1-1
「二人で寝るのは久しぶりだな」
零に優しく抱き込まれながら、「そうだね」とその背中に手を回す。
敬語の取れた彼の口調にも、ほぼ裸で寝る彼にもすっかり慣れてしまった。今では名前も下着とキャミソールだけで抵抗なくベッドに入れるようになっていた。
「名前さん、眠れそう?」
「どうだろ…まだ仕事モードが抜けない」
僕も、と零が笑う。つむじに息がかかってくすぐったい。
先程まで珍しく同じ現場にいた二人は、周囲も驚く早さで仕事を終えて帰宅した。寝られる時に寝ておこうと早めにベッドに入ったものの、瞼はまだ落ちてくれそうにない。
「何か話してよ」
言いながら胸元にすり寄ると、彼女の髪を撫でながら零が「うーん」と唸った。
「じゃあ、僕の昔の話とか」
「あっ聞きたい」
バッと顔を上げた名前に零が苦笑する。
「別に面白いものではないけど…」
「聞きたい、零くんの話」
「じゃあ……」
彼が話し始めたのは、彼の大切な友人達との物語だった。
いつも一緒にいた幼馴染。警察学校で出会った気の合う同期たち。彼らとやらかした無茶や、共に力を合わせて乗り越えた出来事。
「ふふ、分解癖ってやばい」
「だろ?まあ…腕は確かだったんだが」
彼らのことを話す零はとても穏やかだ。その頃のことを思い出すと少し幼くなるようで、表情もいつもより豊かな気がする。
やがて話が進むと、一人、また一人と別れがやってくる。
気になった名前がつい「それっていつ?」「あの事件?」と口を挟むが、彼は嫌がる様子もなく答えてくれる。
組織の件が片付いたこともあり、潜入捜査官だったという幼馴染のことも話してくれた。名前がマンションの下で弱った零を拾ったのは、どうやら彼の死から数か月後のことのようだ。赤井との確執もこの辺りに端を発するらしい。
今から一年程前に最後の一人の死を知ったと話し、彼はこれで終わりだと話を終えた。
「……ごめん、長くなった」
「ううん。ありがとう」
弱々しく笑う零の頭を抱き締め、柔らかい金髪を撫でる。
「今の零くんは、彼らでできてるんだね」
「…え?」
名前は、姿も知らない彼らを脳裏に思い浮かべていた。
「料理上手なところも、車好きなところも。いつも冷静で正義感が強くて、面倒見がいいところも。時々ビックリするような無茶をするところも。…それから、安室透の人当たりの良さも、全部。彼らがいたから今の零くんがいるんだなって」
そう言うと、零は息が詰まりそうなほどの力で彼女を抱き締める。縋りつくようなそれに、名前は彼の髪を優しく撫で続けた。
「……名前さん」
「ん?」
「…ありがとうございます」
無意識だろうか。久しぶりに敬語が戻った彼に、名前は気付かれないよう小さく笑った。
***
覚えのない香りに、覚えのない空気。
長年鍛え上げられた直感が異常事態を察知し、名前は跳ね起きた。
一瞬で視線を巡らせ、背後を取られないよう部屋の隅に飛び退いてぴたりと背をつける。
(知らない部屋だ。拉致でもされた?)
視線を落として自身の服装を確かめる。着た覚えがない、黒いスウェットの上下だ。足は裸足で、視界に入る黒髪と肌の質感から素顔であることがわかる。
(……違う。知ってる)
部屋を隅から隅まで注視したところで、名前は気付いた。自分はこの部屋を知っている。記憶を掘り起こせば掘り起こすほど、強烈な既視感に襲われた。
(でも、今この部屋に私がいるなんてあり得ない)
家具やカーテン、ベッドカバーやクッションの柄に至るまで、すべて「名前が昔一人暮らしをしていたアパート」そのものだ。しかも、警察官になって最初の二年間だけ住んでいた部屋だ。
(夢……?)
部屋に自分以外の気配がないのを確認してから、名前はバチンッと力いっぱい両頬を挟み込んだ。
「痛い」
こんなにもビリビリとリアルな痛みを伝えてくる夢があるのだろうか。
明晰夢なら今ここで空を飛んだりできるのかもしれないが、仕事柄自然とショートスリーパーになった名前が急に明晰夢の見方を身に着けたとは思えない。
壁から背中を離した彼女は、夢の可能性は捨て切れないまま、ひとまず情報を得ることを優先した。手に取ったのはベッド脇で充電されていたスマートフォンだ。
(スマホ…新しいけど機種古っ!あーそっか、この頃ガラケーからスマホに変えたんだった)
画面の日付とカレンダーアプリのメモによると、ちょうど外事課に配属された辺りらしい。今日は休日で、明日は出勤日のようだ。
(警察官一年目か。今年23歳で…今はまだ22歳)
普段から美容には気を遣っている名前だが、肌に触れると確かにいつもより弾力がある。よし。いやよくないけど。
部屋中をくまなく探索するが、やはり今使っているスマートフォンや変装道具など、自分の物は何一つ見つからない。
代わりに覚えのある服やスーツ、読んだ記憶のある懐かしい本や漫画を発見して、ここが昔の自分の部屋だということを確信していくばかりだった。
試しにカーテンをめくってみるが、窓の外の風景も違和感だらけだ。
「現実……?」
ぺたりと床にへたり込んで、おもむろに左手を持ち上げる。
「指輪もない」
寝る前は確実に薬指にしていたはずの結婚指輪がない。二人で選びに行って、内側に数字のゼロを刻印した指輪が―――彼と結婚したという証が、ない。
「今の私は……苗字名前?」
風見とキュラソーが証人欄に記入した婚姻届を提出して、名前は降谷名前になった。零と同じになったと喜んだその苗字も、きっと今の自分のものではない。
「なんなの、これ」
見つめていた左手を力なく下ろす。
タイムスリップ?ならこの部屋の持ち主がいないのも、部屋着を着た自分が我が物顔でベッドに寝ているのもおかしい。
入れ替わり?それなら今、警察官一年目の女がゼロ所属の公安捜査官として未来にいることになる。ゾッとした。考えたくない。
「……記憶を持ったまま、時間が巻き戻ったみたい」
口にして、全身を尋常じゃない寒気が襲うのを感じた。自分で自分を抱き締めるようにギュッと縮こまるが、ぞわぞわと這うような怖気が消えない。
だってそれなら、今の自分はまだ零と出会っていない。
彼と交わした言葉も、約束も、重ねた唇も。一緒に過ごした時間の全てが、ここには何一つ存在しない。名前を見るとふっと緩む彼の精悍な顔も、今の自分はまだ見たことすらない。
家族も友達もいない、公安捜査官になりたての22歳。それが今の名前だ。
「そんなの、ひどい……」
(零くんに会いたい)
名前は冷たい床に蹲って、夢なら醒めてほしいとただ願った。
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