胃袋掴まれ、もう終わり

部屋が汚いけどいいか?の問いに、今更と返ってきた理由がわかった。
酔って記憶がないあの日、勝己は私の家に上がったらしい。正しくは、酔った私が引っ越しの片付けをしていない段ボールだらけで散らかっている家に勝己を連行した。その際、冷蔵庫を開けさせたみたいだが、飲み物しか入っていなく、他に何もないことを知っている彼がスーパーに寄ると言った。私は料理をしないから。

「何食いてェ?」
「焼き魚、煮魚、刺身と竜田揚げ」
「わかった」
「わかったって……。そんな作れるの?」
「舐めンな、作れるわ」

せっかくなら食べたい物を全部口に出してみただけなのに、全て作れると言う。メインが四つも出てくるみたいな感じになってる気がする。
ちなみに、何種類もの魚を結構な数いただいたらしい。しかも新鮮。おばあちゃん、どこから手に入れたんだろ。

「あ、家に炊飯器ないよ」

ご飯買ってく?焼き魚はご飯がないとね、なんて聞いたら引かれた。

「……調理器具あんだろうな」
「あるよ。使ってないからキレイだよ」

そう言えば、また引かれた。





「手際、良すぎ」

家に着き、あっという間に料理は完成した。引っ越して一ヶ月しか経っていないという言い訳をしたとしても、私よりこの家のキッチンを知り尽くしてるような動きだった。基本料理をしない私は、以前住んでた家のキッチンもよく分からないままだったけど。

「美味しそう」
「美味しそうじゃなくて上手ェんだよ。さっさと食え」

まだ片付けられてない引越し用の段ボールがあちこちある中、ローテーブルがポツンと置いてあるその上に湯気が立ち、良い匂いがする魚料理を目にして口から溢れた言葉に、返ってきたのは脅迫じみたもの。

乱暴な口調とは裏腹に出来上がったものは全部美味しそうで、どれから食べるか悩んでしまう。しかも副菜まで作ってくれたし。
悩んでもずっと決められそうになかったため、一番近くにあった煮魚に手を伸ばした。身をほぐしてからお箸で掬い上げ口の中に運ぶ。優しい甘さが広がった後、すぐに醤油の深いコクが追いかけてくるような、そんな味。想像していたより、ずっと甘く、男が作ったというよりおばあちゃんが作った煮魚と言った方がしっくりくるような味がした。

飲み込んですぐ。他のはどんな味がするんだろうと、間髪入れず、次の料理に手を伸ばした。焼き魚は塩加減が少しだけ強いのがクセになるし、噛んだ瞬間じゅわっと旨みが口の中に広がる竜田揚げ。魚も切れる一般的な包丁で捌いてくれた刺身は荒々しくあるが、綺麗に三枚におろしてくれた。その光景を見ていたせいもあってか、今まで食べた刺身の中で特別な味がした。さっと作ったおひたしや味噌汁も、同様で。

これが勝己の料理かぁ、なんて不思議な気持ちになりながら、中学の家庭科の授業で同じ班になった時も彼が作ったムニエルは格段に美味しかったことを思い出す。班の中でお互い分け合った中でも私のは美味しいと言えるものではなく、というか失敗したため「ンで失敗すんだよ……」と珍しく動揺の眼差しを向けられたのは記憶にある。

本人が言ったように、本当に全部が美味しい。こんな家庭的な料理を食べたのはいつぶりだろう。


「ほんと、全部おいしい」


つい泣きそうになってしまった。温かいご飯を食べたからだろうか。さっき起きたいろんなことが嘘のような静かな時間。あそこで勝己に引き止められなかったら、いつも通りあの人と過ごしていただろう。私にとって、どちらが良いかなんて分からない。
ただこの状況が、今までの私を惨めにさせる。虚しくさせる。自分にとって何が正しいのか、幸せかなんて分からないが、今のこの時間が心地良いのは確かだ。

勝己と会ってからこういうことを考えることが多くなった。だから、会いたくなかった。

「そんな美味ェんかよ」

とても穏やかで優しい声が届き、そこで始めて料理から作った本人へ目をやると、頬杖付いて困ったような、呆れたような表情をしてこちらを見ていた。瞬間、体が硬直した。堪えていた涙が一瞬にして溢れそうになったから。泣いたらダメだと、口内で唇の裏側を強く噛み、そして、小さく息を吐きながら伝えた。

「う、ん。毎日食べたいくらい美味しいね」
「毎日作ってやる」
「……冗談だよ」
「チッ」

そっぽを向いて、不満げな舌打ちがこぼれる。どういう意味での舌打ちよ?人に手料理振る舞いタイプじゃないでしょ。

「そもそも毎日作るなんて無理でしょう」

私の冗談に舌打ちという冗談を返してくれたのだろうと思いながら、呆れたように言った。昼食をあのように済ませる職業の人間が毎日作れる時間はない。

「俺の辞書に無理なんて言葉ねンだよ」
「あ。そう」

と思ったのだが、やはり爆豪勝己。彼がそう言えば、当たり前のように不可能を可能にしてしまいそうだ。毎日作ってとお願いすれば本当に作ってくれるそうで、「相変わらず、綺麗に食べるね」と焼き魚を綺麗に解して食べる姿を見て話題を変えた。




「お邪魔しました」

靴を履きながら、背中を向けられて告げられた別れの挨拶に意外に思うも、当たり障りのない返事をする。

勝己が作ったものは、美味しさのあまりぺろりと完食してしまった。特に話す内容もないからか、お互い口数が少なく、食べることに専念していたこともあり、食べ始めてから時間もそんな経っていない。
「これどうやって切ったの?」「あ?フツーに三枚に下ろした」「……」くらいの会話をしたりして、この男は教えるのが壊滅的に下手だということを思い出したり。
洗い物もしなくていいと言ったが、てめー片付けねぇだろと返ってきて、片付けまでしてくれた。そういうの全部踏まえてお礼を言わなきゃいけない。

「ありがとう」

背中に投げられた感謝の言葉に、一瞬だけ固まって振り向いた勝己は何を考えているか分からない表情で口を開く。

「毎日作りに来てやる」
「いや、いらない」
「チッ」

思いがけない発言に、本当に何を考えているんだと呆れて笑みが溢れてくる。そんな私を見て心の内を読み取ったのか、向こうは意地悪く笑った。

「次までに片付けとけよ」

次なんてないけど、と口に出す前に玄関を出て行ってしまった。今回勝己が使った調理器具や二人分の食器は全て段ボールの中から出したもので。引っ越して一ヶ月、忙しくもない毎日を過ごした人間の部屋とは思えない程、片付けられていなかった。

「片付けるのめんどくさ」

如何にもまた来るであろう訪問者を思って出たぼやき。完全に向こうの思い通りの思考になっていると、頭を抱えながら部屋へ戻れば、あるものが目に入った。

「ビジュアルブック」

ローテーブルの下に置いてあったのは、酔ったあの日に読みたいと嘆いたビジュアルブック。あの野郎、わざと置いてきやがった。去り際に言った「次」は確信して出たものなんだ。ほんと、掌で転がされているみたいで嫌になる。まあ、読ませて貰いますけど。

ふと、今度はダンボールからはみ出ているぬいぐるみキーホルダーが目に止まる。何でこのタイミングで視界に入るかなぁ。
これは中三の時、勝己が家族旅行のお土産でくれたもの。お土産をくれる仲ではなかったが、勝己の友人達の会話がたまたま耳に入り、そこで情報を入手した私は当時激ハマりしていたキャラクターのご当地キーホルダーが欲しくて頼んでみたら、買ってきてくれた。言ってみたものの、まさか本当に買ってきてくれるとは思ってなかったからあの時は凄く驚いたし、嬉しかった。だから今もこうして持っているんだと思う。


キーホルダーとビジュアルブック。それらを持ち、シンッと静まり返った部屋の中で二人掛けのソファに座る。さっきだって無言が続き、食器が触れ合う微かな音や口に運ぶ小さな音しかしなかったし、今この状況がいつも通りのはずなのに一人になった瞬間、空気が冷たく感じてしまうのおかしい。

そう思うのはきっと一緒にいた相手が、楽しかった頃の知り合いだから。

今日、あの人と会うのに足取りが重かったのも、会う前にお酒を飲んだのも、ノリ気じゃないと言われたのも、こんなこと今まで一度もなかった。勝己に引き止められてあんなに驚いたのは、きっと安心したからなのかもしれない。


「わたし、勝己と一緒にいたかったのかなぁ」

あの時、"見て後悔した"勝己の顔は、まるで──。


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