02


ナマエ・ミョウジ。彼女はそう名乗った。

この地球にはないアメストリスという国の中央司令部に勤務する29歳の軍人で、階級は大佐。錬金術の研究者でもあり、それを国のために役立てるべく国家錬金術師という称号を得ているらしい。
容姿は降谷より色彩の濃い金髪碧眼。これは生粋のアメストリス人であることを示す特徴だそうだ。

彼女の主張の全てを信じたわけではないが、彼女が「代償の一つとして持っていかれた」と言う通り右目の視力はなく、彼女が所持していた拳銃は今の時代骨董品としてしかお目にかかれないような旧式だった。
言葉は通じるのに彼女が地面に書いた「公用語」は英語に似た別の言語で、何より驚かされたのはその「錬金術」の実態だ。

「我々の言う「錬金術」とは、こういうものだよ」

そう言ってパンッと両手を合わせた彼女が、何の変哲もない地面に両手をつく。するとバチッと弾けるような音とともに青い光が走り、土が勢いよく盛り上がった。

「な…っ」

そこに現れたのは、人間の膝ほどの高さの土人形だった。筋骨隆々とした半裸の男を模しており、筋肉を見せつけるようなポーズを決めている。…いや、なぜこの形状を選んだ?

「おっ、やっぱりできた、手合わせ錬成」

やった本人もどこか驚いている。

「手合わせ?通常のものとは違うのか?」
「本来錬金術には錬成陣と呼ばれる円形の陣が必要なんだけど、真理を見たものは両手を合わせた腕の形で自身を錬成陣に見立てることができるらしくて。これは禁忌を犯した代償というか…禁忌を犯したことで得られた唯一のものだね」

複雑そうに笑う彼女は、「でも」と続ける。

「さっき言った通り錬金術の基本は理解・分解・再構築だから、分子構造のわからないものには手を出せない。今はただの土だからできたけど、例えばそっちの硬い地面やこの白い金属はまだ材質がわからないから、錬成には使えない」

そう言って彼女が指し示したのはアスファルトとガードレールだ。

「なるほど。一見ファンタジーだが、膨大な知識がなければ扱うことすらできないという点では確かに学問…いや、科学か」
「ちょっとは信じてくれた?」

にやりと口角を上げて覗き込んでくる彼女に、降谷は諦めたように息を吐いた。

「実際に土を「分解」し、思うままの形状に「再構築」する瞬間を見てしまったからな」

そう言うと彼女は満足そうに微笑んだ。

「ありがとう。それで物は相談なんだけど…」

降谷のそれと似ているようで違う青い目が、じっと彼の目を見つめてくる。

「これから私は車を含め、ここに存在するありとあらゆる物質について学び、分子レベルで理解したいと思う。それでもし君が私の要望を叶えてくれるなら、私の持てる能力と知識の全てを君のために使うと誓うよ」
「…要望とは?」

言ってみろ、と降谷が視線で促す。

「錬金術の原則は「等価交換」。もし君が私の存在を有用だと思ってくれるなら―――君には私の「居場所」を作ってもらいたい」

居場所。それは彼女が代償として奪われたという、もう一つのものだ。それを会ったばかりの男に望む彼女の覚悟は、降谷にはまだわからない。それでも降谷はもう彼女を見捨てようとは思えなかった。

「そこまでのことを僕に託していいのか?会ったばかりだし、君の話だって全てを鵜呑みにしたわけじゃない。裏の取れない情報ほど扱いに困るものはないからな」

そう言う降谷に彼女が満足げに頷く。

「うん、そういう理性的なところがいい。正直、何も知らない場所で一人で生きていくのは無謀だし、君には申し訳ないけどこの車に落ちてしまったことも何かの縁だと思う。等価交換としてこちらが差し出すものに不足があるなら、私をどう使ってくれても構わない」
「使うとは物騒な言い方だが」

眉根を寄せた降谷に、彼女がフッと挑発的に笑う。

「仕事柄、いぬと呼ばれるのは慣れてるので」




***




結局一時的に眠気が飛んだ降谷は、彼女を伴って安室名義のマンションへと帰ってきた。

「ああ、靴はここで脱いでくれ」
「はーい」

容姿的に土足文化の人間だろうと、自室の入り口で声をかける。彼女は軍用のゴツいブーツを脱ぎ、部屋に足を一歩踏み入れて「狭い」と呟いた。

「失礼だな。単身者には十分な広さだ」
「独り身なの?」
「悪いか」
「いや、転がり込む身としては好都合だよ」

物珍しいのか、彼女は外套も脱がずにキョロキョロと辺りを見回している。

「君の寝る場所だが……」
「ナマエ」

不意に振り向いた彼女が言葉を遮る。

「改めて、私はナマエ・ミョウジ。君の名前は?」

そこでようやく、降谷は自分が名乗っていなかったことに思い至った。一瞬逡巡し、口を開く。

「僕は安室透。透がファーストネームだ」
「透ね、よろしく」

手を差し出して握手を求めてくる彼女に、降谷――もとい安室もその褐色の手を重ねる。

「ああ…よろしく」

化け物に禁忌とやらを強制され、片目の視力を奪われた挙句知らない場所に落とされてしまった軍人兼錬金術師の女。
ただの車に面白いほど興奮し(車内でも大変だった)、車窓から見える景色にもあれはこれはと安室を質問攻めにした。
純銀製の懐中時計と古めかしい拳銃以外、常識も戸籍も何一つ持ってはいない。

正直面倒事を抱えてしまった感は否めないが、安室は彼女に利用価値を見出した。そして全てを信じてはいないながらも、その境遇に同情もした。

かくして、安室とナマエの奇妙な共同生活が幕を上げたのだった。


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