01


「助かったわバーボン。また連絡するわね」
「ええ、お気を付けて」

ある日の深夜。
ベルモットを目的地まで送り届けた降谷は、その後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
そこから少し車を走らせ、峠道の少し開けたところで路側帯に停めると運転席のシートに身を沈める。眠い。今何徹目か考えるのも億劫だった。
このまま自宅まで運転を続ければ早晩事故を起こすだろう。仕方ない、ここで少し仮眠を取ってから帰宅することにしよう―――とシートを倒したところで、目の前の天井がべこんと凹んだ。

「………は?」

自分は夢でも見ているのだろうか。愛車の天井が突如凹むなんて。
心なしか近くなった天井を見上げて、降谷の思考はたっぷり十秒は停止した。

「………はぁ!?」

ようやく思考が正常化したところで車内から飛び出す。
愛車の上に乗るものを見上げると、月明かりに照らされたそれはなんと人間だった。人間が落ちてきた?山の上から?いやまさか。しかし何度見てもそれは人間だった。

「そこで何をしている!」

極度の疲労と愛車の危機に安室を演じることすら忘れ、降谷が鋭く声を上げる。「うっ」と小さく呻いた人影が、のそのそとその身を起こした。

「…いたた……」

それは長い金髪を持つ女だった。羽織っている黒い外套が大半を覆い隠しているが、上下ともに青い服を着ているようだ。軍服のようにも見えるがコスプレだろうか。

「あー、どこだここ」
「今すぐそこから降りるんだ」

降谷の声に女性がこちらを向いた。服と同じく目も青い。彼女はじっと目線を合わせた後、すっと逸らして周囲を見回す。そして青い目を大きく見開いた。

「……これは、夢か?…いやアイツが……目もやられてるし…ロイはどうなったんだ」

途端にぶつぶつ呟き出す女性に降谷はじわりと苛立ちが滲むのを感じた。
ただでさえ疲労困憊のところに愛車を損壊させられて、これ以上変人に付き合っている余裕はない。

「…降りてこないのなら、力ずくで引き摺り下ろす」

低くなった降谷の声に、再び女性がこちらを見下ろした。

「ああ、ごめんごめん。今降りる」

よっ、と軽い掛け声と共に女性が着地し、少しよろめいた。対面してみると女性にしては身長が高いのがわかる。服装もやはり軍服に見えた。
降谷に向き合った女性が、困ったように頭を掻く。

「…えーと、その、説明が難しいんだけど」
「説明?僕の愛車を破壊した理由を教えてもらえるのか?」

目を細めて凄む降谷に、女性は気の抜けたような声で「あいしゃ?」と繰り返す。一拍置いて自分が乗っていたそれを指す言葉だと思い至ったのか、バッと勢いよく車に向き直った。

「え、これ車……!?」
「は?」
「…すごい、車に見えない!」
「何を言って…」
「こんな格好いい車初めて見た!」

言動は意味不明だが、愛車を褒められたことだけは降谷にも伝わった。一瞬気が緩みかけて咳払いでごまかす。

「…それで?」
「あ、ごめん。じゃあ、まずは自己紹介から―――」

そして彼女が降谷に与えた情報は、疲れきった彼にとどめを刺すほどに突拍子もないものだった。




***




「―――つまり君はアメストリスという国の軍人で、錬金術師で、階級は大佐で。ホムンクルスとかいう化け物の手によって強制的に禁忌を犯す羽目になり、その代償としてここへ来たと?」

降谷がまとめると、彼女は笑顔で頷いた。伝わったのが嬉しいらしい。

「いや、満足そうにしているところ悪いが信じてないからな」
「えっ」
「えっじゃない。なんだこの空想話は」
「本当なのに」
「ただでさえ疲れてるんだ。無駄な時間を取らせないでくれ」

本当なのに、と彼女はもう一度呟いた。勘弁してくれ。

「大体アメストリスなんて国はない」
「知ってるよ」
「はあ?」
「この世界に存在しないのは知ってる」

また出た。世界だなんだ、真理だなんだと先程からオカルト染みた話ばかりだ。

「悪いがオカルトに興味はない」
「オカルトかあ…」

ため息を吐く彼女に、疲れているのはこちらの方だと畳み掛けたくなる。

「……もういい。車の修理も自分で手配するし、気にしないでくれ」

車内で仮眠を取りたかったが仕方ない。今はとにかくこの場を離れたかった。寝不足の体で立ちっぱなしもきつい。

「じゃあ、僕は行くから」
「…わかった。車のこと、ごめんね」

貼り付けたような笑顔で彼女が言う。
そして車から離れようと歩き出した彼女だったが、その途中で突然転んだ。

「おい、大丈夫か?」
「あーうん、ごめん。ちょっと距離感が」
「距離感?」

立ち上がりながら、背を向けたままの彼女が自嘲気味に言う。

「ついさっき右目の視力を失くしたばっかりだからさー」
「は?」
「大丈夫、すぐ慣れるから」

外套の汚れをパタパタとはたく後ろ姿に、降谷は思わず声をかけていた。

「…目、見せてくれないか」

え、と振り向いた彼女に近づき、右目の視界ギリギリに指を一本立てる。

「今、僕が指を何本立てているかわかるか」

見えないらしく、彼女が困ったように笑う。それを見た降谷は「まさか本当に?」と呆然とした様子で呟いた。

「…これも「代償」とかいうやつか?」
「右目の視力と居場所、それが代償だって。困るよね」

カラカラと笑うが、それはどこか諦めたような痛々しい笑みだった。

「ああ、そうそう。車なら私が直すよ」
「直す?」
「これでも錬金術師ですから」
「…僕の愛車を金にでも変えるつもりか」

なにそれ、と彼女が吹き出す。

「君も錬金術を金を生み出す魔術と勘違いしているクチか。錬金術は理解・分解・再構築を基本とするれっきとした学問だよ」

ちなみに金の錬成は禁忌の一つね。
そう言いながら車体に触れた彼女だが、ふと「あ」と声を漏らした。

「これ、材質なに?」
「材質?」
「錬金術の基本はまず理解からだから、分子構造がわからないと何もできないんだよね」

ごめん、やっぱ無理!と笑う彼女に降谷はどっと疲れが増すのを感じた。車は普通に修理に出そう。


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