00(おまけ)


 ふと目にした光景に、降谷は足を止めた。
校舎脇の生垣に隠れるようにして、彼女たちは座り込んでいる。

(ヒールが折れたのか)

 一人はパンプスの片方を脱いで座り込み、もう一人はヤンキー座りのような体勢で折れたヒールに接着剤を塗っているようだ。
 近くにビニール袋が転がっているので、構内のコンビニで急遽買ってきたのだろう。

(いや、ショートパンツだとしてもそのしゃがみ方はどうなんだ?)

 白い太ももが眩しくて目線のやり場に困る。

(……あ、あの時の)

 降谷はヤンキー座りの女性に見覚えがあることに気付いた。入学式の日、武道館の外で降谷を睨みつけてきた女性だ。
 彼はこれまで女性にそういった視線を向けられた経験がなく、一瞬だったが印象に残っていた。

「ごめんねー、苗字さん」
「いやいいんだけど、これ絶対危ないからね。絶対また折れるからね、マジで。帰るまで慎重にね」
「はあい」

 ヤンキー座りの彼女は苗字というらしい。10秒ほどヒールを押さえて圧着した後、念押しというように透明テープを巻いている。

 ちょっとガサツだが優しい子だな、というのがこの時の印象だった。




***




 その日の帰り、諸伏と駅に向かっていた降谷は突然響き渡った甲高いブレーキ音に車道を見た。
 急ブレーキをかけたトラックの向こう側、中央分離帯には一人の女性が仰向けに転がっている。そしてその腕の中には、幼稚園児くらいの女の子が抱えられていた。
 トラックの運転手と言葉を交わしながら歩道に戻ってきたのは昼間見た苗字だ。

「飛び出しかな。すごいなーあの子」
「苗字さんっていうらしい」
「あ、ゼロも知ってた?」

 どうやら諸伏も、この日他の学生に薬を分けてあげる姿や、つきまとわれている学生を助ける姿を目撃したらしい。
 へえ、と相槌を打って話を聞いていると、近くの交番から駆け付けた警察官が現場の処理に当たる。彼女は早口で事情を話してその場を離れたが、足を痛めたのかヒョコヒョコと歩きづらそうだ。

「ヒロ」
「オッケー」

 彼も考えていることは同じだったらしい。二人は彼女に声をかけようと、その後ろ姿を追った。

 ガサツだが優しく勇敢な子。降谷の中で、彼女に対する印象が早々に上方修正された。




***




 結論、苗字名前はさっぱりしていて話しやすい女性だった。
 気取らず媚びず、まるで同性と接しているような気楽さがある。笑顔にも裏がなく、他の女性に感じるような面倒臭さがないのが貴重だった。

 彼女とは会えば話したり、タイミングが合えば同じ席で食事を取ったりと、いい友人関係を築いていた。
 さすがにフリフリエプロンで喫茶店に立っている姿を見た時は反応に困ったが。

「苗字さん」
「二人ともこんばんはー」

 熱気のこもった花火大会の会場で、浴衣に身を包んだ彼女が駆け寄ってくる。
 浴衣も下駄も慣れないようで、見ていて少し不安になる足取りだ。

「あぁ、こんばんは」

 ヒールがないからかいつもより少し低い位置で、彼女が降谷と諸伏を交互に見上げる。

「…なるほど、これが本当のイケメンか」

 ため息混じりに呟かれた言葉に、思わず「何言ってるんだ?」と首を傾げてしまう。
 諸伏が彼女の浴衣姿を褒めるが、彼女が照れる様子はない。

「動きにくくてストレス溜まる」
「身も蓋もないな」

 相変わらず言動が女性らしくない、と降谷は失礼なことを思った。

 メンバーが揃ったようで会場に入ると、彼女は射的の屋台に興味を示して一人で行ってしまう。

「自由だな」
「こういう時「一緒に行こ〜」とか言わないのが楽じゃない?」

 笑いながら言う諸伏に同意する。
 二人がいる場所からは、射的用の銃を構える彼女の背中がよく見えた。

「あ、苦戦してる」

 どうやら弾は一発も当たっていないようだ。

「しかも狙ってるのゲーム機なんだ」
「ぬいぐるみとかに行かないのが苗字さんらしいな」

 屋台にはふわふわしてそうなクマのぬいぐるみも並んでいるが、そちらは目当てではないらしい。

「……ちょっと様子見てくる」
「はいよ」

 なかなか当てられない様子の彼女に焦れて、加勢に向かう降谷。
身を乗り出した彼女に寄り添うような形でその手ごと銃を握ると、驚いたらしい彼女が「うわっ」と色気のない声を漏らした。

「よく狙って」

 射的の蘊蓄を話しながら銃口の向きを誘導し、彼女の指ごと引き金を引く。見事に命中したコルク弾に彼女が息を呑み、ぐらりと揺れたゲーム機の行方を見つめているのがわかる。
 そしてそれが下に落ちるのと同時に、彼女がバッとこちらを向いた。

「…すごい!すごいじゃん降谷くん!」

 ―――近い。

 振り向くと同時に花のような香りが舞い、彼女がくしゃりと無防備な笑顔を向ける。
ほんの一瞬、風景が切り取られたように彼女しか見えなくなった。

「ッ、」

 ハッと我に返った降谷が飛び退くようにして体を離す。

「あ、ああ……」
「やったー!めっちゃ嬉しい」

 店主から受け取ったゲーム機を見ながら、彼女は満面の笑みを浮かべている。そしてその顔が、またこちらを向いた。

「ありがとね!」
「…どういたしまして」

 飾り気のないストレートなお礼の言葉に、思わず照れて頬を掻いた。
 それと同時に、降谷の背後で本日一発目の花火が上がる。彼女の笑顔がそれに照らされて、ふわりと鮮やかに色づいた。
 嬉しそうに細められた瞳に花火が映り込み、ゆらゆら煌めいているように見えて目が離せない。

 いつから好きだったかなんてわからない。
 それでも、恋には必ず落ちる瞬間があるというなら、降谷の場合はきっとこの時だった。




***




「……ん?」

 ベッドの上の名前がもぞりと身動ぎする。

「悪い、起こしたか」
「んん…おかえり……」

 一緒に暮らし始めてから少し経つが、降谷の帰宅時間は常に不規則だ。いつもは一度寝れば起きない名前だったが、今日は珍しく起こしてしまったらしい。
 律儀に空いている隣に潜り込んで、彼女の体を抱き寄せる。

「う……あったかい」
「体温が高いからな」
「お子様…?」
「その口塞ごうか」

 勘弁してくださいよ…とぼそぼそ呟く彼女に笑いが漏れる。

「今日もお疲れ様……おやすみ、降谷くん…」

 そのまま寝入ってしまった名前に、降谷は苦笑した。最近ようやく名前で呼んでくれるようになった彼女も、無意識下ではまだ「降谷くん」が抜けないらしい。

「……まだ、先は長いな」

 そう言いながらも、降谷は自身が楽しんでいるのを自覚していた。

 ポアロでのバイトを始めてすぐ彼女にDMを送りつけ、ポアロ通いを習慣づけさせた時も。安室透のキャラクターを利用して彼女との距離を縮めようとしていた時も。降谷はただ他意なく彼女とのやりとりを楽しんでいた。

 彼女のそばにいるのも、彼女に恋をするのも楽しくて仕方がない。
 そこにドラマチックな展開があろうとなかろうと、この気持ちは今も昔も変わらない。そしてきっと、未来永劫変わらないのだろう。


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