見つけ出してくれた人

私が通っていた中学校は二つの小学校の生徒が集まるところだった。

孤爪くんとは中学に上がった時に同じ学校になった。同じクラスになったのは2年生のたった一度だけ。周りにはあまりいないタイプの男子だというのと、格好良い顔をしているなぁというのが最初の印象。あとは彼の持つ雰囲気、というかオーラが何故か気になって仕方がなかった。話しかけたらどんな風に返してくれるのだろう、と。

「あ!孤爪くん、おはよー!」
「!…えっ……あー…っ、うん……おはよ、う」

初めて会話をしたのは同じクラスになって数日経ってから。まだ孤爪研磨くんという名前しか知らなかった時期。お互い朝練が終わり教室に入るタイミングが合い、挨拶をすると気まずそうに視線を泳がせながら返してくれた。この挨拶の後だ。雰囲気やオーラ、彼はどんな風に会話をしてくれるのだろうと気になったのは。


きっと朝練終了時間が同じだからだろう。それから毎日と言っていい程、昇降口、廊下、教室の前、場所は違えど孤爪くんと同じ時間に鉢合わせ、挨拶と他愛もない話をした。この頃には自然に挨拶を返してくれた。

「孤爪くん、おはよ!」
「……おはよう」

私が一方的に話したり質問したりして、孤爪くんはそれに頷いたり小さい声だけど答えてくれる。それが嬉しくて、つい用がなくても話しかけに行ってしまう。朝のこの時間は私にとって居心地の良いものだった。



人生で初めて男子に、孤爪研磨くんに胸がときめいたのは夏休み明けの始業式。今日も通常通り朝練があって、同じ時間に孤爪くんと顔を合わせる。

「孤爪くん、おはよ〜!久しぶりだねー!」
「…おは、よ。……うん、久しぶり」

久しぶりに会う彼は少しだけ仲良くなる前に戻ってしまったかのような反応を見せた。私は外の部活で孤爪くんは体育館の中の部活。なかなか会うことが出来なかったから私も少しだけ緊張してしまったけれど。

「あのね、話したいことたくさんあるんだよー」

それよりも夏休み会えなかった分、緊張より話したい欲の方が上で。そんな私に孤爪くんは俯いていた視線をこちらに向けて聞く姿勢を取るため、片方の髪を人差し指で掬い耳に掛けてからゆっくりと口を開いた。

「うん。なに?」

そして、少しだけ、きっと彼と毎日話さなかったら気づけない程、ほんの少しだけ猫目が軽く弧を描き細まった。その瞬間、胸が弾き飛ぶような痛み。訳が分からず心臓に手をやり「なんか、苦しい…かも」なんて伝えると孤爪くんは「…えっ」と焦ったような表情をした。



この時、既に彼のことが好きになっていたんだと思う。けれど、自覚したのはそれから4ヶ月後の寒い冬。

この時期の部活は体づくりのためロードワークや筋トレ、そういったものが多かった。そして、寒い気温に乾燥した空気。少し体調が優れなかったが、部長を任された責任と今まで休んだことがないのと、あとは自分の体に対し特に何も気遣っていなかった無責任さから通常通り部活に勤しんでいた。

「なまえ、鼻声じゃない?風邪??」
「んー、ちょっと。でもこの時期毎年鼻声になるから〜」
「確かに去年もそうだったね。ま、なまえなら大丈夫か。でも、無理しないで言ってねー」
「うん、ありがとう」

へらりと笑ってお礼を言う。なまえなら大丈夫。みょうじなら大丈夫。友達やクラスメイト、家族にも言われる言葉。皆から言われるもの。これが私を苦しめる言葉、ではないけれど、大丈夫と言ってもらえると信用されているような、頼られているような気持ちにはなる。だから、今回も私は大丈夫なのだと、そう思っていた。

今日もロードワークがある。少しの気怠さを感じながらも全力で走った。しかし、思うように体が動かず、前を走る皆との差は離れていく一方。各々全力のスピードで走るランニングだから私が後ろにいても誰も気にしない。

「っ、」

前を走っていた後輩の姿も見えなくなった時、急に体の力が抜けその場にしゃがみ込んでしまった。人通りが少ないとはいえこんなところで座っていてはいけないと端に寄ることは出来たが、体を起こすことが出来ず、そのまま手を地面について伏せる。

あ…この体勢、凄く楽。もう少ししたら起き上がれるかもしれない。そう思ってから数分が経った時、ひとつの声が上から降ってきた。

「みょうじさんっ…みょうじさん!」
「…こ、づめ……くん?」

顔を上げなくても声だけで分かった。初めて聞く彼の焦った声にゆっくりと上を向くと頭がグラグラして視界も真っ暗。直ぐにまた俯く。

「立て、ないよね」

ちょっと、ごめん。控えめに謝った孤爪くんは私の体を支え、自分の背に乗せておんぶする。

「え、あの…こづ、めくん。重い、から…!」
「いいから。それに重くないし…」

いつもよりはっきりと、そして強い口調で放つ彼に口を噤む。こんな風に話されたのは初めてだ。慣れてくるとこういう感じなのかな、なんて回らない頭で呑気に考える。

「ご、めんね」
「……」
「私、大丈夫…だから」

ただの熱だ、きっと。心配させまいと孤爪くんの肩に額を乗せながら弱々しく放つ"大丈夫"は信憑性がない。でも本当に熱を出してるだけだから。いつものように「うん」と頷いてくれるだろう。しかし、返ってきた返事は予想外なもので。

「みょうじさんは基本大丈夫じゃない」
「え…?」
「なんでも直ぐ安請け合いするし、嫌なこと自分から率先してやるし、周りには気を遣うくせに自分のことには無関心。危なっかしいし、たまにドジする時もある」
「え、…え、」

つらつら言葉を並べる孤爪くんは怒っているのかそうじゃないのか分からない。けれど、大丈夫じゃないとこんなばっさり言われたのは初めてで、ぼーっとしていた頭も何だか覚めてきたように感じる。

「何でも出来てるのはみょうじさんだからじゃない。みょうじさんが頑張ってるから出来るんでしょ」

最後に発せられたものに、呼吸が一瞬止まった。


"なまえは何でも出来るからいいなぁ"
"出来ないっていうの感覚、なまえとは遠い存在なんだろうな"


大丈夫。という言葉以外に昔から言われてきたこと。言われたからって特に嫌な気持ちになった訳じゃないけれど、こんな風に言ってもらえたことが初めてだったから涙が溢れ出てしまった。

あ、あれ…?どうして涙なんて出てくるんだろう。きっとあれだ。熱で情獅ニ涙腺が崩壊してるんだ。そうだよ。でも、

「わたし、本当は何でも、出来る訳じゃ…な、いんだっ」
「うん」
「結構ね、頑張って…るのかもしれない」
「うん」

私、ずっと気にしていたのかも。皆の期待を裏切るのが怖くて、大丈夫じゃない、出来ないって思われるのが嫌で必死だったのかも。本当は不器用なんだ。自分でも気付かなかった、もしかしたら無意識のうちに気付かないようにしていたことを孤爪くんが見つけ出してくれた。

「別に……、」
「?」
「おれ、なんかの前では…」
「……」
「…その……」
「うん…?」
「大丈夫じゃなくて、いい…と思う」

最後は、ごにょごにょと小さな声で呟く姿につい笑みを溢す。どんなに小さくてもこの距離じゃ聞こえてしまう。それに対し「孤爪くんだから恥ずかしいんだよなあ」と耳元へ口を近づけて告げると大きく肩を跳ねさせた彼に、驚かせてごめんねと謝罪をする。

「…そういえば、どうしてここにいるの?」
「え…」
「バレー部もロードワーク…?」
「……いや、」

また気まずそうに濁され、返事を待っている内に熱と泣いたことが原因なのか、それとも孤爪くんの背中が安心したのかは分からないけれど、急な眠気に襲われて瞼をゆっくり閉じた。







このことがきっかけで私は孤爪くんのことが好きだと自覚し、そして今まで通り話しかけることが出来なくなってしまった。彼の前でどうしたらいいのか、前までどうやって話しかけていたのか分からなくなり、この日以降孤爪くんから遠ざかるようになった。

そして、中学3年。違うクラスになった私達が関わることはなくなり、孤爪くんが音駒高校に進路を決めたと情報を得て私もその高校に進学を決めた。


高校3年間だけ孤爪研磨くんに片想いすることを許してほしいと願って。



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