中編「ラストノート」番外編
※バレンタインネタ
※松田の所属が捜一



「えっ、ボクももらっていいの?」

 大きな目をきょとんと丸くして、手にした箱と名前を交互に見やるコナン。

「いいのいいの。いっぱいあるし、よかったら受け取って」

 週末の喫茶ポアロ。昼下がりの店内で、名前はコナンに続いて彼と同じテーブルに座る女子高生達にもそれを手渡した。若さ弾ける可愛らしい笑顔で受け取ってもらったのは市販のチョコレートだ。

「はい、安室さんと梓ちゃんにも」

 カウンター越しの二人にも差し出せば、外箱にプリントされた人気店のロゴに気付いて喜ぶ梓と、こっそり付け加えた「市販品なので」の一言に苦笑しながら受け取る安室。もちろん食べてもらえなかったとしても問題はない。市販品なので。
 そうしてバレンタインの義理チョコ配りが無事終わり、大好きなポアロのカフェオレで温まりながら溜息をひとつ。

「何か心配事でも?」

 カウンターの向こうから目敏い男がそう問いかけてくる。名前はそれをすぐに否定することができなかった。

「これだけ周りを笑顔にしておいて、名前さん一人浮かない顔というのはいただけませんね」
「ゔっ、うーん……なんというか、まあ」

 答えを曖昧に濁しながら笑い返して、カップから立ち上る湯気をぼんやり見つめる。
 誰に言うつもりもなかったことでも、安室相手だとあっさり吐いてしまいそうになるからさすがである。

「名前さん、何かあったの?」

 背後のテーブル席にいたはずのコナンが、「ボクでよかったら聞かせて」と隣に腰掛けた。チョコレートのお礼だと彼は言うが、小学生でこれだけ気が回るとは末恐ろしい。
 客に呼ばれた梓がカウンターから出て行くのを眺めながら、二対の瞳の圧に負けた名前が躊躇いがちに口を開いた。

「陣平……彼と、しばらく会えてなくて」
「名前さんの彼氏って、刑事さんなんだっけ」
「うん。今大きな事件を追ってるらしくて、すごく忙しそうなの。警視庁に泊まり込むことも多いみたいだし……体壊さないかなって心配で」

 それだけだよ、と努めて自然な笑顔を作ってみたつもりが、かえって心配させてしまったらしい。コナンが「そっか」と気遣わしげに眉根を寄せた。

「寂しい?」
「ううん、暇さえあれば連絡くれるから。そんな暇あったら寝てほしいって思っちゃうくらい」
「愛されてるんだね、彼氏さんに」
「……そうだね」

 それを否定する気にはなれなかった。大切にされているのは常々感じているし、愛されていると実感することも多い。ただ、恋人と同じく自分自身のことももっと大切にしてくれないものか、という蟠りも絶えずあって。

「これもきっと、渡せないなぁ」

 バッグから取り出した箱は、安室やコナンに渡したそれとは違うものだった。市販品に比べるとリボンの形が少し歪で、素人による包装だと一目でわかる。
 顔を上げれば心配そうな目と視線が絡んで、慌ててバッグの中にしまい直した。

「ほら、ただの愚痴だから。ね」

 だから気にしないでと言わんばかりにニッコリ笑って、コナンの分のオレンジジュースを注文する。遠慮するコナンを「いいからいいから」と押し切って、「かしこまりました」と離れていく安室に小さく息を吐く。
 全く、いい大人が子供に心配かけてどうするんだ。そう反省しつつも、彼に会えない日が続くとつい思い出してしまう。親友の仇を討つために自分を追い込み、名前の知らないところで死の危機に直面していた三年前のあの日――十一月七日のことを。

(でも、会いたい≠ネんて言えないし)

 会いに行けそうだと言われても、きっと「そんな暇があったら寝て」なんて素直じゃない言葉を吐いてしまうんだろう。
 可愛げのない自分に嫌気が差しつつ、すっかり温くなってしまったカフェオレを口に運んだ。



「あ、これも美味しい」
「よかった。ありがとうございます」
「でもさすがにこれ以上は……」

 苦笑する名前の前には、空の皿と食べかけの皿が一枚ずつ。どちらも新作スイーツの試食≠ニ称して安室が出してきたものだ。
 そろそろお会計を、と立ち上がろうとしたタイミングで一枚目が出てきた時は何も考えずにありがたく頂いたが、二枚目はさすがに引き留めようとしているような気配を察した。一人でいたら鬱々としそうだとでも思われているのだろうか。

「美味しいね、これ。ボクだーいすき!」

 ホクホク顔で口をもぐもぐさせているコナンは大変可愛らしいのだが、小学生に話し相手になってもらっている自分にだんだん居たたまれなくなってきた。

「……私、これ食べたら帰」

 言葉を遮るように大きな音を立てたのは、ポアロのドアベルだった。乱暴に開け放たれたドアがベルを激しく揺らし、いつもとは打って変わって濁った音を響かせる。
 そんな音がすればさすがにそちらに目をやってしまうし、ベルの余韻が残る店内をずかずかと進む男に「えっ」と立ち上がってしまう。

「陣平、」

 言い終わるより早く、その大きな体に抱きすくめられる。途端に香る煙草の匂い。女子高生達がキャッと小さく声を上げたのが聞こえたけれど、名前は混乱に目を白黒させることしかできなかった。

「な、なんでここに……」
「別れねぇからな」

 え、と間の抜けた声が漏れる。そして再び「ぜってー別れねぇ」と低い声が耳をくすぐれば、ぎゅうぎゅう抱き締めてくる腕に苦しいと伝えることすらできなくて。
 思わずちらりとカウンターの向こうを窺うけれど、そこには何食わぬ顔でコーヒーを淹れている安室の姿。コーヒー? 今? もしかしてそれ、この男の分だったりする? せめて驚く演技くらいしたらどうなんだろうと思いつつ、この事態がゼロくん≠フ仕業である確信が強まっていく。

「……陣平」

 広い背中に手を回せば、ピクリと怯えたように肩が跳ねる。体は一回りも二回りも大きいのに、今だけは随分と小さく見える。
 いつもよりボサボサの髪に、こめかみや耳にチクチクと擦れる無精髭。スーツもくたびれてヨレヨレだ。それだけで彼がどれほど慌てて飛び出してきたのかがわかってしまって、胸の辺りが締めつけられたように苦しくなった。

「別れないよ。好きだから」

 言葉にした後ひと呼吸分の間が空いて、長い溜息が首筋を通り抜けていく。
 そして苦しいほどの抱擁から解放されたと思ったら、今度は両肩を掴んで「本当だろうな?」と覗き込んでくる松田。瑠璃紺の瞳が不安げに揺れているのはきっと気のせいじゃない。

「うん。それより……」

 両頬を挟み込んで、無精髭の生えた輪郭をすりすりと撫でる。思ったより柔らかいそれが手のひらをくすぐった。

「ゆうべも帰れなかったの?」
「……それどころじゃねぇんだよ」
「それでも、倒れたら元も子もないのに」
「そんなヤワじゃねー」
「知ってるけどさぁ……」

 こんな風に顔を突き合わせて言葉を交わすのも、もうどれぐらいぶりだろう。
 そうだ、と体を離してバッグを漁り、取り出した箱を「はい」と手渡した。

「んだこりゃ」
「バレンタイン。いつものだからあんまり甘くないよ」
「……もうそんな時期か」

 完全に日付感覚が狂っていたらしく、一拍置いてガシガシと後頭部を掻きながらそれを受け取る松田。箱の中身は甘いものが苦手な彼向けのチョコチップクッキー、甘さ控えめバージョンだ。

「ちゃんと食べて、私に連絡する暇あったら少しでも寝て」
「コイツはありがたくもらっとくが、二つ目は頷けねぇな」
「ダメ」
「あ?」

 ぱちりと瞬くその目を見上げながら、険しい表情を作ってみせる。

「過労で倒れたりしたら、別れるから」

 その言葉にグッ…と唇を引き結んで、らしくもなく眉尻を下げた彼が「……わぁったよ」なんて情けない声で言う。
 こういう脅しは良くないと思いつつ、これで彼の無茶が減るなら背に腹は代えられない――なんてそれらしい言い訳を心の中で並べてみたり。会いたい≠ニいう望みが思いがけず叶ってしまったので、強気なのは許してほしい。

 その後、彼は結局コーヒー一杯で仕事に戻っていってしまったものの、会って話せたおかげかそれまでのような不安が滲んでくることはなかった。連絡頻度が落ちた代わりにある程度人間的な生活を取り戻したようだし、女子高生に質問攻めされたことや、安室とコナンの微笑ましげな視線が居たたまれなかったことなんて大した問題じゃない。
 ちなみに肝心の事件はその数日後、突如公安に捜査権限を奪われたらしく、「なんのためにここまでやってきたと思ってんだ」と噛みつく一方で「まあ、そのおかげで久しぶりに休めるんだけどよ……」と複雑な心境を吐露する松田の姿があった。
 そしてそれが誰の仕業かを知る二人が、最終的には顔を見合わせて苦笑することになったのは言うまでもない。



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