明けの明星

「ヒヨンって、凄いよね。ナタリーとの会話隣で聞いててもチンプンカンプンだもん」
「……俺もワットソンに会うまでは自分の才能を信じていたが……今の俺では彼女のレベルに達する事は出来ないだろう」
「ナ、ナタリーってそんなに凄いんだ……!?」

イライザは丸い目を更に丸くさせた。
10近く歳の離れた少女より自分の力が劣る事を認めるのは悔しいが……圧倒的な差なのだ。認められない方が惨めだ。

「でもちゃんと自分の才を認めて、尚且つナタリーの事も認められるヒヨンは大人だね」
「一応君達よりは長生きしてるからな」
「……そういうところが好きって意味だったんだけどな」

頬に、ふっくらとした柔らかい感触を感じる。 離れたと思いきや悪戯に笑うイライザが視界いっぱいに広がる。
これには、参った。素直に可愛いと思ってしまい、頬が熱く火照る。

彼女以外の同僚達には、あまり情けない所は見せたくないのだが彼女はこういった軽いスキンシップを好む。そして何だかんだ俺も悪い気はしないので……止める事が出来ない。

「最近はナタリーに付きっきりだから、マーキング」
「……イライザこそ、ローバに構いきりじゃないか」
「ヤキモチ?」
「ああ。やきもちだ……でもそうだな、合法で君の姿をずっと追えるのは役得かもな」
「変なとこ撮ってないよね……?」

曖昧に笑って誤魔化すとイライザは俺の胸を軽く叩いた。
俺も何だかんだ、男なのだ。
愛しい恋人の身を守るのは当然だが、ついでにローバの見守りも頼まれている。これ位は見逃して欲しい。

「いくらローバさんがセクシーでも、そういうのは良くないよ」
「待て、それは誤解だ!……監視データを見せてもいい。誓って君しか見ていない」

イライザに誤解されるのだけは、御免だった。
焦り、デバイスを掻き集め彼女の前にズラッと並べると彼女はぷっ、と小さく吹き出した。

「ごめんね、まさかそこまで焦るとは思わなくて……。揶揄いすぎたね。ヒヨンの事、信頼してるから見なくても大丈夫だよ」

本命のデータは、胸ポケットの内側に仕舞い込んでいる。少しばかり罪悪感を感じながらも、この劣情は君にしか向けていないのだから許して欲しいと心の中で言い訳をする。

イライザの柔らかい手のひらが俺の頭に触れ、撫でる。短い髪を掬うように持ち上げられるのが、なんだか心地良い。これを他の人間にされたら激昂する所だが……彼女だけは特別だ。

「ボンジュール!……本当に2人は仲良しなのね」

ワットソンに声を掛けられると、イライザは気恥ずかしそうに声の方へ顔を向けた。
ワットソンは少しだけ人の感情の機微に疎い所があるように思える。今だって気まずい様子を微塵も見せずに、ニコニコとしている。
もし、他の人間だったら大袈裟に揶揄われただろう。見られたのが彼女で、まだ良かった。

「ナタリー、おはよう。……しみじみと言われるとなんだか恥ずかしいっていうか……もう作業始めるよね?2人とも、コーヒーは?」
「頂こう」
「お願いするわ」

オーケー、とイライザがキッチンに向かったのを合図に本日の復元作業が始まった。

「……それで、ファラデーアーマチュアにはどんな機能が?」
「色んな動きがあるけど、主な役割は幅広い電磁的、静電気的な干渉を防ぎながら、コアに理想的な共鳴環境を用意することね……でも、これが彼女≠フものだとは思えないわ。アーマチュアの端に沿ってピンが並んでいるでしょう?これは後付けされたんじゃないかしら」

ワットソンは自身の手の中にあるパーツを俺の方に向ける。
しかしながら後付けされたかもしれない、という興味深い推測よりも俺は彼女の言葉に引っ掛かる事があった。

「彼女=H」
「男性は派手だもの。でもこのアーティファクトは……奥ゆかしくて、謎めいている。絶対に女性よ」

……独特の感性だ。けれど、まあ、何となく彼女が言いたい事が分からなくもない。
残念ながら彼女ほど神に愛された才能は無いものの、つまりは……どちらかと言えば俺も彼女寄りの人間だった。

「なぁ、その……気疎いって言われないか?」
「えっ、何?」
「言われた事ないか?ウチは母親がいつも言ってた。貴方と話していると、どうも可愛げが無いというか、鼻につく感じがするって」
「ママのことは知らないわ。1歳になる前に死んだから」

勝手な憶測で彼女の性質と人間関係について口を出した挙句、とんでもない地雷を踏んでしまった。思わず冷や汗をかく。

「すまない」
「いいの、悲しくはないわ。最初から居ないのが当たり前だったから」
「随分はっきりと物を言うな」
「気疎い人の特徴ね」

クスクスとワットソンが笑った。
俺もあまり気遣いや世辞は得意ではない。似た物同士という事だ。

「なぁ……レイスが最後までやろうって言ったのは、嬉しかったんだ。君と働くのは好きだからな」
「私も貴方と働くのは好きよ。ねぇ、じゃあイライザは?」
「……彼女のことは、……」

周囲に喧しい連中がいない事を確認してから「愛してる」と言い切るとワットソンは瞳を輝かせた。

「愛って不思議よね。貴方はイライザと一緒にいると空気が柔らかくなるというか、棘がなくなるわ」
「……そんなに分かり易いか?」
「私ですら分かるのよ」

想像よりも、自分は分かり易いらしい。
羞恥で熱くなる頬を腕で隠そうとすると、ワットソンは言った。

「素敵な事だと私は思うわ。だから、照れる事ないじゃない」
「……ああ」
「ふふ。ああ、話が大きく脱線しちゃったわね。……クリプト、ライフラインとジブラルタルが持って来たSCOMPハウジングを取ってくれる?」
「勿論。ハック、彼女の見守りを頼む」

イライザとローバの側に潜ませてるのはハックとはまた違うプロトタイプのものだ。
見慣れたドローンを見て、ワットソンがうーんと首を捻る。

「どうしてハックに人格をプログラムしなかったの?」
「ただのドローンだからな」
「ドローンだって楽しめるはずよ!冗談を言わせるのはどう?私が手伝えばきっと面白くなるわ」

冗談はともかく、自分以外の人間がドローンを扱う場面を今迄想定していなかったのは事実だ。
今回の様に特定の人間を護衛するとなると、彼女の言う様にコミュニケーションを取れた方が扱い易いのかもしれない。

「まあ、考えておくさ。……というか、ジブラルタルはハウジングをどこに置いたんだ?」
「あっち」

指差された方に向かい、バーのキッチンを通り抜ける。
コーヒーを淹れるにしては時間が掛かり過ぎている恋人の事が気になり、キッチンの方を見遣ると、じっと俯き銃を見つめているローバの隣に彼女は座っていた。

なるほど。俺もそこまで鬼畜ではない。
無理矢理ローバから引き剥がす事も出来るが、コーヒーは部品を取ってきてから俺が淹れよう。

彼女達から視線を外す。
ジブラルタルとライフラインは、オクタンの義足修理の仕上げに取り掛かっていた。当の患者はバーに横たわっている。……奴は救って貰った癖に偉そうだ。

「ジブラルタルさんよ、アンタ、ボロボロになった人間を助けるのが本業だろ?そりゃ俺の足首だ、太ももじゃねえ。アンタの所為でメチャクチャにつながれた奴が他にもいるんじゃないのか?」
「ハハハ!見た事もない足首だったからな」

バカだが……楽しい連中だとは思う。

「なあ、昨夜アンタが虚空から持ってきたパーツはどこにやった?」

3人に話し掛けるが、タイミングが悪かったらしい。ライフラインがオクタンの横柄すぎる態度に癇癪を起こしたのだ。彼女の怒りは正当なものだ、止めるに止められない。

困り、ジブラルタルと顔を見合わせる。彼は笑っていた。残念ながら、俺には仕事が残っている。戯れあってる場合では無い。
3人の側で途方に暮れていると、突如として耳をつんざく様な悲鳴が上がる。

「きゃああああああ!」

ワットソンの声だった。
……何故だ!?ハックは何をしている!?

「元気そうじゃないか、忌々しい」

全員が、俺とワットソンの仕事場の方へ振り返る。そこでは、信じられない光景が広がっていた。

「この機械には鋭利な刃が無いな。何の役に立つんだ?」

ハックが、ワットソンを壁に押し付けている。スピーカーからはレヴナントの声が聞こえていた。

「ナタリー!!……ヒヨン、早く!ナタリーを!」
「あっ、ああ……」

何故だ!?どうしてだ!?
何一つとして、この現状を理解出来ない。
余りの衝撃で思わずショートした俺の肩をイライザが軽く叩いた。

「ハック、やめろ!!」

そう命令してもハックはワットソンから退かない。……何故だ?
初めての事に自分自身がパニックになっている事を理解するが、焦りの所為で全てが空回る。
まず、ワットソンの身の安全を……?いやハックの暴走を止める事が優先か?それともレヴナントの居場所を……。

「クリプト!どうなってるの!?どうしてドローンにレヴナントが!?」
「わ、分からない。ハックは……ハッキングされない筈だ」

ローバが目を釣り上げ、俺を睨む。
そんな目で見られても、ああクソ、……少し考える時間をくれ!
怒りと焦燥と不安で、頭が埋まっていく。不味い。これは不味い。……俺は予想外な出来事に弱いのかも知れない。

「知り合いから新しいメッセージが届いたのでな。気に入った肉塊の様子でも見ようと思ったのだが……どうやら私の何かを見つけたらしいな。だからお前には……我が心の一部をくれてやろうと思ったのだ。分かるか、ワットソン?うん?どうなんだ!?」

レヴナントは此処にはいない。されど、ハックは……完全にレヴナントの化身としてギロリとワットソンに視線をやった。遂にはワットソンは泣き出してしまった。

ワットソンを雑に解放すると、ハック……いやレヴナントはローバの方に向かった。

「お前はもっと賢い女ではなかったか……」
「私の前から消えなさい、悪魔」

ローバは顔を背けるが、ハックは彼女の鼻先を飛び回っている。
普段は頼りになる相棒が、醜い蠅の様に見え、俺の中の何かがパキパキと音を立て、崩れ落ちて行く。

「私はお前に後を追わされていた。だが、お前の手が私の命に手が届きかけた時……新たな仲間がお前を裏切った」
「ッ、この……私は!」
「その感情を覚えておけ。お前とのケリは直々に着けてやる。また会おう、近いうちにな……」

レヴナントに乗っ取られたハックが、地面に落下した。

「止まったか」
「クリプト、48時間以内に貴方のそのドローンに近付いた人は?」
「誰も。俺とイライザと、ワットソンだけだ」
「本当に?」
「勿論、間違いない」

ワットソンは今回の件の被害者で、イライザは彼女を低く評価するのは心苦しいが、どうやってもハックをハッキングする力量は無い。

……誰だ?誰がこんな事が出来る。
思い付かないからこそ嫌な汗が額を伝う。

「……私が言った人格とはあんなモノじゃないわ!クリプト!」

ワットソンを見ると体を震わせていた。頬には涙の跡が生々しく残っている。

「ナタリー、大丈夫?」

イライザが、ワットソンの肩に手を掛けようとすると、彼女は大袈裟に体を引いた。

「……ナタリー?」
「ごめんなさい、イライザじゃないとは頭では分かってても……その、時間を頂戴」

ワットソンは誰に対しても誠実なイライザを家族の様に信用しているし、確実に彼女の力量ではハッキングは難しいと理屈で解っている筈だ。
……それなのに、彼女が好ましく無い目で見られるのは、恐らく。

「待ってくれ……俺がやったと思っているのか?何故俺が、レヴナントの奴にドローンのアクセス権を渡すんだ?」
「そうね……普通はそんな事はしないでしょう。クリプトが内通者でない限りはね」
「俺がレヴナントのスパイだと思うか?」
「他に、ドローンをハッキング出来る人がいるって言うの?」
「……分からない。ひょっとしたら、ハックをハッキングする方法が……あるのかも」

バンガロールの質問に、満足のいく答えを述べる事が出来ない。
俺の歯切れの悪い言葉に周囲の瞳がより険しい物になるのを肌で感じる。

「ハッキング出来ないドローンの名前がハックってか?おいおいアミーゴ、そりゃないだろ」
「ネーミングセンスの話は後だ。……なぁ、ワットソン、俺はバカじゃない。俺が内通者ならもっと慎重に動くんじゃないか?」
「そうだよ、ナタリー。ヒヨンだよ?ヒヨンがスパイならもっとコソコソ上手いことやるって」

どうやらイライザは俺の事を微塵も疑っていない様だった。……希望の光だ。彼女の存在と言葉に今、生かされていると実感する。

茶化すようなイライザの言葉に何人かは納得した様子を見せる。被害者であるワットソンも、彼女と俺を信じたいのだろう。理屈と感情に挟まれ、祈る様な顔付きで眉を寄せ悩んでいる。

「都合の良い議論だな。なるほど、素晴らしい。あからさまに自分が嵌められたと見せかけておけば……自分の名前を真っ先に等式から消す事が出来る。見事だ」

コースティックの言葉に「博士!」とイライザが両手を握り締め、叫んだ。

一触即発のピリついた空気を、レイスのポータルが破った。レイスとミラージュ、そしてパスファインダーがミッションから帰って来たのだ。

「よぉ!……えーっと……イアコム?イディオコムじゃなくて……パス、なんだっけか?」
「IDCOMSフレームだよ!僕にもある、会話をサポートしてくれるパーツさ!」
「デカい一口が欲しいのはどいつだ?……っておい、みんなエラく深刻な顔をしてるな。何があった?」
「丁度、クリプトがレヴナントのスパイをしてた理由を話すところよ」
「……アニータ先輩!ヒヨンがそんな事するわけ……」

ミラージュはバンガロールから俺とイライザに視線を移すと、弾ける様に笑い出した。

「コイツが!?よりによって殺人ロボットのスパイだと!?おいおい勘弁してくれよ。見ろよ、クリプトの顔を。如何にもムッツリって顔だ。イライザの事で頭一杯のスケベ野郎だ。いつアイツに構う時間があるってんだ?」
「クリプトを庇うの?嫌ってると思っていたけど」
「いつもイチャイチャしてるのは確かに鼻持ちならねーが……イライザに罪は無い。俺だってイライザとイチャイチャしたいからな。つまり、嫌いさ。まあ、でも、そうだな……どっちかって言えばロボットのが嫌いだ。ハナの差でな」
「やったね!」

腹が立つ物言いだが、ミラージュのお陰で雰囲気が多少なりと良くなる。
矢面に立ってくれていたイライザも、強張っていた顔を少しだけ緩めた。

「お前じゃねぇよ。もう一体の方だ。クリプトは悪の親玉って柄じゃねぇ。ただのありがちな20代のウザってぇ…」
「……31だよね?」
「……ああ」
「ありがちな30代のウザってぇ…っておい!お前、俺よりも1コ上なのか!?それでおっさん′トばわりしてたのか!?」
「重要なのはそこじゃないわ」
「だな、忘れてくれ。スパイだって話だったな」

大分話が逸れてしまったが、ワットソンの心なしか冷たい声に引き戻される。

「滅茶苦茶だ。奴に協力する理由がどこにある?何の特になる?」
「シンジケートだ」

俺がワットソンを傷付け、更にはレヴナントに媚を売る理由など、無い。
無いものは無いのだ。だから、このままの流れで誤解が解ければ良いと思っていた。なのに、何故コースティックは……知っている?
さあっと血の気が引く。

「お前には組織の壊滅を狙う個人的な理由がある。そしてレヴナントはかつての主人に復讐を望んでいる。2人が手を組むには、これ以上無いほどの理由だろう。お前が策を練り、奴が手を下す。力を合わせれば、マーシナリーシンジケートを屈服させられるだろう」

俺を見詰めるイライザの瞳が不安の色を浮かべ、揺れていた。違う!違うんだ!信じてくれ、イライザ……!

「目的を果たす為には、アーティファクトが必要だ。お前はあれをハモンドに譲らずに、アーティファクトの力を奪うつもりだった。これですべて説明が付く」
「違う。お前だ」
「なんだと?」

余りにも出来過ぎた動機付けだった。
そして、誰にも教えた事のない秘密を知っているという事は……紛れも無く俺を売ろうとしている証明だ。

「今のは、前々から用意していた御託だろう。スパイはお前だ」

俺の言葉に、周囲が一斉にコースティックへ視線を向ける。比較的、奴と懇意にしているワットソンとイライザが息を呑む。

「貴様との議論に、準備など必要ない。誤魔化そうとするその努力には感心するが、今更そんな悪あがきをしても遅すぎる。私には動機も、貴様を陥れる理由も無い」
「博士、だったらヒヨンだって仲間を傷付ける理由なんか……」
「なんだ、ミス・オースティンにも伝えていないのか?貴様の真実を」

コースティックは意味ありげに、笑った。
はらわたが煮えくり返る思いだった。それと同時に彼女を傷付ける運命ならば、想いを伝えるべきでは無かったのだと俺自身にも腹が立ち……失意のどん底に落ちる。

そろり、と彼女を盗み見た。
直視するのが兎に角怖かったのだ。

イライザは俺と、ワットソンと、コースティックの顔を順々に見詰めると、俺の手を固く握り締めた。ただ、それだけなのに目頭が熱くなる。信用してくれるのか、俺を。

「……ありがとう」
「誰にだって言えない事の一つや二つ、あるよ」

周りに誰もいなかったら、彼女にワッと泣いて縋っただろう。一瞬でも彼女と離れる事を考えた自分が情けない。
逃げるな、彼女から目を背けるな。

「……で、皆スパイにはどう対処するつもりだ?俺にも考えはあるが、どうせならカボチャでも食いながら話さねぇか?」
「出来る事はないわ。レヴナントは全てを知っていて、私を狙ってる。何をしてもそれは変わらない」

すっかり自分の事で精一杯になっていたが、そうだ。ローバの立場は変わらない。むしろ、危うい物になっている。

「今出発すれば、日が暮れる前にはこの星を出られるわよ」
「そこまで逃げられると思う?アイツは今頃、船のそばにいるでしょうね。影で私を待ちながら。……これまでの訓練の成果を、試す時が来たわ」

背を向けるローバにバンガロールが声を掛けた。

「待って」
「この結末を望んでなかったとは、言わせないわよ」
「貴女の死は望んでない。計画がすっかり狂ってしまったわ」
「物事っていつも思い通りになる訳じゃないでしょう。……気にし過ぎないで、大義のために仲間を犠牲にした事を、悔やんでる貴女は見たくないわ……ウィリアムズ軍曹」

バンガロールにそう言葉を残すと、ローバは窓の外へ腕輪を投げた。途端、眩い光に包まれ彼女は姿を消した。

「さてと。じゃあぼちぼちカボチャを取ってこようかな?どうだ?」

ローバが去ろうと、空気は依然重たいままだ。
ミラージュの軽口を無視して俺はワットソンに声を掛ける。俺の手は、まだ暖かい手のひらにギュッと包み込まれている。

「なあ、ワットソン……いや、ナタリー……頼む。俺は決して……」
「お前は自分の知性を過信していた様だな。彼女はお前の罠になどかかりはしない」
「俺の√ゥだと?」

ワットソンは俺の問いかけには応えない。けれど視線は俺とイライザに真っ直ぐと向けている。そうだ、俺は仲間を……イライザを傷つける様な事はしない。

和解出来そうになると、コースティックは水を差す。クソ、お前が犯人だと言ってる様なものじゃないか!
何なんだ。お前はあんなにも心酔していたワットソンを傷付け、何がしたいんだ?

「ブラザー、ここは話し合いでいこうぜ。ケンカは無しだ」

コースティックと互いに睨み合う俺にジブラルタルが声を掛ける。そうだ、冷静に話し合えば分かる。誤解が解ければ、こんな馬鹿らしい茶番は終わりだ。

「裏切り者が誰だって構わないわ。今はただ……静かな場所に行きたい」

ぽつりと、呟くようにワットソンは言った。

「連れて行ってあげる、ナタリー」
「ありがとう、レネイ」
「レイス、頼む──」
「いずれきっちり話し合いましょう、約束する。でも今は、休ませてあげて」

弁明の場を奪われては敵わないと、慌てて彼女らを引き留めようとするが、レイスの言葉に気付かされる。

ワットソンの目が信じたいが信じきれないと言った様な、迷いが見えるものだったからだ。無理に引き止める必要は無いと、俺は悟った。


* * *


「君に聞いて欲しい事が、ある」

俺のベッドに腰掛けるイライザは、俺と目を合わせたまま、しっかりと一回頷いた。


あの事件の後、アーティファクトは無事修復が終わり、あるべき場所へ還った。

ローバとレヴナントの関係も、一新された。
現場に居合わせたバンガロール曰く、レヴナントは……死にたいそうだ。
300年にも渡る生の呪縛を解くには、ソースコードの破壊が必要らしい。
レヴナントに復讐を誓った者は星の数ほどいるが、ソースコードにまで手が届いたのはローバだけだったと言う。つまりは奇妙な運命共同体となった、らしい。

俺とワットソンとの関係は依然、良好とは言えないままだが、彼女は俺達を信じたいからこそ悩んでいる。時間は掛かるかもしれないがいずれ、解決するだろう。

コースティックとの関係は、最悪なままだ。奴が考えている事は、理解不能だ。いや、理解したくもない。

そして、最愛の人に俺の全てを知って貰いたかった。しかしながら、それはエゴに満ちた、傲慢な望みだ。

「察してはいるだろうが、一度聞いてしまったら、途端に厄介な事情に巻き込まれるだろう。それでも、聞いてくれたら、嬉しい」
「……ヒヨンは忘れちゃったの?」
「ん?」
「最初から私はヒヨンの事知りたいって言ってたじゃない。だから嬉しいし、この前の博士の発言でそんな感じの秘密かぁ、って何となく察しちゃったし……要は受け止める覚悟は前からあるって事」

不安がる様子を見せないどころか、むしろ嬉しそうに微笑む彼女に、拍子抜ける。
俺は一世一代の告白をしようとしているのに、彼女の器の大きさというか、度量には畏れ入る。

「……俺は、かってシンジケートのエンジニアとして働いていた。試合を中継する為のドローン技師だ」
「……うん」
「これ以上の事は、本当に……いいのか?」
「うん。信じてるから」

ベッドに腰掛ける俺の腿に、彼女の手が安心させるかの様に置かれた。その手は、確かに微塵も震えていなかった。

「……俺にはミラという兄妹がいる。彼女と一緒に働いていたが、ある日……ゲームの根幹を揺るがす見てはならないものを見てしまった。それを彼女は盗もうとして……以降行方知らずになっている」
「……ヒヨンは兄妹を探す為に、レジェンドとしてシンジケートの膝下に潜り込んだの?」
「そうだ。奴らは……この件をミラが死んだ事にし、その容疑を俺に擦りつけた」
「……だから教えてくれなかったのね。私に、みんなに」

俯く俺に「ねぇ、こっち見て」と彼女は優しく囁いた。

「押し潰されなかったヒヨンは強い。でも、良いんだよ。これからは、頼って」

すぅ、と息を整え彼女の煌めく瞳を見ると、口が自然と動いた。

「俺の名前はパク・テジュンだ」

そう名乗ると彼女は薄く微笑んだ。

「パクがファーストネームですか?」

このやり取りには、覚えがある。

「いや、テジュンだ」
「ふふ……テジュン。やっと呼べた」

頬を紅潮させる彼女を抱き寄せ、目蓋に、頬に、唇にそっと自身の唇を重ねた。熱かった。物理的にも、説明し難い、何かが体の奥底から込み上げている。それが、とにかく熱かった。

この瞬間の為に、今迄生きていたのかもしれない。
目の前にいるイライザが愛おしくて、そんな彼女に受け入れられた事実に泣きそうだった。

「イライザ」
「なに?テジュン」
「……ただ、名前を呼びたかっただけだ」

一番明るい光は、俺の腕の中にある。





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