01. 牛脊雨が知らせる



「“闇より出でて闇より黒く、その汚れを禊ぎ祓え”」

 詠唱終了とともに、その場が夜になっていく。帳が下りたのは工場跡地だ。業務中の事故が原因で多数の死傷者が出たそこは、廃業となった今も人々の負の感情の受け皿となっている。施設の解体が中断されたのも、解体中に原因不明の事故が多発したためだという。
 昼なのに暗くなった空を見上げて、名前は「できた」とホッとしたように息を吐いた。帳の習得自体は誰でもできるが、向き不向きがある。名前の場合は時間をかけて集中してようやく成功率八割といったところだ。

「あー、寒い」

 マフラーを巻き直して歩を進めれば、帳によって炙り出された呪霊たちが名前を見つけて駆け出してきた。ロングコートを翻し、ベルトに挟んだ呪具を手に取る。小ぶりなおもちゃの銃がチープな銃声を響かせ、呪霊の体に咲いた蓮の花がその呪力を吸っては霧散していく。

「……私の生得術式は“木花操術”。植物に呪力を与えることで、原理や法則を超えて急速な生育を促すことができる」

 空になったマガジンを取り外し、コートのポケットから取り出したそれと交換する。

「呪力を籠めた植物を媒介にすれば、撃ち込んだ相手の呪力をそれの生育に使うこともできる。こんな風にね」

 引き金を引いた先で、また蓮の花が咲く。

「ただしこれは下級呪霊限定のチート技。強制的に呪力を枯渇させて祓う技だけど、そもそも呪霊に呪力切れの概念はない。だから回復より早く祓えるような雑魚にしか使えない」

 吸い取った呪力を自分に還元することもできないので、呪力の回復手段にもなり得ない。呪力に限りのある術師相手には有効だが、呪霊相手では使うシーンが限定される技だ。

「ギリギリ三級くらいまでは使えるけど、それ以上は……」

 足元がボコボコと隆起し、急成長した根が鞭のようにしなりながら飛び出した。

「こんな感じで、ゴリ押しかな」

 それは中型の呪霊の群れに勢いよく突き刺さり、ドスドスと地面を抉りながら呪霊の体液を撒き散らす。並んで立つ個体は薙ぎ払うようにして同時に頭部を弾き飛ばした。

「これも伸ばした部分の総質量が私の体重の二倍を超えないっていう縛りはあるけどね。……はい、術式開示完了」

 途端、出力を格段に増した呪力が全身を包み込む。地表に植物が少ないこの季節は、どうしてもスロースターターになる。術式開示で底上げするほかないのだ。
 さて、と見上げた先にいるのは、解体途中の工場よりさらに上背のある巨大な呪霊だ。

「 ほ本日の 生サン計画 は ァ 」

 耳を塞ぎたくなるような不協和音が辺りにこだまする。サイズこそデカいが人並みの自我を備えているとは言えそうにない。術式の有無にもよるが二級から準一級といったところか。

「バイトに間に合うように終わらせないとね」

 長い髪を耳にかければ、一粒石のピアスが控えめに輝く。地中からせり出した幾本もの根の先端を向けて、名前はゆるりと口角を上げた。





 ピチャ、と歩くたびに水音がする。足元に撒き散らされているのは、常人には見えない不気味な色の体液だ。終わったと同時にすっかり忘れていた寒さを思い出して、名前はマフラーを巻き直した。
 そしてピクッと顔を上げて足を止める。帳に誰かが侵入したようだ。

(術師だな、これ)

 瓦礫を避けながら敷地外に向かえば、フォークリフトが並ぶ車庫の陰から何者かが姿を現した。

「この帳……貴様か」

 ゆらりと音もなく現れたのは、片手に抜き身の刀剣を携えた男だった。

「……ふん。その特徴、なるほどな」

 ずいぶんボソボソと喋る男だ。どうやらあちらは名前のことを知っているらしい。

「何が目的かは知らんが、手柄の横取りとはいいご身分だ……協会に売り込むつもりかな」

 そこでようやく、名前は小さく溜息を吐いた。

「……手柄って、あんなデカいだけの雑魚祓ったところでなんのステータスにもならないでしょ」
「は?」
「それから横取りって言われても、単にあなた方の行動が遅かっただけの話だし」
「貴様……」

 貴様て。名前は笑いそうになるのを堪えて続ける。

「とりあえず、私悪いことはなんにもしてないんで」

 ぷらぷらと手を振りながら男の横を通り過ぎるが、追ってくるつもりはないようだ。盛大な舌打ちは聞こえたが。ついでに「協会にも興味ないでーす」と付け加えてやれば殺気まで追いかけてきた。危な。

「……この、野良術師・・・・が…!」

 忌々しげに吐き捨てる声が背中に届く。帳を破って外に出れば、打って変わって晴れやかな空模様に目が眩んだ。




***




 ふぁ、とあくびが出ると同時に、生理的な涙が目尻に滲む。

「眠そうですねぇ、名前さん」
「んー、ちょっと早起きしたんで」

 名前はそう言いながらグラスを拭く手を再び動かした。隣で微笑みながらこちらを見ているのは白髪に口髭をたくわえた男性だ。白シャツに黒のジレ、セミバラフライの蝶ネクタイがオーソドックスなバーテンダースタイルを形作っている。

「今日、お休みにした方がよかったですか?」
「いやいや、眠いくらいでオーナーの老いらくの趣味を奪うわけにはいかないでしょ」

 拭き上げたグラスを片付ける。オーナーと呼ばれた男は「はっはっはっ」と朗らかに笑っていた。
 手が空いた名前は後頭部で結んだ髪を一度ほどき、少し高い位置に結び直した。名前の服装もオーナーとほぼ同じだが、ベストはノーカラーのカマーベストだ。ヒールの高いパンプスにもさすがに慣れた。
 カラン、とドアベルが来客を知らせる。

「いらっしゃいま、」

 せ、と名前が言い切るより早く、ガンッと乱暴にカウンターを殴られる。

「てめぇこのジジイ……いい加減な情報寄越しやがって!」

 目を血走らせて怒鳴るのは恰幅のいい男だ。ファー付きのコートに喜平のネックレスとは趣味が悪い。

「えっ?あのぉ……お渡しした情報に不備はなかったはずですが」
「適当なことほざくんじゃねぇ!すでにブツはあの場所になかった!」
「ええ……」

 オタオタと狼狽えるオーナー。男は「金を返せ」と吠えている。

「その“ブツ”、確認しに行かれたのはいつなんでしょう…?」
「ついさっきだよ!」
「あの、情報というのはナマモノなので、使うならすぐにとお伝えしたはずですが……」
「うるせぇ!!ナメた真似しやがって、殺してや―――」

 パキャッと間の抜けた音が鳴り、男が取り出したナイフがカランと床に転がった。顎を横から突かれた男は不自然に首を傾げた体勢のまま、その場に力なく崩れ落ちる。名前は振り抜いた掌底を下ろし、行儀悪く片膝を乗せていたカウンターをそのまま乗り越えた。

「その辺に捨ててきまーす」
「え、ええ……ありがとうございます、名前さん」
「この後の営業、どうします?」
「今日はもう終わりましょうか。爺の心臓がもちません」

 情けなく眉尻を垂れ下げさせて、オーナーはホッと胸を撫で下ろしている。名前は「了解」と返すと、男をひょいっと担いで店を出た。もちろん下半身を中心に呪力で全身を強化している。
 店から出れば、目の前にあるのは長い上り階段。上り切った後、近所のゴミ集積所に男を放り投げた。それから再び店に戻って後片付けをし、服を着替えてからオーナーを伴って店を出る。

「送っていかなくて大丈夫ですか?」
「あー、まだ終電あるんで。オーナーこそ気を付けて」

 そう言って名前はオーナーの乗る車を見送った。その車は光岡自動車の「ガリュークラシック」。車に興味のない名前にはわからないが、車好きの客が言うには趣味のいい車らしい。
 踵を返し、駅へと向かう。コンソールは人で溢れ、すれ違う人の多くが酒の匂いを漂わせている。外とは打って変わって暖かな構内に、名前はマフラーを外して肩掛けのトートバッグにしまった。
 すでに日付は変わっており、終電まであと少し。同じ目的の人々と同じ方向に流れながら、名前はふと頭上の案内看板に視線を走らせた。正面を差す矢印の隣にはシンプルな電車マーク。マークの隣にはその方向にある路線の名前が連記されている。そのうちの一つが問題だ。

(東都環状線……)

 思わず溜息をこぼしてから、名前は正面に視線を戻した。


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