四月二十六日

花村くんに肩を貸して貰ってなんとか家に着くと、お母さんが泣きそうな顔で迎えてくれた事だけは覚えている。

体力的にはまだしんどいけれど、ここ最近では珍しいスッキリとした睡眠だった。 心地よさに身を任したくなるがむくりと体を起こした。 沢山心配をかけてしまった人がいるのだ、ゆっくりは出来ない。

熱いシャワーを浴びた後、私服に着替え薄く化粧をする。 鏡に映る私の瞳は金色に輝いてはいなかったが、あの時の事はしっかりと胸に刻まれていた。

一階に降りるとお父さんとお母さんが揃って昼食を摂っていた。 少しだけ気不味く、食卓に着くのを躊躇っているとお母さんに「冷めるよ」と声を掛けられたので食事をとりあえず頂く事にした。とにかく体が栄養を欲していた。

回鍋肉とご飯でお腹が膨れると暖かいお茶がコトリと目の前に置かれた。 美味しいご飯で私の心は大分落ち着いていた。

嘘偽り無く…言うと頭を心配されそうなのでテレビでの事以外は素直に言う。決めた。

「…心配かけてごめんなさい。誘拐とかじゃなくて…気持ちの整理を1人したかったの」
「ううん。みやびの事、助けられなくてごめんね」

お母さんは何でもないように言うが少しだけ声が震えていた。ここのところ心配かけてばかりで本当に心から申し訳なく思う。 ちらりとお父さんを見ると真っ直ぐな視線に射抜かれた。

「どれだけ心配かけたか分かるかい?」
「…とっても」

シュンとした私を見てお父さんは一度大きな溜息を吐いたが、眼鏡越しに光る瞳は柔らかだった。

「お前はいつもカッコつけで本当の事を言わないな…芸術家たるものそれ位でいいかもしれないが本当に困った時位頼りなさい。わたしは君の親なんだから」
「あ、りがとう。えっと、あの…聞いて欲しいことがあって」

母に比べるとだいぶクールな性格の父だが今回ばかりはかなり心配を掛けてしまったらしい。
…やっぱりお父さんの事は父としても芸術家としても尊敬出来るし、好きだ。 込み上げて来た感情のせいで(鼻の奥がツーンとしてる)言い淀む私の姿を見てよっぽど言いづらい事なのかと目の前の2人が心配そうにした。

「言いたくないなら言わなくてもいい」
「いや、言わせて!…個展が近づく度に自分は本当に人形作家をやりたいのか分からなくなった。のと、…生まれて初めて友達と喧嘩をした」

意を決して話し出すと、意外にもスラスラと言葉が出た。

「ここまで気持ちがぐしゃぐしゃになることは生まれて初めてだった。才能が無い私がこのまま作家を続けていくのは無謀では無いか?って有名になればなるほど怖かった。でも作家を辞めたら私には何が残るんだろうって」

お父さんもお母さんも何が言いたげな表情だったが、一気に話を続けた。

「…学校で仲のいい友達がやっと出来たんだよ。でもね個展の準備してる短い内に転校生が来て凄くみんなと仲良くなったの。自信のない私は学校での居場所まで取られたら生きていけないって…パニックになった。こんな事初めてだったからどう整理していいか分からなかった。…心配かけてごめんなさい」

言いたかったことを全て言い終え2人からの言葉を待つ。 あのテレビでの事件以外は全て正直に話したつもりだった。

「吐き出してスッキリしたかい?」
「うん」
「確かにお前の作品はお上品すぎる」
「…うん」

自分でも痛い程自覚している事だが改めて尊敬している芸術家に言われると辛い。

「どの絵画も人形もどこか寂しそうで…それ以上の広がりはない。けれど、最近作ったやつは…少しだけ違う気がする」
「…本当に?」
「それはお母さんも保証する。大好きな友達のお陰ね?」

意外な言葉に少しだけ頬が熱くなる。 これからも作家として頑張って良いのだろうか。いや、頑張らないといけない。 椿の髪を揺らす彼女が私の胸の奥でこくりと頷いた気がした。

人と関わることが増えてからやたら緩くなった涙腺だけは弊害だけれども。今回も人の温かさに触れて緩みきっている。

涙が零れおちる、と思ったが不意のチャイムに涙が引っ込む。午後の教室は15時からなのに。 もしかして、とお母さんが小声で呟きインターフォンの受話器を取る。

「あら、堂島さん?お待ち下さいね…みやび、堂島さんと足立さん」
「えっ?なんで」
「捜索届けを出したから」
「そういう事…。本当にご心配をおかけしました」

苦笑いをしたお母さんに冗談めかして頭を下げて玄関へ向かった。 平静を装ってはいるが正直な話色々と間が悪すぎる訪問者に内心ドキドキしていた。



「いやあ、日高さん…だとややこしいから…みやびちゃんでいいかな。探したんだよ?」
「足立さん…」
「ったく、てめーは馴れ馴れしいんだよ」

へらりと笑う足立さんは本当に刑事なのかと疑いたくなるほど色々と適当だ。
寄れたネイビーのスーツやくしゃくしゃの寝癖に私への態度。でも芯はそうじゃなさそう。 この人とはどう接するのが正解なのかが分からない。

眉を寄せ言い澱むと堂島さんは私が嫌がっていると解釈したらしく、足立さんの頭を強く叩いた。

「みやびさん、体調は大丈夫ですか」
「あーえっと…ちょっと怠いけど、病気とか熱っぽいとかはないです」
「なら良かった」

足立さんを無視することにしたらしい堂島さんに優しく微笑まれた。 鳴上くんに言ったことを思い出してチクリと胸が痛んだ。出来たら彼に謝ってから堂島さんに会いたかった。


普段は家族で使っているテーブルに私とお父さん、お母さん、堂島さん足立さんの5人で腰を掛ける。 …足立さんの椅子は折りたたみの補助椅子だが3人家族なので許して欲しい。

「早速ですが…今迄どこにいたか聞かせて貰えませんか」
「それが、その…よく覚えてなくて」
「覚えていない?」
「はい。あの、私…個展のことと、友達の事でいっぱいいっぱいになってて。どうしていいか分かんなくて。でも、そんな私を見つけてくれたのも友達でした」
「友達というと…第一発見者の?」
「はい。クラスメイトの花村陽介くんがジュネスの屋上で意識が朦朧としているところを見つけてくれました」

結局家まで送ってくれた花村くんとこれは口裏を合わせている。後日花村くんが聞かれても大丈夫なように。

「失礼ですが花村さんとお付き合いは?」
「していないです…」
「駆け落ち、だなんて噂もありましてね。言いづらいことを言わせてしまって申し訳ない」
「あの、花村くんは本当に無関係です。親しくして貰っているのは事実ですが」

気まずそうに堂島さんが頭を掻く。思春期の惚れた腫れたなんて気不味い話題をさせてしまって申し訳なくなった。

うー、誰だ駆け落ちなんて噂してくれたのは。恐らく学校の人だろうけど、そう考えると花村くんへの好意がダダ漏れの私が結局のところ悪い。登校したら菓子折りを持って行かねば…。


「ほかに何か友人関係で問題が?…同じ様に行方不明になった天城さんとも親しかったとお聞きしていましたが。」

堂島さんが嫌な所を的確に突いてくる。 雪子ちゃんの話…はすべてを知った今、あまり話したくない。適当な話をして折角の雪子ちゃんの供述がおかしくなっては困る。

にしても…足立さん、あの時の事、堂島さんに話してないのかな。 雪子ちゃんの事でわざわざ署まで行った事を知らないんだもんな。

…言えないか。

足立さんの方をチラリと伺うと困ったように眉を下げて微笑んでいた。 それって「空気読んでね」って事ですよね。

…後で絶対問い詰める。


「天城さんが失踪して、もう二度と会えないんじゃないかって思い詰めてました。でも戻ってからはいつも通り楽しく生活してます。…えっと本題の友人問題はその後の事で…すごく言い辛いんですけれど…」

本当の事を出来るだけ言っといた方が追い追い都合は良くなるし、罪悪感は薄い。えっと、と口籠る私を堂島さんが視線で促す。


「鳴上くんが、その、転校してきてから私の友達と仲良くなって。私が、個展の準備に行き詰まってる短い間にって…。私、嫉妬して鳴上くんにひどい事言いました。…聞いてましたか?」
「いや、聞いてなかったが。…そうか」
「みやび、鳴上くんて初めて聞く名前だけど?」
「私の…甥です」

お母さんが驚き顔から一転して気まずそうな顔になる。 同じく気まずいのか、堂島さんが顔を顰める。けれど納得してるという事は、…彼は私の前では至って冷静だったけれど、少なからず家ではそうでは無かったのだろう。

「まだ、仲直り出来てないんです。学校に行ったら、謝ります…その、ごめんなさい」
「いや、…本当の事を言って下さり助かります」
「あの、色々と思い悩んでたんですけど、…友達のおかげでなんとかなりそうです。自殺とかは絶対ないんで。ご迷惑をお掛けしました」
「誰かに連れ去られたショックで覚えていない可能性は、全くないと」
「…自分でもなんで外で悩んでいたのかは謎なんです。その…私、ストーカーとかもいますし…ぼ、暴行とか…されてないかって話ですよね。それは大丈夫です。」

かなり遠回しだけど、多分そういう事が聞きたかったんだろう。 そうですか、と少しだけ安堵した声のトーンで堂島さんは頷いた。

「まだ完全に体力が戻った訳ではないでしょう。また日を改めて伺います」
「はい。この度はわざわざありがとう御座いました」

堂島さんが立ち上がり足立さんもそれに続いて席を立つ。 彼らを見送ると私は部屋に急いだ。



机の引き出しに放り込んだ携帯電話番号を確認するとあの日から充電器に繋ぎっぱなしのケータイを手に取る。

今は勤務中だから、Cメールを────足立さんに送る。

日高みやびです。足立さんの番号で間違い無いですよね?お仕事終わったら連絡ください

本当は今すぐにでも色々とメールで問い詰めて聞きたいが、電話のがいいだろうと思って待つ事にした。

途中晩御飯を挟みつつ個展に向け、一つ一つ作品を丁寧に梱包していると携帯が鳴った。


「もしもし?」
「やあ、みやびちゃん」
「…足立さん」
「そうだけど。なんで僕と電話したかったの?」
「あんなに電話して欲しそうだったのに貴方がそれを聞くんですか?」

はあ、と小さく溜息をつくと足立さんが受話器の向こう側で大笑いをする。

「あはは、みやびちゃんのそういうところ、いいよね」
「そういうのは、いいです。…あの時のこと堂島さんに言わなかったんですか?」
「うーん…まあね」

この人は本当によく分からない。 一見、適当で飄々としているけれどそれが仮の姿だと言うのは何度か話していて流石に理解していた。

「…なんでですか?」
「みやびちゃんとの秘密が欲しかったんだ」
「はあ」
「案外ロマンチックな男でしょ」

恥ずかしいセリフをさらっと足立さんは言う。 ふざけているのか本気なのかも分からないけれど、兎に角調子が狂う。

「あの日、私達は似てるって言いましたよね…だからあんな風に声をかけたんですか?」
「僕そんな事言ったっけ」
「言いましたとも、ええ。…真剣に考えたのに…イライラしてきたので電話切ります」
「あー!ゴメンゴメン、忘れる訳ないじゃない。…だから真剣に考えた結果を聞かせてよ」

足立さんの声色が突然低い物になる。 あの日の取調室の事が自然と浮かび上がり喉が鳴る。この人は本当に色んな意味で…道化師だ。

「見当違いかもしれませんし…すごい失礼なんですけど…」

言い澱み少し間が空くと「続けて」と有無を言わせないように囁かれる。


「寂しいんです。私たち、多分」


「居場所が無いって…普通は認められないです。だからあの時、自分の一番柔らかいところを触れられて怖かった。その通りだっただから」

「…足立さんが、私に声を掛けたのって」
「君がそう思いたいならそういう事にしといてあげる。まぁ、違うんだけど」

私の言葉を遮るように足立さんがそう言うと、沈黙が訪れた。 これ以上この話をしたくないって事だろう。
聞いてきたのは足立さんなのに、なんて腹ただしく思うが私もこれ以上深くつっこむのは何となく怖かった。



* * *



初めてみやびちゃんに会った時は、(都会ならまだしも)稲羽市であんなに派手な格好の人は見た事が無かったからそりゃあ、顔もまあ田舎の子にしては整ってたし男に絡まれるのも当たり前で頭足りて無いんじゃない?と内心蔑んでいた。

しかも巽くんと幼馴染な訳でしょ? 頭空っぽな高校生なんか田舎でやる事ないんだからそりゃあ…ヤりまくりでしょうと思う訳で。
なんかの弾みで僕とも遊んでくれないかなあ〜…、なんてこっちに来て娯楽が全く無かった僕は最初そういう目でみやびちゃんを見ていた。

巽くんとみやびちゃんの組み合わせは見た目が派手な事以外ぱっと見の共通点は無い。 そこで巽くんの交流関係を洗うという名目で2人の事を調べてみた。そう、完全に下世話な暇つぶし。

巽くんは老舗の染物屋の一人息子で、みやびちゃんは画家の日高総一郎の一人娘らしい。
なるほどなるほど、境遇やら趣味が一緒なら親しくなってもおかしくない。 そしてなんでみやびちゃんが、あの日あんな格好してたのか把握した。彼女が人形作家としてメディアに出てる程有名とは意外だった。

日高みやびと検索すると1番上にヒットするのはミヤビドールの公式サイトで、冷やかすつもりでそのサイトを覗けば純粋に驚かされた。

細かいところのディテールが、ヤバイ。 ぱっと見は何処にでもこういう綺麗な人形は売ってるよねー位でインパクトや面白味は全くなんだけど、よくよく見ると頭がおかしいくらいに神経質に作り込まれている。

みやびちゃんはクソ真面目なタイプ。
あの面倒で仕方ない服とかも異常に人の目を意識しているのかあ、と作品を見た瞬間にすべてを理解した。 自分が超能力者にでもなったのかと思う位には、そりゃあもう丸分かりで。

当時僕は愚かにも真由美を愛して止まなかったから、評価は変わったが、それでもみやびちゃんの事は面白いおもちゃ位にしか思っていなかった。


で。今は彼女とどうなりたいのかって? 自分でも正直そこはよく分からない。

気持ち、分かりますよ。なんて優しく微笑まれたい? 馬鹿げてるし、絶対に違う。

じゃあ組み敷いて滅茶苦茶にしたい? そら美人だけどそこまで激しい恋慕や情欲は抱いてない。いや、是非とも抱いて下さいって言うなら抱くけど。

少し掘り下げてみたけれど、分からない。 …まあ、でも…秘密を共有していると言う事が僕の心を少し躍らせたのは紛れも無い事実だった。



* * *



「友達とは仲直り出来そう?」

長い沈黙の後不意に足立さんが聞いてきた。

「多分…。登校したら、謝ろうって思います。…心配もすごくかけたし、本当に振り回してばっかだけどこれからも仲良くしたい」
「誠心誠意謝ったら許しくれるよ、甥っ子くん達なんでしょ」
「…はい」

ふむ、と彼は相槌を打つとちょっと間を開けて言った。

「僕から1つアドバイス」
「えっ、ありがとうございます…?」
「なんで疑問形なのさ。…いつも君は謝ってばっかだから偶には怒ってもいいんじゃない。…本音を言える仲ならさ」
「そう…ですね。うん、そうですね。私も悪いけどみんなにも心配掛けられたし。この機会に伝えます。…なんだ。足立さんの言う事だからって変に構えちゃったじゃないですか」

わざと冗談っぽく笑っても足立さんの反応は薄い。

「足立さん」
「何?」

なんとなく、分かる。
けど触れたらきっと彼を傷つける。

「また、みんなに言えない事が出来たら相談してもいいですか」
「んー…そうならないといいけど。ま、その時は人生の先輩として聞くだけ聞いてあげる」

気は進まない。 けれど足立さんとの不思議な繋がりは自分の為にも彼の為にも大事にしないといけない気がしていた。


「じゃ、またね」





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