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 胸にしこりがある状態で、私は帰宅した。親にバイトしたいとの旨を伝えれば意外にあっさりOKが出た。どこで働くかはまだ決めていなかったので、母とバイト先を調べてみる。新しいことに挑戦するのはドキドキするが嫌いではなかった。 「好きなものをやってる店とかが良いんじゃない?」 と母は言った。私もやるからには続けたいし、その言葉に従うことにした。
「いらっしゃいませー」
面接もクリアした私はマジパで働いていた。マジパを選んだ理由は単純だ。ファストフードが好きだからだ。余って運が良ければ持ち帰れたし、独特の雰囲気や香りを感じられた。 ここのマジパは家からも学校からも近くない。なんとなく、知り合いにはあまり会いたくなかった。学校の定期で行くことのできる駅のすぐそば。つまり、私の家と桐皇からだいたい等距離にある。この駅を最寄とする学校は進学校ぐらいなもんだ。成績優秀な知り合いで会いたくない、と思う人は特にいなかったのでここに決めた。実際、今のところ誰か知人に会ったことはない。要するに、私はこの働き口を気に入っていた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
バイトの先輩に挨拶をしてシフトに入る。今日はキッチンではなくレジだった。前にいた先輩と入れ替わる形で入った。その先輩が私につく。まだ新人なので一応先輩が見れるようにしているのだ。これから夕飯時だからたくさんの学生がここを利用する。混雑時は本当にてんやわんやだ。ピーク時を過ぎると、本当に遅くまで部活をやっている人や仕事に疲れたサラリーマンがぽつぽつやってくるくらいで、いくらか気分は楽になる。今日も無事にピークを乗り越え一息つく頃合いだ。
「いらっしゃいませー」
そのとき、見覚えのある人が入って来た。直接話したことは、多分そんなに多くない。
「あれ、名字さん」
「黒子…だよね、久しぶり」
まさか声をかけられるとは思ってみなかったが、一応相手にも顔は覚えられていたらしい。
「ここでバイトしてるんですね」
「そう、最近はじめてね。黒子くんこの辺の学校なんだ」
「誠凛です」
「…あー!新しくできたっていう、?」
新設校があると知ったのはバイトを始めてからだ。あまり見慣れない制服があるなと思っていたら、最近できた高校だったらしい。先輩に教えてもらった。
「そうです。名字さんはどこに?」
「……桐皇」
少しだけ答えるのを躊躇った。彼は…青峰がそこに通っていることを知っているかもしれないと思ったから。そして、彼と同じ高校に通っているとは思われたくなかった。彼は私と青峰が付き合っていたことを知っていたはずだから。
「そうなんですね」
「うん。…ご注文は?」
「バニラシェイクひとつで」
内心、それだけ?と思ったが、見るからに食は細そうなので、そうなのだろう。注文を確認し、厨房に注文を通せばそれで私の仕事は終わりだ。彼もそれ以上話しかけてこようとはしなかったのでそのまま話は流れていった。彼は一人で来たようだったのだが、のちに彼と対照的に信じられないくらいの量のバーガーを頼んだ男と席を共にしていたから、友達と後から待ち合わせたのかもしれない。たまたまかもしれないが。その男も体格が良く、誠凛で黒子と親しいようだから、バスケ部なのかもしれない。このバイト先で知り合いに会うとは思わなかったが、こういうこともあるだろう。今日店にやって来たのがあまり親しすぎない黒子で良かったと思った。彼らが帰ってからしばらくして、シフトを上がり、家に帰った。何となく、中学時代を思い出す日だった。

 新しい環境に慣れるまで少し時間がかかったけれど、もう随分慣れてきたように思う。いつの間にかクラスも違ければ体育館にも近寄らなくなった私はあの忌々しい桃色の髪を見かけることも無くなった。ふと視界に入ったとて、気にならなくなった。それと同時に、桃色とは別に、とても目立つ青髪のことも、記憶から薄れつつあった。何か話さなくてはと思う反面、話せないとも思った。今更何を話すというのだろう。みんながクラスに慣れてくると段々と恋バナをし始める時期であったが、私は話題の提供者にはなれなかった。何も言えることがなかったから。だが、そんな私でも早々に告白されることがあった。そういう「ブーム」が起きていたのだ。何となく良いと思った人にとりあえず告白してみるという、恋を望まぬ受け取り手からすれば傍迷惑な流行りだった。例に漏れず私は屋上に呼び出され告白を受けていた。この学校は屋上に入ることができた。もちろん、認められているわけではない。告白して来た人は恐らく先輩からか、屋上の鍵を借り受けて使えたらしい。屋上の手前あたりで落ち合って、屋上に入った。学校の屋上に行ってみたいと常日頃から思っていたので、それだけは収穫だったかもしれない。だが普段は本当にあまり使われないのだという。使用頻度が高いと先生にバレやすいからだ。「好きです」というありきたりな台詞を「ごめん。あんたのことよく知らないから」と、これまたありきたりな台詞で断った。彼は「よく知れば良いってこと?」と食い下がって来たので「友達としか思えない」とハッキリ断った。彼もそこまで真剣ではなかったのだろう。
「…分かった。じゃあこれからは友達としてよろしくな」
「うん」
彼のことは本当にどうでも良かったので適当に流しておいた。私が去らないから、彼はちょっと戸惑ってから「、何か言いたいことある?」と聞いて来たので「ないよ。ただせっかく屋上来れたし、もうちょっと探索したくて」と好奇心丸出しの返事をした。彼もちょっと微妙な顔をしていた。彼が鍵を持っているから、最後に出る時に閉めなければならないのだろう。
「だから、鍵貸してくれたら最後に私が閉めてくけど」
「いや、これ先輩から借りてるから、返さないといけなくて…」
やっぱりそうか。少し残念だが仕方ない。そう思って彼に返事をしようとした。
「そっか、じゃあ…」
「最後は俺が閉めるから、別に良い」
ふと塔屋__今いる屋上の更に少し上、高くなったところがある。そこには梯子がかかっていた__の方から声が降って来た。聞き覚えのある、声だった。
他に人がいると思わなかったので二人で固まってしまったが、私はこれ幸いとその声に向かって言った。「、ありがとう」
「じゃあ、大丈夫。先に出てて」
「ああ…うん、それじゃあ」
彼は戸惑っていた。自分が告白して振られたことを目撃されたのが嫌だったのかもしれない。もし言いふらされたら、と考えたのかも知れなかったが、彼はわざわざそんなことに関心があるとは思わなかったので、心の中で彼に「多分大丈夫だから安心してさっさと行ってくれ」と言った。心の中でだ。彼は少しだけ躊躇ってから屋上を後にした。私はそれを見届けてから、屋上を歩き始めた。意外と広いな、と一周見てみたが、大したものはなかった。ただ、見下ろす景色は良かった。残すは、声が降って来た、塔屋だけだった。声をかけてから登るか、かけずに登るか迷って、無言で登ることにした。登る時の音でどうせ気付くだろうから。屋上に来れることなど滅多にないのだから、どうせだから全部見てから帰ろうと思ったのだ。本当は、ここで逃げて仕舞えば二度と彼と話さないだろうという考えがあった。前者の理由を盾にして、私はハシゴに手をかけた。昔からあるだろうに、鉄錆などはなかった。普段からよくこれを使っている人が一定数いるからだろう。上の方まで登ると、図体のでかい人が寝そべっていた。思っていたより広くなく、そいつが寝転んでいるともうほとんどスペースはない。私はその様子を見て、やっぱり降るか迷い始めた。登りきったってもう全貌は見えているし、私の居場所はない。私が動かずに固まっていると、彼がふと声をかけて来た。
「来ねえのか」
「、良いの?」
「良いも悪いもねえだろ」
彼が少しだけずれてくれたので私は梯子を登りきった。そこから立って見る景色は今までで一番高い位置だから当然と言えば当然だが、見晴らしが最高だった。
「おー……最高じゃん」
そう呟いてから、せっかく空いたスペースなので、彼の隣に腰掛けた。彼は目を瞑っていた。寝そべって見る空は最高だろうなと思って、彼に倣うようにして寝っ転がった。今日は天気が良いから、最高だった。ただ日に焼けそうなのが欠点だったけれど。
「特等席じゃん」
今度は独り言ではなく、彼に声をかけたつもりだった。彼が返してくれるかは分からなかったけど。
「おう。…偶になら貸してやるよ」
それは、また来て良いということだろうか。私は驚いて、そしてなんだか気恥ずかしくて、上半身を起こした。
「マジ?それは嬉しいけど…アンタがいつ居るか分からないじゃん」
「放課後とダルい授業のときは大体いる」
「授業はダメだろ……」
本当に呆れた男だ。予想はしていたが、授業もぼちぼちサボっているらしい。確かにそもそも屋上に人がいなければ鍵は閉まっているのだから、開いていなければ諦めて帰れば良いだけだ。そう考えて、私はすぐにここに通おうと無意識に思っていたことに気付く。その事実にちょっと気まずくなった。結局、私はこの男を忘れられなかった。
「別にいいんだよ」
「…まァ、アンタが良いなら良いんじゃない」
想像よりも、普通に会話できていることに私自身が一番驚いていた。ここにいるということは部活にも出ていないのだろう。話題を振るべきか、振らないべきか、一瞬迷ってから、聞いて見ることにした。
「放課後に用事ないの?部活とか、バイトとか」
「ねえな。練習行ってねえし」
「ふーん…」
口ぶり的に、練習に参加していないだけでバスケ部自体には入っているのだろうか。
「お前は?」
「私?」
彼はこの時にはもう目を開けていた。それどころか横向きになって、私の方を見ていた。
「私は部活入ってないから。バイトは始めたけど」
「へえ、どこで?」
「マジバ。ここから近くはないけど」
マジバの最寄駅を伝えると彼は怪訝そうな顔をした。
「は?何でわざわざそんなとこに」
「知り合いに会うの、嫌でしょ」
「あー」
彼は納得したのかそれ以上は聞かなかった。
「サービスねえの」
「あるわけ。チェーンだし。私が買ったらちょっと安いくらい」
「お、マジか。じゃあ行こうぜ」
「はあ?奢らないけど」
「俺が出す。お前が居れば安くなんだろ?」
「普通に比べたら割り引かれるだけで、別にタダじゃないんだけど」
「『オトク』じゃねえか、十分だろ」
何だコイツ、と思うと同時に、何だかすごく急展開だと思った。確かに今日はバイトはない。だからこそ告白してきた彼の呼び出しに応じることができたのであって。かと言って自分のバイト先に顔は出したくない。そこで働いているのは顔見知りばかりだからだ。「店舗は変えようよ」と彼に訴えかけてみたが、彼は承諾しなかった。「良いじゃねえか、面白えし」それが本音だろ、と睨みつけたが、なんてことないように笑っていた。


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