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昼休憩が終わる前。遅れて葉隠さん達と一緒に昼食を取っている時に八百万さんから女子はチアの格好をするよう教えてもらった。チア服が用意されてないことに疑問を抱きつつ、日の光を通さない素材で作られた体のラインが出るインナーの上から八百万さん特性の衣装を身に纏い会場へ戻れば、この格好は上鳴くんと峰田くんの策略だと思い知らさせる。

動揺するも最終種目のくじ引きが始まってしまえば緊迫した雰囲気へと戻る。尾白くんとB組の人が辞退し、トーナメントの組み合わせが決まった。緑谷くんの一回戦の相手は紫髪の入試の時助けてくれた人だった。しかも第一試合。観客席から二人のことを応援しよう。

そして、組み合わせが決まればレクリエーションが始まる。日陰に隠れながら種目に参加するクラスメイトへ向けてポンポンを控えめに振って応援する。ちらりと横を見ると強ばった表情の八百万さんがいた。こういう顔をする彼女を始めてみる。本戦というのはそれほどのもの。私のような人間が言っていいのか分からないけど、自然と口から出てしまった。

「あのっ……」
「?」
「応援、してる、ので…!」

両手に持ってるポンポンを数回揺らす。余計なことを言ってしまったかもしれないと視線を彷徨わせてから八百万さんの方を見ると、彼女は一瞬だけ目を大きくさせ、まだ顔の力が抜けないまま「ありがとうございます」とふわりと笑った。



それから私もレクリエーションに参加した。種目は、借り物競争。

「……背脂」

お題を手に取って直ぐ。隣から聞こえてきた峰田くんの絶望的なお題と声色にゴクリと唾を飲み込んでから自分のを見る。

「……汗」

峰田くんと同じ声色で発した。汗って……。汗。これも雄英の校訓、Plus ultra!!しなきゃいけないのだろうか。私はさっきの戦いで何も出来なかった。なら、ここだけでも精一杯結果を残したい。汗、と言えばリンクする人がいる。この時の私は一つのことに必死になりすぎて周りが見えていなかった。早く彼の元へ。そう思い、会場から姿を消した。


「……いた。ばっ……」

彼の匂いを辿ってやってきたところは爆豪くん以外誰もいない静かな場所。名前を呼ぼうとして口を結ぶ。目的の人物は精神を統一するためか壁に顔を向けていた。今、話しかけちゃいけない。本戦に出る準備をするために彼らはレクリエーションに出なかったのに、その邪魔をしようとするなんて最低な行為だ。最初から考えれば分かることを私はここにきて初めて気付いた。

集中する背中に向けて小さく吐く。「だめ、かぁ」と。踵を返し、違う誰かにお願いしてみようとした時、後ろから大ボリュームの声が鼓膜を乱暴に揺らした。

「誰が馬鹿だ!あ゙ぁ!?!?てめェ、コラ!殺すぞ!!」
「えっ?」

後ろを振り返ると敵面をした爆豪くんが大股でこちらに近づいてくるから思わず悲鳴を上げた。ど、どういうこと…?バカって?え……?

「ば、ばか?」
「コロス」
「ちっ、違う!ど、どういうこと?馬鹿って爆豪くんが?馬鹿なの?」
「あ゙ァ????」
「ひっ」

ぜ、全然話が噛み合ってない気がする。今、何を聞いてもこの現状は変わらなそう。本気で"殺り"にきてる爆豪くんに一歩、更に一歩距離を取りながら離れていく。その間に自分が何をしてしまったのか考えた。

そして、数秒後。解けた。爆豪くんの名前を呼ぶ時、最後まで言い切らなかったため出てしまった最初の「ば」と、だめかぁと言った時の「か」が向こうに聞こえ「ばか」になったんだ。

「馬鹿なんて言ってないよ!!思ってもない!爆豪くんは馬鹿じゃないよ!!頭も良いし、回転も速いし、賢いし!馬鹿じゃない!!馬鹿じゃないよ!」
「馬鹿馬鹿、繰り返すな!!馬鹿かよ!」
「う、うん。……うん?」
「……チッッ」

何を言ってるか自分でももう分からない。いつもより大きめの舌打ちをし、こちらに背を向けた爆豪くんは低い声でこう言った。

「個性使おうとしねえ腑抜けたやつは近寄ってくんな」

使おうとしない、とはあの時のことだ。爆豪くんも気付いていた。何も言えずただ黙り込み、小さく謝罪をする。

「ごめんなさ……!!!!」

一歩足を前に出して、俯きながら謝ろうとした時、足元に紐状の生き物が数匹いることに気が付く。よく土にいる顔も手足もない生き物。驚きと恐怖、踏まないように地面に足を着こうとすれば、変なふうに置いてしまったせいでバランスを崩し、爆豪くんのすぐ横へ倒れていった。

「は?」

急に現れた私に彼は小さく声を漏らしながら倒れるのを阻止するため腕を掴んでくれたけど、地面に着くギリギリだったから向こうも少しバランスを崩し、そのまま爆豪くんが上から覆い被さるように二人して倒れてしまった。

「チッッッ!!!!」

私は横向きで、その上に爆豪くんがいる状況。さっきの何倍も大きな舌打ちが上から降ってきて、そっちに視線を向けると、顔を背け退こうとする爆豪くんがいて。その動きに合わせ、今度は私が求めていたものが顔に降ってきた。

「……あせ」
「あ゙ァ?」

丁度、右目の下に垂れてきた爆豪くんの汗を掬うように取ろうとすると手をガシッと掴まる。

「ってっっめェ……」
「?」
「ンなもん触んな!!」
「わ、」

私の手を退かした反対の腕でゴシゴシ乱暴に自身の汗を拭き取られるから片目を瞑る。その時、ふと中学で言われたことを思い出した。「痴女かよ」の言葉。まずいっ、と急に焦り出す。

「あっ、あの!実は爆豪くんの汗を貰いたくて!!」
「……」

横向きになっていた体を仰向けに変えて、説明しようとするも簡潔に言い過ぎて目の前にある相手の顔は引き攣っていた。無言で冷たい眼差しを向けてくる彼の心にあるのはきっと「痴女」だとなんとなく察した。

「ち、違くて!!借り物競争のお題が汗だったんだ!」
「……」

更に眉間の皺が深くなった。それがお題に対してなのか、汗というお題を引いた私が自分のところにやって来たことに対してなのかは分からない。冷たく見下ろされた瞳にどうすることも出来ずにいると、視界の端に何かが映った。私が横たわっているのは地面。ゆっくり黒目を動かし見えたのは、先程踏みそうになったあの生き物で。

「!?ひっ、ゃぁあああああ!!」
「いっ!?」

ゴンッ。勢いよく起き上がったせいで爆豪くんの額に頭突き。彼が覆い被さっているためそこから離れられず、思い切り目の前にある首に両腕を回し、くっついた。

「みっ、みみみみぃ!!」
「っ、耳元で大声出すんじゃねえ!!」

ぎゅぅーっと腕に力を込めれば、離れろと横から頭を押されるが、私の力が強すぎてビクともしない。相手が最大にイラついていることも気付けずに、爆豪くんの首元へ顔を埋める。すると、話が通じないと思ったのか突然腰に右腕を回され、下半分地面についていた体が少しだけ浮いたかと思いきやそのまま乱暴に違う場所へと放り投げられた。

「あ、りがとう」

ゆっくり立ち上がり相手の目を見てお礼を言えば、何故か顔を顰められてしまう。また何かしてしまっただろうか。口を開こうとする前に向こうの手がこちらに伸びてきた。目元に向かってくるそれに訳も分からず不安になり目を瞑ると、特に何も起きず、瞼を開けば伸びた腕は顔の横まできてて。そして、右側の髪をバサッと触れられる。その行動は、以前クモを肩から取ってくれた時と同じ。もしかして……

「ミミ……っんん゙!?」
「違え!!騒ぐな!!」

生き物の名前を言う前に口を掌で覆われる。目が騒いだら殺すと言っている。まるで、人質にでもなったかのような気分になり、コクコクと首を縦に降った。それを見てもう騒がないと分かったのか爆豪くんの手は離れていく。……と思いきや、そのまま離れた手がゆっくりと額に向かってきて、前髪を軽く触れるように払われる。瞬間、そこからパラパラと砂が落ちてきた。どうやら前髪に付いた砂を取ってくれたみたい。さっき転んだ時についたのだろう。

「ありがとう」

もう何度目か分からないお礼を伝えるが、返事はない。返事がないのはよくあることだけれど、彼の視線が前髪からずっと動かないことはよくあることじゃない。この雰囲気もよくあるものではない。

「……あの、」

そう口に出した時。額にあった手が今度はサイドの髪へと移され、するりと優しく触れられる。毛先に向かってゆっくり動く手と、何を考えているか分からない表情のまま無言でそこを見つめる爆豪くんに色んな意味で心臓が速まる。触れられることで動く髪が頬に当たり、擽ったい。速まる鼓動を誤魔化す手段が見つからず、双眼を忙しく動かすだけになる。おまけにお互いの立っている距離が近いことに意識してしまう。爆豪くんはたまに人との距離感が変な時がある、と思う。

そんなことを考えていると、今度はお昼前の寧人と同じように毛先を指に巻き付け遊ばれる。ちらり、と視線だけを上に向けて彼の目を見つめては一瞬にして逸らす。目が合ったわけじゃない。ただ、爆豪くんに髪を触れられているこの状況が、この距離の近さが、耐えられない。どうしてなのだろう。寧人に髪を触られても何とも思わなかったのに。でも、一刻も早くこの状況をどうにかしないと……。

「っば、くご」
「悪くねーだろ」
「……え?」

恥ずかしさで顎を少しだけ引いてから名前を呼ぼうとした瞬間、彼が先に言葉を発した。でも、言葉の意味は理解出来ず、頭に疑問符が浮かぶ。

「髪」
「かみ?」
「似合ってなく…………」
「……」
「チッッッ」

顔を逸らし、歪ませ、盛大に舌打ちをする爆豪くん。同時に、するりとその手から髪が滑り落ちた。今、もしかして、似合ってなくないって言おうとしてくれた?騎馬戦の時に寧人が言ったことを思い出して……?でも彼がそんなこと言うとは思えない。私の自意識過剰すぎだろう。なのに、バツが悪そうに渋い顔をして、爆豪くんはこう続けた。

「つーか、似合ってねえとか言われてんじゃねェよ!!!!」

誰が切ったと思ってんだ!と目を吊り上げてキレられ、ぽかんと口を開けてしまう。

「う、うん!似合ってる…!」
「似合っとるわ!!」
「そ、そっか!ありがとうっ」
「褒めてねえ!!」
「そ、うだね!ごめんっ」

きっと自分がやったからという意味での「似合ってる」。けれど、私にとっては特別な言葉で、理由が分からないふわふわした気持ちになる。

「じゃ、じゃあ、行くね。邪魔しちゃってごめんなさい」

そして。普段味わうことの無いこの雰囲気に耐えきれず、その場を逃げるように去ろうとすると、さっきとは裏腹に低く落ち着いた声が後ろから届いた。

「……おい」
「?」
「……ン」
「……?」

呼びかけに振り返れば、私の目を見ながら眉を顰めて「ン」と言われた。何を言いたいのか汲み取れない自分に焦る。親指を下に向けているのが最大のヒントなのだろうが、理解出来ず首を傾げてしまう。

「ん!!!!」
「どういう……!?」

そして、もう一度。さっきよりも力強く放たれる。何かがおかしいとキョロキョロ自身の周りを確認すると、あることに気付いた。

後ろのスカートが捲れていたのだ。

「見苦しいものを見せてごめんなさい!」
「見たくもねーもん見せんじゃねえ!」
「ご、ごめんなさい!ありがとう」

素早く身なりを整え、頭を下げて謝罪をすれば、ご最もな返事をもらってしまった。今、自分が借り物競争という種目に参加していることも忘れて、ここで起きたあらゆる事で頭の中はいっぱいになる。逃げるように立ち去る前に、一つだけ伝えた。

「あ、あのっ、本戦……応援してる」
「!?てめェの応援なんかクソほど要らねェんだよ!!クソ舐めプ女がッ!」

彼の言うことは正しくて。ここに来てから初めて本気の嫌悪感を醸し出す爆豪くんに何も返せなかった。




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