長編「月冴える」番外編



 部屋に響くその音に、諸伏は「来た来た」と顔を上げた。
 インターフォンが鳴り止んでしばらくして、ドアを開けて無人の玄関前から袋を一つ回収する。中身はネットスーパーで注文した食料品だ。

(塊肉が安く買えたし、今夜はローストビーフ丼にでもするかな)

 嫌いなものもなければカニクリームコロッケ以外に特段好きなものもない、そんな雇い主を少しでも喜ばせるべく献立を組み立てる。そこへ再びドアが開き、出掛けていた彼女が帰ってきた。

「おかえり、ナマエ」
「ただいま」

 微笑んだナマエの視線が諸伏の手元へと下り、「買い物?」と小さく首を傾げる。

「今届いたところだよ」

 ふうん、と相槌を打ちながら袋の中を覗き込むナマエ。そして顔を上げた彼女がどこか物言いたげな顔をしているのを見れば、今度は諸伏が首を傾げる番だった。

「どうかしたのか?」
「……うん、えっと、」

 珍しく言い淀む彼女に何かとんでもないトラブルでも起きたのでは――と身構える諸伏だったが、続く言葉はどんなトラブルよりも意外なものだった。




***




「はい、こっちがナマエの分」
「ありがとう」

 ナマエの帰宅から一時間ほど。二人の姿は柔らかな陽光が注ぐマンションの屋上にあった。
 一体どこで知ったのか、あれから「“お弁当”を食べてみたい」と言い出した彼女。ちょうど昼時だったのもあって、日光浴がてら屋上でお手製の弁当を広げることにしたのだった。

「お弁当ってすごいね。いろんな料理が入ってる」
「これはだいぶ気合い入れた方。ちょうど買い物したばっかりだったし、食料が潤沢にあったからな」
「このウインナー、どうしてこんな形に切ってあるの?」

 そう言って彼女が箸で持ち上げたのはタコさんウインナーだ。まじまじと見つめるその瞳が微かに輝いているのはきっと気のせいじゃない。
 もちろんそういう反応を期待して入れたのだが、ゾルディック家長女がタコさんウインナーに目を輝かせている姿というのは予想以上にグッとくるものがあった。

「可愛いだろ?」
「かわい……うーん、どうだろ、不思議な形」
「子供は喜ぶんだ、こういうの」

 へえ、と感心した様子でウインナーを口に運んだ彼女が、「味は普通のウインナー」と大真面目に呟いた。そりゃそうだ。
 その後も「これは?」「それは?」と興味津々のナマエ。いつになく食に積極的な姿に諸伏自身も内心嬉しくて仕方がない。弁当にすると子供の食いつきがよくなるという定説が、まさか生粋の暗殺者にも当てはまるとは思わなかった。

「今度、弁当持って公園にでも行かないか? オレ、変装するからさ」
「公園? どうして?」
「自然に囲まれながら食べると、もっと美味しく感じるんだ」
「ふうん…?」

 あまり響いていなさそうな相槌を打ちつつ、顔を上げたナマエが辺りを見渡した。
 緑のない殺風景な屋上に二人きり。青く晴れやかな空をいい景色だと言えないこともないが、弁当を広げる場所として味気ないのは間違いないだろう。

 その時、さぁっと一際強い風が吹いて、ナマエの長い髪を弄んだ。

「……綺麗な髪だよな」

 風になびく黒髪は絹糸のように美しく、陽光を浴びて柔らかく艶めいている。その光景はいっそ現実のものじゃないと言われた方が説得力があるほどに幻想的なのに、本人は「そう?」と興味がなさそうなのがどこまでも彼女らしい。
 そして現実も何も、そういえば漫画の登場人物なんだった、と諸伏は思い直した。

「髪、そんなに長くて邪魔にならないか?」
「? 別に」
「あ、そう……」

 はは、と口元を引き攣らせて笑う。イルミやシルバの髪も長いし、彼らはきっと髪が邪魔になるとかそういう次元で生きていないのだ。

「それだけ長かったらいろんな髪型ができそうだけど。あ、そうだ」
「どうかした?」
「よかったら今度、オレにいじらせてくれないか」

 突然の提案に目を瞬かせるナマエに「アレンジしてみたい」と続ければ、それの何が楽しいんだろうという顔で首を傾げる彼女。

「別にそれはいいけど……お弁当のお礼、そんなのでいいの?」

 心底不思議そうに言うナマエ。どうやら彼女の中では弁当を作ったことへの見返りとして処理されたらしい。どこまでもギブアンドテイクを徹底するのが彼女らしい、と諸伏は顔をくしゃりとさせて可笑しそうに笑った。




***




「ほら、これがその時の」

 そう言って差し出されたスマホの画面には、長い黒髪をふんわりと巻いたナマエの姿が映し出されていた。普段の凛とした雰囲気は鳴りを潜め、どこか少女めいた佇まいが可愛らしい。

「で、こっちがここからアレンジしたやつ」

 画面をスワイプすると、今度は巻いた髪をハーフアップにしたナマエが現れる。両サイドをねじり、頭頂部をしっかりほぐしているのがこなれた印象だ。
 続けてスワイプしていけば様々な髪型のナマエが現れるが、そのどれも照れを感じない自然な表情を浮かべているのがさすがといったところか。

「な、可愛いだろ」

 ドヤ顔の諸伏に笑いかけられて、降谷は肺が空になりそうなほど長い溜息を吐き出した。

「……一気にたくさん見すぎて、感情が渋滞してる」
「ははっ、気持ちはわかる」

 降谷にナマエの正体と諸伏の無事を明かしたことで、二人の雇用関係と共同生活は終わりを告げた。
 そして諸伏が職場復帰を果たして以降、男二人の雑談のネタといえばもっぱらナマエのことだった。といっても二人の生活がどんなものだったかを気にする降谷が、諸伏を質問攻めにするパターンがほとんどだが。

「あ、これも可愛い」
「貸してくれ」

 諸伏のペースで見せられることに焦れた降谷がスマホを奪えば、ゆる巻きヘアのナマエがシルバのぬいぐるみを抱き締めて微笑んでいるところだった。

「うっ、これは」

 咄嗟に目頭をギュッと押さえる降谷。尊さに涙が溢れるところだった。
 そして父親とおそろいの髪型で微笑むナマエをもう一度じっくり見つめてから、何気なく画面をスワイプした時。

「え?」

 思わず間の抜けた声が出て、「なになに?」と横から覗き込んだ諸伏がピシリと固まる。

「この子は……キキョウちゃん?」

 それは地域の子供スポーツ大会で一度だけ会った、ナマエの親戚だという少女だった。ツインテールをなびかせながら笑う姿は確かにナマエによく似ているし、安室透に対する態度さえ似通っていたことを覚えている。
 今思えばゾルディック家の長女であるナマエの親戚がこんなところにいるわけがないし、無関係の子供をそう装う理由もない。となれば導き出される答えは一つ。

「……まさか、ナマエさん本人なのか?」

 問いかけながら諸伏を横目で見やれば、いつも通りの笑みにうっすらと浮かぶ冷や汗のようなもの。

「これは報告になかったぞ、ヒロ」
「ごめん、これはナマエに口止めされてて」
「ナマエさんに?」

 彼女に口止めされているとなれば、いかに上司部下の関係と言えどこの男が口を割る可能性は低い。もちろん、正式に要請すればその限りではないだろうが――

「あー、まあ、スポーツ大会の前に「私だってことは誰にも内緒ね」って言われただけだから……ゼロに言っていいかどうかは確認してみないと」
「いや、いい。彼女のことを暴きたいわけじゃないんだ」

 そっか、と返す諸伏をよそに、無邪気に笑う少女を見つめる。キキョウと名乗った彼女は諸伏の腕に抱きかかえられていて、諸伏の顔こそ映っていないものの随分と羨ま、いや、微笑ましい構図の写真だ。

「いやー、ゾルディック家長女を抱っこした一般人なんてオレくらいだよなぁ」

 一緒に画面を見つめながら嬉しそうに頬を緩ませる諸伏。

「……死亡扱いだった間、随分と楽しんでいたようで何よりだよ」
「ごめんごめん」

 降谷の嫌味に苦笑して、「もうこの姿にはならないらしいから、貴重な一枚だよ」なんて情報を追加してくれる。つまり自分はこの姿の彼女に再び会うことは叶わないし、抱っこのチャンスもないらしい。その事実に若干の悔しさを感じつつ、降谷は食い入るように見つめていた画面から顔を上げた。

「これ、全部データで送ってくれないか。壁紙にする」
「壁紙って、パソコンの?」
「いや家の」
「いや規模」

 もちろんそれは冗談だが、なんだかんだ言いつつどちらも似たような末期具合なのは確かだった。



prevnext

back