後日談
※ハロあり
※ふざけ気味


その日の朝、日の出と同時に帰宅した降谷は和室を覗き込んで目を瞬かせた。

「………ナマエ?」

返事はない。
代わりにハロが興奮気味に纏わりついてきたので、しゃがんで撫でる。

「ハロ、ご飯は食べたか?」
「アン!」
「水もトイレも綺麗だし……そこはやってくれたんだな」
「アンッ」
「よしよし」

ハロを構いながら様子を窺うと、そこにはローテーブルの上に積み上げた本を熱心に読み込むナマエの姿がある。
どうやらまた彼女の知識欲が暴走しているらしい。

「自然対流熱伝達、マイコン制御、サーモスタットの原理……炬燵でも作るつもりか?」

いつも通り、法則性があるようにもないようにも見えるラインナップだ。
降谷はとりあえずスーツから部屋着に着替え、再びナマエに声をかけてみた。

「ナマエ、ただいま」
「んー」

今度は返事がある。
座るナマエを足の間に挟み込むようにして抱き締めてみるが、抵抗はされなかった。

「ナマエ、今回は何を勉強してるんだ?」
「………」
「おーい」
「んー」

ナマエの肩に顎を乗せて手元を覗き込むと、「サーミスタによる温度測定」という見出しが見える。

「炬燵でも作るのか?」
「………」

返事は二回に一回くらいしかない。
彼女がこうなった時はいつもこんな感じだが、せっかく帰ってきたのにこれではつまらない。

「……寝るか」

ナマエとのコミュニケーションを諦めた降谷は、彼女から体を離してローベッドに向かう。
さすがに冬は裸で寝る気にもなれず、部屋着を着たままの就寝だ。
降谷が布団にもぐり込むと、待ってましたと言わんばかりにハロがくっついてきた。

「一緒に寝てくれるのか?ハロ」
「アン!」
「あー、君は優しいな」

降谷はハロに癒しを求めることにして、そのふわふわとした体を抱え込んだ。

「おやすみ、ハロ」
「アン」

起きて遅めの朝食を食べる頃には、きっとナマエの勉強も終わっているだろう。
そんな期待を抱きながら降谷は目を閉じた。




***




「うーん…本当に君は期待を裏切らないな」

いろんな意味で。
そう呟く寝起きの降谷が見つめる先には、三時間前と寸分違わず本に向かうナマエの姿がある。

「ナマエ、おはよう」
「んー」
「朝ご飯準備するけど、食べるか?」

返事はない。
仕方ない、と小さくため息をついてから、降谷はハロにご飯を与える。
それから一人分の食事を準備して食べ終えても、ナマエの様子は相変わらずだった。

「ハロ、散歩に行こうか」
「アン!」

もちろん散歩と言う名のトレーニングだ。
ジャージに着替えた降谷はハロを連れて河川敷を走り、橋の下でシャドーボクシングをし、欄干を使って腹筋をこなす。

一通りのトレーニングを終えて帰宅した降谷は、どうせまだ勉強中だろうと和室を覗いて目を瞬かせた。
ローテーブルに突っ伏した背中は規則的に上下していて、金髪の隙間からは閉じられた瞼が見える。

「おっと、バッテリー切れか」

ふっと笑って、降谷はテーブルからナマエの体を起こした。
珍しくスイッチが完全にオフになっているのか、彼女が目を覚ます様子は微塵もなく、くたりと体を預けてくる。
それを横抱きにして布団に運ぶと、散歩で疲れたらしいハロがその隣に丸くなった。

「また寝るのか?ハロ」
「アン」
「はは、体力ないなぁ」

笑いながらスーツに着替えた降谷が、ナマエとハロの頭を順に撫でる。

「それじゃ、行ってくるよ」

返事を返してくれたのはハロだけだが、降谷がそれを不満に思うことはない。
きっと次に帰ってきた時は、いつも通りの「おかえり」が聞けるだろう。そんな期待を胸に、柔らかな金髪に口付けた。




***




夜、帰宅した降谷が「ただいま」と声をかけると、玄関に向かってくる二種類の足音が聞こえた。
それを耳にしただけでつい頬が緩んでしまった降谷の前に、一人と一匹が姿を表す。

「おかえり、零」
「ああ」

ようやく正面から見れたナマエの笑顔に、降谷は満足げに笑い返した。
そしていつも通り上着を脱いで手を洗うが、その後ろをずっとナマエがついてくる。

「どうしたんだ?」
「ね、来て来て」

手が空くのを待っていたらしいナマエがその腕を引く。
それに素直に従うと、彼女が連れて行ったのは和室だった。開け放たれた扉の向こうを見て降谷が瞠目する。

「これは………」

朝までローテーブルがあった場所に、暖かそうな布団を備えた炬燵が鎮座していた。
二人掛けくらいのコンパクトなそれを示しながら、ナマエが「作っちゃった」と嬉しそうに笑う。

「まさか本当に炬燵を作るとは」

詳しく話を聞くと、ベースには元々あったローテーブルを使い、追加の木材と炬燵布団は自分のお小遣いで買ってきたのだという。
降谷が炬燵布団をぺらりとめくると、温められた空気がふわりと流れ出てくる。その心地良いぬくもりに「おお」という声が出た。

「ヒーターまで錬成したのか」
「ちゃんと温度調節もできるよ」
「すごいな」

感心する降谷だったが、ふとあることに思い至る。

「でも、普通に炬燵を買ってきてもよかったんじゃないか?」
「仕組みから調べて自分で錬成するまでが目的だから」

なるほど、相変わらずの知識欲だ。
部屋着に着替えた降谷がナマエと向かい合って炬燵に入ると、二人で入るのにちょうどいいサイズ感だった。

「あー……あったかいな」
「気持ちいいねー」

ハロもすっかり気に入ったようで、温まった炬燵布団にピッタリくっつく形で丸くなっている。

「ただ、入りっぱなしは脱水のリスクが増すからな。こまめに水分を摂って、寝落ちにだけは気を付けてくれ」
「つまり炬燵みかんは理に適ってるってことだね」
「あー、みかんいいな。明日買ってこよう」

そんなことを話していると、ふいに降谷の足に何かがツンツンと触れる。

「どうした?」
「ふふ、なにが?」

ハロは炬燵の外だし、ナマエの様子を見るにこれは彼女の足だろう。
少しするとまたツンツンと触れてくる。

「なるほど、これは……悪戯好きの子猫でも入り込んだか」
「ぶふっ、なにそれ可愛い」
「ああ、可愛いな」

君がな、とは言わないが、ついホッコリと頬が緩んでしまう。
しばらくしてまたツンツンと触れられ、降谷はふっと口角を上げた。

「まったく……仕方ないな。こんなに可愛くおねだりされたら、応えないわけにもいかないだろ」
「え?」

きょとんとしたナマエをよそに、降谷が座る体勢を変える。
そして炬燵布団にズボッと手を突っ込むと、その先にあった足首をがっしり掴んだ。

「えっ?」

足首を掴まれたナマエが目を丸くする。
降谷は間髪入れずにその足裏をこちょこちょとくすぐった。

「ひっ!?ちょ、零!?ふぁっ…く、くすぐった…ひぃっ、ぁ」

ナマエが身悶えしながら足を引こうとするがビクともしない。
その声にちょっとエロいなと思った降谷だったが、そんなことはおくびにも出さずにくすぐり続けた。

「あっ、ふは、ねぇっ零…!ちょ、むり、」

しつこくくすぐっていると、「無理だってば!」という声とともにもう片方の足が蹴りつけてくる。―――が、降谷はそれを難なく受け止めた。

「こら、両手が塞がったじゃないか」

両足首を掴まれたナマエは反論する余裕もないようで、息も絶え絶えに倒れ込んでいる。
その珍しい姿につい嗜虐心が疼いてしまった降谷は、大きな手でナマエの両足首を一まとめにした。

「……えっ?」

ナマエが怯えの混じった声を上げる。
そして降谷が自由になった手で再び足裏をくすぐろうとしたところで、それを察知したナマエが両手をパンと合わせた。

「させるか…!」

ダンッと手が畳に打ち付けられると同時に、降谷は殺気を感じてその場を飛び退く。
次の瞬間、畳と床板から錬成された握り拳のようなオブジェが、まるでアッパーを食らわせるかのように勢いよく伸び上がった。
咄嗟に避けていなければ完全に餌食になっていただろう、と降谷の背に冷や汗が伝う。

「ううっ、ハロぉ………」

ナマエは弱々しく呟くと、のそのそと炬燵を這い出てハロを抱き締めた。
そしてハロを抱えたまま、畳の上でパタリと横たわる。

「う…ハロあったかい…炬燵怖い……」
「アン?」

どうやら炬燵ではなくハロで暖を取ることにしたらしい。

「ごめんごめん、やりすぎたな」
「零怖い」
「ごめんって。でも君も怖かったぞ」

炬燵を回り込んだ降谷は、ナマエに寄り添うように横たわって彼女を抱き締めた。

「僕とハロ、どっちが温かい?」

ぎゅっと抱え込んで密着すれば、ナマエはムスっとしたまま「零」と小さく呟く。
ただでさえ体温が高めの降谷だが、炬燵から出たばかりの体はよほど温かいらしい。

「でもこのままだと冷えるな。炬燵とベッド、どっちに行こうか」

そう問いかけると、ナマエはたっぷり時間を使って考えてからベッドと答えた。そんなに炬燵が怖いか。

「でも、畳直さなきゃ……」

ナマエはため息混じりにそう呟いた。
炬燵の向こう側では、今もアッパー状態の握り拳がそびえ立っている。

「……まあ、それは起きてからにしよう」

降谷は苦笑して体を起こし、未だぐったりした様子のナマエをハロごと抱え上げた。
二人と一匹でローベッドに移動して、今夜はこのまま寝てしまおうと和室の電気を消す。

「ああ、言い忘れてた。炬燵ありがとう」
「ん」
「久しぶりでつい舞い上がった」
「……さっきのはもうやめてね」

力ない呟きに了解と返し、柔らかい金髪に顔を埋めて目を閉じる。

ちなみに炬燵の電源を切り忘れたことに気付いたのは朝になってからだったが、電源は自動で落ちていた。本で読んでいたサーモスタットの機能である。
さすがだと褒める降谷に、ナマエは当然のことだと自信たっぷりに微笑むのだった。


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