後日談
※キャラ崩壊注意
※風見ヒロイン化注意


「あ」

鼻先にポツッと落ちてきた雫に、ナマエは暗くなり始めた空を見上げた。
手のひらを上に向けて差し出せば、ポツ、ポツ、と続けざまに雫が落ちてくる。

「予報より早かったね」

ナマエの呟きに、足元のハロが「アン」と応えた。

「仕方ない。帰ろっか」

夕方の散歩に繰り出したナマエとハロだったが、いつもより早く空が暗くなってきたかと思えば、天気予報で予想されていた時間より前に雨が降り出してしまった。
ナマエは持ってきていた折り畳み傘を広げて、ハロが濡れないように抱き上げる。

左手にハロ、右手に傘という状態で来た道を戻っていると、次第に雨脚が強くなってきた。
折り畳み傘の頼りない生地に、大粒の雨がパタパタと打ち付ける。

「ん?」

ふと、車道を挟んだ反対側の通りに見覚えのある姿を認めて、ナマエは足を止めた。

(あれは確か……)

紳士用の大きな傘に顔が半分ほど隠れてしまっているが、確か降谷の部下で、風見とかいう男だ。
暗い路地に佇み、たまに通りの様子を窺っている。どうやら誰かを尾行しているらしい。

道行く人が彼を気にしていないのを見ると、彼の尾行は決して下手ではないのだろう。
ただ、元軍人であるナマエがつい目ざとく見つけてしまっただけで。

(見なかったことにすればいいのかな)

止めていた足を再び動かそうとして、ナマエは突然持っていた傘を放り投げた。
そしてハロを左手に抱えたまま車道に飛び出し、信号待ちで止まっていた車の間を縫うようにして走る。

―――路地の奥、風見の背後に不穏な人影が見えたのだ。

風見は気付いていない。
ナマエはチッと舌を打って、ハロを抱えたまま両手を勢いよくパンッと合わせた。




***




通り沿いの書店前で、対象は誰かに電話を掛けたまま動かない。
それを気にするあまり、背後の警戒がおろそかになっていたというのは完全に言い訳だ。

チャキッという嫌な金属音が微かに聞こえ、風見はハッとして振り向いた。

(しまった……!)

サプレッサーが取り付けられた、黒い銃身。
咄嗟に両腕をクロスさせた風見の耳に、パシュッという特有の音が雨音に紛れて届いた。

―――ダメだ、撃たれた。

「…は!?なんだこれ」

続いて聞こえてきたのは取り乱す男の声だ。
固く閉ざしていた瞼を持ち上げた風見は、撃たれたはずの体になんの痛みもないことに気付く。

「え?」

そして目の前にあるツヤっとした半透明の壁のようなものに目を瞬かせた次の瞬間、突然胸元に温かな毛玉を押し付けられた。

「ハロよろしく!」
「は、」

咄嗟にそれを落とさないよう抱えた風見の隣を、猛スピードで駆け抜けるものがある。
そしてバチッと何かが爆ぜるような音と「ギャッ」という短い悲鳴、それからドスンという衝撃音が聞こえ、壁のようなものの脇から顔を出した風見の視界に飛び込んできたのは―――

「あ、あなたは……」

一面凍り付いた路地と倒れ込む男、その上に乗って男を取り押さえるナマエの姿だった。

「尾行、バレてたみたいですね」
「あっ」

その言葉にハッとした風見が通りの様子を窺うと、書店前にいたはずの対象の姿がない。
尾行がバレていた上に仲間に回り込まれるとは、なんたる失態だ。

「アン!」

風見の腕の中でハロが鳴く。風見はそこでようやく、自分が抱いているのが上司の愛犬であることに気が付いた。

「君は降谷さんの……」
「アン」

ハロが雨に濡れないよう、慌てて傘を差し直す。
そしてまたバチッという音がしてナマエに目を向けると、男が氷の手枷のようなもので地面に縫い付けられているのが見えた。

(氷?)

ハッとした風見が目の前にある半透明の壁を見上げる。ツヤっとした壁の正体は、巨大な氷像だった。

通りから差し込む灯りを反射して浮かび上がるのは、筋骨隆々とした男の姿だ。
個性的なキューピーヘアの下には、氷像でも判別できるほどに穏やかな眼差しがある。
その男は、まるで風見を守るかのように仁王立ちしていた。

「風見さん」
「はっ、はい!」
「逃げた対象をこれから追うのは難しいでしょう。まずは零に連絡を」
「はい!」

彼女は降谷の同居人で未登録の協力者で、少なくとも風見の上司ではない。
にもかかわらず、なぜか素直に指示に従ってしまう。

ハロと傘を抱えたままワタワタとスマートフォンを取り出し、降谷に発信したそれを肩と耳で挟み込む。
間もなく電話に出た降谷に現状を報告し、指示を仰ぎながら風見は横目でナマエの様子を窺った。
男を地面に縫い付けたナマエは、濡れて顔に張り付く金髪を鬱陶しそうにかき上げている。

「はい、はい……了解しました」

通話を終え、風見はナマエに駆け寄った。
気休めだろうがナマエとハロが両方入るように傘を差し出すと、びしょ濡れの彼女がふっと微笑む。

「零はなんて?」
「深追いはするな、また改めて足取りを追うことにしようと」
「なるほど、じゃあこの人だけ確保しましょうか。手錠お借りしますね」
「えっ?あっ」

両手が塞がっている風見のスーツをまさぐり、ナマエは手錠を取り出した。
それからバチッと音を立てて男を氷から解放し、電柱を使って男を後ろ手に拘束し直す。

「応援は?」
「降谷さんが手配してくださっています」
「じゃあ到着を待ちましょう」

はい、と風見は素直に頷く。なんだろう、この圧倒的上司感。
すると不意にナマエが傘の下から出て行ってしまい、風見は慌てて彼女を追った。

「これも溶かしておかないと」

そう言ってナマエが触れたのは先程突如出現した氷像だ。
よく見るとその背中の辺りには銃弾が埋まっていて、これが風見を守ってくれたのは明らかだった。

「あの、これは……」
「ああ、彼はアレックス・ルイ・アームストロング少佐です。咄嗟のことだったので、つい作り慣れたものになっちゃって」
「作った?」

意味がわからず首を傾げる風見に、ナマエが再び笑いかける。

「その説明からしなきゃですね」

それから、名案だというように手を打った。

「あの人の引き渡しが済んだら、うちに来ません?」




***




帰宅した降谷は、目の前の光景に思わず長いため息をついた。

「零、おかえりー」
「降谷さんっ、お勤めご苦労様ですっ」

駆け寄ってきたハロを撫で、ダイニングテーブルに座る二人に向き直る。

「上司の家で酒盛りとはな……」

シャワーでも浴びたのだろう、ナマエの金髪はしっとりと湿っていて、首にはタオルが掛かっている。
その正面に座る風見は連日の張り込みによる寝不足が祟ってか、すっかり出来上がっていて顔が赤い。

「ちゃんと前もって連絡したじゃんー」
「許可はしたが、それにしても飲みすぎだ」
「風見さん面白いんだよー、ストレスフルで愚痴が止まんない」

ケラケラと笑うナマエも顔は赤く、笑いすぎて目尻に涙が溜まっていた。

「愚痴?」
「降谷さんっ!どうしてナマエさんを協力者として登録しないんですか?」

ドンッとジョッキをテーブルに打ち付けて、完全に目が据わった風見が言う。

「元軍人で錬金術師だなんて、すごい人じゃないですか!」

命を助けられたということもあり、彼はすっかりナマエを信頼しきっているようだ。
氷像がどうとか言っている辺り、きっとまたあの少佐像を作ったのだろうと容易に想像できる。

「僕はナマエを公式に登録するつもりはない」
「なんでですかっ」
「協力者として登録すればゼロに管理されることになる。ナマエが僕以外に使われるのは面白くないからな」

上着を脱いでネクタイを外した降谷が、自分の酒を用意してナマエの隣に腰掛ける。
ふと二人の様子を見ると、ナマエはふにゃりと頬を緩めてニヤけていて、風見はじっとりと半目でこちらを見ていた。

「なんだ、風見」
「ナマエさんのこと、同居人だって聞いていましたが」
「そうだが」
「絶対ただの同居人じゃないでしょう!」

ビシッと指差してくる風見に、「人を指差すな」と淡々と返す。

「まーまー、風見さん落ち着いて―」

酔っ払って上機嫌なナマエが風見を制し、それからあるものをテーブルに取り出した。

「これあげますからー」
「ハッ、この方は」

それは彼女がたまに作る少佐人形だ。
軍服まで布から錬成してあり、相変わらず精巧なつくりである。

「お守り代わりにどうぞー」
「あ、ありがとうございますうう」

風見はそれを大切そうに抱えると、眼鏡の下の涙をゴシゴシと拭った。この男、情緒不安定か?

「…風見、君はもう休め。ベッド貸すから」

降谷はそう言って立ち上がり、ゴチャゴチャ反論する風見を黙殺して和室のベッドに押し込んだ。



そして翌朝。
ひどい頭痛と共に起床した風見は、上司のベッドを借りて眠ってしまった事実と、隣の布団で眠る降谷とナマエの姿に凍り付いた。

(や、やっぱりただの同居人じゃないじゃないか…!)

降谷さんの嘘つき!

どう反応していいかわからず、風見は再び布団にもぐり込むのだった。


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