07


自宅のベッドに力なく腰掛け、降谷はスマートフォンを握り締めていた。画面は虚しく暗転したまま。
幼馴染の無事を願ってかけ続けた電話も、少し前に繋がらなくなってしまった。

彼のメールを受けて駆け付けた時、その場にいたのはいけ好かない男ただ一人。その男に二人の関係性を知られるわけにもいかず、降谷はその場から引き揚げるほかなかった。

彼は、ヒロは、一体どうなったのか。繋がらなくなった電話が彼の結末を示唆しているようで、急き立てるような焦燥感が消えてくれない。

握る手にグッと力を籠めた時、タイミングよく震えたそれに降谷はバッと顔を上げた。

(……違う)

ディスプレイに表示されているのは組織の女のコードネームだ。無視するわけにもいかず、降谷は即座に仮面をかぶった。

「もしもし」
『ハァイ、バーボン』
「こんな時間になんの用です?」
『期待させたら申し訳ないけど、ただの報告と忠告よ』

このタイミングでの電話だ。彼女の用件はおおよそ予想がつく。

「報告と忠告?」
『ええ。あなたとスリーマンセルを組んでいたスコッチ…公安のスパイだったわ』
「……まさか、彼が?」

息を呑む演技も、動揺を声に乗せるのもお手の物だ。特に演技に敏感なこの女には、一分の隙も見せるわけにはいかない。

『ネームドの裏切りに、"あの方"も大層お怒りよ。あなたもせいぜい気を付けることね』
「痛くもない腹を探られるのは不快ですね」
『ふふ、どうだか…。探られたくなかったら、これまで通りいい子に尻尾を振ってなさい』

――そんなこと、お前に言われなくてもわかっている。降谷は滲む不快感を悟られないよう、反対の手をきつく握り締めた。

「…それで?どうなったんです、愚かな裏切り者は」
『あら、それこそ愚問じゃない?』

もちろん処分されたわよ。
その言葉をどこか遠くで聞きながら、「そうですか」と短く返す。

『まあ、処分を任せた男より先に、外部の暗殺者に消されたようだけど』
「…外部?」
『ええ』
「それは…ジンも"あの方"もさぞ腹を立てていることでしょうね。組織のメンツを潰されたようなものですから」
『彼女は特別なのよ、"あの方"が欲しがるくらいだもの。なかなかいい返事はもらえないけれど』
「へえ」

とにかく気を付けなさいね、と念を押すように言ってベルモットは電話を切った。

(……"彼女")

組織が欲しがる、女の暗殺者。それが幼馴染を殺したのだという。ベルモットから与えられた情報はそれだけだ。
まだ「探り屋」バーボンとしての実績も、信頼も足りない。コードネーム持ちの裏切りが発覚し、組織も今はピリついているだろう。

今はまだ動かず、地道に信頼を獲得していくしかない。

(時が来たら、必ず……)

握り締める手に力が入り、スマートフォンがミシリと音を立てた。




***




「はい、これ」
「おっ!ありがとう」

帰宅したナマエが諸伏に手渡したのは、新しいスマートフォンだ。
彼はキッチン家電の配線をまとめる手を止めると、嬉しそうに頬を緩ませてそれを受け取った。

「順調?」
「ああ、オレの部屋はだいぶできたよ。あとは午後にテレビが届くからリビングに置こう」

リビングの隅にはすでに組み立て終わったテレビ台が設置されている。

「すごい。一気に部屋っぽくなってきたね」
「一から作るっていうのも結構楽しいな」
「ふふ、助かります」
「ナマエはこれからどうするんだ?」

その質問に、ナマエは少し考え込んでから口を開いた。

「今からもう三粒くらいダイヤのカッティングをして…、お昼ご飯までまた少し散歩してこようかな」
「あっ、そのカッティング、見ててもいいか?」

諸伏は思わずそう問いかけていた。一ファンとして、ぜひ間近で見てみたいところだ。

「別にいいけど」

その返答に諸伏は「よっしゃ」とガッツポーズをした。

原石を持ったナマエがリビングの床に胡坐をかき、小ぶりなナイフを具現化する。諸伏にオーラは見えないが、どうやらすでに"周"は済んでいるらしい。原石の塊から欠片を一つ切り出し、塊の方を床に置いた。
そして歪な欠片を左の手のひらに乗せたナマエが右手のナイフをすっと構える。そこからはもう、諸伏の目では追えなかった。

「おお……」

残像すら残さず高速で動く右手が、正確にダイヤを削り取っているらしい。らしいというのはもちろん見えないからだ。あまりに切れ味がいいためかダイヤの破片が飛んでくることもなく、パラパラと大人しく床に落ちていくのがわかる。
それからものの数分で作業が終わり、ナマエが手のひらのダイヤモンドを摘まみ上げた。

「はい、これが定番のラウンドブリリアントカット。鑑定に出せばカットグレードでエクセレントがもらえるはず」

光を反射させてキラキラと煌めくそれは、確かに美しい。

「いや……すごいな」

財宝ハンターというか、もう研磨職人として生きていけるのではないだろうか。そう思って聞くと、ナマエは首を横に振った。

「美しいものを作るより、手に入れる過程が好きなの」

なるほど、根っからのハンター気質らしい。
それから彼女はもう二粒のカッティングを終えると、予定通り散歩に出かけていった。
一緒に暮らすようになってまだ数日だが、彼女はよく外出する。この世界を観察するのが楽しいのか、馴染もうと努力しているのか、おそらくそのどちらかだろう。諸伏はそう考えていた。




***




ナマエは自宅マンションから十分に離れたところで"絶"を解く。それでもまだ反応がないのを確認して、癖で消していた気配も消すのをやめた。それでもまだ反応はない。

(……本当に、質が低い)

仕方がないので大通りをわかりやすく歩いてみる。するとようやく網にかかったのを感じ、しばらく大通りを進んだ後で脇道に逸れた。
そのまま相手が見失わない程度のスピードを保って進んだナマエが、人気のないところで立ち止まる。

振り向くと、暗闇から黒い服に身を包んだ男が姿を現した。

「気付いていたか」
「自宅を探そうとしても無駄ですし、組織にも入りません。そろそろ諦めるように伝えていただけませんか?私から直接言っても無駄みたいなので」

このやりとりももう何度目になるだろう。ナマエは組織のしつこさを甘く見ていた。

「悪いがその頼みは聞けない。失敗も逃亡も死と同義でね」
「…それなら私はもう何人、間接的に殺してるんですかね」

おかしいな、暗殺の仕事は未だに開店休業状態なのに。ため息をついたナマエに、男が懐から取り出した銃を向けた。

「ついてきてもら、」

男の言葉が不自然に途切れる。

「え?」

構えていた銃が手元にない。それどころか―――腕がおかしい。
男は自身の肘から先がくるりと一周、およそ360°捻れているのを見て、声にならない声を上げた。

その様子を無感動に眺めながら、ナマエは綺麗な真ん丸に圧縮した銃をポイッと軽く投げて返す。黒くて丸い鉄塊が地面に落ちて、男の足元までコロコロと転がった。

「殺さず、血を流させず…って、毎回違う方法を考えるのも面倒臭いんですよ。これから住んでいく街で目立たせないでもらえませんか?」

痛みに脂汗を浮かべながら膝をついた男にその声は届かない。
仕方なくスマートフォンを取り出したナマエは、今日もジンにクレームを入れるのだった。


prevnext

back