なんてことはない、何もない、何も変わらない日々を送っていた。上がることも、下がることもない。 殆ど一日中ベッドの上。時折家族が顔を見に来る。そんな日々だった。 けれど、それももう終わり。 「――! ダメよ、まだ、まだ、お母さん、あなたに何もしてあげてない……っ!」 そんなことはないよ、母さん。俺は知ってる。 母さんが、ずっと俺を心配し続けてきたこと。俺の顔色を見る度、ほっとしていたこと、部屋を出ていくとき、涙ぐんでいたこと、全部知ってるよ。 「もう少し、もう少しでいいから……っ、治療法だってあと少しで……! ――!!」 ごめんなさい、父さん。 もう俺の体、持たないみたいだ。ありがとう、治療費を絶やすことなく働き続けて稼いでくれて。 時々勉強を教えてくれたこと、本当にうれしかった。 「――の好きな漫画の新刊買ってきたのに……っ、ねえ、まだダメだよ、こんなの嫌だよ、ねえ、――……! お願い、ねえ……っ!!」 姉さん、また面白い漫画持ってきてくれたの? 嬉しいなぁ……。 やっぱり姉弟だね、姉さんの持ってきてくれたその漫画、本当に面白いんだ。続き、読みたかったなぁ。 「……り、がと――」 一人の青年の生涯はこうして閉じられた。 そしてこの時、ここにいた者たちは誰も信じられなかったことだろう。 これは、とある人間が新たな道を目指す物語への、ほんの始まりに過ぎないのである。 「あの、プロローグ的な感じで独り言を仰っているところ悪いのですが、そろそろ話しを進めてもらえませんか?」 「ああ、そうであるな。申し訳ない。つい、やってみたくなった」 辞書のように分厚い白い本を語り終わると同時にわざとらしく閉じた、姿形があやふやな白き存在に、青年は言った。 青年は確かに死んだはずだった。それが気が付けば見たことの無い白い部屋、否、空間に目の前にいる白き存在とともにいたのである。 白き存在は老若男女の判別がつかない。背丈だけならば子供とは言えないのだから、子供ではないことがわかる程度で、男女の性差を感じさせない存在だった。 声色さえも中性的というよりは老若男女の声が混じっているように聞こえ、判別がつきにくい。 ただでさえ正体不明だというのに、自身のこれまでの一生を淡々と述べていたかと思うと突然物語が始まるかのごとき文言で閉じるのだから、本当に意味の分からない存在、つまりは、不審者のように思えてならなかった。 「端的に言おう。君には別の人生をもう一度歩んでもらいたい」 「は?」 「君たちの言うところの神様転生というものだ。あまり深く考えず、次の生を楽しんでもらいたい」 「いやいや、意味が分かりません。そんなことをしてもらう価値、ないですよ」 転生という存在は知っているが、青年はラノベを読むことはなく、よく読むのは姉が好んでいた少年漫画の単行本ばかりだった。 買いに行けない事情もあって、漫画は姉から借りることしかできなかった青年にとって唯一の娯楽だったことを思い出すと、抱き始める寂しいという感情。 時間間隔が掴みにくいが、体感として得るとすれば一時間も経っていない家族と永遠の別離は、そう簡単に割り切れるものではなかった。 「神の気紛れとしか言いようがないし、既に決定事項なのである。諦めておくれ」 白き存在は神であるらしい。そう言われてみると、確かにそう見えなくもない。 自分の力で現状がどうにかなるとも思えなくなってきた青年は、とりあえず自称神の言葉に真剣に向き合うことにした。 「気紛れということは……。神の試練があるとか、魔王を倒せとか、そういう壮大なことではない?」 「ああ、ないとも。その辺りは安心してほしい。君が新たな生を歩む場所は君の姉君が好んでいた少年誌の世界だ。まあ、まだ君の時代では連載が始まってはいないが」 「……どういう世界なのか、お聞きしても?」 「“個性”という簡単に言えば超能力が蔓延る世界でな、ヒーローというものが職業とされた、種類で分類すればバトル漫画である」 「ONE PIECEの世界じゃないんですね……」 少し気落ちした青年に、苦笑交じりの声で神は返答する。 「見聞きした漫画へは送れんよ。君には遠慮せずにその世界で生涯を遂げてほしいのだからね」 「遠慮……? 好きな漫画なのに、ですか?」 「例えば、原作を壊してしまわないかきっと君は苦慮するだろうし、そうなってくると原作キャラと仲良くなってもいいのかも悩むだろう。それもまた人生の醍醐味かもしれないが、私は知識のない世界であるがままに生きてほしいのだ」 送る先の神にも、そういうことで意見が一致してね。 付け足した神の言葉にそうですか、と納得して頷く青年に、神は輪郭さえもあやふやだが、恐らくは片手を青年に差し伸べるかのように向けながら、問うた。 「君には選択肢がある」 「選択肢?」 「行くことは決定されているので、行く、行かないではない。神からのお詫びの品だ」 @今までの記憶持たず、能力も指定せずに転生する、ランダムプラン A今までの記憶を持つが、得られる能力はランダムに指定される半ランダムプラン B今までの記憶を持ちつつ、得る能力を指定する決定されたプラン C今までの記憶を持たず、得る能力を指定する半ランダムプラン 「尚、どのプランも違和感のないように両親の個性などはあちらの神が設定してくれるから安心してほしい」 どのような人生になるのか保証はしないがね、と付け足した神。 意図するところは神が何度も言っている青年自身があるがままに生きることに含まれる要素なのだろう、と判断し、青年は質問する。 「得る能力というのは“個性”のことですよね? 選べるとして、どんなものを選べるのですか?」 「BとCに関しては正になんでもありだ。漫画、ゲーム、或いは君自身が考えたオリジナルでもいいのであるな。ただし、注意点がある。オリジナルで考えたものはそれに合わせてあちらの神がデメリットとなる要素を加えるが、《《漫画などから得た能力のデメリットは必然として引用された世界を基準とするという点》》である」 「……例えば、どのようなものが挙げられますか?」 「そうであるな……。例えば、HUNTER×HUNTERの念能力を能力にし、炎の念にするとなると、それを獲得するためには実際に火に炙られなければならない、といった具合である」 「なるほど……。俺が好きなONE PIECEの悪魔の実シリーズとなると、カナヅチは必須だと?」 「そうなるのであるな。君の一生に左右されるものだ、慎重に選ぶのである」 「決まりました」 即決した青年に神は呆気にとられた。小さく開けられた口は、少しの間をおいて閉じられる。 「……即決か」 「俺は、“オペオペの実”がいい。神様の話を聞いて一番それがいいと思いました」 「治癒系に守るという能力を思いつかなかった君ではないだろうに。“オペオペの実”で治せるものは大半が外科手術となるが?」 「神様ならご存知でしょう? 俺は、ONE PIECEの医療に纏わるキャラクターたちが好きでしたから」 自身の一生を色濃く反映してのことなのだろう。青年は、生まれてきた頃からずっと病院での生活を余儀なくされていた。 生まれながらの難病。それも、成人するまで生きられるのかわからないと言われるもので、国からも難病指定されるほどのもの。 自身の身近にいる医者の生き様をまったく別の世界観で描写されていた、医療に纏わるキャラクター達はとても魅力的だった。 「君の難病を治せるかもしれないからかい?」 「そんな理由だったら俺は迷わず治癒の能力を選びました。でも、神様言っていましたよね。ヒーローが職業化された世界だって。つまり、犯罪者にも“個性”を使っているものがいるってことでしょう。なら俺は、我儘かもしれないけれど、守って治せるヒーローになりたい」 「では、BかCのどちらか選ぶのである」 「ここでの経験も、死ぬ前の俺の経験も持って行かなくちゃいけない気がするんです。だからBでお願いします」 自由に動くこともままならなかった日々。 自身の身に巣食っていた病。 そして、大好きだった家族から与えられてきたもの。 今までの一生を振り返った青年の瞳は痩せ細った体とは裏腹に決意に満ち満ちていた。 強い意志の籠った瞳を向けられて、神の口はとても楽しそうに笑む。 「もう一度言っておこう。これは神の気紛れだ。我々はただ見守るだけ。ほんの気紛れで何某に手を差し伸べて、あとはただ見守るだけだ」 君がヒーローになろうとも、一般人のままであろうとも、犯罪者となろうとも、それ以外の何者になろうとも、我々は何もしない。 「君の一生だ、楽しんでくれると私も嬉しいのである」 先ほどまで纏っていた空気が一変したことに気付いて青年は目を丸くする。 威圧でも、殺気でもない。これが神か、と言わしめるほどの荘厳さを持った清くて強いものだった。 驚くと同時に自身の足元が白く光り輝き――やがて、青年の体が足元から消えていく。 あっという間に下半身まで消失していくのを見て、青年は慌てて神へと頭を下げた。 「……っ、ありがとうございます、神様!! 俺、頑張ります!!」 神の返答が届かぬほどの、あっという間の転生の道への転移。 最後の最後まで頭を下げて礼を述べる青年は新たな道へと導かれていった。 見届けた神は、誰もいない空間でぽつりと言葉を零す。 「うむ……。中々、気持ちの良い青年であったのである。――あと少しだけ、手心を加えてやるとするか」 神とは気紛れに手を差し伸べる。で、あるとするのならば、その気紛れがたまたま連続で起こることもまた、在り得るのだから。