熱視線



失ってしまった血肉を修復しようと、細胞は一生懸命働いている。
穴が空いてしまった場所の大部分は埋まっているし、鈍い痛みも引いた。どちらかと言うと、感覚が敏感になっているのか、くすぐったく感じる。

利き腕を庇うように撫でた。何も起こらない事が私を心底安心させる。これなら最高の写真を、撮れる。

シンジケートから与えられた猶予は短い。
頼み込めばもう少し撮影日を伸ばす事も出来るだろうが、私みたいな部外者に気を遣いながら試合をするレジェンド達にこれ以上迷惑を掛けたくない。

だからきちんとプロ意識を持って、今日中に終わらせるのだ。
もう一度傷跡を確かめるように触った後、私はオクタンの姿を脳裏に浮かべた。

体を休める為にも昨日は戦場に出向かなかった。その代わりに私はデータの確認と編集を進めていた。
データを開き、現段階でも妥協なしの一枚がレジェンド全員分用意出来た事に私はホッとする。……ただし、一人を除いて。

充分カッコいい、いやむしろ広報的には満点であろう、ジャンプパッドを使った空中での軽業を披露するオクタンの写真は見栄えも良く、素晴らしい写真だと思う。
まさしく、世間が求める彼の姿だ。勿論、今迄の私もそれが彼だと思っていた。

失礼かもしれないが、恵まれた環境に生まれた故に考えなしの、とにかく目立つ事が楽しくて生き急いでいる存在。まるで自分がこの宇宙中において主人公であるような振る舞い。

気のせいかもしれない。
でも、そのヒーローマスクの下を暴いて欲しいと言われた様な気がするのだ。
更には、適当過ぎるオクタンをあんなにも苦手だと思っていたのに、期待に応えたいと思う私がいる。

興味本位なのか、はたまた別感情なのかは自分でも分からない。
けれど、どうしようもなく私は彼の事が気になっている。


* * *


「おい、オッサン!突っ込むぞ!」
「ならばキャンプファイヤーといくかぁ!」

白亜の気品に満ちた建物と、様々な花が目を楽しませる美しい庭。かつて特権階級が暮らしていた頃の名残が色濃く残り、オリンパスの中でも一際輝かしいガーデンが、荒っぽい掛け声と共に一瞬にして炎の壁に包まれた。

修繕費、と私のような庶民はどうしても雑念が過ぎるが、戦闘狂達は全く気にしないどころか興奮に拍車が掛かっているかの様に思えた。

高層階の建物から私はオクタン・ヒューズ・バンガロールの部隊を眺めていた。勿論、十分な距離を取って。

オクタン等と敵部隊を見下ろす形で、私はカメラを構えつつ観察を続けた。
炎の壁に囚われた、対抗部隊であるミラージュとクリプトが言い争いをしている側に空間の歪みが生まれている。恐らく彼等と同じチームメイトのレイスが機転を効かせたのだろう。

ポータルが開かれるその前に、空から空爆が降ってくる。離れた所にいても、その振動に私の足元が揺れた。

「逃げ遅れた坊主二人は俺様と軍曹で十分さ」
「シルバ、レイスを!」
「わぁーってる、さ!」

即座にジャンプパッドを展開し、オクタンは跳ねた。たちまち逃げるレイスとの距離は縮まり、両者は銃を構えて交戦する。

バンガロールが起こした激しい爆風をバックに死闘を繰り広げるオクタンとレイスは、まるで映画のクライマックスシーンの様だ。
私は構えたカメラのレンズを回す。ズームをする度に私という存在は無になって、ただ目の前の事に引き込まれる感覚がする。

R-99の発射レートは高い。その代わりに銃身は大きく暴れる。荒ぶるサブマシンガンはオクタン自身の様に思えた。
レイスの胴体にその弾は幾度も埋め込まれたが、彼女は一切怯まなかった。それどころかグッと目を細めて千載一遇の機を伺っていた。

平和的な名前に反して破壊力抜群であるピースキーパーのレバーを絞り込みながら、彼女はオクタンの頭部をしっかりと狙っていた。
ズドンと一発、レイスはオクタンの額に重たい弾を撃ち込む。その瞬間、シンクロしたかの様に私はシャッターを切る。

軽やかなコッキング後、彼女はふらついたオクタンの腹部にもう一発、容赦なく弾丸を炸裂させた。その後、中指と人差し指を伸ばし、一種のまじないの様なポーズを作る。
姿を消す前のレイスの顔は、あの激戦の後だと言うのに恐ろしく無表情だった。

「……はぁ。アンタねぇ……」

ミラージュとクリプトをまとめて往なした後、オクタンの方へ走り寄って来たバンガロールとヒューズは彼の状態を確認すると、呆れた様にため息を吐いた。

「んだよ。謝ればいいんだろ」
「カメラを気にしてカッコつけようと思ったのか?だあっつーのにこのザマかぁ」

ヒューズが顎でこちらの方を指した。何も反応しないのも躊躇われたので手をヒラヒラを振ると彼も振り返してくれた。とても気の良いおじ様である。
釣られてオクタンも地べたに倒れたままこちらの方へ顔を向けた。ゴーグル越しだと言うのに睨まれたのが何となく分かる。

「クソクソ!いいからさっさと起こしてくれよ!」

かなりの血を流し、ダウンしているというのに、まるで大きな赤ん坊の様にオクタンは駄々を捏ねる。そんな彼を見てバンガロールは頭を抱えた。

「アンタはもう少し位、殊勝な態度が出来ないの?」
「謝った所で過ぎた事は仕方ねぇだろ!大量にぶっ倒して借りを返すっつーの!」

だから早く、と五月蝿いオクタンの胸にバンガロールが気付け薬の太い針を刺した。その衝撃でオクタンの体が海老の様に跳ねた。

暫く痙攣を起こした後、のっそりと起き上がったオクタンは、具体的な表情こそ分からないけれど暗く沈んでいた。
背骨がうっすらと出ている細い背中は不満気、いや怒気も混じっているが、愕然とした動揺が感じられる。

恐らく彼はレイスに負けるとは微塵も思っていなかったのだろう。凄まじい自信家だ。
覆面の癖に背中だけで物語るオクタンが面白くて、私は絶対に広報に使わないだろうが拗ねる彼の後ろ姿を写真に収めた。


* * *


残りは三部隊とゲームの進行を告げるアナウンスがスピーカーから流れた。

人数の減りがなんだかいつもより早い気がするのは、汚名を返上すべしと気合を入れて突っ込みまくるオクタンと、そんな彼を嘲笑うかの様に一歩上を行くレイスの所為だろう。

ドックの高台にある家上をオクタン達の部隊は固めていた。私も変に家に入るよりはこの青空の下、姿を堂々と晒していた方が誤射されにくいと踏んで向かいの建物の屋上にぺたんと座り込んでいた。
吹き抜ける風が戦場とは思えぬほど清々しい。そんな中、退屈そうに欠伸をするオクタンが幼な気に見えた。

「バナーとアナウンスからすると……あともう一部隊はPの所かしら。そしてキルリーダーはレイスのまま、と。……キルログを確認するにミラージュとクリプトも復活させたみたいね」
「だーっ!!俺の所為かよ!?」
「あん時やり切れてたらお前さんがキルリーダーだっただろうよ」

ヒューズにトドメを刺されたオクタンは軽く癇癪を起こすがバンガロールの拳によって黙らされた。

「いい?雑兵ばかりだったからアンタが勝手に突っ込んでも何とかなったけれど、これ以上ふざけないでくれる?じゃないとその減らず口に銃口を捩じ込むわ」

バンガロールの言葉に私の胸が高鳴った。限り無く物騒だが彼女の冷徹さがこれ以上ない程に感じられる絵になりそうだと想像してしまったのだ。

やっぱり彼女には冷たい鋼鉄がよく似合う。……一番似合うのはやっぱり逸話持ちのピースキーパーかな、と妄想の世界に深く潜り込もうとした時、光の一本線が私の思考を起こした。

「おい、敵襲だぞ!」
「リング中を取れている以上私達の方が有利だわ。焦らず縮小まで耐えましょう」

オクタン達を狙うチャージライフルの軌道の先には、母艦の入り口をバリケードで固めたランパート達がいた。

「うざったい事この上ないけれど、ナックルクラスターと巨大キャンプファイヤーで牽制しておけば問題ないでしょう。私達が注視すべきは……」

バンガロールが突如として話すのを止めた。何故だろうと彼女達に視線をやると近くで足音が聞こえた。ドック下は地下通路がある。つまりは、間違いなくレイス達がそこにいる。

「ラムヤの部隊に構ってたら背後から撃たれるわね」
「ははっ、ハードモードって訳か」
「この調子だと乱戦を勝ち抜いた奴がチャンピオンになるだろうよ」
「乱戦待ったなし、燃える展開だぜ」

マスクをしていてもオクタンがニッと笑ったのが分かる。逆境こそ燃え上がるタチなのは、まさにエンターテイナーだ。

事態はリングの縮小と共に大きく動いた。
リングの中に入ろうとするランパート達をヒューズが投げ物で控制し始めたのを合図に、一人分の走る足音が聞こえる。

恐らく、建物の裏側にレイスが異空間の入り口を設けているのだろう。レイスの気配がいなくなると同時に俊敏な動きでドローンが飛翔してくる。

ドローンを認めた瞬間、私は高台から勢い良く飛び、オクタン達の部隊から必死に離れた。無茶な飛び方をした為、足がジンジンと痺れるが後悔はしていない。
EMPに巻き込まれたら私の体はともかく、カメラがどうなるか未知数なのだ。

青白い電磁パルスが建物を囲い込む様に発生したのを皮切りに、足音がいたる方向から聞こえる。このままだと、間に挟まれているオクタン達は一溜まりも無いだろう。

様子を確認する為に、私は急いで高台に再び登る。瞬間、煙と光のショーの間から、流れ星の如く人間が降ってきた。……オクタン達だ!

「ふぅ、危なかったぜ」
「窮地は脱せたけれど、もう手札は出し切ってる。……団体行動を忘れないでよ、シルバ」
「わぁってるつーの!」

彼等の背中は荒い息を整える為に激しく上下している。それが、当たり前の話だけれど彼は遠い世界の生き物ではなくて、今ここで生きている存在なのだと証明している様に思えた。

「チャンピオンになった瞬間を、撮らせて欲しいです」

気付けば私はそんな事を口走っていた。そして、次の瞬間、自分自身を殴りたくなった。
あるがままを撮りたいと公言している人間が、私情を持ち込んでどうする。これじゃあプロ失格である。

「一番カッケーのって、チャンピオンになった瞬間だからな。当然だろ?」

ヒーロー然としたオクタンの言い方に胸が痺れる。これが、生きる伝説なのか。
こりぁ、女の子はいとも簡単に恋に落ちてしまうな、なんて頭の冷静な所で思う。オーラにあてられたのか、私の心臓もドキドキといつもより早く動いている。

「今の所見せ場ゼロだもんな、お前さん」
「ジジイになると口だけじゃなくて顔もうるさくなるのか?」

甘いときめきも束の間だった。味方同士でつまらない喧嘩をオクタンとヒューズが始めたからだ。それをバンガロールがゲンコツ一発で即座に諌める。

「今日はシルバの写真を撮りに来たらしいけど、私の事しか考えられない様にしてあげる」

こちらを見ずにバンガロールは言った。その背中があまりにも格好良く思えて、彼女に女性ファンが多い理由を身を持って知った。

銃声が鳴り止まない建物へ、彼等は全力で駆けて戻って行く。その後ろを私も決定的な場面を見逃さない様に追う。

結果というものは実力が拮抗していても不思議とあっさり決まる時は決まる。

カメラを構えて滑り込んだのと同時に、オクタンが放った弾丸がレイスの額に真っ直ぐ放たれた。
やや遅れて届いたレイスの一撃が彼のトレードマークであるゴーグルを割るが、最後まで立っていたのはオクタンだった。

銃声と喧騒がぱたりと止み、徐々に静寂が満ちて行く。その空気を壊すのが、私は嫌だった。けれど、今の彼自身の姿を彼に教えたかった。

神経を尖らせ、震える指先を抑えた。シャッターを切る小さなパシャ、という音でこちらに気付いたらしいオクタンが顔を上げた。
その瞬間、張り詰めていた空気は一気に消え去り、ワッとどこからともなく歓声が上がる。

「どうだ!この最高な俺様を、見ろ!」

スパニッシュ混じりの大きな笑い声を上げる彼は間違いなく英雄だった。 それだけでは飽き足らないのか、彼は全身を使って喜びの感情を表現した。
目の前で飛んで跳ねるオクタンと、少し前までの静けさを一身に背負っていた人間が同一人物とは思えなかった。

喜びに満ちたオクタンを記念に撮る。私もどうやら浮かれているらしい。「カッコよかった!」と素直に歓声を送ると、Vサインをされた。

覆面の意味がない位に、彼は笑っていた。


* * *


シンジケートの広報部と、該当レジェンド一名と、私とで顔を突き合わせる。
撮った写真の候補を見比べて、採用作品を絞る会議は、さくさく決まるレジェンドもいれば、かなりの長時間を要すレジェンドもいた。

ミラージュやローバの様に自身の魅せ方を分っている人物は最後まで「カッコ良さを重視するか……いや、でもファンからすれば、このギャップが堪らないか?」と悩み続け、予定をかなり押した。

それでもうんざりどころか嬉しかったのは、そこまで拘りのある彼等が満足の行く写真を複数枚用意出来た事だ。
顔には出さない様にしていたが、その実ドーパミンがブワーッと勢いよく脳内で放出されていた。

拘りがある人物もいれば、逆に「世間が私に何を求めているか興味ないから貴方達で決めて」という人物もいた。
更には会議に現れない人物とシミュラクラムも一部いた。(彼等のは結局多数決で決めた)

それでも話はどんどんと纏まり、終わりは近付いてくる。つまりは、また仕事をして欲しいと依頼が来るまでレジェンド達とはお別れだ。

オレンジ色の空にはネイビーブルーのグラデーションが掛かっている。少しばかりセンチメンタルな気分なのは夕焼けの所為だけではないだろう。

一歩、二歩と進みビルを見上げる。最高の仕事が出来た筈だと誇らしい気持ちと、切なさが入り混じる。
深く感傷に耽りたい気分だったが、レジェンド達を出待ちしているファンからの視線がどうにも痛かった。仕方なく、そそくさと私は立ち去ろうとした。

「おい!待てよ!」

物凄く聞き覚えのある大声と、周囲のどよめきが私を引き止めた。声の主は私服に着替えてサングラスで顔を隠してはいるものの、どこからどう見てもあの人だった。

「オクタンさん……」
「写真の件でよ、ちょいツラ貸せよ」

オクタンの言葉に「写真……!?」「オクタンの奴、スキャンダルか〜!?」等ファンの間で様々な憶測が飛び交う。
更には、情報を売ったと思われているのかオクタンファンらしい女性からの鋭い視線がグサグサと突き刺さり居た堪れない気分になる。

「あの、話なら全然聞きます。ただ、ここ目立つんで」
「じゃあ俺んち行こうぜ。ビールくらいなら出す」

次の瞬間、まさに阿鼻叫喚、地獄絵図となった。BGMは喧騒と「誰よその女はー!?」と劈く悲鳴。それに凄まじい怒気。
更には複数のカメラがカシャカシャと忙しなく私を捉える。写真を撮られる側になるのは久し振りだなぁ、なんて他人事の様に思っていないとやってられない。

「突っ立ってないで、行くぞ」

せめて誤解を解かせてくれと思う。けれども、私の腕を掴む手は力強い。成す術もなく、体はズルズルと引き摺られて行く。

どうか、明日が私の命日になりませんように。


* * *


連れ込まれたのは高級アパートだった。
正直、レジェンドだしあのシルバ製薬の御曹司だし、城みたいな豪邸に住んでいてもおかしくないと思っていたので少しばかり拍子抜けである。

フロントマンこそいたものの、私室に黒服や執事なんかはいなかった。妙な気疲れは避けたかったのでそれは有り難い。

「ほらよ、キンキンに冷えてるだろ」
「……仕事で呼んだんですよね?いいんですか?」
「酒入ってた方が、お前も酔ってた事に出来て都合が良いだろ?」

オクタンの言葉に頭を抱える。その言い方だと、色々と誤解されても仕方がないと思う。

「メシもついでだから食ってけよ」
「有難いですけど、これオクタンさんが作ったんですか?」
「いや?いつの間にか用意出来てる」

姿形は見えないが、どうやらこの部屋にはお助け幽霊が出るらしい。彼の無頓着ぶりに一々驚かなくなって来た自分が恐ろしい。

お言葉に甘えて私は食事を頂く事にした。そうでもしないと、間が持たないと判断したからだ。

「じゃあ、頂きます」
「おう、遠慮するなよ」

フルーツと豪快に盛られた肉が食欲を唆るサラダをもそもそと口に運び始めると、オクタンもビールを呷る。キンキンに冷えているビール瓶はたらりと美味しそうな汗をかいていた。

フォークと皿が触れ合う音だけがBGMだった。やたら静かな空間に私はソワソワするも、会話が始まる素振りがない。
ちらりとオクタンの方を伺うが、彼は次々と瓶を開けては空にするばかりで何を考えているか分からない。

「あの、本格的に酔われる前に本題を聞いてもいいですか?」

オクタンのあまりにもハイピッチな飲みっぷりに私は心配になる。更に言えば気不味い相手の介抱なんて真平ごめんだった。

「あー……だから、写真の事だよ」
「実は気に行ってなかったんですか?」
「いや、良かったんだけどよ。派手だったし。でも、なんか、よくわかんねぇけど……俺の想像と違ったんだわ」

アクロバティックな姿勢で弾丸を撃ち込む彼の写真を私は会議に提出した。同席した彼は一目写真を見ると「いいじゃねぇか」と言い残して立ち去ってしまったのだ。

「広報用としては良かったんですか?」
「そりゃあ、まあ。でもお前と約束してたのは……」
「わざわざカッコ悪い写真を、沢山の人の目に触れる会議に持って行く訳ないじゃないですか」

ため息を吐く前に、細い腕がにゅっと私の肩まで伸びて来て、直後激しく体を揺さぶられた。

「隠してたのかよ!?」
「いや、配慮ですって!」
「そんなんどうでもいい。早く見せろって」

現像はしてきていなかったので適当なモニターを貸してくれと言ったところ、彼は立派なホームシアターを指差した。
少しばかり怯むが、私の作品なのだ。つまりは、私なりの答えなのだ。結果的に間違っていたとして、今この瞬間に求められているのは、これだ。

玉座に座る王様の様にソファにどっかりと腰掛けるオクタンに「準備出来ました」と声を掛ける。
しっかりと見るつもりなのか、いつの間にかサングラスはテーブルに置かれていた。 初めて間近で見る彼の素顔は、なんだか緊張している様に見えた。

白いスクリーンにドンと映し出されたのは血と泥だらけで、覆面だというのに子供の様にイヤイヤしている所為で悔しいのが伝わってくるオクタン。
その写真を見て「マジかよ」と彼は困った様な、呆れた様な、とにかく私にか自分自身にかは不明だが失望した様な呟きを溢した。

何の反応も返さないまま、私は次の写真を写す。バンガロールに拳骨を貰って不満そうに肩を竦めるオクタン。写真だけでなく本物も不服そうに肩を竦めている。

次の写真を写すと彼は息を呑んだ。レイスとの最終局面、ただ真っ直ぐに獲物を狙うギラギラとした横顔。それは余りにもエネルギーに満ちた作品だった。
されど、何も言わずに私は続ける。全てが終わった瞬間に見せた虚無を背負う背中は、先刻見せた表情と鮮やかな程に対照的だ。

「……なぁ、どれが本物の俺なんだ?」

二人きりの静寂の中、まるで怒られた子供の様に、はたまた審判を待つ聖職者の様に恐る恐る彼は聞いた。

「いや、全部です。全部が本物です」
「屁理屈言うな!俺はあの、アネキの写真みたいな、これが俺だって姿を見てぇんだよ!」

オクタンは太い眉をこれ以上ない程に吊り上げ、怒りを露わにしている。けれど、私にだって理屈や筋、それに信念はあるのだ。

「落ち着いて話を聞いて下さい。そりゃ説得力に満ちた作品が用意出来たら良いですけど、こればかりは人によるっていうか……」
「ああ!?んだよ。俺が、俺が悪いって言うのかよ……」

先程までの勢いは突如として急落した。その落差が余りにも哀れに思えて、どんどん先細りして行く言葉達を否定する為に私は口を開いた。

「ライフラインが目指しているのはある一点のゴールで、そこまでの道を真っ直ぐ歩きたいと思っている人だから……なんとなく彼女の魂の在り方、みたいなのが分かったんです」

澄んだ緑色の瞳がじっと私を見ている。私も彼だけを見据えて語り掛ける。

「貴方はまだまだたくさんの可能性があって、それを試す様に生きてると、思う。けど、色々と試す度にこれじゃないってなったら、どうでもよくなるのも分かるっていうか。私は今、写真に出会えてますけどそれまでに沢山の興味があって、でも向いてなくて……けれど、今の私がいるからいいんです」

私の言葉は確実に彼の神経を逆撫でするし、何より説教臭い。それでも、私という人間の目を欲した彼に誠実に応えたい。

「可能性だって?レジェンド≠チてのには今んところ退屈してねぇし天職だと思うけどよ」
「私も天職だと思いますよ。でも、人生って仕事以外にもあるっていうか。そっちの方が大切なんじゃないですか?」
「休みの日だって大忙しだ。誰もが俺様を求めているからな。SNSにアップする動画の編集とかよ」

踏み込もうとすると、ひらりと躱される。それでも、この場は彼が望んだのだ。

「貴方はレジェンドになって、何を成し遂げたいとか、あるんですか」
「だから、退屈しなければそれだけでいいんだよ」
「前までの貴方ならそうだったと思いますけど、ドゥアルド氏が動き始めてからその軸がブレてる気がするんです」

彼の父の名前を出した瞬間、苛立ちを隠そうともしないオクタンの貧乏揺すりが止まった。

「それらしい理由が欲しかったんですよね。世間が求める声代表として、私を選んで、こうであれってゴールを決めて欲しかったんです」
「おい」
「無責任です。ゴールくらい、自分で決めて下さい。極論、ゴールが無いのがゴールでもいいと私は思います。それくらい生きるって自由じゃないんですか?」
「……おい!」
「見て見ぬふりも答えの一つですけど。でも、そういうのオクタンさんには向いてないと思います」

私もオクタンも肩で息をしていた。そして、睨みつける様に互いを見つめ合った。

大振りの銃を構えながら誰よりも早く走る立派な成人男性だというのに、その顔はおもちゃを買って貰えなくて駄々を捏ねる子供だった。

「俺は俺で」
「……はい」
「それだけの筈なのに、訳わかんなくなる事があんだよ。親父の所為だとかすらも、わかんねー」

「面倒臭い」を体言するかの様にオクタンはボスンと柔らかなソファに体を沈めた。そのままの姿勢で彼は私を見上げる。

「考えるのってめんどくせぇだろ、走ってる時は何もかも俺様のスピードに着いて来れないんだ……はは、最高だぜ」
「運動は苦手ですけど、貴方の走ってる姿を見ると気持ち良いんだろうなぁってのは、分かります」

大きなソファの端に私も座る。物理的に近づいたオクタンの顔は複雑そうだった。

「私、軽薄だし、自分と正反対のタイプだし、何考えてるのか分からなくてオクタンさんの事苦手でした」
「……そうかよ」
「でも、想像より人間してて好きになってきましたよ」
「モンスター扱いかよ?言ってくれるねぇ。ならもっと俺の人間らしい所見てくか?」
「そりゃあ、もう」

是非、と言い切る前には私の体は細いにも関わらず力強い腕に引かれて彼の胸の中にいた。目を白黒させている内に分厚い舌が強引に私の唇を割る。

いきなりキスをされた事よりも、彼のぬるい体温に驚いた。細いし、食生活も不摂生そうだし、その所為で体温が低いんだろうなぁ、なんて色気よりも彼の普段のバックグラウンドの方が気になった。

「俺の事をよ、俺よりも知ってくれよ」

プリズムみたいに、見る角度によって彼はがらりと姿を変える。熱くて、粗野で、低俗で、高貴で、繊細で、臆病で、冷たくて。

そんな貴重な彼を深掘りする許可が本人直々に降りたのだ。感謝のキスを頬に送った後、再度口付けた。

麦酒の苦味の下に、骨と肉の味がした。





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