(『ほどけ雪』の二週間の間の話)
「仁王がいないな」
そう呟いたのは幸村。頭の二文字に反応してしまった自分が憎い。
聞こえなかった振りをして、ボールのガゴを抱えた。
最後の一つを運び終えたところで、随分と離れた彼を振り返る。柳生と何か言葉を交わしていることはわかるんだけど、肝心の会話が聞こえてこない。盗み聞きがしたかったわけではないものの、意識して離れすぎたかと大きめにため息を吐いた。
だけどその間に話は終わったらしく、幸村はまっすぐにこちらに歩いてくる
「……どうしたの?」
「また仁王がサボってるみたいなんだ。名字、探してきてくれるか?」
言葉を受けるより先に問いかけたはずが、返事は喉に詰まり、少し呻いた。
いつもなら一言目より早くに頷いていたからだろうか、彼は小首を傾げてみせる。
それがただの返事待ちではないことは、その目が発する有無を言わさぬ光が物語っていて。「出来れば他の部員に」なんて文句は溢す前に蒸発した。
「……い、いってきまーす」
「はい、いってらっしゃい」
諦めて返事をすれば威圧感はどこへやら、我らが部長はからりと笑う。探しに行くために背を向けたところでもう一つため息をついた。やっぱり、どうあっても彼には逆らえないらしい。
いつもなら探せばすぐに出てくる銀色は、どうしてかその日はどれだけ探しても、影すら出てこなかった。
*
名字が去った少し後、猫背の少年は姿を現した。
「お前さんも趣味が悪いのう幸村、わざわざあいつに探しに行かせるとは」
「あれ、そんなところにいたんだ」
「意外か?」
「まぁね。いつも彼女が探しに行くところにいたし、今回もそうだと思ってたから」
再びからりと笑いながら言う幸村に、仁王はその顔をしかめてみせる。意図を剥き出しにしている彼への意趣返しのつもりだったが、ただ笑みを深めさせただけだった。
「仲直りしてもらおうと思っただけなんだけど」
「柳生の案か?」
「さぁ、どうだろうね」
揺れるしっぽを振れば、その声が届いていたのだろうか、ぎこちなく眼鏡を押し上げる柳生がその視界に収まった。
もう一度「趣味が悪い」と溢した彼は、そのどちらにも向き直ることなく言葉を続ける。
「お前さんらに御膳立てしてもらっといて、それでもこうなったんは俺の責任じゃ。もう首は突っ込まんでえぇ」
「そう言われても、俺は部長だからね。部員の面倒を見るのも仕事のうちだよ」
「なら、すくなくとも柳生には理由がないわけだ」
言って、口角を上げる仁王はまるでいつも通り。しかし、その目にいつものような力強さはない。彼とて人の子、些細なすれ違いから心を弱めるということを、二人は知っている。
「仁王くん……いいえ、私も貴方とダブルスを組んでいるのです。パートナーの手助けをするのは、おかしいことではないはずです」
「それ以前にシングルスのライバルじゃろ。本来なら、こんなデカい弱味なんぞ見せとらん」
それでも尚、詐欺師は二つの伸ばされる手を押し退けようとしている。仁王の言う『弱味』を噛み締めている彼らは、それが強がりとは違う意味を持っていることもまた、理解できたのだ。
「じゃから……ほうやの、自分で蒔いた種やき、自分でどうにかしてみせるぜよ」
「……その言葉に、嘘は無いね」
「あぁ。……これ以上、逃げるつもりはなか」
笑うでなく、それこそ言い聞かせるようにまっすぐ呟いた仁王。その様子を見て、そのこ言葉を聞いて、ようやく二人は言葉を掛けることを諦めた。
やがて、「仁王を見付けられなかった」と肩を落としながら帰って来た名字を目の端に留めた彼は、いつもと結ぶ位置を間違えた尻尾を見せ付けるように、彼女の目の前を横切ったのだった。
休日を挟んだ翌週の頭には、試合形式の練習が待っている。
18/01/17
18/11/17 修正、公開