Troublesome thing


「この新人のラギーくん、面倒みてあげて。よろしく頼むよ」

 はじめは面倒な事に巻き込まれたな、と思った。
 この塾の講師のほとんどが以前この塾に通っていた元生徒だ。例外があっても塾長の知り合いであったりとか、その生徒の伝手であったりだとか、とにかく外部の人が入ってくることはない。特に募集もかけていないからバイトがしたいという人がここを希望にすることはないし希望しても入れないというわけだ。閉鎖的ではあるが悪徳ということではない。田舎によくあるような身内意識というか、元生徒であるならば大丈夫という無条件の信頼を塾長が寄せているからだろう。彼はお人好しだった。その人柄から有名一流塾ではない小規模の塾であるものの、生徒が極端に少ないということはない。大々的に宣伝をしているわけではないが口コミからかこの地域では子供を持つ親ならほとんどの人が知っている程度の知名度がある。授業料は割安ということもないだろうが特段高くもない、中流階級の人が多く住むこの地域の人なら払える値段だ。小規模だからこそ生徒と講師の距離感も近く親身に見てもらえることを鑑みれば安いくらいだ。ここで働けば他の塾と遜色ない時給が発生する。人の好い塾長と、それから顔見知りで気心の知れている同僚。私がこの職場を選ばない理由がなかった。
 私がカレッジに通いながらここでバイトを始めたのは2年前のことで、バイトの中では新人を抜け出してベテラン一歩手前といったところだろうか。因みに長い人で7年ほど働いている先輩がいるがあの人は留年したことがある。普通なら平均して4.5年、カレッジを卒業して就職先を探すのだ。中にはそのままここに就職を決める人もいるがそもそもが小規模なのであまり正規雇用の枠はないし、皆がそれを重々承知しているからかこの先もここで働いていくと考える人は多くない。ただこのバイトは先も言ったように割りが良いから一度働き始めると基本的に直ぐに辞める人はいない。持っている生徒の成績が伸びなかったら減給、ということもないし同僚と競い合う必要もない。互いに助け合って厳しすぎずに学んでいく、という生徒に合わせて講師たちも穏やかな雰囲気だ。

 __だからこそ状況は未だかつてない、不穏な空気感だった。
「今日から働く事になったNRCのラギー・ブッチくん。みんなよろしく頼むね、ほらラギーくん」
「ラギー・ブッチです。宜しくお願いするっス」
そのラギー・ブッチと名乗る少年__正確にはここで働くということはカレッジには入っているから、少年という言葉はいささか誤りかもしれないが私の目には少年にしか見えなかった__はハイエナの獣人だった。
 この辺りは差別や偏見がだいぶ少ない生きやすい場所だと思う。かといって全く偏見がないかと言われればそうでもない。平和な国であったとしても人間誰しも生まれた時から刷り込まれた価値観は染み付いて抜けないものだ。ハイエナもその一種だと思う。この辺りはそもそも獣人が珍しいから、そういった意味でも彼は色眼鏡で見られるだろう。ハイエナは意地汚い、と誰がどうして言ったのか分からないような偏見がこの地にも少なからずあった。実際ハイエナの多く住む地域は治安が悪いし、スリの被害に遭う人も多い。一概に根拠がない、と切り捨てることができない分、より信憑性が湧いているのかもしれない。
 彼がどうして塾長と知り合ったのかは知らないが、他ではバイト先が見つからなかったのかもしれない、と思う。差別はありません、と表面上は謳っているものの店員がハイエナであれば客の中にはその店を忌避するような人もいるかもしれない。同じくバイトで働いている人でハイエナを良く思っていない人がいればいじめや喧嘩といったトラブルの元になりかねない。そういったことを考えると店側は余程のメリットがないと彼をわざわざ雇おうとは思わないだろう。要領が良くとも見た目からして力があるようには見えないし、そういった面からも採用しにくい。それを見かねてどこかで出会った塾長が引き抜いたのかな、と思う。
 まァ私としてはハイエナに対する偏見はない、と言いたいが関わり合いになったら面倒そうだと思っている時点で他の人と対等に思っているとは言い難い。彼を改めて見ると男子にしてはあまり上背はなく線が細いのでひょろっとした印象を受ける。猫背なのもそれに拍車をかけている。目がぱっちりしていてハイエナでなければ人好きのしそうな笑顔を浮かべている。NRCということは相当優秀な魔法士なのだろう。それが悪い方向に働かないといいが、と思う。
 簡潔な挨拶を終え、何事もなかったようにいつも通りのミーティングが始まった。バイト仲間たちはなんとなくそわそわして落ち着かない様子だった。それもそうだろうな。そもそも顔見知りでない人がここで働くこと自体が珍しいのに、「あの」名門校NRC在籍の、「あの」ハイエナの獣人だ。戸惑うのも無理はない。NRCに通うような生徒ならもっと上の、時給の良い塾でも雇ってもらえるだろうに。そこそこのカレッジに入る私たちからすれば夢のような話である。……いや、だからこそなのだろうか。名門塾には入れなかったのかもしれない。そうであるならば名門塾も全時代的な考えが残っているということか。落ちたもんだな、と思う。もちろん自分のことは棚に上げて。自分は何をやっても中途半端な、平凡な人間だとはっきり自覚していた。ここの連中は他所に比べて柄が悪いこともないし表立って差別発言をするような奴はいないことがせめてもの救いだろうか。とにかく私はこの件に関わりたくないと思っていたし、関係ないだろうと思っていた。
 そう、つい先程までは。

「この新人のラギーくん、面倒みてあげて。よろしく頼むよ」

「……えっ、私ですか?」

「この場には君しかいないだろう」
「いやそうなんですけど。まさか、私が、新人の教育をする事になるとは思わなかったので…」
 ミーティングが程なくして解散された後、私は何故か塾長に個別で声をかけられていた。「ちょっといいかい?」とまァ何とも軽い口調で。てっきりこの前の授業で生徒に対して「アンタね、」と言っていたのを聞かれたのでその軽いお咎めだと思っていたのに。今しがた告げられた内容は関わりたくない新人の教育だった。しかし不自然である。私が彼と関わることがないだろうと判断したのは経歴的に私が新人の教育を任されることはないと高を括っていたからだ。確かにもう3年目で仕事には慣れているけど、そもそも私は子供があまり好きではない。金が入りやすいから働いているだけだ。もちろん仕事仲間には恵まれているし不満もないが、かといってずっと続けていたいという気概もない。女の割に声も低く言葉遣いはお世辞にも綺麗とは言えない。誰かの面倒を見るのが向いていないのだ。塾長はそんな私にも改善するよう強要したことはない。私がこの塾に通っている頃から見られていたから私の怠惰な性格は把握されている。だから生徒にきちんと向かい合って仕事をしていれば叱られることも生徒の親からクレームが入ることもなかったのだ。塾長は私のことをよく理解している、と考えていたのは私の勘違いだったのだろうか。
「君にもそろそろ後輩の面倒を見て欲しくてね」
「はぁ、でも私まだ3年目ですけど」
「『もう』3年じゃないか」
そうだろうか。私は卒業までここを辞めるつもりはないので3年目というとまだあと2年はあるし、先は長いと思っていた。それにいつもは4年目の、今年で恐らく辞めていくであろう先輩が新人とペアを組んで教育にあたることが多いのだ。そのことから考慮しても3年目というのは私にとっては「まだ」な年数であった。
 塾長はニコニコと穏やかな笑みをこちらに向けている。穏やかではあるがこちらに拒否権を与えぬような強い意志を感じた。何故私に任せたいのかは一向に分からないが、あまりそのことをこの場で聞くのは良くないと思った。新人の、ラギー・ブッチの前だから。このままだと彼が拒否しない限り私が面倒を見ることは必至らしいし、彼もまさか「この人は嫌です」とは言わないだろう。そのまでのことをした心当たりはないし、初対面の印象もすこぶる悪いわけではないはずだ。逆に彼が拒否してきたらどれだけ図太いのだろうかと神経を疑ってしまう。NRCの優秀な学生で、差別されがちなハイエナの獣人であるということ以外の彼についての情報は知らないが人好きのする笑みを浮かべていることから世渡り下手でもないだろう。私が塾長に理由を問い詰めればこの先輩は自分と組むのが不服であると伝わってしまうことは火を見るよりも明らかだった。私は何度も言うように楽に生きたいと考える、ごくごく平凡な人間なので、彼から無意味に嫌われることは避けたかった。嫌われることは想像以上に自分に負担がかかるからだ。彼に嫌われて新たな火種を生むことは避けたい。どうしても気になるというほどでもないので、のちのち塾長にこっそり聞いてみるくらいの対応でいいだろう。
「……そうですね、長い部類には入ります。例年だと4年目の先輩が新人と組んでいたので私に任せられると思わずに、少し驚いたんです。私でよければ、受けます」
「ああ、頼むよ。君が適任だと思ったからね。ラギーくんも、問題ないかな」
「はい、よろしくお願いするっス」
塾長は私だけじゃなくて新人側にも確認をとる。こういう小さなことの積み重ねが、なんとなく彼の周りに人が絶えない要因だと思う。
「うん、よろしく。私はナマエ・ミョウジ。好きなように呼んでください」


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