※中編「ラストノート」後日談
※拍手お礼SS 02の続き



 タクシーを降りて、名前は漂う熱気に手でパタパタと顔を煽いだ。

「あつ……」

 気温や湿度もさることながら、道行く人の多さが暑さに拍車をかけている気がする。

 今日は松田と約束していた花火大会の日。タクシーが入れるギリギリのところで降りた名前は、取り出したスマホで『着いたよ』と松田に場所を知らせた。案の定一分もしないうちに『すぐ行く。適当にどっか入って待ってろ』と返信がある。
 名前はキョロキョロと辺りを見渡してから、結局電柱のそばに立って待つことにした。カフェやコンビニなども近くにあるのだが、どこも花火大会の参加者と思しき客でいっぱいだった。

 待つことしばし。見慣れた癖毛の男を発見し、名前は「陣平」と手を振った。それに気付いた松田が歩調を速めて近付いてくる。 

「おい、なにボサッと突っ立ってんだ。どっか入ってろっつっただろ」
「だって人多いし、浴衣崩れたら嫌だから」
「お前な……その辺の男に声掛けられでもしたらどうすんだ」

 それには思わずきょとんとしてしまった。

「掛けられてないけど」

 そう返せば、眉間にググッと皺を寄せて名前の額辺りを小突く松田。「いたっ」と押さえ、抗議の目を向けてもどこ吹く風だ。

「行くぞ」

 ほんの小さな巾着袋さえ当たり前のように奪い取って、松田が一歩先を行く。待ってよ、と名前も小走りでその隣に並んだ。
 そしてチラリと名前の足元に視線を落とした松田が、歩くペースをあっさり緩めるのも予想済みである。名前は頬を緩めて松田を見上げた。

「今日ね、靴擦れ防止にレースの靴下履いてるの。下駄も鼻緒が太くて柔らかいやつ選んだから普通に歩けるよ」
「そうかよ」
「脚使う撮影もしばらくないしね」

 あっそ、と軽く流されるが、彼の気遣いも心配も誰よりわかっている自信がある。名前はふふっと笑って、ポケットに手を突っ込んで歩く松田の腕に手を添えた。

「ね、この浴衣可愛くない?前お世話になったスタイリストさんが選んでくれたんだけど」

 そう言って腕を伸ばし、浴衣の柄を松田にアピールしてみせる。ちなみに靴下もその人の提案だ。
 他にも帯の柄や帯締めの色、靴下と同じレースの手袋、小ぶりだが存在感のある髪飾りなど、彼に見てほしいポイントは尽きない。あれがね、これがね、と話す名前に松田は「おう」「ああ」と短い相槌ばかり。しかし聞いていないようでちゃんと聞いているのが松田陣平という男なので気にしない。
 ただし褒め言葉もなかなか出てこないので、可愛い?と改めて聞いてみれば、案の定「あー可愛い可愛い」と雑である。仕方ないからこれで良しとしておくか、と名前は心の中で妥協した。

「陣平にも着てほしかったな、浴衣」
「……んなの面倒くせぇだけだろ」
「絶対カッコいいのに」

 浴衣姿の松田を想像してそう言えば、はいはいと気のない返事が返ってくる。長身にバランスよく鍛えられた肉体、無造作ヘアと言えなくもない黒髪、そして何より整った顔。絶対に浴衣が映えると思うし、なんなら甚平でもいい。
 これは来年までに彼の意識改革に取り組まなくては、と密かに決意しつつ、二人はゆっくりとした足取りで会場に向かった。




***




 会場に入ると予想以上の盛況ぶりに、名前は目が回りそうになった。高校生の頃萩原と三人で来たのと同じ花火大会のはずだが、あの頃もこんなに混雑していただろうか。
 十年近く経てば色々変わるだろうとは思いつつ、これはちょっと想定外である。

「場所取れるかなぁ。三人の時は交代で食べ物買いに行ったりできたけど」
「とりあえず酒と食いもん買うか。足痛くなったらおぶってやるわ」
「おんぶじゃご飯食べれないし」
「おぶること自体はいいのかよ」

 浴衣崩れるの嫌なんじゃねーのかよ、と呆れたように松田が言う。

「崩れたら陣平に直してもらうからいいや」

 器用だし、と笑えば溜息が一つ。「間違って脱がしても恨むなよ」と悪い顔で笑うので、それは恨むじゃん、とツッコまざるを得ない。

 そして屋台でビールや食べ物を買い込んだ後、どこかへ向かって迷いなく歩く松田。名前がその後についていけば、なんとそこは有料のカップルシートで。「取ってたの?」と驚く名前に、松田は「場所取りとか面倒くせぇだろ」と言う。そこは先に教えておいてほしかった。

「花火何時からだっけ」
「20時……そろそろだな」
「楽しみだなー、アメリカじゃこういうイベント全然行かなかったし」
「じゃあ高校ん時のが最後か」

 うん、と頷きながら屋台で買ったビールを飲む。カップルシートは二人掛けの椅子になっていて、浴衣でも楽に座れるのがありがたかった。

「前来た時は走り回ってる間に打ち上げが始まっちゃったから、全然ゆっくり見れなかったよね」
「そうだったか?その辺はあんま記憶ねぇわ」

 そう言いながら松田が差し出してきた牛串を一口もらう。ちょっと硬いそれが格別に美味しく感じてしまうのだから、お祭り効果ってすごいと思う名前である。口に残った塩分を流し込むビールがこれまた美味しい。

「そりゃ、陣平は花火より食べ物優先だったし―――」

 ヒュルル、と細い音が聞こえて言葉が止まる。見上げた先では金色の光が上空に向かって尾を引いていて、ふっとそれが途切れた直後、始まりを告げる大輪の華が夜空を明るく彩った。ドォン、と腹に響く音が遅れて続く。
 久しぶりに間近で見たその光景に、名前は瞬きすら忘れて見入ってしまった。

「……綺麗だね」

 ほとんど反射で出た呟きだったが、思いのほかか細い声になってしまって自分でも驚く。

「あの時もこんなに綺麗だったかなぁ……あんまり覚えてないや」

 会場を出る前、終わりかけの花火を三人並んで眺めたはずだが、肝心の花火の感想はまるで思い出せなかった。綺麗だって言ったような気もするし、疲れてしまってそれどころじゃなかったような気もする。
 三人で迷子の親探しに奔走したこととか、子供に怖がられて不機嫌な松田を萩原と二人でフォローしたこととか、帰りに買って食べたコンビニのアイスの味とか、そういうことはよく覚えているのに。

(忘れちゃうんだなぁ)

 思い出が色褪せてしまうことが急に怖くなって、名前はじわりと滲んだ視界を誤魔化すように花火を睨みつけた。

「我慢してんじゃねぇよ」

 隣で牛串に噛みついていた男が呆れたように呟く。彼には全部お見通しらしい。

「……いいの。せっかくのお祭りなのにメイク崩れたらもったいないし」
「あのなぁ、泣いて顔ぐちゃぐちゃになろうが化粧が落ちようが、お前は―――」

 途切れた言葉が気になって見れば、松田は眉根を寄せて顔を背けた。

「……なんでもねぇ」
「今もしかして、お前は綺麗だって言おうとした?」
「してねーよ」
「えー、だって流れ的に」
「してねぇっつってんだろ……」

 彼にしては珍しく語尾が弱々しい。決して合わない視線に、名前の表情も自然と緩んでしまう。
 ふふ、と小さく笑えば、長い溜息の後で松田が正面に向き直った。それから串を持っていない方の手でポンポンと頭を撫でられて笑みが深くなる。

「花火、綺麗だね」

 いつの間にか感傷的な気持ちも消え去っていて、今度こそ真っ直ぐな声が出た。おう、と彼らしい返事に胸のあたりが温かくなる。
 花火は一向に途切れない。形と角度を変えて上がり続けるそれは驚くほど鮮やかな色彩をしていて、きっと会場の外でも人々が足を止めてこれを見上げているんだろうと名前は思った。

「来年も、」

 また来ようよ。そう続けようとした言葉は、唇に触れた体温に引っ込んでしまう。鼻先が触れ合うほどの距離で覗き込みながら、松田はその青い瞳を柔らかく細めていて。

「来年も来るか」

 うん、と頷きつつ、いよいよ泣きそうになってしまったのは彼には内緒だ。



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