着いて行くよ、大丈夫


「典明、何処に行くの?」

「友達の家に本を返して来るだけだよ、母さん」

わたしがお風呂から上がると、玄関から母さんと兄さんの話す声が聞こえた。

どうやら、兄さんが出かけようとしたことに母さんが気が付いて引き止めているらしい。

17歳の高校生男子が19時やそこらに外出することに対して口出しをしているなんて、傍から見たら随分過保護だと思われるだろう。
…兄さんが行方不明になり、そして帰って来たあの日から、母さんは心配性になった。

母さんがそうなった理由も想いも分かっているし、もとから家族に怒鳴ったりする性格ではない兄さんは、困ったように笑って母さんに「大丈夫、心配ないから」と繰り返している。

「母さん、わたしが兄さんに着いて行くよ。しっかり見張っとくからさ」

ね、と兄さんに視線を向ければ、一瞬だけ驚いた表情を浮かべて、それからすぐに頷いてくれた。

「…そう?でも、もしなにかあったらすぐに連絡するのよ」

「うん。テレホンカードもちゃんと持ってく。兄さん、行こ」

「ジャージのままでいいのかい?」

「んー…別にいいや。また着替えるの面倒だし」

「そう。…じゃあ、行ってきます」

「行ってきまーす」

母さんはまだ不安気な表情をしていたけれど、それでもきちんとわたしたちを送り出してくれた。

家を出て、わたしが玄関のドアを完全に閉めると、兄さんは自転車の鍵を外しながら口を開く。

「すまない、帰ったばかりで疲れているだろうに…」

「別にいいよ、明日休みだし。ジュース一本ってことで」

「ははっ、それは良心的だ」

別に見返りを求めて助け舟を出したわけではないけれど、せっかく外に出ることになったのだからと要求したわたしに、兄さんはくすくすと笑って快諾してくれた。

やった、ラッキー。ってなもんである。

「どうする?わたし、どっか公園とかで待ってようか」

道まで自転車を押す兄さんの背中に着いて歩き、わたしは少しだけ声を潜めて聞く。
母さんにああ言った手前、こんな会話が聞こえてしまったら大変だ。

「いくらこの辺が平和だからって、流石に夜なんだから。一人にさせるわけないだろ」

ジュースだけ買ってもらって、先にある小さな公園で時間を潰せばいいだろう。
そう考えていたわたしに、兄さんはサドルへ跨りながら至極当たり前のように言った。

「え、じゃあ本当に兄さんの友達んまで一緒に連れてくつもりなの?」

「当たり前じゃあないか。なまえは時々不思議なことを言うなぁ」

「えー…」

いや、本当に「えー…」だよ。
高校生男子が同じく高校生の妹を友達の家まで連れて行く?普通。

兄さんがあまりにも普通に言うものだから、一瞬わたしがおかしいのかと思ったけれど…少なくともわたしだったら嫌だ。保護者同伴みたいじゃん。

まぁ、兄さんが気にしないのなら別にいいんだけれども…。

まったく、兄さんは時々ズレたことを言うから怖い。しかもそれが当たり前みたいに言うからこちらが錯覚してしまう。

天然、ってやつなのかなぁ…。

そんなことを考えながら、兄さんに促されるままに荷台へ座る。

自転車は軽やかに夜の住宅街を進み始めた。

「大丈夫、行くのは承太郎の家だから。そんなにはかからないよ」

ぽつり、自転車をこぎ始めて30秒くらいが経った時、兄さんが言った。

そうか、友達って承太郎さんのことか。

ふーん。
…ん?
……え。

「承太郎さん…!?」

え、承太郎さんの家に行くの?今から!?

兄さんの言葉を本当に理解した瞬間、わたしの位置からでは兄さんの顔を見る事はできないのは分かりきっているのに、それでも軽く凭れかかっていたその背中から勢いよく身体を離して顔を上げた。

ちょっと、それは全然大丈夫じゃあないよ兄さん!

承太郎さんとは二回ほど会っているけれど、そのどちらもがわたし…まともな挨拶もしていない。
それどころか失礼なことしかしていない気さえする。

しかも今回は、友達にくっついて来た空気読めない妹…なんて思われるような状況だ。

出逢いからしてマイナス地点からの出発だというのに、これじゃあ鬱陶しがられる要素しかないじゃあないか。

一人だらだらと冷や汗を浮かべていると、自分の後ろでそんな葛藤をしていることなんて露とも知らないだろう兄さんが言葉を紡いだ。

「そういえばなまえ、少し前に承太郎を誘拐したらしいじゃないか」

「…誘拐?…あ、あー…承太郎さんから聞いたの…」

やめて。今その話は傷口に塩、ってやつなんだから。
一体承太郎さんからどんな報告を受けているのか、正直あまり聞きたくない。

けれど、兄さんは意外にもとても…とても楽しそうに言葉を続けていく。

「凄く楽しそうに話してくれたよ。…ふふっ、承太郎が思い出し笑いしてるとこなんか、僕は初めて見た。多分相当レアだな、あれは」

掴まっている兄さんの身体が僅かに揺れる。

恥ずかしいとか、馬鹿な真似はやめろとか。
そんなニュアンスの話になるのかと思っていた。

でも今、兄さんは…笑っている。楽しそうに。

わたしも、兄さんが思い出し笑いしているところなんて多分、初めて見た。と、思う。

「承太郎のやつ、随分なまえのことを気に入っているみたいだったぞ」

優しい兄さんの声に、ああ…やっぱり面倒臭がらずにジャージからきちんと着替えれば良かったなぁ…なんて。
今更ながらに、そう思った。



end




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