パッと弾けた
「誰ですか?」
もう一度、目の前にいる可愛い後輩らしき男に問いかける。
「黒尾デス」
「……うえ〜〜〜!! 髪の毛どうしたのぉぉお!?」
「……」
すっかり咳も止まり、落ち着いたところで大声を出す。髪がぺちゃんこ。あの可愛い独特の髪型がなくなっていた。膝立ちになり、ペタペタ頭を触って確認してみるが、いつもの尖った部分はどこにもない。
以前、トサカのような髪型は寝癖なのだと教えてもらったことがある。その時は可愛さで狼狽えたものだけれど、髪が下ろされた今の方が女子ウケは良いのではないかと思い、すぐ下にある頭頂に向かってそのまま質問を投げかけてみた。
「この髪型にしたら益々モテるんじゃない?」
「そう、ですかね?」
「うん、女子ウケ良さそう」
まあ、寝癖がついてても中身を知れば、黒尾くんを好きになる女子は多いと思うけど。でも実際は中身を知らなくて、寝癖のついた頭でも彼の見た目をかっこいいと思ってる女子はいると聞いたことがあるから、髪型は関係ないのかもしれない。
ひとり悶々と答えの出ない問いを考えていると、追い打ちをかけるように正解を導き出せないような質問をされた。
「でも、梨本先輩ウケは悪いですよね?」
「?? 私はどっちもイケてると思うけど?」
「アッ……ソウデスカ」
「?」
今は私が上にいるから必然的に上目遣いで見られる。私ウケが悪いと聞いてきた黒尾くんは、またこっちを困らせる瞳だけを上げた可愛いお顔をしてきたから、可愛さで一瞬心が溶けそうになった。
けれど、それより質問の意図が理解出来なかったため、溶ける前に心は固まる。納得していないような片言で返事をする黒尾くんに首を傾げながら、膝立ちを止めて地べたに座れば、目の前にいる後輩は小声でボソッと呟いた。
「梨本先輩、いつもの寝癖ついた髪、好きっつったじゃないですか」
まるで拗ねた子供みたい。下から覗き込むようにして顔色を確認すると、そこには視線を逸らし、どこか不満げな黒尾くんがいた。
「え、っーと……。私、そんなこと言った?」
「……」
冷や汗を流しながらした返答に、黒尾くんは瞼を半分閉じた。死んだ魚のような目をしている。
……え? ……え? えええええええ!! かわいいかわいいかわいい〜〜〜〜!! 拗ねてる黒尾くん、かーわいいー!! ぜーんぜん覚えてない! 覚えてなくて、申し訳ないんだけど、かーわいいっ!
「ちなみに、髪下ろして会うの二回目なんですけど」
「えっ」
「……」
「……いつ?」
「……一年くらい前」
覚えてるか! 一年前のことなんて! でも、可愛い推しの後輩のこの変化を見て忘れるわけがない。一年前のことを必死で脳内で遡っていると、「まあ、先輩と話すようになる前のことなんで覚えてないと思います」と付け加えられ、それは覚えてないと解決した。
「その時、保健室の窓から氷をお裾分けしてくれました」
「へ、へぇ〜」
「残りひとつしかなかったらしいんですけど、惜しみながら大事な氷をくれて」
「そ、うなんだぁ〜」
「溶けた氷でした」
「最低じゃん!」
大事な残りひとつの氷を初めて会った人にあげるなんて、凄いと過去の自分に感心するが、一瞬でその心が砕けた。ぶひゃひゃひゃ笑いをする黒尾くんは、とても楽しそうで。 きっと忘れてしまった私への彼なりの仕返しなのだろう。
「はい」
「? ……あ、飴」
「塩分取らないと倒れますよ」
「ありがとう」
さっきプールの中に落ちたことを言っているのだろうか。きっと心配性の後輩は貧血でふらついて落ちたと思っているのだろうが、実際はそんな可愛い後輩を盗み見るのに必死で足元に気が回らなかっただけ。そんなことは、本人に直接言えるわけもなく、胸の内に秘めておいた。
ポケットから取り出された飴は、私を助けるため水の中に入ったせいで、若干濡れていた。これで、現役スポーツマンに風邪でも引かせたらと思うと、ゾッとする。
体調を伺うため黒尾くんを見れば、目が合った瞬間、直ぐに逸らされてしまった。今確信したけど、ここに来てから ずっと目を逸らされてる気がする。きちんと合ったのは、助けてもらい初めて顔を上げた時と、私ウケがどうとかの話の時の二回だけ。横を向いたり、下を向いたり、私の方は見ているけど視線は交わらなかったり。
いつもはこっちが逃げたくなるくらい見つめてくる時があるのに、だ。
「そういえば、戻らなくて大丈夫なの? 部活中でしょ」
「今、昼休憩なんで大丈夫です」
あ、もうそんな時間か。確かに、お腹が空いてきた気がする。空を見上げぼんやりと時間を確認し、水着の上から腹部を見て自身の空腹を考える。それから、目の前にいる可愛い後輩に目をやった。
やっぱり目が合わない。いつもなら小首を傾げ見つめ返したり、「はい?」と聞く姿勢を取ってくれるのだが。
「どうして目を逸らすの?」
黒尾くんと見つめ合って、きゃーきゃー言いたい。可愛いと悶えたい。私の質問にバツが悪そうに目を泳がす黒尾くんに、続けて「さっき会った時は普通だったのに」と疑問形で聞いてみれば、手根部を口元に当てながらやっとこちらに視線を寄越してくれた。
「自分が今、どんな格好してんのか分かってます」
「……」
自分は今、水着だ。でも、露出の少ない地味なもの。もしかして、もしかすると、もしかしなくても!
照れてるの〜〜〜!? かーわいーいっ! 両手を口元へ 持っていき、必死でニヤける口角を隠せば、立ち上がり背を向けられてしまう。
「〜〜っ!? なので、早く着替えて来てくれませんかね!?」
「わかったわかった〜! 直ぐ着替えてく……お、わっ、」
「? ……ちょっ!?」
急いで着替えたらまた黒尾くんと会えるだろうか。お礼と一緒に黒尾くんも着替えるよう声をかけようとしたのだが、そうする前に立ちくらみを起こし、ふらつき倒れそうになる。
突然変な声を発した私に後輩は不思議に思ったのか振り返り、瞬時に状況を察し、体を支えてくれた。
「はぁ……、氷ばっか食べてっからですよ」
「ご、めんなさい」
支えられたまま、また二人で一緒に座り込み、いつもの小言を言う母親みたいな黒尾くんの発言も、今回は素直に受け止め謝罪した。
チラリ。相手の顔色を伺えば、さっきと同じように目は合わないし、なんなら横を向かれてしまっている。私の水着姿でそんなになる? そう疑問に思うも、声には出さない。けれど、今の私は黒尾くんにこっちを見て欲しくてたまらな かった。
心地良いような、良くないような。でも、嫌いじゃない。そんな空気が数秒……、数分流れた後、向こうが先に口を開いた。
「落ち着きました?」
落ち着いた。クラクラ揺れていた脳は正常に戻り、落ち着いたはずなのに心が落ち着かない。私の状態を確認した黒尾くんはゆっくりその場に立ち上がろうとした。それを相手の両腕を掴むことで阻止する。
「……」
「……」
「え、っと……?」
やっと目が合った。困ったように眉を八の字にさせてる。かわいい。どうしよう。もっと困らせたいかも。何で私はこんなに黒尾くんを困らせたいんだろう。可愛い顔をもっと見たいからなのかな。でもどうしよう。やっと見つめ合うことが出来たというのに恥ずかしくてこっちが逸らしたくなる。逸らしちゃおうかな。
「……え」
殺意が出る程のジメジメとした蒸し暑さの中、間抜けな声を出したのは可愛い後輩の方。立ち上がる途中で止められた黒尾くんが今度は膝立ちになっている。
どうして、間抜けな声を発したのか。それは、私が黒尾くんの腹部に額をくっつけたからだろう。やっと見つめ合えて、きゃーきゃー言えるはずなのに。可愛いと悶えたいのに、急に胸の奥から湧き出てきた「恥ずかしい」の感情に戸惑い、顔を隠すため額をくっつけた。
「……」
「……」
ゆっくり腰を下ろされる。額を預けていた場所がお腹から胸へと変わった。
今、黒尾くんに触れているのは額だけ。濡れたTシャツにくっつけているだけ。視界に移るのは、青く塗られた床と崩された逞しい両足。そして、床を抉ってしまうんじゃないかと心配になるくらい力が入った指先。手の甲は骨が浮き出ていて、指先に力が集中し、指が屈曲している。
私達の間に流れる沈黙。あまり好きではない蝉の声は聞こえてこない。うるさいくらい早く鳴る黒尾くんの心臓の音だけが耳に届く。殺意が出る程の暑さなのに、彼から離れたくなかった。離れなくない……。
「!?」
バッと勢い良く顔を上げる。すると、首だけを動かし横を向いている可愛い後輩がそこにいた。
「どう、したんですか」
目線だけをこちらに寄越し、私の様子を伺う可愛い後輩がいた。
「……」
「……」
「……そういえば、先輩に伝えたいことあったんです」
「……」
「てか、そのためにここに来たんで。……まあ、ちょっと見れるかなぁーって気持ちはありましたけど」
などと続ける可愛い後輩に相槌すら打てず、ただじっと見つめていた。今、私の脳内は大変なことになっている。あるひとつの気づきを得てしまいそうで、とても混乱していた。
こういう雰囲気になったことは一度もない。でも嫌いじゃない。可愛いけど、可愛いだけじゃない。もっと上の感情の……。
今まであった苦手なあの雰囲気も、どうしてそう思うのか理由が分かった。苦手という言葉を使わなきゃこの感情をどう表していいか分からなかっただけなんだ。
私は、今が人生で一番頭の回転が速いんじゃないかと、突っ走ってしまった思考は自分を褒める。脳内が壊れた時計のように忙しく動き回っていることなんて知るわけもない可愛い後輩は口を開き、伝えたいことを述べた。
「今週の日曜、乗りに行きませんか」
「え?」
「……ジェットコースター」
「……あ、え、あっうん」
「いいんですか?」
「う、ん」
「まじ……っすか」
「……うん」
予想もしていなかった言葉に素直に返事をしてしまった。今の私には、この返しは間違えだったかもしれない。
「ははっ、嬉しい。すげぇ楽しみです」
「!?」
けれど、屈託の無い笑顔でそんなことを言われてしまったら、返した答えは正解以外のなにものでもなくなる。かわいいかわいいかわいい。自身の真っ赤に染まった頬を両手で隠し、可愛い推しの後輩を見るも、可愛いだけじゃないことに気づき、さらに頬の赤色を濃く染める。
可愛いだけじゃない。もっと上の感情。愛おしい、と思ってしまった。
愛おしい。もう一度、胸中で反芻した瞬間、パッと心が弾けたような気がした。
私、黒尾くんのことが好きかもしれない。