先輩とお家デート

(名前変換なし)


 後輩兼恋人である財前のおうちにお邪魔して早二十分。さほど広くないその部屋の中は、謎の沈黙で満ちていた。
 私はベッドの上で、財前はPC前のキャスター付き椅子の背もたれを抱きしめるように凭れながらスマホをいじっている。

 ──いや、コレお家デートって呼んでいいのか?
 私だって最初は頑張った。そりゃ頑張った。時間にしたらわずか五分だけど、それでも会話を展開させるべく「綺麗な部屋だね」とか「楽器多いね」とか言葉を投げた。けど返ってくるのは「そっスか」「そっスね」辺りの素っ気なさMAXなものばかりで。使い古された表現だけど、言葉のデッドボールである。投げたの私なはずなのに、私にダメージが来ている。なにゆえぞ。

 そして心を折り会話を諦めてから十五分。気まずさのある十五分は本当に長い。あの五分でもかなりいっぱいいっぱいだったのによく耐えた私。
 体感時間は一時間を越えている。実際は二十分。そして財前はスマホをいじっている。

 ……あ、やばい泣きそう。

 少し滲んだ、落とした視界に映るのは勇気を出して買ったホットパンツ。ここまで肌を見せる服なんて着たこともなくて、それでも財前が喜んでくれればと思ってお小遣いをやりくりして買って。
 全部、エゴだったのかな。

「……財前」
「ん?」
「私、帰るね」
「──は?」

 呆気にとられた声。それに気を配る余裕もない。ただ目に張られた膜を溢さないよう、息を詰まらせて声を震わせないようにするのが精一杯だった。

「ちょ、ぉ待っ……せんぱっ」

 なのに、椅子をひっくり返しながら立ったのかガタガタ音をさせながら、滅多に出さない慌てた声を出した彼はノブにかけたのとは逆の手にすがってくる。

「なん、何帰ろうとしてンすか」
「……だって、財前つまらなそうにしてたから。私、いなくてもいいかな、て……」
「そ、れは……それはちゃうくて!」

 ぎゅうと込められる力は案外強く、つい腕を引っ込めようとしたら更に引かれた。

「彼女家に呼んどいて、なのに会話もせずにスマホ弄って……それの何が違うの」
「……」
「…なにかいってよ……」

 いっそ帰ってしまいたいのに、しっかと握られた手がそれを許してくれない。手汗でじっとりとしてきたことを訴えるべく軽く揺らしたら「帰るんはだめです」とだけ。
 普段はいじらしく思えるその子供っぽさがどうにも──……手汗?

 ふと、普段の財前の体温を思い出す。
 いっつもひんやりとしたその手で遊ばれたり、逆に熱を移して涼んでみたり。練習直後でもない限り、その手が汗ばんでいることなどなかった、はず。

 そろり振り返ってみれば、滲みの引いた視界には苦しそうに顔を歪めた、そのくせ赤くなっている財前がいた。

「……何、その顔」
「…こっちの台詞なんすけど」

 ふい、と心配になるほどの赤色は背けられる。顔だけでなく耳も、首までもが真っ赤。

「えっ……と、その、帰らないから手」
「離さないんで」
「……ゆるめて、ほしい」
「ん」

 その手には乗るかとばかりに腕を引かれたけれど、遮られた言葉を置き直せば少し気まずそうに唇を尖らせた彼は手を握り直した。



「……先輩が。……可愛いカッコしとったから、直視できんくて」
「は」
「やから言いたくなかったんすよ……」

 ようやく引いたばかりの赤みを再び上らせた財前は、床に投げていた足を抱きかかえてベッドに沈む。普段でこそ小さい小さいと弄られてるけどさすがは男の子、スプリングの揺れは中々に大きい。

「さっきスマホ弄っとったんも、その……どうにかしよ思て、落ち着く為の記事を探してたっつか……」
「15分も?」
「え、そんな時間経っとったん?」

 ごろりごろりと言い訳をしている所に意地悪を差し込んでみたら、本当に気が付いていなかったのか勢いよく上身が起こされまた揺れる。がしかし、また赤くなって伏せた。
 え? なんだこの子かわいいぞ。
 ワックスでセットしてあるらしい髪をくしゃり撫でてやれば、何やら呻きながら更に沈み。

「でも……どんな理由であれ放置されるのは寂しかったし、悲しかった」
「ホンマ、ホンマすいませんした……」
「ん、許す」
「先輩……」

 覗くように見上げてきた財前は見たことないような、例えるなら雨の中の仔犬のような顔をしていて。それがまた庇護欲をうまく擽るからとりあえず撫でる。とにかく撫でる。でもぐしゃぐしゃにはしないように。

 すると、しばらくはされるがままだった彼がいきなり腕を伸ばし、ベッドの上で力尽きるようにしていた姿勢のままむりくり腰に抱きついてきたもんだからさぁ大変。頭を過るのは“男は狼”。まさか直前まで力尽きていたのは仔犬ではなく仔狼……!?
 などとユカイな思考に飛ぶも、落ち着いてくればただ頭を擦り付けてきているだけだと気付いた。

「……財前?」
「俺……好きになったんが先輩で……先輩好きになれてよかった……」

 この子は何度私の心臓を射抜けば気が済むのだろうか。

「私も、応えたのが財前でよかった」

 きゅうと音がしたような錯覚すらある自分の胸をさすりながら、抱きついたままの彼もさする。動きが止まった。
 一瞬は死んだのかと思ったけれど、「すき…」と語彙力を溶かしきったような声がしたので生きてはいるらしい。


 それにしても、まさか冷血だの新人類だのと呼ばれている彼にここまでひっつかれる日が来ようとは。あったとして、こんなに早くだとは思っていなかった。

 確かに告白は向こうからだったし、今日も誘ってきたのは財前の方だった。だけど前二つのときも一緒にいるときも、普段と雰囲気が変わってるなんてことは特に──いや、そりゃ私はそこまでボケる方じゃないから「先輩といる時は気ィ張らなくていいんで楽っすわ」とは言われたけど、それはデレとは違うし。
 その時も思ったけど、彼は何に気を張ってるんだろう。

 それは置いておくとして。
 今私が何にグラついているかといえば、普段とのギャップである。
 クールを越えて冷徹で、リアル低体温のせいかいつも気だるげ。距離が近いことは何度かあったけれど、それを指摘すればするり離れていく猫のような後輩。

 実はついさっきまで「好き」の一言も言われたことはなく(告白のセリフは「付き合うてください」「あ、買いモンの方ちゃいますよ?」だった)、だかは甘えたな弟分のように抱きつかれるのは中々にクるものがある。抱きつかれてるの腰だけど。

 いや“クるもの”どころではない。付き合ってからは二人でお昼食べたりデートしたりで彼の良いところ可愛いところを見付けて普通に……普通に? そういうと意味合いが変わってきそうだけど普通に好きで。
 普段の財前を十二分愛しく思っているのに、こんなことをされてしまったら“落ちる”以外の表現が見当たらない。


「──財前」
「……何すか?」

 少しレスポンスの早まった彼はのっそりと起き上がり、軽く乱れた髪を揺らすように小首を傾げる。

「これからも、よろしくね」

 心からの気持ちを込めて笑いかける。
 その時の彼はどんな顔をしていただろうか、直後に抱き締められた私には知り得ないことだった。


18/07/08
18/11/17 修正、公開

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