承太郎に髪を乾かしてもらう


◇4部といいつつ3部から数年後をイメージ。


パチンッ

キーボードのやや右下…文章を締めくくるコンマのキーを叩くと、思ったよりも大きな音がした。
それだけ指先に力が入っていたのだろう。

「はぁ…」

書き上げたレポートの冒頭までページを戻してみるも、この疲労した頭では簡単なミスも見逃してしまいそうだと思い、結局保存だけをしてワードの電源を落とした。

正常に機能を停止した黒い画面を見届け、おれは長く息を吐きながらゆっくりと背凭れへ上体を預ける。
ひとまずレポートを完成させることができたという安心と、何日かまともに眠っていないせいもあるだろう。
思考力だとか、集中力だとか。そんなもんがワードの電源と同じように、ぶっつりと切れた。
今にもこんな、座ったままの姿勢で眠っちまいそうだ。

文言や文章構成の見直しはとりあえず一度睡眠を摂ってから行うとして…。
横になる前に風呂へ入るか。面倒だが…。
ところで、今は何時だ?
なまえは…、ああ、そうだ。なまえとまともに会話してから、一体どれくらい経っている…?

重くて仕方がなかった瞼が嘘のように持ち上がり、落ちかけていた意識がふっと一気に浮上した。

その勢いのまま椅子から立ち上がり、部屋を出る。

時計は見なかった。
夜であることは確かだったし、例えなまえが既に眠ってしまっていたとしても、その姿を見ておきたかった。

実際、何日か部屋に閉じ籠ってはいたが、その間なまえと一度も顔を合わせなかったわけでも、言葉を交わしていなかったわけでもない。

彼女は定期的にコーヒーや軽食を持って部屋を訪れてくれていた。
その度、一言二言短い言葉を交わした。

けれど、正直なまえがどんな顔をしていたのか。どんなことを言っていたのか。…思い出せない。

それだけなまえと向き合っていなかったのだ。おれは。

部屋を出て、まず一番近い寝室へ足を向けた。
静かにドアを開くと部屋は暗く、慣れない目を凝らしてもそこになまえの姿は確認できない。

「承太郎?」

まだリビングにでもいるのだろうか。そう考えた時、石鹸の匂いが漂ってきた。
それと同時に、耳慣れた…しかしほんの少しばかり懐かしいとさえ感じる声が、耳に届く。

声の方を振り向けば、脱衣所からひょっこりと顔を出しているなまえ。

恐らく、風呂から上がって着替えていたところに物音がして、確認のため顔を覗かせたのだろう。

「お疲れ様。何か用だった?それとも、もう終わったのかな」

「…いや、用ってわけじゃねぇ。レポートはようやっと終わったぜ。一応、後で確認は必要だが」

「本当!?わぁ、じゃあお疲れ様でした、だね!」

「ああ。色々と悪かったな。助かった」

「へへ、どういたしまして」

パタパタとスリッパを鳴らしながらおれのもとへ歩いてきたなまえの頬は赤く、髪の先からは時折水滴が落ち、首にかけたタオルへと吸い込まれていく。
まだ本当に上がったばかりだったのだろう。

「あ、まだかかると思ってたから、お風呂先にもらっちゃった。ごめんね」

「構わねぇよ。…それより、」

「わっ!?」

自分の方へ両手を伸ばすおれを、何事かと小首を傾げて見上げていたなまえの首からタオルを取り上げ、それを眼下の小さな頭へと被せる。
そのまま間髪入れずに両手を前後上下へ適当に動かせば、なまえは驚きの声を上げた。

おれの手の動きに合わせ、微妙に揺れる頭は本当に小さい。
まぁ、おれの手が平均よりでけぇのもあるだろうが…。

わぁわぁと何か言っているなまえを無視し、何度かタオル越しに髪をかき混ぜていると、だいぶタオルが水を吸ったらしい。
手に触れる生地が少しひんやりとして感じられる。

「承太郎さん、頭かくかくしますんでもう少しソフトにー…って、あら、終わり?あ、ありがと…?」

「まだだ。待ってろ」

「う、うん??」

おれはなまえの頭からタオルを外し、脱衣所の方へ足を向ける。
髪がぐちゃぐちゃになっているなまえの背を軽く押して寝室へ促せば、不思議そうにしながらも大人しく部屋へ入っていった。

湿気ったタオルを洗濯機に放り込み、自分はあまり利用しないドライヤーを手に踵を返す。

ほんの少し前までは、とにかく早く休みたかったはずだ。
風呂へ入るのも億劫だと思っていたほどに。

だというのに今は…彼女ともっと触れ合っていたいと、そう思っている。

疲れが吹き飛んだ、とまでは言えない。
確かに疲れている。
が、しかし。
疲れが気にならないのだ。

癒される、とでも言えばいいのだろうか。

「…せっかく髪、整えたのにぃ。また承太郎の前でぐっしゃぐしゃ…」

「何か言ったか」

「なんでもなーい!」

案外とやかましい風と機械の音が寝室に響く。
ベッドに座り熱風でなまえの髪を再度かき混ぜながら乾かしているわけだが…失敗したな。

なまえの正面に座っていればよかった。
真後ろでなく正面であれば、声は聞き取れずともその表情が見ていられただろうに。

「ねー、じょうたろー」

「…なんだ」

「どうして急に髪、乾かしてくれたの?すごく疲れてるはずなのにさ…」

「…疲れているから、だろうな」

パチンッ。

ドライヤーのスイッチを一気にOFFにしたせいか、思ったよりも大きな音がした。

「えっ?聞こえなかった、もっかい!」

「二度は言わねぇ」

「えぇ、気になるよ…!」

風が止んだことでふわりと重力に従い元の方向へと戻っていく髪から、シャンプーと、なまえの持つ匂いが柔らかく漂う。

おれも、さっさと風呂へ入って此処へ戻るとしよう。

この匂いと体温に包まれて眠れるのなら、それこそ疲れも何処かへ吹っ飛んでいくことだろう。


end

『平和な日常で承太郎に髪を乾かしてもらう』とのリクエスト。

ひとつどうでもいいことを!しかしどうしても言いたいことを!言わせてください!
今回、年代的にはパソコンよりワードの方がご家庭にありそうだったのでワードにしましたが…パソコン(特にノートパソコン)とかワードのキーボードを打つ承太郎さん。…かわいいと思うのですよ…!
だってあんなに手が大きいんですもの!
絶対手を丸めて指先で押す感じになると妄想しているゆうやです。
す、少しでも共感して頂けたら嬉しいです。へへ…。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございました!




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