12 ※微グロ注意
「私、自分でも結構都合のいい存在だと思うんです」
ナマエはにっこり笑ってそう言った。
「怪我や病気はそこそこ治せるし、鱗は綺麗で希少性が高いし。それに人魚っていうこと自体、鑑賞用として欲しがる人も多いと思いません?」
何が言いたい、と降谷は問う。
「何度か捕まったこともあるのでわかるんですけど、単純に研究対象として魅力的だと思うんです。そもそも長命だし、血肉を採取しても比較的すぐ元通りですから」
だから、何を。
「医療にも軍事にも応用が利くので、手土産にしたら喜ばれるんじゃないかな」
何を―――
「ねえ、零。あなたの組織は私を欲しがってくれそうですか?」
***
黄金色の尾びれが海水を掻き、美しい肢体をくるんと反転させる。
水面に出た尾びれの先がちゃぷんと音を立て、凪いだそこに小さな波紋を作り出した。
底を見れば砂利や水草がある。明かりも調整されたそこは確かに海の中に似ていると言えなくもない。ただし、ここにいる生き物はナマエただ一人だが。
『どうぞ。今は起きていますよ』
壁一面を覆う巨大水槽の上部から、スピーカー越しの音声が聞こえる。
瞬時に体を翻したナマエは一気に降下し、透明なガラスにぺたりと両手をつけてそれを待ち構えた。しかし奥の通路から姿を現したのは、待ち人とは似ても似つかない鋭い眼光の持ち主だった。
ナマエがあからさまに落胆した表情を浮かべていると、チッと遠慮のない舌打ちがスピーカーから聞こえてくる。
『相変わらずシケたツラしてやがる』
『暇を持て余しているようで』
『さっさと次の段階に進めろ。検査はとっくに終わってんだろうが』
苛立たしげに吐き捨てたのは、全身を黒で統一した長い銀髪の男だ。確か名前はジン。
『あ、いえ、しかし……水を操る能力が未知数でして、それを抑えるすべも今のところないので……。彼女の機嫌を損ねないようにと、バーボンからも再三忠告されていまして』
『ハッ、随分と悠長なことを言いやがる。いっそ殺して培養した方が楽なんじゃねぇか』
『そ、そんな』
あんまりな言いように、ナマエはコンコンと水槽を小突いた。
そしてこちらを向いたジンにイーッと歯を見せてやれば、その額にわかりやすく青筋が走る。
『人魚サンよぉ……相変わらず自分の立場を分かってねぇようだな。お前をここで殺したところで、こっちにはなんの痛手もねぇんだぜ?』
そう言ってジンが取り出したのは拳銃だ。傍らの研究員が慌てて制止しようとするが、ジンの鋭い視線に黙殺された。
『死にたくなかったら、まずはバーボンとしか話さないっていうそのナメた姿勢から正してもらわねぇとな』
分厚いガラス越しにぴたりと銃口を突き付けられながらも、ナマエは目を逸らさない。
ここでナマエが死んでも彼らに痛手はないと言うが、こうも大仰な水槽を用意して新たに研究チームまで組織した辺り、彼らがナマエという存在に期待を寄せていることは明白だ。
よほど上からせっつかれない限り、研究員たちが慎重な姿勢を崩すことはないだろう。
それを本当に撃てるのかという思いを込めて、ナマエは銃身越しのジンをじっと見つめた。
『………チッ』
少しして、忌々しそうに舌を打ったジンが銃を下ろす。
それから彼は研究員と一言二言交わした後、去り際に再びナマエを見た。
『次に来る頃にはその余裕もなくなってるだろうよ……せいぜい役に立ってみせろ』
なんとも嫌な捨て台詞である。
もう一度イーッと歯を見せてやると、彼は小馬鹿にしたように薄く笑って研究所を出て行った。
(次来るまでに、何があるって?)
嫌な予感を覚えながらも、それを振り切るようにナマエは巨大水槽をゆらりゆらりと泳ぎ回った。
研究員が気遣うような声を掛けてくるが、それには返さない。彼女が言葉を交わすのはバーボン―――降谷だけだ。
組織に自分を差し出すよう降谷に提案した日、もちろん彼は反対した。そこを「目的を見誤るな」と焚きつけたのはナマエ自身だ。
自身の有用性を説き、使えるものは使うべきだと言ったナマエに「そんなことは重々承知している」と苦々しく吐き捨てた彼の姿は今も鮮明に思い出せる。
結局、降谷はナマエにいくつかの指示を与えた上で組織にその存在を報告した。
人魚なんて存在を組織がすぐに信じたとは思えないが、ナマエという存在があれば言葉の説得力なんて必要ないだろう。
ナマエは早々に研究所送りとなり、検査漬けの日々を送っていた。
ちなみに降谷が与えた指示というのは、降谷以外と言葉を交わさないこと、それから人間の足になれると知られないようにすることだ。
前者にはナマエが扱いにくい存在で、バーボンにしか扱えないと印象付ける狙いがある。
(これで零が少しでもやりやすくなるなら、それでいい)
ナマエだって、何も自暴自棄になったわけじゃない。
こちらの世界に来て逃げる必要がなくなったのは素直に嬉しいし、たった一つの居場所があればそれで充分だった。
そしてその居場所を作ってくれた降谷に対して恩返しがしたいと思うのも、至って自然な感情だろう。
やるべきことが終われば、彼はきっと迎えに来てくれる。有限の苦しみと思えばいくらでも耐えようがある。
そもそも人間より長命なナマエにとって、こんなのはほんの瞬き程度の時間だ。
それを降谷のために使うことに、なんの躊躇いもありはしなかった。
***
ある日唐突に、ナマエは嫌な予感が当たったことを知った。
キャリー付きのベッドに両手と尾びれを固定され、いつもの部屋から連れ出される。そして到着したのは調度品すらないがらんどうの部屋だった。
そこにナマエの横たわるベッドが設置され、それに遅れて様々な器具を載せたカートが運び込まれてくる。
胸騒ぎなんて、この日水槽を出された時からずっと感じていた。
「おい、消毒液もダメだ。液状のものは持ち込むな」
「わかった」
研究員たちの会話でわかったことがある。
ここは万一ナマエが暴れても大丈夫なように新設された部屋で、壁は分厚く窓はない。水道などの水場からは一番離れた場所を選んだらしく、確かに水の気配は遠かった。
(でも壁の中に給水管か排水管が通ってる)
そこを流れる水を操作することは充分可能だ。しかしバーボンの立場を思えば、ここで暴れるのは得策ではないだろう。
カチャカチャと音を立てる器具を観察して、ナマエは察した。これまで検査ばかりだった研究が、今まさに先へ進もうとしている。
「麻酔を打っても中和してしまうからな」
「ああ、仕方ないだろう」
どこか言い聞かせるような声が聞こえた後、ナマエの口元にタオルが突っ込まれる。
そして視線の先にきらりと輝いたのは銀色のメスだった。
「………!」
「これから尾びれの肉を少し切除する」
「体液と血液の作用についてもまだ観察中だが、それと並行して調べるようにとの指示なんだ。……悪いが、耐えてくれ」
最後に放たれた言葉には、祈るような響きがあった。
ゆっくりと近付けられたメスが尾びれに触れ、ひやりと冷たい金属が表皮を噛む。スッとそれを引かれれば、冷たさが鋭い痛みへ、そして燃えるような熱さへと変わってナマエに襲い掛かった。
「―――ッ」
容赦ない痛みに蜂蜜色の瞳が見開かれる。
尾びれにグッと力が入るが、固定されているために跳ね上げさせることも叶わない。
同じく固定された両手がガチャッと金属音を立て、温度のない拘束具が皮膚に強く食い込んだ。
切り込まれた部分からはドクドクと血が流れ出ているのがわかる。まるでそこに心臓があるかのようにうるさく脈打ち、ぎゅっと絞まった喉からは情けなく上擦った声が出た。
口に突っ込まれたタオルを思わずギリギリと噛み締めるが、じっとりと溢れ出た唾液がそれを見る見るうちに重く湿らせていく。
「……よし」
「すぐに止血を」
切除が終わり、患部にガーゼを当てて包帯が巻かれる。簡易的な止血なのはどうせすぐに血が止まり、切られた部分も徐々に肉が盛り上がってくるからだ。
処置が終わって口内のタオルをずるりと引き抜かれれば、細く引いた糸が頬を汚した。
「傷が回復したら拘束を解こう。これからはここが君の部屋だ」
大丈夫。今頃、彼もきっと頑張ってる。
生理的な涙で滲んだ視界に、柔らかな金色が浮かんだような気がした。
***
翌日、ベッドだけが置かれた部屋で、ナマエはぼんやりと過ごしていた。
下半身が尾びれの状態で横たわる彼女に自由はない。足に変えてベッドを下りることも、水中を自在に泳ぎ回ることもできないのだから当然だ。
言葉も発せない以上、お腹が空いた、喉が渇いたとアピールすることも叶わない。
監視カメラをじっと見つめていればそのうち研究員があれやこれやと持って来るので、ただそれを享受するのみだった。
ガチャリ、とその日何回目かのドアの開く音がして、ナマエはちらりとそちらに視線を向けた。
「!」
バッと体を起こしたナマエが見つめるのは、研究員とともに入室したバーボンだ。
「バーボン!」
「すみません、ナマエ。こんな部屋に移されていたなんて」
彼は形のいい眉を申し訳なさそうに下げ、ベッドのすぐそばまで歩み寄った。
「あなたに関することは全て僕を通すよう言ってあったのですが、他の幹部が無理を押し通したようですね」
「ふふっ、大丈夫です。ダラダラ寝てるだけだし、ご飯もいつも通り美味しいです」
にっこり笑ってそう言えば、バーボンはふっと息を吐くように小さく笑った。
「それは何よりです。……昨日は何を?」
「ああ、ええと……」
バーボンの問いかけに、一緒に入室した研究員がバインダーの書類を確認する。
そして昨日この部屋に移されてから行われたことを、主観を排した口調で端的に説明した。
(……あ)
ナマエの視線の先で、研究員の死角にあったバーボンの手がミシッと音を立てそうなほど強く握り込まれるのがわかった。
表情を窺うように見上げても、その顔には柔和な笑顔が張り付いたままだ。
「血液や唾液同様、肉片からも毒性のある物質は検出されませんでした。今は冷凍保存されていますが、来週にでもマウスに与えてみようかと」
「ご報告ありがとうございます。……一つ、お願いをしても?」
「はあ、なんでしょう」
「彼女を元の水槽に戻してください」
男が、は?と気の抜けた声を漏らした。
「いや、しかし」
「手酷い扱いをしたことで、水槽に戻した途端に攻撃されるとでも?」
「………」
「ナマエなら心配いりませんよ。おイタをしないよう、僕がちゃんと言い聞かせておきますから」
「はあ………」
戸惑いがちに頷いてから、移動の準備をするからと研究員が部屋を出ていく。
カメラもあるし迂闊なことは言えないが、ナマエは見かねて声をかけた。
「バーボン、私なら」
「ナマエ」
大丈夫だと伝えようとしたのに、それより早く彼に遮られてしまった。
「僕はあなたに無理をさせたいわけじゃないんです。せっかく協力してくれているのに、泳げもしないんじゃ退屈でしょう?」
そう言ってバーボンは灰青色の瞳を優しく細め、ナマエの髪をそっと撫でた。
甘やかな声色はわがままな女に言い聞かせるようでもあり、ナマエもまたその設定に乗るべく「はい」と頷く。
「あの、バーボン……少し疲れてますか?」
「……あなたにはいつもお見通しですね」
きっと早くけりをつけようと彼も必死なのだ。
目元には隠しようのない疲れが滲んでいて、これまでの比ではない多忙ぶりを窺わせる。
ナマエは自分がその身を差し出すことで、もしかしたら彼をさらに追い込んでしまったのではと不安になった。
せめてその疲れくらいは軽くしてあげたい。
そう思ったナマエがバーボンの上着をツンツンと引くと、彼はきょとんと目を瞬かせてから抵抗なく上体を屈める。
その両頬を包んで引き寄せたところで、褐色の指がナマエの唇にそっと触れた。
「必要ありません」
「え、でも」
「今は自分のことだけ考えていてください」
それは小さく囁くような声だった。おそらくカメラにも届いてはいないだろう。
屈んだままの大きな体にぎゅっと抱き締められる。耳元をくすぐるのは相変わらずナマエにしか届かないほどに小さな声だ。
「もう少しですから」
それはまるで懇願するような、許しを請うような悲痛な声色だった。
「バーボン……」
(私なら大丈夫。だから悲しまないで)
そう伝えたいのに、伝えたらまた悲しませてしまいそうで言えなかった。
彼がもう少しというならもう少しなのだ。そうすれば自分はもとより、彼も苦しい任務から解放される。
組織にとって、自分はバーボンという男に惑わされ、彼のためにその身を捧げた哀れな生き物だ。
その設定を忠実に貫き通すべく、ナマエは甘えるように彼の体にすり寄った。
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