマエとその他の魔法使いじゃまるで話が違う。だが、気持ちは切り替えなくてはならない。もう決まったことだ。俺は諦めるのが人より少し、得意だった。
賢者の魔法使いの叙任式を執り行うことになった頃、彼女もまた早々に中央の国へ引っ越しを済ませていた。まだ店をオープンする段階には至っていないが、目星はつけたと言っていた。この一年の間にオープンで来たら良い、と長期戦の構えだった。俺は彼女に叙任式には来ないでほしかった。自分が人前に立っている姿を見られるのは気恥ずかしかったし、何より彼女にブラッドの姿を見せるのは、ここまで来てもやはり抵抗があった。当日は不安もあったが、高揚感もあった。大勢の人から賞賛を浴びることは、めったにない経験だったから。そもそも、その前の出来事が大きすぎて、ようやく安堵できたというか、気が抜けていたので、あまり不安に感じすぎることがなかった。彼女の心配はしたが、そもそも俺よりも強い魔女が簡単にやられるはずもない。そこは彼女を信頼していた。「叙任式は見に行くわ」と言っていたが、ここから探そうと思ってもなかなか難しいことが分かった。ただ、彼女は魔力が強いから、それを頼りに人ごみの中から見つけることができた。彼女は他の人たちと何ら変わらない服を着ていた。その美しい貌と圧倒されるような雰囲気だけが異質だった。彼女は俺たちを見ていた。そして、驚いていたのだと思う。彼女の視界にはブラッドも間違いなく入っていたから。
「あ?あれナマエじゃねえか」
強い魔法使いは、強い魔法使いを認識できるものだ。
「誰でしたっけ、聞いたことがあるような気もします」
「北の魔女だよ。あちこち若いうちから転々としまくって、どこ出身だか分かったもんじゃないがな」
「ふーん。まあ俺の方が強いですね」
ミスラはそれっきり興味を失ったが、ブラッドはそうもいかない。きっと彼女のことを覚えているだろう。ブラッドはナマエと俺がそこそこ親しくとも、当時はそこまでの仲ではなかったとを思っていたのか、俺がブラッドと関係ないと周囲に示したかった意思を汲んでくれたのか何なのか、俺に話を振ってくることはなかった。だが俺は急に冷えるような心地になった。
彼女が俺と約束を交わしたのだって、あの時の彼女は弱っていたからだ。心が弱っていた。魔法使いは心で魔法を使う。心が疲弊すれば思うように魔法を使えなくなるし、体の一部に染み付いた魔法が瓦解すれば、体にも不調をきたす。精神状態は最悪だっただろう。そこへ付け入るようにしてその場で約束を取り付けた。今の万全の状態である彼女が同じ状況に陥ったとしても、果たして彼女は俺に誓ってくれるだろうか。
俺は宴もそこそこに、彼女の新居を訪ねた。毎日とはいかなくとも、これからも可能な限りは彼女のもとへ足を運ぶつもりだ。彼女は変わらない様子で「おかえり」と言った。
「見てたよ、叙任式。綺麗だった。服はみんな揃いのを着ていたけれど、あれも素敵だった」
「ああ、あれは西の魔法使いが作ってくれたんだ」
「へえ!どうりで。素敵な感性だと思った」
彼女は相変わらず、本題から入らなかった。他愛もない話をした。
「屋台が出ていて、色々回って見ていたんだけど、これがすごく良くって」
そういって食卓に並べた料理は、東にいたころにはあまり見ないものだった。だが、良い香りがする。美味しいものの香りだ。
「久々に中央の国へ来たけれど、賑やかで、たまにはこういうのも良い」
彼女は穏やかな笑みでそう言った。後悔してないか?と聞きそうになって、すんでのところで言葉を飲んだ。食事中、彼女は一度もブラッドの話をしなかった。食べ終わってから、食器を片付けようとするのを手伝う。「取り皿はその真ん中の棚で、カトラリーは引き出しのところ」といくつか指示を受けて、皿類の収納場所が元々住んでいた場所とあまり変化がないようにしていることが伺えた。それは自分で過ごしやすいように、はもちろんだが、自惚れでなければ俺のためでもあるだろう。
「シャワー先に浴びてきたら?疲れたでしょう」
「ああ、ありがとう」
彼女が一向に話を切り出さないのを、俺はずっと気にかけていた。彼女はブラッドに気が付かなかったのか?否、そんなはずはない。湯を浴びても思考がすっきりしなくて、しばらく湯に打たれていた。俺はいつもより長く風呂場を使っていたが、それに関しても彼女は何も言ってこなかった。入れ替わりで彼女がシャワーを浴びているときの音がやけにはっきり聞こえた。一応俺がいるスペースもあるが、この場所は彼女が一人で暮らすように借りた家であるから、どうしたって手狭だった。部屋数も少なく、俺は彼女の気配を感じざるを得ない。逆もしかりだ。彼女は濡れた髪のまま上がってくると、「乾かして」という。珍しいことではなかった。だが、大抵この言葉は彼女からの夜の誘いだった。少し迷って、「良いよ」と答え、ベッドの上に座った。ベッドは部屋に見合わず、元の家と同じサイズ感だった。彼女も同様にしてベッドの上に乗ると、少し甘えたようにして俺の足の間に座った。もっと強い魔法を使えば一瞬でできるが、弱めの魔法でゆっくり髪を乾かすのが俺もナマエも好きだった。すっかり乾いた髪を撫でるように梳いていると、彼女が憂いたように言う。
「疲れてる?やめにしようか?」
「いや、…疲れてはいるけど。ここまで来て止めないって」
一度否定したが、疲労は間違いなく蓄積している。だが、その程度で出来ないと思われたのは癪だし、何より彼女と共に寝れば少しは気が晴れそうだった。彼女のシュガーを口にするより、彼女を抱いた方がよっぽど自分の薬になる気がした。
「そう?なら良いけど。途中でくたびれても知らないからね」
「あんまり煽るな。……後悔するなよ」
俺は彼女に噛みつくようなキスをした。さっきまで同じものを食べていたはずなのに、彼女の口は甘く感じられた。口が離れた時に、彼女が口で呼吸しようとする、その吐いた息すら惜しくて、その息も飲み込むように再び口づけた。
「なあに、珍しくがっついてるけど」
「…なんでも。いいだろ、たまには」
荒々しくすれば良いってもんでもない。分かっているが、彼女は昔から荒い男が好きだった。俺に対して物足りなさを感じても致し方ない程度には。夜はその足りない部分を埋めるように振舞った。俺自身も好きな女をちょっと苛めたいという気持ちがあることは否定できなかったし、彼女も彼女で苛められるのが嫌いじゃないようだったから、自然とそうなった。彼女はベッドの中では常に俺に従順だった。いつもが反抗的、というわけではないが、この瞬間だけは、彼女は俺の手から逃れていかないような、そんな安心感があった。
「良いの、賢者の魔法使いさん。こんな早々に朝帰りして」
「今日は皆それぞれ楽しんでるだろ。だから良いんだよ」
楽しそうに彼女が笑うから、こっちもなんだか気が抜けて、穏やかに眠りにつけた。いつものように彼女を抱きしめるように眠っていた。朝、目覚めた時も彼女はまだ俺の腕の中にいて、静かに寝息を立てていた。それにほっ、として、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。彼女はそれに気付く様子もなく、眠り続けた。その寝顔を、愛しいと思った。
彼女が起きてから、遅めの朝食を二人でとって、ゆったり過ごした。「町は見なくていいのか」と聞けば、「昨日たくさん回ったから」と答えた。それは事実だが、彼女は間違いなく俺に遠慮していた。昨日の今日では俺のことを覚えている人もいるだろうし、そんななかで彼女と並んで歩く姿は見られたくなかった。彼女が目を付けられるかもしれないからだ。同じ賢者の魔法使いたちにだって、知られたくなどなかった。ずっと東で過ごしていたから、家の中で過ごすのは慣れたものであろうが、こう同じ日常ばかりで彼女に飽きがこないことを祈るばかりだ。
昼になってようやく、俺は魔法舎に戻った。やはり他の魔法使いも昨日は夜遅くまで起きていたのか、そこまで活動的な人たちは多くなかった。厨房に向かうところでカナリアに会ったので、夕食は自分が作ると伝えた。やはり、料理をしていない、というのは落ち着かなかった。大人数とはいえ、数十人分の料理を作るくらい、大した負担ではないと感じていたから。まだ夜にするには早い。仕込みをしつつ、小腹を空かせた誰かが来てもいいように、簡単なものを作り始めた。ナマエのことが頭にあったからか、彼女の好きなスイーツを作ってしまい、「ああ……」と何故かへこんだ。
「よお、ネロ」
匂いを嗅ぎつけたのか、いつの間にかブラッドが厨房まで来ていた。
「美味そうな匂いだな、それ」
それ、とは彼女の好物で、なんとなくコイツにこれを食べさせるのは癪に障ったので「これは駄目だ」と言った。
「こっちなら良い。小腹空かせたやつ用に作ってたんだ」
「じゃあこっちは何用だ?」
「…夕食後のデザート。子供たちがいただろ」
一瞬つかえて答えたのを、コイツが気付かないはずもない。もっと言えば、彼女のシュガーをついさっき口にしたので、それを見逃してくれるはずもなく。
「…お前、ナマエと会ってただろ」
「……だったら?」
「いや、元気か?あいつ」
「まあ、……」
「知らなかったな、お前とナマエがそこまで親しかった記憶はないが」
「なんだっていいだろ。たまたま会ったんだよ」
自然と棘のある声色になるが、ここで再会してから俺はコイツに対してこんな態度ばかりだから、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。睨みを利かせるのを、やめられそうになかった。
「…まあ、いいけどよ。あんま虐めてやるなよ」
一瞬、カッとなって、それを押し殺して、「アンタに言われる筋合いはない」と吐いた。今この瞬間だけは、コイツに対する負い目や、忠誠やら何やらは全て横においた。全く、何百歳になって、こんな余裕のない子供のような感情を抱いているのだろうか。ふっと我に返って冷静になった。
「…それは好きに持ってけよ」
「ああ……」
料理を指し示しながらそう言えば、釈然としない表情をされながらも、あいつは厨房を後にした。俺はどっと後悔が押し寄せて、考えるのが嫌になって、夕食づくりを再開した。少しぐらい豪華になったっていいだろう。なんたって、今日は叙任式の後夜祭のようなものなのだから。
叙任式からしばらく経ったころ、また俺は彼女のもとを訪れていた。彼女は度々街に出かけて、買い物はもちろん街を散策して楽しんでいるようだった。
「ここは魔法使いだってことが知られても変わらなそうな気すらする。昔、……何百年前か忘れたけど、前に来たときはこんな感じじゃなかった気がするけど。悪くないわ」
彼女の記憶にきっと間違いはないだろう。「でも、わざわざ言うほどでもないし」と魔法使いであることはよっぽどのことがない限り、明かさないつもりだと話していた。東の国にいたころの習慣が抜けないのだと。人は良いけれど、特定の誰かと仲を深めている様子もないし、つかず離れずでうまくやっていくのだろう。町の人からすればそれは少し寂しいことかもしれないが、魔法使いの心を守るには人間に深く関り過ぎないというのは大切なことであると思う。それに、当然自分にとっても都合がよかった。彼女は自分の身は自分で守れるし、他人との距離感を見誤ることもない。それでも彼女にちょっかいをかける男がいたら気分は良くないだろう。今まではそういう場面に遭遇することがなかったから。なんといったって、店では夫婦で通していたし、彼女が俺を置いて家を出て、誰かに会いに行くようなことはしなかったからだ。だからここでも、環境は違えど、ある程度その通りであろうと。信じて疑わなかった。以前とは全く違うのだと俺は理解できていなかった。彼女のそばにずっといられないということは、こういうことなのだと、教えられているようだった。漸く理解したのだ。彼女がした約束が“限定されていなかった”ことの意味を。
「私、一生涯でネロを夫として愛すると約束する」
彼女はそう言った。そこには俺を愛することを誓っても、他の男を愛さないという意味ではないと、どうしてか今まで気付けなかった。違う、気付かないふりをしていたんだ。ずっと。きっと前から知っていた。彼女の好きな男が誰であったかを。
「……何してるんだ、ナマエ。ブラッド」
「……ネロ」
俺が声をかけた時、彼女がどんな顔をしていたかは覚えていない。俺の視線はあいつを睨め付けていたから。ただ、声をかける前、ブラッドと話しているナマエは、顔がほころぶように、本来の笑顔を取り戻したように、柔らかな笑みをたずさえていたことだけは、はっきりと。脳裏に焼き付いて離れない光景となった。
「たまたま会ったから、話してただけ。ねえ?」
「、ああ」
彼女は同意を求めるようにブラッドを見て、ブラッドは見るからに「やばいな」という顔をしていた。彼女もその雰囲気を感じ取ってか、アイツの方から俺の傍によると「今は買い出し中?」と尋ねてきた。
「…ああ、もう今から帰るところだけど」
「じゃあ家に寄っていかない?荷物はブラッドが持ってってくれるでしょ。ね?」
学びがないのか、彼女は再びあいつに視線を持って行って、そう頼んだ。
「……ああ、いいぜ、貸し一な」
ブラッドは終始気まずそうに、だがこの場から離れられるとなったからにはさっさと退散したいのか、あっさり帰っていった。彼女は不安げに俺の腕に自分の腕を絡ませると、「ね、帰ろう」と強請るように言った。俺はこの顔に弱かった。間違いなく腹は立っている。様々な方向に。でも話だけは聞いてやろうと、彼女の自宅に向かった。家に着くまで、互いに口を開かなかった。
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