ハンターの世界-01
その日、朝日が昇る頃に帰宅した結は、仮眠を取ろうと自室のベッドにもぐり込んだ。
零の部屋ではすでに零が寝ているようだったし、寝るタイミングが合わなければそれぞれの部屋で睡眠を取るのが二人のスタイルだ。
寝つきのいい結はすぐに微睡み始め、そしてその一時間後に零に起こされた。
「結さん、結さん」
「ん……」
なんだろう、珍しい。結は目を擦りながら体を起こす。
普段、相手が寝ている時は寝かせたまま、自分のタイミングで家を出るのに。
「……どうかした?」
「様子が変です」
珍しく動揺した様子の零に、結の意識はスイッチを入れたようにパッと切り替わった。
すぐに体を起こしてベッドから下りる。
「どうしたの?状況は?」
「まず、これを見てください」
リビングに出て、零が掃き出し窓のカーテンを開けた。結はそこから外を見て、「え?」と声を上げて目を丸くした。
「何これ?」
「僕が起きたらこの状況でした。特に不審な振動も物音も感じませんでしたが」
「私が帰宅したのが午前5時。その時はいつも通りだったけど」
「ではこの一時間で何かが起こったんですね」
「何かって……」
「さぁ…とりあえず夢ではなさそうですが」
二人の目線の先には、見たこともない街並みが広がっていた。
***
正午にまたここで。そう言って情報収集のために別行動を開始した二人が、約束通りの時間に自宅マンションへと戻ってくる。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
二人とも色々と荷物を持ってはいるが、とりあえずそれをダイニングテーブルの下に置いて椅子に腰掛けた。
ちなみに結はピンクブラウン頭の女子大生に変装したままだ。
「さて、状況を整理しよっか」
「ええ」
「まずこの街の名前はヨークシンシティ。言葉は通じるものの、使われている文字はハンター文字とかいう謎の言語」
「初めて見ましたが、法則性のわかりやすそうな文字ではありましたね」
「わかる限りまとめてきたよ。対応表も簡単に作れそう」
「さすがです」
結は普段カモフラージュにしか使わない手帳のメモページに、街で見かけた文字列をまとめていた。その下には聞き込みでわかった読み方が添えてあり、確かに単純な法則性が読み取れる。
「通貨も違うね」
「ええ、ジェニーとかいう」
「相場としては1ジェニーがおおよそ1円と見てよさそうだけど」
「そうですね。一通り調達してきました」
そう言って零がテーブルに並べたのは硬貨と紙幣だ。
「これはどこで?」
「財布を落とした哀れな男を装って、その辺の女性に」
しれっと答えた零を、結が半目で見る。
「……ああ、そう」
見知らぬ場所でも安室透の魅力は通用するらしい。
結は自身のスマートフォンを取り出し、テーブルに置いた。
「スマホはお互いの番号しか使えないね」
「そうですね、風見にも繋がりません」
手元のそれは完全に夫婦専用の連絡ツールとなってしまったようだ。しかしこんなことになってしまって、通話料金はどこに支払うんだろう?まさか二人の間にだけWi−Fiが通ってるとでも言うつもりか。
「まぁ、連絡手段があるのは助かるけど」
「ええ。電気は通っていますし、充電を切らさないよう気をつけましょう」
見知らぬ場所で連絡が途絶えるのは命取りだ。結は頷いた。
「それから、ハンターという職業が広く浸透しているようですね」
「そうそう。そのまま狩猟人という意味ではなかったね。ありとあらゆるものを追求する職業の総称というか」
「試験に合格するとプロのライセンスが得られて、それを売れば7代は遊んで暮らせるそうです」
「命がけの試験らしいけど」
「らしいですね」
それから、と零が一度言葉を切る。
それを見て結も続く言葉を察し、彼と言葉を合わせた。
「「念能力」」
重なった言葉に、二人は特に喜ぶこともなく小さくため息をついた。
「……ファンタジーだよねぇ」
「漫画みたいですね」
「漫画は人から勧められたものくらいしか読んだことないんだけど…零くんは詳しい?」
「僕はわりとなんでも読む方ですけど、この世界観は覚えがないです」
はぁ、と一つため息をついた結がげんなりとした表情で呟く。
「よくわからないけど、来ちゃったからには生活の基盤を作らないとね」
「ええ。幸い部屋ごと来てしまったようですし、備蓄はありますからしばらくはどうにかなるでしょう」
現状、見知らぬマンションの一室がそのまま彼らの部屋と入れ替わっているようだ。部屋を一歩出ると見たこともない廊下が広がっているが、出入口はオートロックだし、セキュリティ面はそこまで悪くなさそうだった。
駐車場に白いRX-7とワンガンブルーのGT-Rがちゃんと停まっていて泣きそうになったのは内緒だ。
「ちなみに念能力は、基本的にはプロハンターになってから習得する特殊能力のようですが…」
「らしいね。知っている人も全然いなかった」
「結さんはどうやって知ったんですか?」
問いかけられ、結は「ふふ、内緒」と笑う。
「零くんは?」
「じゃあ僕も内緒です」
自分の諜報能力には自信がある結だったが、探り屋バーボンの情報収集能力も目を見張るものがある。お互いの手の内を明かし切らないのもこの夫婦らしかった。
二人は顔を見合わせ、ようやく気が抜けたように笑う。
「…あ、ちなみに」
結がそこで、足元に置かれた荷物を広げる。
「食料も結構手に入れてきたから、文字の勉強がてら一緒に整理しよう」
大きな袋からは、次から次へと食料品が出てくる。そしてなぜか乙女チックなぬいぐるみまである。
「どうしたんですか?これ」
「下町っぽいところまで行って、往来でお腹鳴らして赤面してしゃがみ込んでみたの」
その言葉に零の動きが止まる。
「……色々ツッコんでいいですか?」
「あとでね」
***
「さて、今後の方針だけど」
荷物の整理を終え、メイクを落として素顔に戻った結が言う。
「ずいぶん治安の悪い街だし、身を守る方法は考えないとね」
「ええ。通りを一本入ればマフィアが堂々と闊歩していますし、銃弾を頭部に受けて生きている人間もいましたよ」
「それ、念能力ってやつかな」
「おそらく」
こんなことになった原因もわからず、元の生活に戻れる保証もない以上、生き抜くための力は必要だ。
「それでその念能力なんだけど…正しく習わないと危険な代物みたいなの」
「習い方にも王道と外道があり、習得にかかる期間も人によって幅があると聞きました」
うん、と結が一つ頷く。
「でもそれさえ習得できれば、比較的安心して生活できそうだと思わない?」
「まぁ、そうですけど」
「それでね」
そこで一度言葉を切った結が、いたずらっぽく笑いかけた。
「念能力が使える学者で、時空間転移とかいう眉唾物の研究をしているために学会から見向きもされない変わり者がいたんだけど…」
「それは……使えそうですね」
でしょう?と笑う結に零もまた小さく笑う。
「まったく…半日で見つけますか?それ」
「ふふ。念能力が使えるかどうかまではわからなかったけど、さっきの話で確信したの。その人、三階から落ちても血すら流さず「痛い」って泣いてた」
「なるほど、怪我の功名ですね」
「怪我したのは私じゃないけどね」
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