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「苗字ってずりーよなぁ」
「あ?何が?」

 その言葉に顔を上げると、仲間が煙草を吹かしながら不満げに続けた。

「イケメンで頭よくてモテるしよー、なおかつケンカも強いっていう」
「反則だよなー」

 僻むようなセリフに顔を歪めつつ、漂う煙を手で払うようにして「うるせーよ」と返す。辺りには遠慮なく吐き出された白い煙が充満していた。

「頭いいのは勉強してるからだし、ケンカ強いのも鍛えてるからだわ。天才みたいにゆーな」

 つーか煙草吸うな。と続けるが、奴らは聞く耳を持たなかった。正直この付き合いも三年目なので今更ではある。

「しかも東大行くんだろ?勉強しても行けねーわフツー」
「勉強してから言え」
「うわ、ヤンキーの言葉とは思えねーな」
「一緒にすんな」

 もーダメだ帰ろ、と腰を浮かして帰り支度を始める。せっかくの東大合格もこいつらとつるんでいたら取り消されかねない。仲間より内申が大事だというのが本音だった。

「苗字付き合いわりーなぁ最近」
「俺には夢のキャンパスライフが待ってんの」
「うわ、うぜー。東大とかガリ勉ばっかだろどーせ」
「可愛い子いないのを祈ってるわー」

 はいはい、と手を振りながらその場を後にする。

 正直、キャンパスライフなんてどうでもいい。いい大学に行っていい会社に入って、そこそこの給料をもらいながら余裕のある生活を送る。それが親の望みだ。

(俺も特に夢とかないし、それでいーわ、もう)

 人生にドラマなんて求めてない。その考えは今も昔も変わってない。そして未来永劫変わらないのだ。




***




 そして訪れた4月12日、東大の入学式当日。一人暮らしを始めたばかりのマンションで目を覚ますと、すぐに異変に気が付いた。

「……あ?」

 まず、声が高い。

「え?」

 それから手が小さい。髪が長い。バッと体を起こせば腕にも足にもムダ毛がない。

「む、胸っ」

 そして何より、胸がある。

「えっ、ちょ、」

 思わず胸元のそれをやわやわと触りながら(ちゃんと触られてる感触もあった)、慌てて洗面所へと飛び込んだ。
 そして鏡に映るものを見て、思わず目を丸くする。

「……はぁ…!?」

 鏡に映っているのは大人びた美少女だ。何一つ文句のつけようがない、まごうことなき美少女である。
 それだけならテンションが上がるだけだが、自分が浮かべたはずの表情をその美少女が浮かべているのに違和感しかない。そしてどこか自分と似ている気もするのがなんとも気味が悪い。

「えっ、なに?マジで…!?」

 確かめるようにペタペタと顔を触れば、鏡の中の美少女も自らの顔を触っている。
 夢か?と自分で自分の頬をはたこうとして、美少女に向かって手を振りかぶるのが申し訳なくなってやめた。結局ギュッと腕をつねるだけに留める。

「いてぇし……」

 なにこれ、こわい……。
 力なく呟きながら部屋に戻り、目についた女性モノのバッグを漁ってみた。出てきた財布に謝りながら中身を検めると、中にあったのは東大ではなく東都大とかいう聞いたことのない大学の学生証。
 どうやら届いたばかりのようで、汚れ一つなくピカピカと真新しい。

「苗字……名前?」

 写真こそ鏡で見た美少女だが、学部学科と生年月日、それから苗字は自分と同じだ。
 そしてベッドに置かれたスマートフォンは確実に自分の物なのに、登録されている連絡先が全く違う。

「……あいつらの連絡先が入ってない」

 あいつらとは、つい先日一緒に過ごしていた仲間たちだ。その連絡先が一つもない。
 というか、よく利用する店や母親くらいしか登録されていないのはどうしてだろう。

「なんなんだ?マジで」

 とりあえず母親にかけてみることにして、見慣れた番号をタップした。

『もしもし?』
「あ、もしもし、母さ……」
『名前ちゃん今日東都大の入学式じゃないの?時間大丈夫?』
「え?」

 ――実の母親に名前ちゃんと呼ばれた。

「あ、あのさ、俺って……」
『俺?ヤダ名前ちゃん、そんな変な喋り方大学でしないでよ』
「え……いや、だって」
『私ももう出勤しなきゃなのよ。それじゃ入学式頑張ってね、名前ちゃん!』
「あっ、母さん!?」

 ツーツーツーというビジートーンを聞きながら、思わず宙空を眺めて途方に暮れる。

(俺が……“名前ちゃん”?)

 いくら要領のいい自分でも、この状況はさすがに飲み込めそうになかった。
 しかし時計を見ると、母親の言う通りそろそろ時間がない。行く先がせっかく受かった東大ではないというのが意味不明だが、初日から遅刻とは笑えない。

 慌ててクローゼットを開け、この日のために買っておいたスーツを取り出した。

「……やっぱ女物になってるし」

 せっかく買ったスーツが似たデザインの女性物に変わっているのを見て、思わず長めのため息が零れる。

「仕方ないか……着替えよ」

 先にトイレに行ってから着替えよう。そう考えてトイレに入ったところで、体の変化を思い出して「ひぇっ」と悲鳴を上げた。

 自分はまだそこそこ経験もあるからいいが、これが童貞だったらこの時点で気が狂っていたに違いない。
 ―――と世の童貞に失礼なことを考えつつ、なんとか準備を済ませるのだった。




***




 東都大の入学式は、東大と同じく武道館で行われるらしい。

(つまり東大がないってことか?)

 まるで東大の代わりに東都大があるようだ。しかしそんな漫画や映画のような話があるのだろうか。

(漫画も映画も全然見ねーけど……って女になってる時点で十分ファンタジーだよな)

 もはや何度目かわからないため息をつきながら、マップアプリを頼りに武道館に向かう。アプリに表示される地名も知っている地名を少し変えたようなものばかりで、見るたびに諦めの籠ったため息が漏れた。

(俺……じゃない、私は名前、苗字名前)

 脳内で何度も繰り返しながら、学生証の名前を自分に刷り込む。母親まで自分を名前と呼ぶのだ。いくら混乱していても、今までの名前を名乗ったらマズいというのはなんとなくわかった。

(私は苗字名前、私は苗字名前)

 この美少女姿で「俺」だなんて言って悪目立ちするのもごめんだ。
 なんとか「苗字名前」になりきるべく、武道館への道中、ひたすら脳内で名前を唱え続けていた。




***




 朝から散々な目に遭ったせいか、名前は入学式中も何かトラブルが起きるのではと気が気ではなかった。
 しかし不安をよそに式次第はつつがなく進み、あとは入学生総代による宣誓と大学歌を残すのみ。

「―――総代、降谷零」

 モニターに映し出されているのは、金髪に青い目を持つ色黒の男前だった。

(うわ、すげーイケメン。背も高そう。天は一体何物を与えたのか?)

 名前は悔しげに顔を歪ませてそれを見るが、考えてみれば今の自分は不本意ながらも女の身。そもそも同じ土俵にすら立っていないんだった。

(俺も175はあったのにな。今は10cmくらい縮んでそう……つらい……。あー違う俺じゃない、私、私)

 そして総代による宣誓が終わり、一同で大学歌を歌って式次第は全て終了した。

 武道館を出てとぼとぼと歩いていた名前は、少し離れたところに入学生総代の男を発見した。
 隣には友人だろうか、黒髪の男もいる。少し吊り上がった目尻が涼しげな男前だ。

(やっぱ背高いし隣のヤツもイケメン……)

 くそ、羨ましい。
 自分が女になっていることをまたも忘れた名前が、じっとりと彼らを睨み付ける。そして呪われればいい…と念を送ったところで、総代の男とバチッと目が合った。

(やべ)

 そういえば目立たないつもりだった、と視線を素早く逸らす。とにかく今日は疲れた。早く家に帰ろう。

(そして願わくば明日になったら男に戻っていますように)

 東都大も東大に戻っていますように。

 わりと真剣にそう祈った名前だったが、もちろんそんな願いは叶わなかった。


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