06


ぺち、ともみじのように小さな手で太ももを叩かれて、ナマエは目線を下に向けた。
覚えたてのずりばいで彼女に近づいてきたのは、生後半年そこそこの乳児だ。ナマエがその子に向かって手のひらを差し出すと、ぺち、ぺち、と嬉しそうにタッチしてくる。

「ふふっ、ナマエさんのこと、本当に気に入ってるわね」

ローテーブルに紅茶を運びながら、ナタリーがにっこり笑って言う。

「別に子供好きってわけでもないんだけど…昔からよく懐かれるんだよね」

手のひらを引っ込めてみると、きょとんとした顔でナマエを見上げてくる。もう一度差し出せばまた嬉しそうに叩き始めた。

「さすが圧倒的長女力」

笑いながらそう言ったのは松田だ。そしてナタリーを手伝ってお茶菓子を運んでいた伊達が、「そうか、長女か」と感心したように頷いてみせた。

「下に五人いるんだったか。そりゃ面倒見もよくなるよな」
「しかも癖つえーのが五人な」
「面倒見た記憶はないけどなぁ」

面倒を見たのは主に執事で、ナマエはねだられれば構う程度のお気楽長女だった。
構うと言ってもミルキは早々に引きこもり始めたし、カルトはなぜか恥ずかしがって遠目に見つめてくる始末。積極的に寄ってきたのはキルアくらいではないだろうか。

「あ、そういえば私も学生時代に漫画読んでたのよ!」

クッションに座ってティーカップを手にしたナタリーが、興奮気味に声を上げた。

「漫画?」
「ハンターハンターよ。クラスでイルミやキルアが人気でね。ナマエさんのおかげで最近また読み返したわ」
「へえ」
「まー俺ら世代ってそうだよな」

知らなかった伊達が少数派だからな。
そう言ってにやりと笑う松田に、伊達は「ほっとけ」と半目で返した。

「あ、じゃあナマエさんもあれできるの?キルアが何人にも見えたやつ」
「何人にも……肢曲?」

それ!とナタリーが嬉しそうに手を打つ。

「そりゃできるけど……」
「えーっ、見たーい!」

え、ここで?とナマエが目を丸くするが、ナタリーはお構いなしにクッションやテーブルをずらしてスペースを作り始めた。

「あのボール取りのシーン好きなのよ。ネテロ会長も感心してたでしょ?あそこでキルアのすごさが一気に伝わったわよねー」

上機嫌に語るナタリーに、ナマエがぐっと言葉に詰まる。

「……しょうがないな」

未だ太ももをぺちぺち叩いてくる子供をそっとどかし、ナマエが立ち上がった。そしてナタリーが作ったスペースへと向かう。

「なぁ伊達、アレわかるか?家族褒められて内心めちゃくちゃ嬉しいんだぜ」
「なるほどな」

背後から男たちの話し声が聞こえてくるが、ナマエがコホンと咳払いをすると止んだ。

「えっと、まぁこんな感じで」

空いたスペースの端から端まで、緩急をつけながら独特の歩法で歩く。

「おおっ!」
「すげえ…!」
「わあっすごーい!漫画のままだわ!」

ナマエが何人にも見えた三人が一様に驚きの声を上げる。ピュウッと指笛まで吹いた松田にナマエは嫌そうに顔を歪めた。

「曲芸扱いやめてくれる?」
「わりーわりー、ちょっと興奮した」
「ねぇナマエさん、あれは?キルアがやってた腕をムチみたいにしならせるやつとか、関節外すやつ」

腕をムチのようにしならせるのは蛇活だろう。関節を任意の方向に曲げる技だ。

「関節外しも蛇活もできるけど、どっちも地味に痛いからなぁ」

えー、と不満げな声を上げたナタリーが、「じゃあ、あれは?」と声のトーンを上げた。

「ヒソカがゴンたちにやってた、オーラを飛ばすみたいなやつ。極寒の地で全裸で凍えながら……とかいうの、味わってみたいわ」
「はあ?」

即座に反応したのは松田だった。

「おい伊達、お前の嫁大丈夫か?」
「…あー、今のの何がダメなんだ?」

お前もかよ!とツッコむ松田をよそに、ナマエがナタリーに言い聞かせる。

「あのね。あれは非能力者が受けると最悪の場合死にかねないから、キルアたちはあの先生に注意されてたわけで」
「軽ーくでいいのよ」
「こんなところでやったら、軽くでも赤ちゃん死んじゃうよ」
「じゃあ別室で!」

意外と強情なのか、目を輝かせたナタリーがなかなか折れない。結局押し勝ったナタリーが困惑顔のナマエを連れてリビングを出て行った。
残された伊達と松田は、神妙な面持ちで彼女たちが出て行った方向を見つめる。

「……わっ!」

遠くから聞こえてきたナタリーの悲鳴じみた声に、男二人の肩がビクッと跳ねた。それから少しして、両腕をさするナタリーと呆れたような表情のナマエが帰ってくる。

「はービックリした!本当に震えが走ったわ」

ナタリーはそのままずりずりと床を這う子供を抱え上げ、「あーあったかい」と暖を取った。

「伊達、お前の嫁すげーな…色んな意味で」
「な?可愛いだろ」
「褒めたと思ったならお前もすげーわ」

今日は結婚祝いだと言われて集まったのに、なぜ自分はこんな見世物のような扱いを受けているのだろう。
釈然としないナマエだったが、ナタリーの肩越しに見つめてくる真ん丸な目に気付き、また手のひらを差し出してみる。
そこをすかさずパチンと叩かれ、思わず小さく笑みが零れた。

「つーかこれでナマエ=ゾルディックも降谷ナマエか。せっかくのゾルディックがもったいねぇ気もするな」

なぜか落胆する松田にナマエが首を傾げる。

「じゃあレイ=ゾルディックにでもなってもらった方がよかった?」
「それはそれで笑える」
「婿入りするにも親に挨拶行けないけどね」

ふふ、と笑うナマエを見て、松田は複雑そうな表情を浮かべた。ゾルディック家への結婚挨拶を想像したのだろうか。

「まー、ナマエちゃんが幸せなら俺はそれでいいわ」
「おっ。男前か」
「うるせー元祖リア充」

軽口を叩き合う男たちを見ながらナタリーが笑い、その雰囲気に感化されたのか彼女の腕の中で子供も笑った。
そしてその手のひらがナマエに向かって差し出されるのを見て、ナマエもまた微笑みながらぺちっと触れ合わせるのだった。




***




入籍からしばらく経ち、ナマエが降谷という苗字にもすっかり慣れた頃。
カーテンの隙間から差し込む朝日に目を覚ました零は、自身の腕の中で眠るナマエを見て愛おしげに目を細めた。

(最近、よく寝るな)

就寝のタイミングが合わなければ別々に寝るのが暗黙のルールだが、最近は零が深夜や朝方に帰宅してもナマエが起きてくることが多い。
なんでもここのところ昼間眠すぎてうたた寝をしてしまうらしく、夜は逆に眠りが浅いのだそうだ。
そして零の帰宅に合わせて起きてきて、二人で寝ると今度はなかなか起きられない。

(体調は問題なさそうだし、食欲も変わらない。とにかく眠いだけというのは、なんだろうな…)

零に背を向けて寝るナマエをぎゅっと抱え込むが、彼女が起きる様子はなかった。

「……?」

ふと違和感に気付いた零が、ナマエの体に回した手で腰やウエストの辺りを撫でまわす。
鍛え抜かれた彼女の体は体型の変化が全くなく、いつ見ても隙なく引き締まっているのだが。

「ナマエ」

名前を呼ぶと、ナマエがわずかに身じろぎした。

「ナマエ、起きて」

続けて声をかけると、低く唸りながら体を反転させたナマエが零の胸元にもぞもぞとすり寄ってくる。
顔にかかった髪を耳にかけてやると、その手をぺしりと払いのけられた。
猫みたいだ、と思わず笑ってしまう。最近、寝ぼけている時の彼女がどうも素っぽくてたまらない。

「朝だよ、ナマエ」
「………ん」
「話があるんだ。起きてくれないか」

はなし、とナマエが繰り返す。まだ寝起きで舌足らずだが、とりあえず意識ははっきりしてきたらしい。

「こういうことを僕が聞くのは、どうかと思うんだけど……」
「なに?」

半分だけ上がった瞼の隙間から、黒曜石の瞳が零を捉える。視線を絡ませながら、零は躊躇いがちに口を開いた。

「……最後に生理が来たのがいつか、覚えてるか?」

その質問に、ナマエはゆっくりと瞬きをしてから「覚えてない」と答える。
これは以前聞いた話だが、体脂肪率の低い彼女は元々不順気味で、わずかな体調の変化でタイミングを読んでいるらしい。そのため周期と呼べるものはなく月単位で遅れることもザラだそうだ。

「一ヶ月以内に来たかどうかは?」
「……多分、しばらく来てない」

自信はなさそうだったが、このやりとりで何が言いたいのか感づいたらしい。ナマエは半開きだった目をしっかりと開き、零をじっと見つめていた。

「下腹の辺りが少しふっくらしたな」

先程触れた下腹部の感触を思い起こす。ほんのわずかな変化だったが、確かにそこは以前よりも柔らかくふっくらとしていた。

「ナマエ、今日は一緒に病院に行こう」
「病院?」
「薬局が開くのを待つより早い」

それに、次いつ時間が作れるかわからない。今日は午後から登庁すればなんとかなるし、行くとしたら今日だと零は判断した。

「零」

すっかり覚醒したナマエが、いつも通りの澄んだ声で名前を呼ぶ。

「ん?」

彼女は零を見つめたまま、不安の色一つ見当たらない完璧な笑みを浮かべてみせた。

「病院なら、一人で行けるよ」

その穏やかな表情に零は思わず息を呑んだ。ナマエはいつも、彼の立場を最優先に考えている。
本当に敵わない。そう思いながら、零の口元にも笑みが浮かんだ。

「ナマエ、大丈夫だ。一緒に行こう」
「でも」
「君は気にしなくていい。僕がそうしたい」

褐色の指が白い頬をなぞると、ナマエはくすぐったそうに目を細める。

「そうと決まれば準備しないと。あ、毒は飲んじゃダメだぞ」

そう言いながら起き上がった零に続いて、ナマエもまた上体を起こした。

「飲んでないよ」
「え?」
「気づかなかった?しばらく飲んでないの」

目を丸くして黙り込む零を見て、ナマエがふふっと笑う。

「……いつからだ?」
「籍入れてすぐ」
「理由は?」

畳みかけるように聞く零に、少し照れくさそうに頬を染めたナマエが答えた。

「……零が、付けなくなったから」

言葉の意味を理解して、零はピシリと固まった。
つまり入籍して避妊しなくなったから、妊娠を見越して飲まなくなったということらしい。何も気にしていないように見えて、その辺は彼女の方がちゃんと考えていたようだ。

「そ、そうか……」

零は動揺しながらも、かろうじてそれだけを返した。

そして病院に向かった二人だが、診察の結果、ナマエはすでに妊娠4ヶ月に入っていることが判明した。
生理不順な上につわりもなかったことから遅めの初診にはなってしまったが、彼女のお腹の中には確かに命が宿り、そして育っていたのだった。


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