九月三十日

比較的、数学は得意な方だ。
授業中にしっかりと話を聞いて最低限の復習で済むように小さい頃から習慣付けているからかもしれない。
高校に入学してからもこの学習スタイルを変える気は無い。期末テストは上の下程の成績だったし、放課後はじっくりと取り組みたい事がある。

けれども小テストがあるとなれば、また話は変わってくる。
私──日高みやび──は次限に向け自習をしようと教科書を開いた。

基本はしっかりと理解しているつもりだが応用問題への理解はまだ甘いと思う。
問一と問二は見込み通りスラスラと解けたけれど、やはり問題は問三からだ。

気合いを入れて取り掛かろう。……分からなかったら小テスト後でもいいから中山先生に聞こう。そう思った矢先に声を掛けられて顔を上げた。

「ミヤビ様、見て欲しいものがあるんです」
「マリアさん、新作が出来たの?」

そうです、とマリア(本名はマユミさんだけどそう呼ぶと泣き出してしまう)は満面の笑みでクロッキー帳を突き出した。

──お昼休みに見るから、今は数学の問題を集中して解きたいの。ごめんなさいね──

本心は、これだ。
けれど私はそう言えずにマリアのクロッキー帳を笑顔を浮かべ、両手で丁寧に受け取った。
ファンの期待を裏切らないをモットーにしているので……しばしば八方美人を演じたり自己犠牲を払う事もある。そして今回も、それだ。

私とマリアは友人ではない……らしい。
一応クラスメイトなのだが彼女は私の事をそういう扱いにする気は一切ないらしく、人形作家のミヤビにのみ用があるらしい。

会話をし出すようになってから何度かお友達になりましょうよ、と自分から声を掛けたが「そんな失礼なマネ出来ません!他のファンに殺されちゃう!」とマリアはその都度金切り声をあげるので流石に懲りた。

なので毎度適度な距離を保ちながらイラストレーターになりたい彼女の作品批評を繰り返ししている。勿論、凄く丁寧に。

なんとなく閉塞感漂う学園生活。
いじめられてるわけでもなく、むしろ敬われているのだろう。それでも、毎日人目を気にしているばかりで息苦しい。

マリア以外にも声を掛けてくれる人は数え切れないほどいるけれど、結局は一人だって例外はいない。
日高みやび≠ナはなく誰もがミヤビ≠求めている。それならば学校に行く必要は本当にあったのだろうか。

勉学は確かに必要だと思うけれど、こんな調子ならば進学せずに作家として仕事に没頭していたかった。

八十神高等学校に入学して早五ヶ月が経とうとしていたが、まだまだ降り注ぐ夏の陽気と何とも言い難い現状に心の中で大きな溜息をついた。


* * *


「おっしゃー!花村、アンタのオゴリね」
「いやいやいや!里中サンはそんな勉強できるキャラじゃないっしょ!これはなんかの間違い……」

ハハハ……と苦笑いを浮かべる男子生徒──最近転校してきたばかりの花村陽介くん……であっているはず──と彼を睨みつけるクラスメイトの里中さんの手には返ってきたばかりの数学のテスト用紙と思われるプリントが握られている。どうやらテストの結果で賭けをしていたらしい。

「テストで賭けなんて感心はしないけど……千枝、今回は頑張ったね」
「肉のためなら何のその!」

里中さんと仲良く談笑をし始めたのは彼女の親友である天城さんだ。 真っ直ぐに伸びる黒髪がトレードマークで、天城さんがくすりと笑う度しなやかに揺れた。

里中さんと天城さんと同じで、私も生まれも育ちも稲羽市で小中学校も一緒だ。
けれども、用があれば話したりはするものの特別彼女達と仲良くは、ない。
……それでも、二人は私が思い描く理想の親友像なので自然と目で追いかけてしまう。 タイプは違えど心からお互いを理解し、いつ見ても笑いあっているから。
密かに、「二人と仲良くなりたい」と長年思いを募らせているが誰にも打ち明けていない。というか、そんな相手が私にはいない。

里中さんはクラスのムードメーカーで、活動的な印象を受ける女の子だ。お淑やかな天城さんと比較され、女らしくないなんて言われているのを偶に耳にするが、気遣いが出来る優しい子だ。
現に転校してきたばかりの花村くんに一番に声をかけたのは彼女である。

花村くんと話した事が無いのではっきりとは言えないが彼も比較的明るいタイプだと思う。
とはいえ転校して一ヶ月ほどでここまでクラスに馴染めている(明らかに私よりも人望のある彼に少しだけ嫉妬してしまう自分が虚しい)のはきっと里中さんの心配りもあるだろう。

それにマリアから聞いたが、花村くんは学校一の美人である天城さんと付き合ってるらしい。順調すぎる学園生活だ。まるで漫画じゃないか、なんて思ってしまう。

……いつも楽しそうで、いいな。

転校してきたばかりの花村くんはともかく、小・中・高と完全に里中さんや天城さんと仲良くなるタイミングを失っていた。 そうなると、今更仲良くなるのは中々に難しい。

自分にも友人兼、心から信頼している幼馴染が一人だけいけれど彼は一つ年下なのでこの八十神高校にはいない。
更に来年の春に入学してきたとしても……彼は中々の強面だと自覚している様で私の交友関係を気遣って話しかけてきたりはしないだろう。

そうなると私の学園生活はこれからもあまり実りのあるものにはならないだろう。味気なかった中学の時ときっと一緒だ。

大分、この学園生活には食傷気味だけれども……勇気を出してファン以外の人と話してみたい気持ちは、まだ、ある。
中学生の頃は人形作家という夢が出来たばかりでがむしゃらに作品を作っていた。あの時は一秒も惜しくて自ら壁を作っていたと反省している。

些細なものでいい。何かきっかけがあればこの小さな勇気を奮うのに。

自分の手元にある、問三だけバツがついたテスト用紙に自然と小さな溜息が漏れ出た。





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