白い神に転生された、難病によって死亡した青年だった彼は驚いた。 ――健康体ってこういうことだったんだ。 あの頃では考えられないほど体が軽い。歩くだけでも疲労感を覚えた前世とは違って、自分の力で風を切って走るとは、なんとも大変で、しかし、楽しいものなのだろうか。 公園に設置されている半円のタイヤをひとっとびすること、雲梯にぶら下がりながら腕と手の力だけを使って渡りきること、何ならただの散歩だけでも彼にとって楽しいことばかりだった。 前世では体験できなかった様々なことを沢山していた彼は、個性が発現する前にと水泳を他のどのことよりも思いっきり楽しんだ。 そんな彼の姿を見ていた両親と周囲の人々は、泳ぐのが大好きで活発的な子供として受け入れることとなる。 彼の前世の面影をさっぱりと覆い隠せてしまうほど楽しそうな様子は正に子供そのものだったからだ。 同時に少し早いかもしれないが勉強も忘れない。彼が目指す、守れて治せるヒーローになるためには勉強は必須。 父が勉学で厳しい一面があるために幼いながらも設けられていた勉強の時間は、彼にとって正に渡りに船。 意気揚々と勉強に取り組む自身の息子を見て、逆に父親が驚くくらいだった。 そして、彼はその日を迎える。 「わぁ……!」 右手の掌の上で、嘗て漫画という紙面上でよく目にしていたものが展開されている。 これを大きくしていけば、あの半円状の“ルーム”になるのだろうか。 「“個性”出たのね!?」 夕食後の後片付けを終えた今の母親が息子の掌の上でまるで回転しているかのように円を描いて動くものを見つけて、嬉しそうに近寄ってきた。 「お母さん! これっ、これ見て!!」 「ええ、ええ、見えてるわよ! 私と同じ個性なのかしら、よく似ているわ!」 自身の子供が自分とよく似た個性なのかも、と喜ぶ母親は息子が個性を発現させている掌の隣に自身の個性を発現させた。 途端、母親の掌の上で自分とよく似た円状のものが発生する。 「お母さんも俺と一緒?!」 「ふふ、そうね!」 くるくると回転している円状の何か。そこに確かな母と子の血の繋がりが見えた。 喜びにテンションが上がったままの息子を微笑ましく見つめていた母親だったが、とあることに気付く。 「この個性はね使い続けるととっても疲れてしまうの。だから、そろそろ止めましょう?」 「えー……」 「疲れたら歯磨きもできないわ。お父さんに叱られちゃうわよ?」 「それはやだ」 以前父親に出されていた宿題を忘れてしまった時のことを思い出して即座に個性を解除した彼こと、|外賀伊壱《げか いいち》は、それでも個性が初めて顕現した掌を嬉しそうに見つめている。 「ねえねえ、お母さんの個性はなに?」 何気なく尋ねられた母親は、自身の個性をなんて説明したものかと言葉に悩む。 簡単な個性ならば迷う必要もないのだが、母親の個性は未だ幼い伊壱に理解できるかと言われたら難しいと思われる類のものだったからだ。 「“空間保持”というのだけれど……。そうねぇ、何て言えばいいのかしら。一定の場所にあるものをその時のままにしておけるのよ」 「そのまま?」 「そう、そのまま。お母さん、あんまり体力ないから使いこなせてないのよね。でも、元気いっぱいな伊壱なら、きっとすぐ使いこなせるわ!」 優しく頭を撫でられて嬉しそうに笑う息子。 伊壱の父親の個性の方が男の子の将来の夢筆頭として挙げられるヒーローになりやすかったことだろう、と思ってしまう。 彼女の個性は少々扱いにくく、あまり戦闘向きではない個性だからだ。 青春時代、とある偶然から今の夫と出会っていなければ、結婚さえも苦労してしまうほどの扱いにくい個性。 それでも無個性よりは生きやすいはずだと思ったところでぶんぶんと顔を左右に振る。 (いけない、いけない、そんなの差別だわ) 「お母さん?」 「何でもないのよ、伊壱。さーて、早速お父さんにメールしなくちゃ!」 母親がいそいそとスマホのメール機能を使い始めているのを見届けて、伊壱は思案する。 (オペオペの実の個性、頑張って使いこなす!) ヒーローの動画を幾度か目にした伊壱は、ヒーローという職業が本気で取り組まなければ絶対に続けることができない世界だと知ったのだ。 しかも自分はヒーローだけでなく、外科医にもなると決めているのだから、今以上に体力づくりも勉強も頑張らなければ最短ルートは選べないだろう。 (神様、昔の父さん、母さん、姉さん! 俺、頑張るよ!) きっと、漫画では描かれていない苦労もこれから先自分は経験するのだろう。 やることは沢山ある。 乗り越えなければならない壁も、きっと沢山あるだろう。けれど、やりたいからやるのだ。やれるから、やるのだ。 自分が目指す夢のための第一歩を確かに踏めた気がした伊壱は小さくガッツポーズをするのだった。 母親から伊壱の個性発現の知らせを聞いた彼の父親は思わずメールを凝視した。 「どうされました?」 「息子が個性発現したと、妻からメールが来まして」 「伊壱君が! おめでとうございます! 個性はどのようなものだったんですか?」 「妻似のようです」 「奥様の……。確か、以前仰っていましたよね、奥様は個性で大変ご苦労されたと……」 以前夫婦の馴れ初め話という名の惚気話の中で語られていたことの一つを思い出して心配そうにしている男性に父親はええ、とぼんやりと返す。 彼はここ数日帰宅できていなかった。仕事柄仕方のないことなのだが、そろそろ家に帰りたいなぁ、と疲れた頭で考えていたのだ。 「妻はあまり体が丈夫ではありませんからね。個性に体が耐えられなかっただけで、使いこなせれば強い個性だと思います」 「そうなんですか?」 「俺の予想でしかないですがね」 休憩室にあるソファに腰掛けて淹れたてのインスタントコーヒーを飲みながら、父親はメールを返し始める。 貴重な休憩時間がいつ終わるとも知れない。ここはヒーローのそれとはまた異なった戦場ともいえる場所だからだ。 「絶対帰る、と……」 「それだけ聞くとなんだかここが戦場みたいなんですが……」 「似たようなものです」 短い文面で返事を出した父親がそう言った時、正にフラグが立っていたのだろう。 緊急アラームが休憩室に響いた。 『外賀先生、急患です! 至急お越しください!』 呼ばれた父親はぐい、と飲み残っていたコーヒーを一気飲みした父親は、ソファから立ち上がる。 「了解」 朝から働き詰めで少しくたびれた白衣がソファとは別の椅子に掛けられている。少し離れた場所にあることに気付いた父親は、白衣に向かってまるで来い、とでも言うかのように手を動かすと、白衣が宙を舞い父親のところまでやってきた。 白衣を着こむと次はコーヒーが入っていた紙コップに向けて手を向けるだけで同じ動作をすると、今度は紙コップが宙を舞いゴミ箱へと入っていく。 「便利な個性だなぁ……。“物質操作”ですっけ?」 「ええ。その応用みたいなものですが。患者は待ってはくれませんからね、さっさと行きますよ、新人研修医」 「いい加減僕の名前覚えてくださいよ、外賀先生!」 ここは病院。そして、伊壱の父親は、この病院に勤める医者であった。 伊壱の個性が発現してから、約一年。その間に色々なことがわかった。 確かに母親の個性である“空間保持”であることは確かなことだった。けれど、それだけではなかったのだ。 父親の個性である“物質操作”が混じった複合型の個性であることがわかったのである。 (父さんの“物質操作”と混じって、本当にオペオペの実そのものになった……!) 神が言っていた通りだった。このために両親が出会った、などと伊壱は考えてはいない。 医者という職業のために忙しくてあまり家にいない父親。厳しい一面もあるものの、そこには嘗ての父親のように伊壱のこと、或いは母親のことを想う心情が如実に現れていたからだ。 両親から受け継いだ個性が強いものであることは二人の反応を見ているうちに何となくわかった。 けれどただの強い個性というだけでヒーローにはなれないと、伊壱は本格的に戦闘というものを学んでいきたいと考えるようにもなる。 (まだ早いかもしれないけど、早いことに越したことはないよね……。でも、どう学ぼう) 生前は入院生活で、当然体を今の生ほど動かしたことがない。 ONE PIECEの世界のように強い動物がいるわけでも、海賊がいる世界でもない。ヒーローが活躍してくれているお陰で、平和なことが当たり前になっている世界だ。 だからこそ喧嘩というものは身近なものではなく、ましてや、幼稚園くらいの年頃の子供に喧嘩を吹っかけてくる人間もいないのである。 「ヒーローになるのに、戦えなくちゃ意味ない」 「そりゃあな」 「!?」 ぽつり、と独り言を零した伊壱は驚いた。ここは家の庭先である。 家の中に母はいるが、それ以外この家には誰もいない筈なのに、まったく見知らぬ人の声が背後からするのだから驚くのも当然だった。 「つゆりから聞いていたが、確かに強い個性だな」 「……お母さんの友達?」 「ああ。五月七日生まれだからつゆり、お前の父親は八月一日生まれでほづみ。んで、お前は一月一日生まれだから伊壱。少し捻ってつけたって聞いた」 さばさばした雰囲気のする、一般人とは思えない女性に伊壱はもしかして、と期待の意味を込めて訊ねる。 「お姉さんはヒーローですか!?」 「あー……。一応な。ヒーロー免許は持ってる」 「プロヒーロー?」 「一応な」 伊壱の視線に合わせるためかしゃがんで視線を合わせた女性は、真剣な眼差しで伊壱に問うた。 「お前、どうしてヒーローになりたいんだ? 強い個性だからか?」 「違うよ。俺は守って治せるヒーローになりたいから、なる!」 「……ふーん、守って治せる、ねぇ。でもお前の個性じゃ治せないだろ?」 「うん。だから、父さんみたいな医者にもなる!!」 女性が真剣だからこそ、伊壱も真剣に即答すると女性は目を丸くする。 少しの間が開いたかと思うと――突然女性は笑い出した。 「アッハハハ! ヒーローになって、ほづみみたいな医者にもなる!? こんな強欲なガキ、初めて見たよ!!」 「……」 人工芝が丁寧に敷かれた地面を叩きながら笑い続ける女性に、夢をバカにされていると思った伊壱がむぅ、と眉を寄せて不機嫌を表わすのを見てか、女性はごめんな、と軽く謝るとすぅ、はぁ、と落ち着けるためか大きく呼吸してから改めて伊壱を見つめながら言う。 「本気なのかぃ? お前の言っていることは大抵の人間には無理なもんだよ。寧ろ、どちらかに就職できれば御の字だ、それを両方だなんて、余程のバカが考えることだよ」 「それでもなる」 「……頑固なガキだねぇ。ったく、ほづみのいらないところを似ちまいやがって」 子供の夢が案外バカにならないことを女性は知っていた。愚直なほどまっすぐなそれを貫くか、曲げてしまうのかは、詰まる所は当人次第。 そしてそれを貫けた人間は、どのような形であれ大物になるのだということを。 「私の名前は|武藤《むとう》タツキ。お前に戦い方を教えてやるよ」 「! 本当ですか!? でもなんで!?」 「お前が最低限何かが起こっても身を守れるように指導してくれと依頼されたんだ。」 アンタの両親は過保護かと思えば大胆だよな。と付け足した武藤に、伊壱は目を輝かせる。 どんな形であれ、伊壱はプロヒーローから直接指導してもらえるのだ。こんな機会みすみす逃すわけにはいかない。 「じゃあ、お姉さんが師匠!?」 「師匠……? まあ、そうなるのかねぇ。とは言っても、最低限だからね。仕事分が終わったらそれで終了だよ」 「じゃあ、その後もう一回弟子入りする!」 「は? ヤだよ、めんどくさい」 「絶対なってもらいます、師匠!」 「はいはい、わかったわかった。とりあえず、明日からな」 おざなりな対応をしたのに明日からか、と期待を高めていく伊壱を呆れて見つめる武藤はまだ知らない。 この時の伊壱の言葉が本当に達成されること。そして、彼女にとっては生涯でただ一人の弟子になるのだということを。