手の届くはずのない人

中学に入ってからよく耳にした、みょうじという名前。入学して間もない頃、誰が可愛いどの子がタイプ、そういった話題には必ずと言っていい程、みょうじなまえという名前が出てきて、暫くすると男子からだけではなく女子からも彼女の話が出てくるようになった。

みょうじさんという人は知らないから違う小学校出身なのだろう。きっと関わることはない。そう思ってたある日。日直だったおれは次の授業で使う資料を取りに準備室に向かった。

「……ない」

小さな部屋に色んな種類のたくさんの資料がそこかしこに置いてある。担当の教師は行けば分かると言っていたが、見当たらなくて一つため息吐いた。

もうひとりの日直の人は忘れてて来ない。昨日言われたから忘れるのもなんとなく分かるからそれは別にいいんだけど。っていうか、ふたりで探した方が色々と気を遣うからいなくて良かった…と思う。
今は昼休み。給食を食べ終えて直ぐ来たから時間に余裕はある。とりあえずもう少し探してみて、なかったら聞きに行こう。そう決めて辺りを見回した時、勢い立てて準備室の扉が開いた。

「!?」
「あっ、ごめんなさい、驚かせちゃって!」
「…、あ……う、ん」

扉の音に驚き肩を跳ねさせると、まだそんなに使われてない真新しいジャージを身に纏う女子が入り口で目を丸くしながら謝罪してくる。そして、手に持っている荷物を棚に置いたかと思えば、クルリとこっちに首を動かした。

「シューズの色、一年生?」
「えっ……うん」
「私も一年!よろしくね」
「……う、うん。……よろしく」
「何か探し物?」
「え、えー…っと…」
「?」

首を傾げてぱちぱち瞬きをするこの人にビクつきながら顔を逸らして、「資料を取りに…」と小さく呟く。

「資料?」
「うん……」
「……」
「……」
「あー!もしかして、グルグル巻かれてるやつ?」
「!!……えっあ、うん…多分、それ…」

突然張り上げられた声にまた驚いてしまうとその人は慌てて、驚かせてごめんねと謝ってくる。

「この間、私達のクラスでも使ってね。その時、持ってくるの頼まれた子と探したんだけど分かりにくいところに……あ、あった」

これかな…?と差し出してくるのは担当教師が言っていたものと一致する。

「今、授業はどこまで進んでるの?」

資料を受け取った後、確認のためか授業の進み具合を問われ、答える。するとその人は「これで間違いないね」って言い、嬉しそうに目を細めて笑った。

「…あ、りがとう」
「どういたしまして!」

そう言って今度は歯を見せ、屈託のない笑顔で手を振りながら部屋から出て行った。おれはその小走りで駆けていく後ろ姿をジッと見つめる。

「……みょうじ」

ひとりになってから、あの人のジャージに縫い付けてあった名前を口にした。よく耳にするみょうじなまえさんはあの人だろう。初めて目にして、周りが言う彼女の評価はなんとなく理解出来る気がした。

これがみょうじさんとの初対面。本人はきっとこのことを覚えてはいない。


みょうじさんはどこにいても視線を集める。容姿の問題もあるのかもしれないけど、あの人がいつも輪の中心にいるから。中心にいる、というより周りに人が集まってくる。関わる人を明るくする太陽みたいな存在。知れば知るほど、やっぱり関わることはない人だと彼女に対して特に気にもしてなかった。

それなのに。進級してクラスが同じになり、何故か朝練後に必ず会うようになって一緒に話をしながら教室まで行くのが日課になっていた。最初はびっくりしたけど、話している内にみょうじさんの持つ雰囲気というか、口調というか、声というか…なんていうか凄く話しやすい。教室までっていう短い時間だけど、みょうじさんといると少なからずひとりでいる時よりは目立って嫌だったけど、それよりも会話したい欲の方が強く、居心地が良かった。


毎日、挨拶と共におれの名前を呼ぶみょうじさん。そんな彼女と会えるように朝練終了時間が少しズレた時もバレない程度に時間を調整したりもした。

夏休み明けは久しぶりに会うみょうじさんに少しだけ緊張したけど、そんなのを弾き飛ばすくらい楽しそうに「話したいことがたくさんある」と言われ、思わず気持ちが溢れてだらしない顔をしてしまい、そしたら、苦しいと心臓に手を当てるから体調が悪いのだろうかと焦った。



「なまえは何でも出来て凄いなあ」
「叶うのなら一回なまえちゃんになってみたい!」
「そんなことないよ。でも、それ楽しそうだね!私も皆の体に一回入ってみたいかも」

いつの間にかずっと目で追っていたみょうじさんの姿。勉強も運動も出来て、友達も多い。リーダーシップもあってコミュニケーション能力もある。何でも完璧に熟す彼女は皆に好かれ、頼られる。そのせいか、みょうじさんがいるから大丈夫、安心、頼りになる、流石…そう言われることが多いのを同じクラスになって初めて知った。

でも、みょうじさんは危なっかしいし、意外と抜けてるところもあるし、周りに気を遣って自分のことには気を遣えない人だと思う。頼りになるのも何でも出来るのも分かる。でもそれはみょうじさんが頑張ってるから。っていうことを気付いたのも同じクラスになってからだ。本心は分からないけど、見た感じそう言われることに対して本人は気にしていないようだからそこまで気にかける必要もないのかな。おれがどうこう出来る話じゃないし…。



だけど、12月の寒い冬。冬休みで午後から部活があった日。グランドの横を通り過ぎる時、練習をしていたみょうじさんの様子がいつもと違うように感じ凝視する。でも他の部員や先生も気にしてるようではなかったから勘違いかとその場を後にした。

しかし、部活前の準備が終わりトイレに行った時。みょうじさんの部がロードワークから戻って来たのを目にした。

「?」

……いない。ほとんどの人が戻って来ている中、彼女の姿がなかった。長距離も短距離も速いと言われる人がこんなに遅いのは何かあったのかもしれない、あの時感じた違和感はもしかしたら体調が悪かったのかも…そう思った瞬間、足が自然と動き出していた。

車通りが全然ない道の端で疼くまるみょうじさんを見つけ焦って声をかける。そこでも大丈夫と言い切ることに腹が立って強く言い返した。言い切ってから不味いと気まずくなり目を泳がすが、おんぶしていることにより耳元で聞こえる彼女の震えた声と発した内容に小さく安堵し、また口が滑り「おれの前では大丈夫じゃなくていい」なんてことを言ってしまった。
この後直ぐ眠るみょうじさん。本当に体調が辛かったんだ。余計なことを言ってしまった謝罪は後からにしよう。冬休みが明けて、また朝練後のあの時間で謝ればいい。そう思ったけれど、この謝罪がみょうじさんに伝えられることはなかった。


きっとあの時、余計なことを言ってしまったから。他人が苦手で関わらないようにしていたおれがみょうじさんにあんなこと言って泣かせてしまったから。もうこれ以上近づかないでおこう。そう決めた瞬間、あの居心地が良かった時間と共にみょうじさんの色んな表情や声、会話が脳裏に流れ、心がズキッと痛む。そして、ようやくそこでおれは彼女が好きなことを自覚する。


音駒の入学式でみょうじさんの姿を見た時は呼吸が一瞬止まった。戸惑い、そして少し喜んでいる自分がいて顔を歪める。だけど、この高校3年間だけはみょうじさんに片想いすることを許して欲しい、そう願った。




そして。高3の春。

自分の名前が書かれているクラス欄にみょうじなまえの名前があり眉を寄せ、深いため息を吐き捨てた。

「……最悪」



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