イカロスは
太陽と
口付けを交わす

※ミラージュの幼馴染ヒロインと両片思いな話です


彼女は日が差す様に笑う。
窓を覗けば穏やかな月が控えめに主張し始めたと言うのに、彼女と言葉を交わすと小鳥が囀る爽やかな朝に様変わりする。

まるで太陽からの愛情を一心に受けているようだ。第一印象から変わらず、俺はそう思い続けている。

ぼおっと彼女の顔を見ながら物思いに耽っていると、ライムの青が目を引くカクテルが目の前に差し出された。

「何かお悩み?私でよければ聞きますよ」
「いや、綺麗とは言い難いが良い店だと改めて思ってな」
「それはどうも」

イライザは笑った。瞳はしっかりと見開かれ、口角がキュッと弓の形に上がっている。人好きのする、気持ちの良い表情だ。
その笑い方がどこか(奴と似てるな)と思い、満たされていた心に暗雲が立ち昇った。

「エリオットに用事は無いの?あの調子じゃ長引くけれど」

チラリと彼女が視線を送った先には、エプロン姿のミラージュが酒瓶片手に女性客達と談笑している。女達の表情はどこかトロンと惚けていた。きっと奴のファンなのであろう。

「無い。……君のフィッシュアンドチップスに用があったんだ」
「ふふ、本当に好きですね?クリプトさん」

ニコッと笑うと同時に彼女は手元のオーダー票にササッと注文を書き込んだ。

「直ぐにお食事でいいのかしら?」
「頼む」

俺の返答を聞くと彼女は手を丁寧に洗った。そのまま流れる様にフライヤーに火をつけて、後は揚げるだけの白身魚をカウンターの冷蔵庫から取り出した。

「ウィット家秘伝のポークチョップは確かに美味しいけれど、オースティン家のフィッシュアンドチップスも負けてないもの」

イライザの言う通り、ウィット目当てであろう客は名物であるポークチョップを注文する事が多い。店内をざっと軽く見回しても多くの人間が嬉々として口に運んでいるのが分かる。

そんな中、カウンターを囲う常連たちは淡白で優しい甘みを感じられる魚のフライを頼む事が多い。荒く刻まれた玉ねぎが特徴的なタルタルソースを掛けて食べるのが定番で、漏れなく俺も気に入っていた。

普段は頼まないメニューを注文したい気分だったが、ウィットに料理の詳細を聞くのも癪だと悩んでいた所、カウンターに立っていたイライザに勧められたのが全てのきっかけだった。

レジェンドとして就任して以来、好奇の目や探る様な視線に晒される機会が増えたのに嫌気が差していた俺は当然ながら彼女の事も「そちら側」だと警戒していた。

目を合わせようとしない俺に「こんばんは」と彼女は声を掛けた。無視する訳にもいかず顔を上げると、燦々とした笑顔がそこにあった。

きっとレジェンド連中がたむろっているから俺という存在が物珍しくないのだろう、そう思っていたが彼女からは浮足だった様子は全く見られなかった。
そして気づいた、俺の前にいる女は肩書きに左右されない人物なのだと。

それ以来、単純なものでフワフワとした白身魚のフライと彼女の微笑みに俺は魅了され続けている。



「……奴はいつもあんな感じなのか?」

再度テーブル席の方に視線を送ると、若い女がウィットの手を取って絡めていた。どう考えてもやり過ぎだ。

「ファンサービスが過剰な所もあるけれど、基本的に勤務態度は真面目ですよ。まあ、彼がオーナーだからエリオット基準ですけど」

苦笑いを浮かべつつもイライザはてきぱきと調理を進める。ジュッ、と衣が油に包まれていく食欲を唆る音が弾けた。

「いつ来ても君は忙しそうにしているからな」
「だって、お客様はエリオットに会いたいから来てる訳ですし。まあでも、折角来て頂いたからには料理と酒の腕も一流ってのを覚えて帰って貰いたいですけど」
「少なくとも此処に一人、君の腕に魅了された人間がいるさ」
「ふふ、有難う御座います」

俺の言葉にイライザは悪戯っぽく笑った。心からの言葉だと言うのに世辞だと思われている様で、少し悔しく思う。

会話を楽しんでいると、目の前に料理が置かれた。黄金色の魚が白いソースの中で泳いでいる。堪らずせっせと口に運ぶ俺を見て彼女は満足気だった。

夢中で食事を進める俺から少し離れたカウンター席に女が座った。何度か顔を見かけた事があるので常連の筈だ。

「イライザさーん、本当に今ミラージュさんって恋人いないんですか?」
「うん、そうね。ここ最近女性関連のトラブルで迷惑掛けられた覚えは無いかな」
「それってぇ、イライザさんの事がやっぱり大切だから〜とかだったりしません?」

関心しかない話柄だった。思わずイライザと常連客の会話に聞き耳を立てた。

「私と彼は唯の幼馴染よ。うーん、もう異性としての魅力を感じないくらい近しい人だから兄妹みたいなのもの……かしら。きっと、彼もそう答える筈よ。そういう意味では大切だけど、エリオットのファンがやきもきする様な仲じゃないわよ」
「ナルホドですぅ〜じゃあ、遠慮なくミラージュさんの事狙っていきますので!」
「ええ、頑張って。これからもご贔屓に」

女はカウンターに金貨を置いてビールと引き換えると足取り軽くウィットの元に帰っていった。

「……いいのか?」
「良いも悪いも話した通りですもの。もしかしてクリプトさんまで私達の仲を勘繰ってるんですか?」
「いや、決して男女の仲には見えないが」
「でしょう?」

イライザは眉尻を下げつつ笑った。俺も合わせて苦笑いを浮かべた。

彼女が言う通り、イライザとウィットが艶っぽい関係ではないと俺は知っている。
レジェンドとして就任する直前、同僚連中の端末データを盗み見た時、俺は二人の通信データも見たからだ。

「試合頑張って」だの「帰りにタマゴを買って来て」だの、余りにも所帯じみた会話にイライザという女はウィットの母親かと最初は勘違いした位だった。

いっそ、二人が恋人同士であれば良かったのかも知れないと思う事がある。
男女の情欲が絡んだ関係よりも、家族の絆は固いと俺自身が知っているからだ。

イライザの心からの「大切」に俺は出来るならばなりたい。そして、知っている。それは叶わない事だと。

彼女に近付けば近づく程、太陽という輝きの強さに俺は怯えている。
太陽が光り輝くほど色濃くなる日陰の世界で、地上から俺は彼女を見詰めている。


* * *


「ねぇ、クリプト!この前、研究発表会に出席した時に面白い技術があって貴方のドローンにも使えると思ったの」

試合前、俺は早めにロビーに入りコーヒーを啜っていた。ハックの調子を再度確認しつつゆっくり朝食を取るのがゲーム前の習慣になりつつあった。
そんな俺を発見したナタリーは嬉しそうな表情を浮かべ駆け寄ってきた。

「へぇ。その資料はあるか?」
「ええ、あるわよ」

ナタリーは胸に抱えたパンフレットを俺に手渡した。確かに、中々興味深い事が書いてある。

「面白そうだな。暫くこれは借りてもいいか?」
「あなた用に貰ってきた分だから、あげるわ」
「そうか。ナタリー、有難う」
「ドゥリアン!喜んで貰えて良かったわ」

両手を叩きながら彼女は笑った。無邪気で、見る人によってはあざとい仕草だ。それでも嫌味に感じさせないのがナタリーだ。

「で?他にも面白い研究はあったのか?」
「私の一押しはこれね。しなやかさがウリの新素材で、柔らかいからこそフェンスの強度に向くんじゃないかしら……」

彼女の脳味噌には到底敵わないが、俺達の考え方はどこか似通っている。夢中で会話をしていると、いつの間にかロビーには同僚達が集まり始めていた。

「おお、クリーピーにナティー、科学オタク同士今日も仲良くやってんなぁ」
「……お前、ソマーズ博士にもそんな口を聞けるのか?というか何だその気色悪い渾名は」
「ソマーズ博士に生意気言う訳ないだろ!……なんだ、知らないのか?ゴシップ誌のチェックもレジェンドの仕事だぜ?」

無駄に白い歯を輝かせたウィットの手には週間Legendsが握られていた。察するにまた俺とナタリーの関係を邪推した記事が載っているのだろう。

「外野に何を言われてもやる事は変わりない」
「流石、ファンサービスランキングのワーストに入るだけはあるぜ。なぁ、ワットソン知ってるか?クリプちゃんのやつ、レヴナントとコースティックの次に名前上がってるんだぜ?これにはゲラゲラ腹を抱えて笑ったぜ!でな、」
「うるさい!用がないなら失せろ!」

情けない話だが、俺はコイツに酷く嫉妬している。そんな存在に煽られて、黙って居られるほど俺は人として出来ていない。

カッとして怒鳴りつけると、ウィットは一瞬怯んだ表情を見せるがナタリーに「コイツ、少しだけ借りるぜ」と断りをいれた。

「……何の用だ」

目をパチパチとしばたたかせるナタリーを置いてウィットは自身のスペースに俺を連れ込んだ。
俺の腕を掴む手を、道中払い除けようかと何度も思ったが奴の表情から冗談の色が見えなかったので、やめた。

「いやよ、本当にワットソンと付き合ってんのかと思って。確認だ」
「はぁ、邪推もいい加減にしろ。俺達はそんな関係じゃない」
「俺の目から見てもそう見えるさ。……だがよ、普段の様子を知らない人間は世間の噂一つで不安になっちまう訳だ」
「何が言いたい?」
「イライザが恋人がいる人と親しくするのは申し訳ないだとよ」

そう言うと、ウィットは品定めする様に俺の顔を見詰める。不快だ。
それでも、口論をしている場合ではない。

「撤回しただろうな?」
「仕事がやりにくいと困るだろ?そんなんじゃないって笑い飛ばしてもビミョーな顔してたが」
「……そうか」

自分でもよく分からない感情が胸の中で渦巻いていた。今、俺はどんな顔をしているのだろう。

「イライザの事、どう思ってるんだ?ま、聞かなくてもバレバレだけどよ。付き合いの悪いクリプちゃんが俺の店に通うなんてイライザ以外に理由は無いだろ?……ん?待てよ?俺のパターンは想定してなかったな?俺だとしたらお断りだぜ」

百面相を浮かべるウィットに大きな溜息を吐く。流石に空気を読めていない事を反省したのか「わりぃ」と奴は頭を掻いた。

「好きだ。だが彼女は……」

自分より少しだけ高い位置にある瞳を覗き込むと、生命力に満ちた光が差し込んでいた。ムカつく程に彼女と似ている、それだ。それが、俺の目を眩ませ、前へ進めなくさせる。

「傷付くのが怖いんだろ、この被害妄想の変人め!」
「……何も直接伝えるだけが愛情じゃないだろう」

俺は彼女とどうこうなりたい訳ではなかった。彼女と過ごす穏やかな時間が長く続けばそれで良かった。
実際問題、俺は、「パク・テジュン」は、イライザを幸せに出来る立場にいない。

「じゃあ、そんな鬱陶しい顔をするのは止めやがれ!それに、イライザの気持ちは?これだから視野の狭い童貞には困ったものだぜ」

なーにが空に目を放つだ、とここぞとばかりに嫌味を言うウィットに俺は何も言い返す事ができなかった。

「……ウィット」
「あ?なんだよ」
「有難う」
「お、おう?……なんだ?色々と訳分からん事を考えているんだろうが早まるなよ?」

俺の視点からだけでは全ては分かるまい。そんな単純な事を気付かされて素直に言葉が出た。

「今夜も営業するのか?パラダイスラウンジは?」
「ああ、するぜ」
「ならば顔を出そう。フィッシュアンドチップスを食べに」

俺の言葉にウィットと、彼女が笑った気がした。





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