1

 __春。 朝は爽やかで桜は満開。うっとり見とれていれば入学式に遅刻寸前。やばい、と駆け出したその先でぶつかった人は__。
 …なんて、ある筈もない。 元々私は雨女、とまではいかなくても大切な行事は大抵晴れなかった。今回も例に漏れなかったらしい。曇天である。桜なんて春休みの頃に盛りは過ぎ、申し訳程度に花を残しているものの地面に落ちて茶色く汚れた花びらの方が多いように感じられる。そちらに目がいった。これでは風情も何もあったもんじゃないと分かり切っていた事実に少し落胆して誰もいない新しい通学路を突き進んだ。真新しい制服は窮屈だったが悪い気分ではない。こんな早くに来る新入生は居ないだろうと予想はしていたがここまでとは思わなかった。名簿が張り出されていたがそこに群がる人はいない。この名前を探すのに人が多いという煩わしいから、という理由だけで早く起きられるのだから怠惰も極めれば勤勉になれるのではないかなんて考えて、馬鹿らしくて苦笑した。

(端か…。)

端というポジションは良い。そもそも進学クラスであるから後半のクラスであることは分かっていた。その中では良いところを引き当てただろう。出席番号からして席は後ろの方だろうか。中学の同級生でこちらに来た子は少ないだろうと思いつつ、名簿を眺めてみる。同じクラスに同じ塾で仲の良かった子を見つけて、途端に安心した。そこで初めて自分の緊張に気付く。それと同時に余裕が生まれて、俯瞰するように他クラスにも目を向けた。 そういって各クラス上の方ばかり見てしまうのは避けられず、その名前を見つけたらドクン、と一際大きく心臓が波打ったのも事実だった。嫌に大きな鼓動を聞きながらその下へと視線を下ろしてゆく。 橋本、増子、松井、山田…。 一瞬湧き上がった衝動を抑えその付近で今度は視線をスライドしてゆく。そして見つけた。抑えていたものが一気に腹の底まで落ちていった。やっぱりと納得する反面、どうしてと問わずにはいられない。昔の光景を思い出しては唇を噛み締めた。…運が良かったツケはここで回ってきたらしい。それ以上文字の羅列を見ることに意義は感じられなかったので教室に入り、自分の席に座った。窓際1番後ろの席。こんなことばかりに運を使っているからだ、と今回ばかりは喜べなかった。はぁ、と軽く息を吐いて外を眺めれば、少しずつ入学生は増えていっているようだった。その生徒たちの奥に先ほど通った桜並木が見える。近くで見ればとてもキレイとは言えなかったのに、今見るとむしろ満開の頃より落ち着いていてこれはこれで良いと思えた。やっぱり今日は良い日かもしれない。
 入学式まではかなり時間があったから近くの席の子と軽く話していた。進学クラスといっても勉強に力を入れた人ばかり、と言うわけでもなさそうだ。とりあえず一通り話せたので早く来るメリットは大きかった。担任は背の高い真面目そうな男の先生だった。 話を流し聞き、入学式に臨む。不思議と緊張はなかった。「入学式」なんて大層な名前をつけたもんだと思う。先生の話は長いし、体育館は寒い。4月なのに冷え込んでいるのは日が出ていないからだろうか。眠るにも眠気はさほどなかったのでぼーっと生徒を見た。 私たちの出番は名を呼ばれたら返事をして立つ、という幼稚園児並みの作業しかなく、あっという間だった。あの2つの名前には過剰に気を尖らせていたが朝のうちに整理できていたのか感情が迫り上がることはなかった。 式が終わって親と合流し、写真を撮れば学校に用はなくなった。もう帰ろうと声をかけたところで、私の声には似ても似つかぬ別の女の声が私の耳に響いた。
「ちょっと、"青峰くん"!」
それは多分ふつうの女の子の声だ。いや、そう言うと語弊がある。彼女は決して普通ではない。可愛らしくて美人な女の子。 そんな女の子の声が耳につくのは完全に私の"ヒイキ"だ。 だからこそ、その呼び名にも直ぐに気が付いた。
__何を言っているのだろう、あの女は。そう思った自分に腹が立った。今更何も変わらない。何も変えられないのに。怒りを通り越して呆れ果てて、私は親と帰路についた。 空が晴れる予兆はない。相変わらず分厚い雲が空を覆っていた。
 式の翌日からすぐに授業が始まるというのだから高校は残酷だ。1週間も経てば高校のことをだんだん把握してきた。春休みの課題の提出を求められ、授業の予習も求められ、求められるスキルが増えた。今日から部活見学が始まるがこれは部活に入る余裕はないかな、と思った。
「部活、何に入る?」
「んー、入らないのもアリかな、って」
昼休み、ぼんやりとできたグループの子と話題になったのは奇しくも先程考えていた部活のことだ。このクラスは入らない子も半分くらいいるらしいから、私も入らない旨を伝えた。周りも中学の頃頑張っていた子がやるかやらないか、という様子だった。 だがどうせ放課後が空いてしまうのなら何かしたかった。
「バイトしよっかな」
あー、確かにね、と頷かれる。 私は思い付きで言ったものの、親に話してみようと思った。高校生なんだからそのくらいは許してほしいというのが本音だ。放課後が少し待ち遠しい。


(どうして私がここに…。)

 その会話から1週間経った放課後、私は体育館にいた。中学の時は外の部活だったし、高校に入ってから体育は外でしかまだやっていなかったから、来るのは初めてだ。そしてできれば近づきたくない場所でもある。
 __話は今日のHR後に遡る。 友人の1人で部活に入るかどうか迷っていた子が見学に行きたい、と言ったのだ。 一度は用事があるから、とやんわり断ろうとしたのだが他の人たちはそれぞれ私用があるらしかったので承諾した。親に話すのが少し遅れるだけだ。 その子は陸上部に入ろうとしていて、先輩の練習風景を見て考えているようだった。そしてこう言ったのである。
「もう一ヶ所、見てもいい?」
それがたまたまバスケ部だった。彼女は中学の頃女子バスケ部に所属していて陸上に転向しようとしているものの1回バスケ部も見ておきたかったらしい。 コートの半分を女バス、もう半分を男バスが使っていた。 どちらも強豪ではないと噂には聞いたはずだが素人目にはやはり上手く見える。 しかし、女バスはともかく男バスはこれから強くなるのだろう。アイツが入るのだから。 私がこの学校を選んだ理由の一つがバスケ部が強くないことであり、それを満たしたがために避けたかったことに直面しているのだからもう何も言えなかった。 それに、変えようと思えば変えられたのを、そうしなかったのはほんの少しの期待があったからかもしれない。
「うーん、やっぱり陸上にしようかな。ありがとね!付き合ってくれて」
「ううん、私も見てて楽しかったし」
これは事実だった。バスケのことなんて詳しくは分からないけど見ているのは楽しい。 ボールを追うので精一杯だがゴールに入った瞬間はすごく気分が良かった。 「スポーツって、楽しそうだよね」 バスケ、と言わなかったのは私のくだらない意地だった。

「昨日はありがとね〜」
「いーえ」
 見学の次の日、いつものように昼食をとる。今日から入部届を出して、仮入部が可能らしい。あの子は嬉しそうに陸上部、と記入していた。それを見て別な子が言った。
「やっぱり私も部活入ろうかな…」
そしてまた私は体育館(ここ)に来ていた。今日は男バレと男バスがコートをニ分している。 確かに、見ているのは楽しいから、それは良い。しかし昨日運良く回避できた出来事が起こってしまうリスクまでは考えていなかった。
「高校生ってレベル高いね」
「うん……」
桃色の、長く綺麗な髪が視界に入るだけで変に意識してしまう自分が嫌だった。彼女は私に気付いていないどころか、知らなくてもおかしくないのに。 ここにいるということはマネージャーをやるんだろう。ということは必然的に彼も__。
「あ、あの子1年生だ。マネージャーかな?」
「あー、多分そうだよ」
「ん?知り合い?」
「元、同中」
へぇ、と言うと彼女は驚くべき発言をする。
「ちょっと話聞いてみてもいい?」
え、と言った私の呆けた顔と言ったらなかったと思う。 これから部活なんじゃない?とか私が一方的に知ってるだけだよ、とか言うべきことはたくさんあったけれど何も言えなかった。 「とりあえず下ろ!」と軽い足取りで桃色の彼女に向かっていく。ずっと突っ立っていても仕方ないので後ろについていった。 桃色の彼女は入部届を出しただけらしく、帰ろうとしているところだった。
「ねね、バスケ部のマネさん?」
彼女のコミュ力は尊敬に値する。私はそれなりに彼女と仲良いつもりだったから、その桃色に興味を示したことに焦っているのかもしれなかった。
「え!?う、うん、そうだけど…」
少し驚いた様子で答えた彼女は私に気付くとますます目を大きくさせて言葉を切った。少なくとも私にはそう見えた。
「あ、いきなりごめんね。私女バレ入るかマネかで迷っててさ、きっかけって何だったのかなぁって」
えへへ、とちょっと照れ臭そうに笑った彼女に桃色の彼女は慣れない様子で応対していた。
「えっと、中学の時もやってて。それで、あとは、…幼馴染がバスケ部だから心配で」
「ふーん、そっかぁ。ありがとね!」
私と彼女が知り合いでない雰囲気を察したのだろう、あまり深くまでつっこんでいかないのがまた彼女の良いところだった。 そう思えるくらいには一周回って冷静だった。 桃色はそのまま去るかと思いきや私の方を向いて、……え?
「あの……良かったらバスケ部のマネージャー、やらない?」
「は?」
思ったより鋭い声が出てしまったのは不可抗力だ。彼女もその声色から途端に眉を下げて申し訳なさそうにするから、私が悪いように感じられてイラ、としたが努めて平静を心がけた。
「ごめんね、私、部活入る気ないの」
ちょっと困ったように言えば彼女は意外にも引き下がった。「こっちこそいきなりごめんね」というと桃色は今度こそ去っていった。
「不思議な子だね」
「うん。…何だったんだろ」
本当に桃色の彼女には振り回されている。その事実に忘れた筈の怒りが再び湧いてきて、やりきれなかった。


HOME