泡すら錆びて

※後味が悪いお話です
※結ばれないし、誰も幸せにならない
※小西先輩が深く関わるので嫌な予感がしたらお戻り下さい




労働後に飲む炭酸ほど美味しいものは、多分この世に無い。

親父に先に帰ると声を掛けて、今日はジュネスから一足早く出た。クマは先に帰ったし、久々に1人の帰路だ。

クマが居ると「奢って」とせがまれるので普段はサッと帰るが、なんたって今日は1人だ!
自販機で浮かれるままにサイダーを購入し、ゴクリと音を立てて飲むと凄く美味い。思わず、ぷはっと心地良い溜息が漏れ出る。
サイダーでこれなんだから、きっとビールなんか飲む様になったら止まらないんだろう。おお怖。

喉に流れこむ甘い刺激を存分に堪能していると、自分に近づく影に気付いた。影は俺のに比べると短くて細い。多分、女の人。顔をあげれば同僚の日高がいた。

「花村センパイ、おっさんくさ」
「……なんだよ。日高、まだ帰ってなかったのか?」
「うん。聞きたいことがあったから」

どうやら日高は俺をずっと待っていたらしい。最近は随分と秋めいていて、寒いからか日高は控えめに手を体に擦りつけていた。

どんな用件かも知らないし、勝手に待たれていたとは言え、年下の女子を放っておくほど俺は嫌な奴では無い。

「お前もなんか飲む?」
「えー。特にいらない」
「んじゃ俺のオススメ、やそぜんざい」

ホットのやそぜんざいを軽く放る様に渡すと日高は「あんこ苦手なのに……」と文句を言いつつもプルタブを開け、ちびちびと飲み始めた。


「で?話ってなんだよ」

やけにモジモジとしているというか普段の日高らしくないのでもしかしたら≠想像してみるが、……悪くはないかもしれない。

俺の事を先輩として全く敬わないし、口は悪い。けれど日高は明るいし何だかんだ真面目で目上にはきちんとした態度で接せる。後輩の中でも1番仕事の教え甲斐があるのは事実だった。

ええっと、と少し照れた様に口籠る日高に俺もドキドキが高まるが、彼女は覚悟を決めた様に口を開いた。

「……店長にサブリーダーやってみないか?って聞かれた、から」
「マジ!?時給10円あがるぜ……ってまあ俺は貰えてないけど」
「その話を受けるか、相談したかった」

想像していた内容とは全く違った為、少しだけ拍子抜けたが納得した。 実際に役職についていて年も近い身近な人間に相談したいのは当然だ。
日高の責任感があるが故に迷っているという性質だろう。こう言うところが舐められてんなーと思いつつも可愛いと思う。

「ウチさ、まだ1年生じゃん?ジュネスの仕事楽しいし……やりたい気持ちはあるけど。……私より長く働いてるセンパイ方からしたら複雑っていうかぶっちゃけウザくね?とか思ってさ」

確かに日高はまだ半年しか働いてない。しかし、逆に言えば半年も働いているのだ。
ジュネスには沢山の学生バイトがいるが半年も経てば正直なところ俺の視点ですらやる気がある奴や伸びそうな奴の検討がぼんやりとついてしまう。 その道のプロである親父からすればありありと浮かび上がっているのだろう。

「ま、確かにそういう連中からすれば気分良くないとは思うけどさ。1年の中だと……お前しかいないと思うぜ。仕事出来ても人に教える事が不向きな奴もいるし……てかサブリーダー研修終えた時にはお前も2年になってるんだから気にすんなっての!」
「……ま、確かに畠山のが手際良いけど教えるって柄じゃないよね……。アホほどシフト入ってるし、消去法で私になるってのもぶっちゃけ頭では分かってるけどぉ……心の準備っていうか……」
「ま、俺は日高なら出来ると思うし、結構信頼してんだぜ?最初は生意気なの入って来たなーて思ったけどミスしたら速攻報告してくれるし。お客様の声でもこの前お前褒められてたじゃん?」

接客をやっていると嫌でも人と接するし、嫌でも人の汚いところを見る羽目になる。なのに、楽しいなんて思うのはオカシイのかもしれない。
人間嫌いなのに人間が好きなんてホント矛盾してる。けれども俺も日高もオカシイ側の人間である事は間違い無かった。

「うん、まネ。てかジュネスにまともな人材いないだけだし。普通だし。ウチが世間一般的な常識を持ち合わせているだけだし。……まあ、でも前向きに考えとく」
「まともな人材いないってのは言えてる!!……いや笑えんけど……。ま、良い返事だと親父は喜ぶだろうけど無理はすんなよ」
「うん。ありがとね」

真面目な雰囲気に耐えきれなかったらしい日高は「じゃっ!」と走って逃げようとするが、流石に夜遅いので送る事にした。その後、日高は借りてきた猫の様に静かだった。

意外にも(いつも仕事しない男子に対してギャーギャーと構い倒している癖に)異性と2人きりで帰るとかは不慣れらしい日高から緊張がありありと伝わってきて「可愛いところもあるじゃん」なんてニヤついたら勢い良く肩を殴られた。



* * *



働いた時に感じた疑問点や、一緒に働いた人間の良いところ・伸ばしたいところ、はたまた改善した方が良いところをサブリーダーは日報を書いて提出しなければならない。

「ううーん」と頭を悩ませながら日報を書いていると、不意に誰かが隣に座った。
書いた内容を見られると最悪の場合、人間関係が崩壊するので不自然になってしまうが勢い良く俺自身の体で日報を隠した。
そんな俺を見て「ウケる!」と思いっきり笑うのは生意気な後輩だった。

「ちょ、日高!リーダー見習いとは言えまだこれは見せられないんだからあっちいけっての」
「ちぇー。なんて書いてんのか見たかったのになー……」

今日俺が書こうとしていたのは最近入ったバイト達は全員清掃の研修漏れっぽいって事と、その事に日高が気付いたって事。
きちんと正しい手順を身につけていて、更には新人を注意深く観察していた人間にしか分かるまい。
俺の場合、今回は褒めてるから最悪見られても良かったけれどやはり気恥ずかしい。

「お前もう上がり?これ書いてもクマ待ちだから送れねーけど気を付けて帰れよー」
「ウチもさ、熊田くん待ちなんだよネ。この前貸したお昼代徴収せねばイカンのだ」
「あーなら給料日だからな。今日が確実だ」

日報を書くために、少しだけ離れた位置に日高に座ってもらうと彼女は上半身をだらりと机に預けて携帯をいじり始めた。気にはなるけれど一旦口を開くと日高は煩いので一気に日報を書き上げる事にした。



「花村センパイってりせと友達なの?」

日報を提出して俺が再び休憩室の椅子に座ると、思い出したように日高が尋ねてきた。

ハチコーに通ってる人間だったらまあそう認識するんだろうけれど、日高はハチコー生では無い。実家が農家だから農学部がある商業高校に通っていると本人から聞いたことがある。

「んーおう。お前に似て生意気なところもあるけど良い子だぜ」
「ふーん。りせのバックバンドやっただけあるねえ。私もハチコー行けば良かったかも。ね、りせ可愛い?」
「リアルガチなアイドルだからやっぱマジ可愛いと思うぜ」
「じゃあ、今りせと付き合えるなら付き合いたい?」

りせは日高に言った通り(活動休止中だけど)本物のアイドルだ。顔は小さいのに目がぱちっとしていて、並の顔面偏差ならば許されないであろうツインテールもバッチリ似合ってる。確かに、りせは後輩の立場になるまでは憧れの人間だった。

でも、付き合いたいかって話になると……俺は俺なりに可愛いと思えれば中身の方が重要だった。
話が面白くて、尊敬できる面もあって……どこか守りたくなる所もある……俺だけを好きでいてくれる子、なーんて。

「うーん。可愛いにもジャンルがあるだろ?あいつは可愛い後輩っていうか。…これオフレコだけどりせ、俺の相棒にガチ恋してるからな。俺の事なんか眼中にねーよ。明らかに扱いちげーから!」
「相棒ってさ、たまにヘルプ入ってくれる鳴上センパイであってる?あの人、雰囲気あってなんかえっろいよねー」

鳴上がめちゃくちゃイイ男≠ニいうのは男の俺目線でも分かるが、女の子からすればえっろい≠フか。里中も、天城も、りせも、直斗もそういう事なんか!?漂う男のフェロモンってやつなのか!?
いやでも本当にスマートで何でも卒なくこなす姿は、そのケが全くない俺ですら何回かドキッとした事があるから……あいつは紛れも無くチートだ。神に選ばれし人間だ。

「男の俺でもちょっと……分かるわ。俺の周りの可愛い女子はみんなアイツに夢中だけど嫉妬する気すら湧かねー」
「はは、ウケる!」

腹を抱えてヒーヒー笑う日高も、きっと鳴上の前ではきゅるるーん♡な女の顔を見せるんだろう。
なんだか悔しいような気もするが、素性を知ってる今、変に取り繕わられても……と思う。複雑な気分だ。

「日高もやっぱり鳴上みたいな奴がいいんだろ?でも流石に倍率高いよなー」
「んー、マジで好きなら私は倍率とか気にしないし、アイドルが狙ってても行くけどね。ん〜ま〜あ?鳴上センパイは……カッコイイし素敵だとは思うけど……付き合うなら私は完璧過ぎても気負うっていうか、劣等感感じるから……何だかんだフツーな人が良いかもね」

週3で顔を合わせる癖に日高の恋愛観を聞くのは初めてだったので思わずニヤッとしてしまう。意外な一面だったから尚更だ。

「え、じゃあ俺は?なんだかんだ付き合える?」
「……花村センパイはまあ、顔はいいと思いますよ。顔は」
「敬語で言われると尚、傷つくんですが」
「仕事も真面目だし気だって遣えるし、身元不明な熊田くん居候させる懐の深さだし……なんていうかそういうところだけが本当に残念。マジで」

「残念」とはいいつつも日高は何だかんだ俺の良いところを見つけてくれているらしい。ていうか割と褒めてくれてるんじゃ……と思い照れ臭くなる。
前も思ったけど、日高ってもしかして俺の事、好きなんじゃね?と勘繰ってしまう。

ちらりと思わず日高の顔を盗み見たが、内心ドキドキしている俺とは真反対に呆れたような表情を浮かべてた。 ……少しくらい照れても良くないか?なんて残念に思ったけれど顔には出さなかった。


「……ね。花村センパイってさ、小西センパイ?って人好きだったってマジ?」

寝耳に水とは、こういう事を言うのだろう。
日高の口から小西先輩の話題が出るとは思ってもいなかった。多分、日高の目から見ても不自然に固まってしまったに違いなかった。

「あー。まだお前そん時働いてなかった、っけ」
「んーウチはさ、GW入る直前に働きはじめたからね。……聞く気はなかったんよ?でもセンパイらがヒソヒソ噂しててさ。……花村センパイは小西センパイの事好きだったから贔屓してたとか言ってて。知る由もないけどさ、アイツら本当に感じ悪かったし、仕事出来んヤツのやっかみじゃん?て思ったから否定しといてあげたよ」
「サンキュ、な」
「あの事件の被害者だっけ……どんな人だったの?あ、いや、……言いづらいなら言わなくてもマジへーきだから!!その、ごめん、私無神経だわ」
「いや、言う」
「あの、いや、本当に無理すんな?」

日高は、いつも小生意気で変な余裕があるから、ここまで狼狽えているのは珍しい。 やっぱりなんだかんだ真面目で優しい、常識人だ。

「小西先輩は……俺が稲羽に来て1番最初に尊敬した人。商店街の酒屋がご実家なんだけど……」
「あ、もしかしてコニシ酒店の人なん?」
「おう。んでまあ商店街の人間がココで働くのは……周りからよく思われないに決まってんじゃん」
「うちは農家だからさ〜。ジュネスが出来て便利になったし、本当ジュネス様様だけどね。でも、まあ〜……商店街からすると、まあ〜……ねー……」
「だろ?……なんだけど周りの評判に振り回されないでめっちゃ真面目に働いてくれてたし、すっげフランクでさ。こっち転校してきたばっかの俺を気遣ってくれたし、マジ一個上とは思えない位人が出来てたというか……」
「へえ、いい人じゃん」
「おう、本当に……いい人だった」

ポツリポツリと小西先輩の事を語るうちに、あの時の淡い思いがじんわりと胸に滲み出る。

「……好きだったんだ?」
「そうだな……小西先輩を好きになれて良かったって思ってる」
「そこまで大切に思える恋愛って、中々ないと思えるから大事にしなよ」
「おう。って滅茶苦茶上から目線なのはなんでだよ!」

「あはは!」とバカ笑いした反動で、日高の顎までの長さに揃えられた髪が小さく揺れたのを何故かよく覚えている。



* * *



「伸ばしてんの?髪」

そろそろ冬本番だし、長い方が女子的には都合がいいのだろう。ホウキで床を掃く、日高の肩に着く位までに伸びた髪を見てそう思った。

「まあ、くくった方が楽かなて」
「ふーん。ちなみに俺はどちらかって言うとロングが好き!」
「聞いてないんだけど。センパイ、キモ」
「いやでも実際さ、少し髪が伸びただけなのに実は日高も女子だったのか……!感あるっていうか」
「ふーん。男の人って総じてそうなのかな。彼氏もさ、髪長いの好きなんだよね」
「……え?」
「いやだから、彼氏。……いるの意外だった?」

意外も何も、アレ?俺らって割となんかお互い意識し合ってる……みたいな。
と、思っていたのはどうやら俺だけだったらしい。勘違い男とかヤバい。痛すぎだろ。

「うん、ま。お前、働いて無い日なんてほぼ無いくらいだからさ。どこで出会ったわけ?学校?それとも……え、まさかジュネスで……」

胸がじくじくと痛む。
「あ、俺結構本気で日高の事気に入ってたんだー……」と改めて認識させられるがここで感情を剥き出しにするのはダサ過ぎる。自然に、努めて自然に。

「んー、働いてたらさ声掛けられて。『いつも偉いねぇー』て。んでさ、なんか成り行きで付き合う事になった。ゆーて彼氏は社会人で休み合わないから全然恋人らしい事なんてしてないけど」
「ふーん。社会人なら仕方ないかもな。……でもまあ、幸せならいいんじゃん?」
「正直まあ、突然過ぎて好きとかそういうんじゃないんだけど……でも親にも友達にも言えない事を聞いてくれる存在が今はただ有難いかなー」
「俺じゃ、頼りなかったか?」

思わず、本音がポロリと出てしまった。
みっともない事を言ってしまったと後悔するが、言ってしまったものは仕方がない。 チラリと日高を窺うとこの空気にはそぐわないであろう無表情を浮かべていた。

「……日高?」
「いや、本当にセンパイってバカなんだなあて」

ふ、と嘲笑する日高は俺を一瞥するとその後は無言でホウキを忙しそうに動かした。

日高の言う通り、俺はバカだから何も言わない事の真意が何となくは分かっても、それが正解のかは自信が全くなかった。



* * *



町は寒気と霧が充満していた。
「ジュネス帝国が攻めてくる」だの「ガスマスクを売れ」だの八十稲羽の人々は混沌を極めていた。

もし、俺が事情を知らない立場だったら同じ様に混乱して不安だったかもしれない。
だからこそ、こんな時だからこそ、落ち着いて、いつも通りの生活を送って……足立さんを引っ捕らえて、全てを解決させる。

幸いにも親父は、こんな緊急事態の最中でも落ち着いていた。 だからこそジュネスの空気感は日常通りとはいかないけれど、お互い支え合おうという一致団結した、いい空気感が生まれていた。



「花村センパイ……で合ってる?」

勤務後の夜霧の町は靴の爪先がやっと見えるくらいの視界だった。そんな中で、呼び止められる。姿は見えないけれど、声の主が誰かなんて俺には分かり切っていた。

「日高!……お前、ずっと出勤してないけど……体調悪いのか?それともなんか心配事でもあんのか?あ、いや責めたい訳じゃなくて……ただただ心配してたつーか」

霧の中、スウッ……と姿を見せた日高は幻と見紛う程に存在感が希薄だった。

ここ最近は全く手入れがされて無いと思われる胸まで伸びた髪は、癖なのかウェーブがかっていた。
重たい前髪で見えにくいが、日高の瞳は俺を見つめているハズなのに視線がどこか定まっていない。それどころか、生命力というか体温が全く感じられない。

寄り添って、彼女を助けてあげたいと心の底から思った。守らなきゃ、とフツフツとエネルギーが何処からともなく湧いて来る。

「ねえ、なんでセンパイは私の事、心配してくれんの?」

なあ、お前ちゃんと飯食ってる?寝てる?声が掠れまくってるけど、具合は?不安だったのは分かる。誰かに頼れたのか?彼氏は?話聞いてくれるって言ってたじゃんか。なあ。

聞きたいことが山ほどあって、でも、それは今の俺の立場で聞いていいのか分からない。
けれど、今にもこの霧に紛れて消えてしまいそうな日高を掻き抱きたかった。

「いや、その……彼氏いる人間に言うのもアレだけど……。俺、お前のこと好きだから」

彼氏がいるとかいないとか、もう関係なかった。存在を確認する様に掴んだ日高の腕は骨しかないんじゃないかって位、細かった。
こうなる前に行動に移せなかった自分にウンザリして、むかついて、嫌になるけれど目の前の彼女がただただ愛おしかった。反省なら、後から出来る。取り敢えず今はこの腕を離すわけにはいかなかった。

「それさ、……私を小西センパイと勝手に重ね合わせてるだけだよ、カンチガイ」

返ってきた言葉は俺の想像とは全く違かった。
「私も、センパイのこと好き」って耳元で囁きながら愛しい人が俺の腕の中に飛び込んで来ると勝手に思っていたのだから。
しかも日高に1番されたくない勘違いをされて、絶句した。

「は?……いや、俺ずっと前から日高のこと生意気だけど……真面目で仕事熱心でいいなって思ってたし、何より今!すっげ弱ってるお前を支えてやりたいって、思ってる」

どうにか伝わって欲しい一心で掴んだ腕に力を込めるが、その手はバチンと振り払われた。

「……だからっ!アンタは私じゃなくて、小西センパイソックリな私が好きなんだってば!」
「そんなんじゃ……」
「いっつも、顔に書いてあんだよ!小西センパイとこんな事したな、って!!いつも1人哀愁浸ってキモいんだよ!アホ!死ね!童貞!……私を通して誰かを見てるなんて、直ぐにわかったよ……。心当たりは無いか≠チて、みんなに聞いて苦笑いされた私の気持ちなんて分からないだろうよ!!」

霧に紛れて消え入りそうなほど、弱々しかったのに憎悪に突き動かされた日高は絶叫する。

「だから、私はアンタの事諦めたのに、なんなの……本当に嫌い」

吐き捨てるように呟いた彼女は俺の瞳を一瞥すると足音も立てず、静かに霧の中に消えた。


恐ろしいまでの静寂だった。
色も音も無く、まるで死後の世界だなんて、頭に過ぎって振り払った。

ある男が急死した妻を迎えに冥界へ行くんだけれど……。様々な困難を乗り越え、冥界の王に許しを貰って妻と2人、地上へ帰る途中、冥界の王との約束を不本意ながら破ってしまい、妻と一生会えなくなったって神話があるんだ≠ネんて話を鳴上に聞いたからかもしれない。

なんだか、ここで彼女の存在を手離したら全てがこの霧に沈みそうな気がして彼女の名前をありったけの力を込めて叫ぶが、返事は永遠に無かった。



* * *



「────被害者は××農業高等学校の生徒で稲羽市では原因不明の濃霧が続いていた為死体の発見が遅れたとの事です。この事件を含めました3件の稲羽市連続殺人事件の犯人が本日逮捕され自供をしており────」





atlus top
index