05


「それで、これからどうするの?」

ナマエの質問に、諸伏は少し考えてから口を開いた。

「うーん…君には悪いけど、あのジンが電話一本で納得したとは思えない。組織内でオレの死が確定するまでしばらく身を隠すよ」

これで生きていることがバレれば、始末を命じられていたライの身も危ないだろう。それに、心配して駆け付けてくれただろう幼馴染にまで危険が及びかねない。

「そっか」
「うちで保護することもできるが」

そう提案してくれたのはライだ。FBIだというのが事実であれば、アメリカの証人保護プログラムを利用させてくれるつもりなのだろう。

「それもありがたいんだけど、それだと名前も仕事も捨てなきゃならないだろうしな」
「そうなるな」
「仲間もいるし、オレはこの国で今の仕事を続けるよ」
「そうか。まあ、止めはしないさ」

これからも日本の警察官であり続けるためにも、まずはほとぼりが冷めるまで潜伏しなくては。諸伏が今後の流れを考え始めたところで、ナマエが再び問いかけてきた。

「スコッチ、料理できる?」
「え?」

思いがけない質問に目を丸くした諸伏に、ナマエは続ける。

「料理とか、掃除とか。家事全般」
「あ、まあ…できるけど…?」

ふーん、と小さく頷いて、彼女はその整った容貌に笑みを浮かべた。

「じゃあ、うちにおいで」
「は?」
「かなり狭いけどね。家事全部やってくれるならうちで雇うよ」
「や、雇う?」

えっもうそんなにしっかり生活基盤を築いてるんですか…?と諸伏は内心呆気に取られた。
しかし社会的に死んだばかりの諸伏にとって、ナマエの提案はまさに渡りの船だ。しかもゾルディック家長女の家なんて正直この世界で一番安全なのではなかろうか。
そう思った時にはもう頭を下げていた。

「よろしくお願いします」
「こちらこそ」

こうして呆気なく契約は成立した。

すると、そのやりとりを静かに見守っていたライが口を開く。

「君は一体、何者なんだ」

身体能力がすごい子、と聞かされただけのライはまだ現状が飲み込めていない。
NOCバレした潜入捜査官を危機から救い出し、なおかつ組織から匿おうという謎の女。ジンへの物怖じしない態度にも謎は深まるばかりだ。

「私はナマエ。よろしく」

彼女がライに手渡した名刺には、「ナマエ」という名前と電話番号のみが印字されている。

「一応暗殺者なんだけど、開店休業状態で」

その言葉に眉を顰めるライだったが、彼女越しに見えるスコッチもまたぎょっとした様子で目を丸くしていた。

「いや、ナマエ、それ…」
「ああそっか。この人も警察?」

小首を傾げた彼女に、ライは「そんなところだ」と返す。それにしても暗殺者とはどういうことだ、と自然に眉根が寄った。

「ていうか開店休業状態って?」
「誰も報酬が支払えなくって」
「え?…あー、ああ、そういうこと」

納得したように頷いて、スコッチはどこか安心したような表情を浮かべた。

「あー、ライ。意味が分からないだろうけど、彼女は暗殺者であっても(こちらではまだ)殺人者ではないというか、まだ(多分)罪は犯してないというか、とにかくまあ悪人とかそういう概念では推し量れない人というか…」

ていうかライって漫画読むのか…?とスコッチが頭を捻る。
あまりに要領を得ない彼の説明に、ライはひとまず理解を諦めた。

「……まあいい。問題ないようなら、俺はここで手を引こう」

無事でな、とスコッチに向けて手を差し出し、握手を交わす。続けてナマエとも握手して、ライは二人に背を向けた。

いずれは組織の中枢に迫るため、ジンと繋がりのある彼女に近づく必要性が出てくるかもしれない。
その時はありがたく使わせてもらおうと、彼女の名刺を無造作に仕舞い込んだ。




***




ライと別れた後、早速ナマエの自宅に案内された諸伏はリビングのソファに座った姿勢のまま硬直していた。
彼女がこの世界で契約したマンションは広めの2LDKで、住み心地のよさそうな部屋ではある。

(……普通ならな)

ソファに座りながら、諸伏の視線は自分の膝に一点固定だ。というか、他に見るものがない。というか、広いリビングにソファ以外の物がない。
一通り見せてもらったこの2LDK。リビングにソファが、洋室の一方にベッドが置かれているだけで他には何も置かれていないのだ。キッチンに冷蔵庫や電子レンジなどの家電も一切見当たらない。

(怖い……)

カラカラと掃き出し窓が開いて、空のコップを持ったナマエが部屋に戻ってくる。
なぜかベランダにはプランターがあり、彼女はそれに水をやりに出ていた。プランター以前にもっと買う物があっただろうとは言えない。

「なんでそんなに縮こまってるの?もっとリラックスしてていいのに」

きょとんとした表情で小首を傾げた彼女の顔は相変わらず整っている。
彼女がゾルディックでさえなければ、そして場所がもっと普通の部屋であったならきっと胸がキュンキュンするシチュエーションだっただろうに。

「い、いや……。…ああ、プランターでは何を育ててるんだ?」

他に話題にできるものが物理的になく、絞り出すように問いかける。

「ドクゼリとトリカブト」
「日本三大有毒植物二つ…!」

途端に恐怖感が増した。自分で自分の首を絞めてしまった。

「ふふ、スコッチは食べなくていいから安心して」

全然安心できないのはなぜだろう、と諸伏は心の中で項垂れた。

「そういえば、もうスコッチって呼ばせるわけにもいかないな」
「ん?ああ、確かに」

コップを片付けた彼女が隣に座る。

「本名は諸伏景光っていうんだ。景光がファーストネーム」
「ヒロミツ」
「そう」
「ヒロでもいい?」

あー、と諸伏が唸る。

「一応潜伏生活だしなあ…偽名の方がいいかな」
「ヒロって珍しい名前なの?」
「いや、ヒロだけならよくいると思うけど」
「ならいいんじゃないの?」

逆に何か問題が?という表情の彼女を見て返答に困ってしまう。

「うーん、念には念をというか…」
「雇った以上、ここにいる間は私がヒロを守るけど」
「えっ」

その男前なセリフに思わずキュンと胸が高鳴る。しかしそれはゾルディックらしからぬセリフでもあった。彼らが使用人や執事を守るところは想像できない。

「私の事情を知る貴重な人間だしね」

ふわりと微笑むナマエに、諸伏はウッと心臓を押さえた。
どうやら雇ったとは言っても、ただの使用人として扱われるわけではないらしい。

(ゾルディックでさえなければなあ…!)

それさえなければただの可憐な女性なのに。まあ、そうであるからこそ彼女はここにいるわけで、でなければ自分も死んでいたわけだが。

「ヒロ?」

(もう普通に呼んでるし…)

「ああ、うん…ヒロでいいよ」

改めてよろしく。そう言って手を差し出せば、彼女は穏やかに微笑んでそれを握り返した。


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