彼ジャー


体力測定。これは毎年どの学校でも行われること。


「はやっ!?」


そして、青道高校は今日がその日なのだけれど。目の前を爽快にヒャハーー!して走る倉持は中学の時よりも何倍も速く、つい驚きの声が漏れてしまった。あれはもう人間じゃない。自動車だ。

短距離走選手の陸上部より速いんじゃないか?二回目の測定をするため、軽く息を整えながら列に戻る倉持に引いた目を向けてその場を離れようとする。私はあとボール投げのみ。一学年同時に行う体力測定は上手く回らないと待ち時間が長かったりするらしい。私が今から行こうとしている場所が、それだ。結構並んでいる。倉持、御幸くんペアは五十メートル走で最後らしい。上手い回り方をして早めに上がれるみたい。羨ましすぎる。


今日はちょっと肌寒い。なのに、半袖・半パンで来てしまった。待ち時間が長いから絶対冷える。だって今もちょっと寒いし。あ〜〜、寒い。

自身の体を包むように両腕を組んだ時、視界に入ったのは倉持のジャージ。さっき脱ぎ捨てていた上着が近くにある。脱ぎ捨てたといっても綺麗に畳んであって。前はこんなことしなかったのになぁ。結構、乱暴に脱ぎ捨ててあったのに。これも、ここで野球をしてから変わったことの一つなのだろう。

倉持の成長を目に見えて知れることの出来た畳まれたジャージを遠慮なく手に取り袖を通す。あ、倉持の匂いだ。家と同じのを使ってるんだな。でも中学の時と微妙に匂いが違うのは、洋ちゃん母と倉持の使い方の差なのだろう。

御幸くんと話をしているジャージの主に両手を合わせ、借りるねー!と心の中で放つ。ジャージのおかげで暖かくなった体にるんるんと気分が上がり、スキップをして目的の場所へと向かった。





「おいコラ、俺のジャージ返せ」


ボール投げを終え汚れた手を洗っているところに背後からカツアゲの如く脅しのように低い声で言葉を投げかけられた。


「脅しだ…!」
「どこがだっ!勝手に人のもん借りんじゃねえ!」
「借りるって言ったよ?」
「……いつ」
「倉持が五十メートル走の二回目走ろうとしてる時」
「てめー、それ心ん中でだろ!」
「うんっ!」
「うんっ!じゃねーよ。マジ腹立つなお前!!」


返せ、オラ。とこちらに近づいてこられ、ジャージを守るように自身の体を両腕で包み込む。それでも止まることのない倉持は至近距離までやって来て、上から見下ろしながらただ一言こう放った。


「脱げ」


まるで捕食者の目。肉食動物だ。ガブッと首筋を噛まれ、そのまま引きちぎられて食べられそうだ。これは従わないと殺られるやつ。


「やだよーだ!脱いだら寒いじゃん!」
「はぁ!?俺だって今寒ぃんだよ!返せ!脱げ!!」


そう言って乱暴にチャックに手をかけ下ろそうとする。けれど、脱がされないように両腕を強く体に巻きつけているため、向こうは上手く開けられない。ふふん、と鼻を鳴らす私に苛立ちが隠せない倉持。さっきより下ろす力が強くなった。


「ぎゃーーー!!脱がされるー!!襲われる!!てか、襲われてるうううう!!」
「ヒャハハハ!誰も信じるわけねーだろ」


そうだ。中学の時、どんなに助けを求めても手を差し伸べてくれる人はいなかった。というか、痴話喧嘩に巻き込まれたくないだの、イチャつくなら他でやれだの言われていた。だから、倉持の言っていることはごもっともなんだけど。
ここは青道高校。私達の関係を知らない人の方が多いのは当たり前で。痴話喧嘩だと揶揄う人達はもうここにはいないということを二人共忘れていた。

私達が今いる場所は人通りが少ない水道の前。お互いの声しか聞こえないし、相手以外の姿は確認出来ていなかった。そんな二人の元に二つの影が近寄ってくる。



「なにやってんの。倉持」


男子にしては高く細い声色。けれど、そこからどことなく感じられる圧に、名前を呼ばれた倉持は自身の体をぴたりと止めた。近い距離にいるせいで私の視界には目の前のヤンキーしか映っていない。声の主がいるであろう倉持の背後を見るため顔だけを横にスライドさせてみると、今度は倉持に負けず劣らないヤンキー口調で放つ男の声が耳に届いた。


「オイ、倉持ィィ!!女子に何してんだ、ゴラァ!!」


肩をギクッと跳ねさせ、ロボットのように振り向いた倉持の二の腕を軽く掴みながら私もそちらへ顔を向ける。すると、そこには髭を生やした強面の人と小柄の人、二人が立っていた。


「いやっ…!お二人共、これは違うんスよ!!」
「何が違ぇんだ!」


両手を前に出して降参のポーズ取り、焦る倉持はここが青道だということに気付いたらしい。私も焦るその姿を見て気が付く。下げられたチャックを上げ、倉持の態度からして野球部の先輩と思われる二人を見つめていたら、怒号を上げている先輩じゃない小柄な方の人と目が合い、ニコリと笑顔を向けられた。対し、私は軽く頭を下げる。


「純さん!違いますって!!こいつ、みょうじです!みょうじなまえ!!」
「あぁ?……ああ!転校してきたっつう!」
「そうですそうです!みょうじなんで女子じゃないんですよ!」


ん?コイツ、今女子じゃないって言った?先輩が女子に何してんだって注意したら、コイツ、私は女子じゃないから気にするなって言った?おい、一発殴らせろ。直ぐに拳を作り、横から憎たらしい顔面に狙いを定めた時、また先輩の大きな声がこの場に響き渡った。


「自分の彼女にそんなこと言うんじゃねえ!!失礼だろうが!!」


その言葉は私の心にすーっと溶け込んで。彼女と言われたことすら気にならないくらい凄く嬉しかった。こんな風に庇われたことなんて今まで一度もなかったから。みんなスルーだったから。髭の先輩が優しい兄貴のように見えた。輝いているようにも見える。嬉しさで、涙腺も崩壊しそうだ。ソラがカスタネットで私にバースデーソングを歌ってくれた時と似た感情が湧き出てくる。


「うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁんんん!!!!!!」
「「!?」」
「なっ!?どうした!?」


いきなり大声を上げ地面にダンゴムシのように背を丸め伏せる私に面々は驚愕した。向こうから一歩近づいてくる足音と同時に言葉を放つ。


「ありがとうございます。ありがとうございます。先輩は今、私にカスタネットでバースデーソングを歌ってくれているのですね…!」
「は!?なに?カスタネット!?バースデーソング!?」
「純さん、すみません。コイツ、かなり頭があれなんで。気にしないでください。ほんとすみません」


片岡先生に謝った時と同じトーンで言う倉持は、さっさと立て!ジャージ汚れんだろ!!つーか返せ!!と怒りながら私の二の腕を掴み立たせた。


「その着てるジャージ、倉持のなんだ」
「そうなんですよ、亮さん!勝手に着られたんス!それを取り返そうとさっきああなってただけで!」
「……倉持の、だァ?」
「え?」
「てめぇ!なに彼ジャーさせてんだ!!少女漫画みてーなことしてんじゃねえ!!」
「ち、ちがっ!」


お、落ち着いてください!!落ち着いてられるかぁ!?のやりとりに、小柄の方、確か亮さんと呼ばれた先輩が純さんという人に「純、そういうの憧れてるもんねえ」と言って、一旦この場が落ち着いた。

亮さんと純さん。どこかで聞いたことがあると思ったけど、そうか、倉持と電話でよく名前が出てた気がする。特に、亮さんの方は。うん?あれ?亮さんって。


「あ!亮さんって、あの亮さん!!」
「?」


急に自分の名前を呼ばれた亮さんは不思議そうにこちらに目を向ける。私はそれを構うことなく倉持の方へ向いて、腕を掴みゆらゆら揺らした。


「よく電話で話してた人だよね!?コンビ組んでるって言ってた!分かった、一致した!」


ずっと名前しか聞いていなかった人物を生で見ることが出来て、まるで芸能人に会ったかのような気分になる。


「へえ。俺の話してたんだ。もしかして先輩の悪口?」
「違いますよ!何言ってるんですか!!」
「悪口なんて一度も言ったことなかったですよ。毒舌で先輩にも嫌味言うって楽しそうに話してたよね〜。倉持」
「悪口じゃん」
「ほぉ」
「なっ!?ンなこと言ってねーだろ!」
「え?言ってたよ?」
「てめぇ!」
「いしゃい、いしゃい…!」


いつも通り片手で両頬を摘まれ、上手く話せない。それを見て純さんは「先輩の前でイチャつくな!」とキレて、倉持の首に後ろから腕を回し締めていた。おお、意外な光景。いつもやってる側だから逆の立場を見たことがない。辛そうに、やめてくださいってお願いしているがどこか楽しそうに見えて、先輩の前だとこんな表情をするのかと不思議な感じになる。すごく、楽しそうだ。


「守備もバッティングも、なんでもめちゃめちゃ上手いって。他のことも含め先輩方のこと凄く尊敬してるって言ってました」


中学のあのことがあったからか私はどうも倉持が楽しく野球をしていることが嬉しいらしい。今さっき自覚した。野球も、野球の仲間といるのも。あの冷めた目をしていない倉持を見ると安心するのだ。
自分でも驚くくらい柔らかい声色で、力の抜けた笑みをしてしまった。それに、倉持を含めた三人は固まっていて。そんな変な顔だったのかと少し反省をした。


「そうは言っても悪口を言ったことは変わらないよねぇ」
「ああ、そうだ!放課後練、楽しみにしとけよ!倉持」
「えぇ……マジっすか」


純さんの腕から開放されたと思いきや今度は亮さんにチョップを受ける倉持は、先輩達の言葉に眉を下げて困ったように笑っていたけれど、その顔は嬉しそうで、楽しそうで、いつもより何倍も幼く見えた。


「じゃあ、俺達そろそろ行くわ」
「あっ、はい!」
「なまえのこといじめんじゃねーぞ!」
「何かあったらいつでも来なね。いじめ返してあげるから」
「ちょっ、亮さん!」


そう言って背を向けて歩き出す先輩達の後ろ姿は頼もしく、大きな声で返事をした。


「はい!!いつでも行かせていただきますっ!!」
「てめーは元気よく返事してんじゃねえ!」
「いたっ!?いたぁぁ!?純さぁぁぁぁぁん!!亮さぁぁぁぁぁん!!倉持が今私の事いじめました!!」
「うるせっ!」


私の叫びに一度振り向いた先輩達に倉持はギクッと体を硬直させるが、そのまま何も言わず前を向き直し歩いて行ってしまった。隣で「ヒャハッ、もうスルーされてやんの」と笑われた。なんか悔しい。これくらいのことは自分で何とかしろという事なのか。わかりました!


「つーか、先輩達のこと名前呼びすんな!」
「ダメなの?」
「……俺だって名前呼び出来たの時間かかったんだよ」
「……あはははっ!男の嫉妬は見苦しいぞ〜」
「あ!?」


純さんと亮さん。私、フルネーム知らないもん。今度聞いてみようかな。でも先輩達が嫌と言わない限り名前呼びは止めない。実際こだわりとかはないんだけど、名前を呼ぶ度心の中で嫉妬する倉持が面白いから呼ばせてもらおうと思う。


「そういえば、純さん。私のこと名前で呼んでなかった?」
「あー…そうだったか?」
「なに。なんかあるでしょ。その言い方」
「……いや、去年から奥さんとか嫁とか呼ばれてて、その流れでたまに名前呼んだりしてたから本人前にしてそれが抜けなかったんだと思う」
「ああ、そういう」


なまえって呼んで倉持のこと揶揄っていたのかな。なんとなく目に浮かぶ。でも、歳の近い異性に名前で呼ばれることがあまりないから新鮮ではある。少しドキドキしちゃうかも、なんて。


「あ」
「?」
「同じ学年にいる嫌な奴で、よく打つ人って御幸くんのこと?」
「お前よく覚えてんな」
「だって御幸くんの名前ほとんど出さなくて、嫌な奴呼びだったじゃん!ずっと。ああー!全然気づかなかった!これ当ててくの面白いね」
「俺は全然面白くねーけどな」
「あはははっ!」


今まで電話でしか聞けなかった倉持の世界に少し足を踏み入れられたみたいで楽しい。だって、凄く楽しそうに話すから気にはなるじゃん?どういうところなんだろう、どういう人達なんだろうって。と言っても、きっと全然踏み入れられていないだろうけど。でも、それでいい。










「ちっ、アイツらあれで付き合ってねーのかよ!やってらんねーぜ」
「後輩に嫉妬なんて見苦しいよ」
「嫉妬じゃねーよ!!!!」
「うるさい」
「つーかよォ、あの感じ。倉持、マジで友達としてしか見てねぇんじゃねえか。なまえも」
「んー……奥さんは分かんないけど、倉持はどうだろうねぇ」
「は?それって、つまり」
「さぁね」
「なんだよ!どっちだよ!!」
「純、こういう話好きだよね。いいの?こんなこと気にしてる場合じゃないんじゃない?次、体力測定」
「あ゙」


先輩達、二人がこんな会話をしているとは知らずに私達は再びジャージ争奪戦を繰り広げていた。


「かーえせー!」
「いーやーだぁ!」




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