ミルクに沈む
アッサム

※花に埋もれる→この話→happy ever afterに繋がる感じですが単品でも読めます



勿体ぶる様に、アジャイはティーカップに角砂糖を二つ入れ、スプーンでくるりと掻き回した。

「クリプトの事好きなんでしょ?」

突拍子もないアジャイの問いに思わず「な、なんで?」とポカンと口が開く。

オクタビオと組んだら散々だった、とかレネイ先輩の動きは人間のそれを超えている、なんて私室でいつもの様にアジャイと雑談をしていた。
クリプト先輩の名前を出した瞬間、あからさまにニヤニヤとするアジャイに「何?」と聞いたら、コレだ。

「普通に同僚っていうか、先輩としか思ってないよ」
「ふーん?よくクリプト誘って訓練場行ってるからさ。ジブラルタルかアニータなら面倒見いいから分かるけど」

アジャイはイマイチ納得していないらしい。テーブルに頬をつき、ジトっとした目で私の顔を見つめてくる。

「歳下だからアジャイやオクタビオにナタリーはこうして今はタメ口で話せるけど、元々一般人枠でゲームに参加してたからね。先輩方は未だにスターって気持ちが抜け切らないよ……。私の同期はまあ、レヴナントって事になるんだろうけど……彼と仲良く……は無理じゃない?」
「まあ、友好的な性格とは言い難いわね」
「と、なると私達を除くと次はクリプト先輩だからね。年齢は聞いた事無いけれど……多分二十代後半だよね?歳も近い筈だから勝手に親近感湧いてる感じ」
「でも、それだけが理由じゃないわよね?クリプトはどちらかと言えば付き合い悪い方よ」

何が何でも恋バナにしたいらしいアジャイは中々引き下がらない。このままの調子だとお泊まりコースで決まりだ。

「んー……クリプト先輩達とチームを組んだ時にね、シールドセルが無くて困ってたけど……まあ言いづらくてさ。そしたらクリプト先輩、気付いて分けてくれたんだよね。あっ!この人冷たそうに見えて何だかんだ面倒見いいぞ!?ってなったの」
「あー……そうね。意外と感情的だし冷徹って訳でも無いのよね」
「うんうん。ミラージュ先輩と喧嘩してる時とか可愛いって思うもの。……あっ、だからって好きとかじゃ無いよ。アジャイだってオクタビオと付き合ってるって言わたら嫌でしょ」

オクタビオの名前を出すとアジャイは露骨に顔を顰めて「うげーっ」と舌を突き出した。
私から見ても二人は幼馴染なだけあって仲良く見えるが、男女のそれではないと分かる。

「そうだね。変に勘繰って悪かったよ」

眉を垂れ下げポリポリとアジャイは頬を掻いた。それに対して「ううん、大丈夫」と返す。

……蒸し返されると面倒なので絶対に言わないけれど、同僚の中から誰か一人選べと言われればクリプト先輩かなぁ、とはその実、薄っすらと思っている。

クールと思いきや人間臭い所など、割と好感を持っている事には違いない。けれど、これはLikeであってLoveではない。
そもそもだってLoveに発展する程、彼の事をまだ知らないのだ。


* * *


私の研究室には小さいけれど植物園……とまでは行かないが立派なプランター畑がある。
安定した空調と緑に憩いを求め訪れた人には、美味しい紅茶を出す代わりに水遣りや雑草抜きを手伝って貰う。……時と場合によっては被験者になって貰う事もあるが。

中でも、昨日の話題の中心だった彼は頻繁にミラージュ先輩が絡んでくるだの、隣室のオクタビオの騒音が耐えられないだので、よくやって来る。

恐らく、半分くらいは本当にそうなのだろうけれど、クリプト先輩の様子を見ている限り、私の危なっかしい生薬実験の監視と、意外にも観賞用に育て始めた盆栽がお目当ての様だった。

本日も鉢全体に水が行き届く様にたっぷりと水遣りをするクリプト先輩の背中に声を掛けた。

「聞きたいことがあるんですけれど」
「なんだ?答えられる事ならば教えるが……」
「クリプト先輩の本名、知りたいです」
「無理だ」

取りつく島もない、を体現するときっとこうなんだろう。被せる様にノーと返され若干傷付く。
度々訪れてはお茶会をする仲なのだ。そろそろ彼から話の種を一つや二つは提供して貰えると嬉しい、だなんて思ったが大惨敗だ。

「じゃあ、年齢は?」
「教えない」
「ヒント、ヒントだけでも!私と同じ位ですよね?」
「……君より歳上だ。それも一つや二つではない」
「えっ?そ、そうなんですか…!?」
「何故そんなに驚く。……というか、何なんだ。いきなり」

肌理の細かい、つやつやとした彼の皮膚を見て溜息を吐く。神様は意地悪だ。

「いや、クリプト先輩は一方的に私の事知ってる訳じゃないですか。あんな事やそんな事も」
「……その言い方は語弊が生じるからやめろ」
「クリプト先輩が言ったんですよ?背中を預ける相手の事くらい調べろって……信用出来ない人に背中を預けるんですか?」

クリプト先輩は今までの感じからして多分良い人、だとは思う。

頑なにプロフィールを教えてくれない事から何かしらの事情持ちとは察するけれど、何処の誰だろうがクリプト先輩はクリプト先輩じゃないか、と思う。

私の大して面白くない経歴や繋がりを先輩は全て把握しているだろうに。それでも信用してくれないのが若干腹立たしく、悲しい。
いくら経歴を調べ上げても信用していなければ本末転倒、背中なんか預け様が無いではないか!

不服です、と唇を尖らせあからさまに態度を悪くするとクリプト先輩は突如としてドローンを飛ばしたと思いきや、本人は近くのコンセントの蓋を取り外し実験室の電気系統を調べ始めた。

「よし」
「……えっ、と、盗聴とか?」
「噛ませるだけの簡単なヤツだけだった。定期的に確認するといい……ここで何か重要な話はしたか?」
「いえ、基本的に1人で作業してますから……それにしても……」
「ならいい」
「えーっと……今の一連の流れって……そういう事ですよね?」

照れ臭いのかは不明だが神妙な面持ちでクリプト先輩は押し黙る。一応、話す気はあるらしい。
……だからと言って、環境が整ったんだからさあ吐け≠ニいうのも確かに色気が無いというか、空気が読めていない気もする。

「……クリプト先輩が好きなお茶請けってなんですか?」
「……は?」
「次、用意して置くので……盆栽の手入れでもした後お茶会しましょう。ちなみに私はクッキーとスコーンが好きなので教えてくれないと永遠にこのループですよ」

私の問いにクリプト先輩は呆れた様な、けれども嬉しそうに口だけ歪ませる笑顔を見せた。

その顔が妙に可愛く思えて、思わず顔をサッと逸らしてしまった。


* * *


エヴリン……いや、イライザ・オースティンという女は分かり易すぎる人間だ。

母星を救う為に、血生臭い見せ物に進んで参加すると言うのは中々にぶっ飛んでいるかもしれないが(現に彼女は両親から勘当されている様だ)、手っ取り早く大金を身体一つで稼ぐなら確かにこれしかないだろう。

朗らかで話しやすく、礼儀正しい。こう言う奴程何かあるのが鉄則だが、俺が調べた限り特に裏がある訳でもない。
彼女の実家は有力地主だ。難民が押し寄せる迄は悠悠自適に家族に愛されて育ったらしい。
つまりは人の悪意に触れて来なかった、真っさらなイイ奴=c…と言えば聞こえは良いが要は世間を知らぬ子供という訳だ。

初めてチームを組んだ際、周りに遠慮し物資を中々取ろうとしない彼女に物資を譲ってから懐かれて、今に至る。

価値観や考え方はどう考えても合わないタイプの人間だが、気を張らなくて良いというのは楽だった。時には人の目がある方が身の安全を守れる。それもあって彼女の存在は便利というか、都合が良かった。

ミラージュに絡まれた時や隣室のオクタンの部屋からけたたましい騒音がする度に彼女の実験室に赴いた。
小銭稼ぎなのか彼女が育てている美しく、時には怪しげな植物を見るのは中々に息抜きになったし、今日の今日まで余計な詮索をして来なかったのが有難かったのだ。



「へぇ〜ソラス出身なんですねぇ。ジブ先輩やミラージュ先輩と同郷だ」
「ミラージュと仲良く話す義理は無い。奴には言うなよ」
「じゃあ、ジブ先輩とナタリーにはタイミングみて教えてあげよ」

楽しげにくすくすとイライザは笑うが、パク・テジュン≠ヘ惑星ガイア出身だ。それも、ゴミ溜めの様な場所。

考えた末に、結局キム・ヒヨン≠フプロフィールを彼女に少しずつ伝える事にした。
彼女づてに他のレジェンドに伝わる事で俺自身の口から名乗るよりも遥かに信用が得られそうだったからだ。

そして何よりも、俺は彼女自身の信用を勝ち得たかったのだ。

「これ、美味いな」

以前、伝統的な民族菓子の名前を伝えたら彼女は頭に疑問符を浮かべた。そこで簡易的なレシピを教えた所、早速作ってくれた様だ。

いつもはコーヒーがいいと言っているのにミルクたっぷりの紅茶を出されるが、今日は茶菓子に合わせてやや薄めの緑茶が出される。なんというか、ホッとする味だ。

「ドーナツに似てますけど、ドーナツよりちょっと硬いですかね?調べたら花とか綺麗な形に成形してあったんですけれど……うーん……歪ですけど素人にしては頑張りましたよね?」
「まあ、味だけはな」
「ちょっと!……まあ、いいです。味が良かったなら。分量がよく分からなかったので沢山作っちゃいましたし、帰り掛け貰って行って下さい」
「分かった。……助かる」

彼女の目を見て礼を言うと、サッと顔を背けられた。耳まで真っ赤に染まっているので、どうやら照れているらしい。
色付いた耳と頬を隠す様に手で覆い、思案した様に唇を一度軽く噛むと、彼女は俺の目を見た。

「……クリプト先輩が今迄誰にも自分の事言わなかったのが、答えっていうか。分かってるんですけど、私に手伝える事ってありますか」
「ない」

そう言い切ると、分かっていたらしく彼女は存外傷付いたような素振りは見せなかった。むしろ、クスリと小さく笑うだけだった。

「ただ、君は君のままで居てくれるだけでいい」
「……お菓子を用意して?」
「そうだな。今後はコーヒーを用意してくれると更に嬉しいんだが」
「うーん。紅茶党なので譲れないですね」
「手厳しいな。どうしたら良い?」

悪戯にクスクスと笑うイライザの瞳が真正面に俺を捉える。
初めて彼女の名前を呼んだ日から、俺は彼女のキラキラと光る瞳を無意識に追い掛けている気がする。

「私は親しみを持ってイライザって呼ばれるのが好きです。クリプト先輩は?」

世界で一番、皮肉で残酷な質問だと思った。

「……キム・ヒヨンだ。好きな様に呼べばいいだろう」

本当に、心から彼女に呼んで貰いたい名前を告げればこの心地の良い居場所を失う。それだけは確かだった。

「キムがファーストネームですか?」
「いや、ヒヨンだ」
「ヒヨン先輩?、うーん。……皆の前では呼ばない方が都合がいいんですよね」
「……レジェンド間でなら、構わない」
「いや、公の場では今後もクリプト先輩って呼びます。……でも、折角教えて貰ったんだからお茶会の時だけ呼びます」

態とらしく「ね、ヒヨン先輩」とニヤニヤと笑うイライザがやけに眩しく思え、こんなにも側に居るのにどこか遠くに思えた。

「イライザ」
「なんですか?あ、カップ空いてますね。ちょっと待ってて下さい」
「有り難う」

ただ、理由も無く名前を呼びたかった。
その後の会話が思い付かなかったので彼女の気配りに二重の意味で感謝をする。

前々から気付いていたが彼女はクリプト≠フ笑顔に弱いらしい。露骨に頬を赤らめる。
それが好意からなのか、珍しいからか動揺しているだけなのかは分からない。

ただその顔を見ると優越感が湧くというか、俺だけが知っていれば良いと思う。
そして、無視出来ない程、彼女の隣を誰にも譲りたくない自分がいる。

急須から茶を注ぐ彼女の横顔を見てこの時間を永遠に出来ないものかと、思案する。
が、結局の所、単純明快ミラを取り戻し身の潔白を証明する以外方法は無いのだ。

最初はこの気持ちに気付いた時、気付かなければ良かったと酷くショックを受けた。
家族の危機だというのに恋愛にうつつを抜かす自分の甘さや、大切なものを作るリスクを考えれば当然の事だった。

しかしながら一度自覚してしまうと、気持ちに蓋をするのは難しい。ならば、突き通すしかあるまい。

「俺の家族も甘いものが好きなんだ」
「あっ、じゃあオススメ教えてあげます。この近くだと……この前食べたマカロン!ヒヨン先輩もあれは美味しかったでしょう?」

頷くと彼女が嬉しそうに笑った。喩えるならば、野に咲く小さな花の様だ。
らしくも無い喩えが自然と思い浮かぶ自分自身に、相当浮かされているな、と小さく苦笑する。

嗚呼出来るなら彼女との未来が、欲しい。





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